1998年の宇多田ヒカル/宇野維正
あらすじ
本書は日本でもっともCDが多く売れた1998年に奇しくもデビューした4人の女性アーティスト「宇多田ヒカル」「椎名林檎」「aiko」「浜崎あゆみ」について、元ロッキング・オン編集者・宇野維正が、彼女たちの関係性を元に切り込んだ2015年末におけるオジサンの思い出話である。
1998年の宇野維正
本書「1998年の宇多田ヒカル」の内容について語る前に、著者である宇野維正について若干掘り下げておきたい。
宇野維正は2018年におけるインターネットの世界ではそれなりに有名人だ。彼のSNS/Twitterにおける発言は何かと取り上げられることが多い。ただし、それはどちらかと言えば読み手の負の感情を揺さぶることが多々ある。それは宇野維正の発言が決して「的外れ」を意味しているわけではない。発言内容の正誤にかかわらず、何らかの形でネットの中を炎上させる存在になりつつある。それが現在の宇野維正の立ち位置だ。
私が宇野維正の存在に気がついたのは1996-7年ごろとなる。おそらく宇野維正はこの肩書および経歴を取り上げること嫌がるだろうが、彼は雑誌「ロッキング・オン」の編集者だった。
当時のロッキング・オンは同誌上最大のスター編集長・増井修、増井修と同じくらいにインパクトを与えた副編集長・田中宗一郎(タナソウ)の2名がこの雑誌から退きつつあり、雑誌としてのロッキング・オンは次世代の新たなる胎動を待つ時期でもあった。
もちろんロッキング・オンには邦楽専門誌・ロッキング・オン・ジャパンの編集長をつとめる山崎洋一郎や、増井修の作った洋楽/邦楽の枠組みにとらわれない音楽雑誌「BUZZ(バズ)」の編集長を引き継いだ鹿野淳、増井修の後にロッキング・オン本誌の編集長となった宮嵜広司などまだまだ人材はいた。けれど、読者の立場として言えば、増井修亡き後のロッキング・オンは各地で別々のゲリラ戦が進行しているような、とっちらかった状況に思えた。そして、この混乱期に彗星の如く登場した若手編集者が宇野維正だった。
当時のロッキング・オンはある種のテンプレートのようなものがあり、王道のメインストリームで流行っているような音楽・思想・ムーヴメントと敵対していた。それは例えばビーイング系アーティストであったり、小室プロデユースであったり、ビジュアル系バンドのような直接的な音楽であったり、アイドル的にアーティストを取り上げることしかしないライバル音楽雑誌であったり、今で言うリア充的な生き方であったり、世の中の常識であったり、保守的な行動であったり、政治であったり、時には自分の考えとあわない考え方というひどく抽象的でざっくりしたものである場合もあった。
ロックを愛するものは労働者階級であれ、恵まれない階級であれ。
ルサンチマンの名の元に、これらの仮想敵の多くを次々にディスっていった。
宇野維正の登場はそんな時期のことだったように思う。宇野維正の登場はエポック・メイキングな出来事と私は感じた。価値観の転換。宇野維正は傲岸不遜なキャラクターと共に、今までロッキング・オンが仮想敵として対峙していたものの多くを所有していた。つまり事件だった。宇野維正そのものが、ロッキング・オン誌上における事件だった。
東京生まれで、実家は裕福、ロックのレコードを金にあかせて買い漁り、傲慢な俺様な発言で読者をいらつかせ、渋谷にいるコギャルの女子高生に興奮し、地方のロック・ファンとは完全に異なる感性を持つように思えた。既存のロッキング・オンを愛好してきた読者のコンプレックス心をとことんまで刺激する、そんな存在が宇野維正だった。
私は驚いた。これは新しい革命が生まれる瞬間に立ち会っているのではないか、と。
雑誌ロッキング・オン誌は渋谷陽一がゼロから立ち上げ、増井修が一つの流れを作り、その裏で山崎洋一郎がもう一つの軸(ロッキング・オン・ジャパン)を確立した。それと同じくらいの大きな幹をなす男が宇野維正であると私は思っていた。
これが私の宇野維正におけるファースト・インプレッションである。
1998年に感じた宇野維正のロッキング・オンにおける幹としての大きさは残念ながら私の期待外れとなる。それは、私が宇野維正の力量を見誤ったのか、それともロッキング・オンという器が宇野維正にとって小さすぎたのかは、実のところ未だにわからない。
けれど宇野維正は同じくロッキング・オンを退社した鹿野淳とともに仕事をしたりした後、フリーのライター兼ツイッタラーとして今も活躍している。
その宇野維正のが2016年に初めて出版した書籍(新書)が「1998年の宇多田ヒカル」ということになる。
1998年の転換点
私は宇野維正という人は切っ先の鋭い文章と、大ナタのような勢いのあるスケールのある文章を兼ね備えた優れた編集者である、という認識をもっていた。
その中で「1998年の宇多田ヒカル」という書籍タイトルを見た瞬間に大きな期待を持った。
90年代のどこかのタイミングにおいて、音楽特に洋楽を含むロック・ジャンルは急激な転換点を迎えている、と私は感じていた。ただし、その時期ついてはブリット・ポップの終焉時期ではなく、もっと後ろのタイミングと考えていた。
つまり90年代中盤ではなく、90年代最末期が怪しいと睨んでいた。よく考えると、これは不思議な事だ。邦楽史上においては、ドラゴンアッシュ、BOOM BOOM SATELLITES、ZEEBRA、Coccoが世に出た1997年、MISIA、浜崎あゆみ、椎名林檎、宇多田ヒカル、くるりがデビューした1998年、と音楽的にはそれまでの小室プロデュース、ビジュアル系バンド、ビーイング系から大きな地殻変動が起きつつあるこの時期に、しかも邦楽史上において転換点を迎えるというのは、どこか腹に落ちない話だ。
現在の音楽は、私の中では90年代末でいったん終わり、そこから新しい何かが始まり、そのまま今までずっとつながっているというのが私の認識だ。これはもしかしたら、Windows98の発売によるインターネットの普及という社会的現象が影響しているのかもしれない。が、そんな社会学的な捉え方は私の性に合わない。
ここで、宇野維正が提示した1998年の宇多田ヒカルを中心に切り込むという考え方には、何か納得のいく取り上げ方だ、というのがこの本を読む前までの正直な私の感想だった。
ただひとつ疑問もあった。例えば社会学的に音楽について切り込むことは、同じくロッキング・オンの編集者である柴那典あたりが得意としている論法であり、宇野維正はどちらかと言えば音楽をエンターティメント的に切ることの方が得意なはずだ。少し畑違いのことのように思えた。
実はこの疑問は本書を読み始めるとあっさり氷解していった。
アイドル花の82組
本書「1998年の宇多田ヒカル」は基本的に私の疑問を解決してくれない。
ただただ、種をまくだけの内容だった。
その理由としては単純で本書の内容はどちらかと言えばカタログ的であり、大きな分析を伴っていない。
例えば冒頭、1982年にデビューしたアイドル歌手について言及している。なぜ1982年かといえば、それもひとつの転換点だろうと宇野維正は考えているからに他ならない。
ところが言及していると言えば話は美しいが、どちらかと言えば羅列に近い。
1980年山口百恵が引退し、松田聖子が同年にデビューすると松田聖子の後を追うように80年代を代表するアイドルたちが続々とデビューし、アイドルブームが再び始まった。その中核をなすのが1982年にデビューした、中森明菜であり、小泉今日子であり、堀ちえみであり、松本伊代であり、早見優であり、石川秀美であり、シブがき隊であり、原田知世だった。
なぜこの書は1982年のアイドルの話から始まらなければいけないのか?
それは今やアーティストや歌姫とよばれる1998年デビューの4人は地続きであるという話がつながっているからだ。
これは多くの女性アーティスト論が、前提として内包しているか、もしくは意図的に避けて通っている話題でもある。そして語るとしても、わざわざ松田聖子の時代から話を持ってきたりはしない。
語られる側がアーティストとアイドルの存在を別個のものとして扱ってほしいという気持ちを書き手が配慮しているからではないか、ということと、そこから話を始めると着地点の難易度が高くなり、書き手が自らの力量とバランスを検討した結果、困難さを避けて通っているからではないか、と私は勝手に思っている。
宇多田ヒカルとライブ
宇多田ヒカルは1998年の12月9日にデビューをしている。ちょうど今年(1998年)デビュー20週年を迎えている。これを記念してライブツアーも行われている。
本書を読むまで知らなかったことがたくさんある。
宇多田ヒカルが作詞・作曲を担当していることは知ってはいたけれど、編曲/プログラミングまですべて担当しているということは実は本書を読んで初めて知った。また、国内で発売されたアルバムについてはすべてのコーラスについて宇多田ヒカルが自らの声を重ねているということも初めて知った。
何を皆様に伝えようとしているかと言えば、私は宇多田ヒカルについて何も知らないということだ。
2018年11月6日横浜アリーナからはじまり12月9日に幕張メッセで終わった「Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018」を含めても宇多田ヒカルは20年間で100本弱のライブしか行ったことがない。これは宇多田ヒカルの知名度とキャリアを考えれば極端に少ない数字となる。
これもこの「1998年の宇多田ヒカル」を読んで得た知識だ。私の宇多田ヒカルに関する知識はびっくりするほどに浅い。
私が宇多田ヒカルの声を初めて聴いたのは、深夜のラジオだった。
その時のことは少しだけ覚えている。曲はもちろん「Automatic」。
ラジオ番組の名前は忘れてしまったけれど、音楽に詳しい番組ディレクターが今一押しの新人らしいですとラジオパーソナリティが曲の紹介をした。その時の率直な感想としては「うただひかる」という名前は音楽に選ばれたアーティストの名前だなと感じた。デビュー直前の1998年12月のことだったように思う。
実際、宇多田ヒカルは名前だけでなくニューヨーク出身、両親の経歴といったプロフィール、容姿、もちろん言うまでもなく才能、すべてにおいて音楽に選ばれたアーティストということになるのだが、それを知るのはもう少しあとのこととなる。
宇多田ヒカルのデビュー曲は当初ラジオでよく耳にした。
曲についての印象は、名前のインパクトよりは薄かった。印象的な声だとは感じた。年齢が想像していたよりずっと若いことも後から知った。
私が宇多田ヒカルの年齢や容姿について認識する頃には圧倒的な存在となっていた。アッという間だった。スターダムにのし上がったという表現がピッタリくるくらいに誰しもが認めるアーティストとなっていた。
宇多田ヒカルとインターネット
ところで、本書「1998年の宇多田ヒカル」では「宇多田ヒカル『以前』と『以降』で音楽シーンのルールが変わった」と書かれている。
なぜか?
冒頭でも少し書いたが1998年はWindows98の発売年でもある。
Windows98の登場によってインターネットへのアクセスが爆発的に普及した。Windows95とWindows98にそこまで大きな違いがあったのか今となっては疑問だが、結果としてはWindows98の登場によりインターネットの世界は大きく変わった。
その中で、宇多田ヒカルはインターネットを利用して自分のメッセージを積極的に公開していった。もちろんそういった手法を使ったアーティストのオリジネイターとして宇多田ヒカルが存在した、というつもりはないし、年代的に偶然だった(いや言葉を変えれば運命的だったとも言える)だけだが、けれども1998年にデビューをするということは後の時代から考えるとそういう認識になるのは不思議ではない。
宇多田ヒカルの登場の時期からアーティストが自分の言葉をインターネット上に発信することにより、音楽メディアの権威は低下し、少なくとも役割は変わっていったことに間違いはない。
椎名林檎とバンド
宇多田ヒカルがスタジオでの孤独な作業が好きな音楽家だとするならば、椎名林檎は圧倒的なバンド愛好家だ、ということらしい。
らしいと書くのはやはり私は椎名林檎のバンド遍歴について何も知らないからだ。
椎名林檎が過去に組んだバンド名が本書には多数記載されている。虐待グリコゲン、天才プレパラート、発育ステータス、絶倫ヘクトパスカル、絶叫ソルフェージュ、桃色スパナもちろんそのキャリアにおいて長期に渡り活動していた東京事変も含まれている。
何も知らないと書いたけれど(これは宇多田ヒカルについても同様だが)、初期のアルバムの何枚かは愛聴している。東京事変のデビューアルバムも購入した記憶がある。自身のことを当時のムーヴメントである渋谷系とは異なる存在であるとの意味を込めて新宿系と自称していたことも懐かしい。
バンド編成での展開が好きな椎名林檎はライブにももちろん精力的だ。
私が椎名林檎のライヴに初めて遭遇したのは2010年代に入ってからのことだった。そのフジロックでのパフォーマンスとオーディエンスの様は当時、ネット上で話題になった。
このフジロックでのライブのセットリストは椎名林檎のデビューアルバム「無罪モラトリアム」の収録曲「丸の内サディスティック」から始まり、セカンドアルバム「勝訴ストリップ」の「罪と罰」を3曲目と、私にとっては少しだけ懐かしい展開を見せた。
椎名林檎は本物か
確かにそうだな、と思ったことがある。
それは、アーティストの世界で本物かどうかを誰しもが気にするようになったことだ。
いや、もちろん本物か偽物か論争というものはずっとずっとあったことだ。芸能の世界においては、何度も語られてきたことではある。それはおそらく芸能というものが始まった時からのことだろう。
けれど少なくとも歌番組で音楽が流れる世界、アイドルブームや、プロデューサーブームがあった時代において、必ずしも重要度の高いテーマではなかったはずだ。
ところがいつの頃からか、アーティストが自ら演奏し、プロデュースすることが重要な価値観であると浸透度が強まったように感じている。
演者の方にもその気持ちが強まり、プロデュースされるアイドルではなく、自作自演するアーティストでありたいという主張が増えつつある時代が90年代の後半ということになる。
aikoと二度目のデビュー
3番目に取り上げられたアーティストはaiko。
実は私にはこれは意外なことに思えた。4番目に取り上げられている浜崎あゆみよりもテーマから考えるにはるかに異質な存在と感じたからだ。
aikoの章ではもちろん、aikoのデビューから現在に至るまでの道程が記載されている。けれど、他に興味深いことがいくつか記載されている。
一つは宇野維正がかつて所属したロッキング・オン誌における「原稿チェック」についてだ。
ロッキング・オン誌には原稿チェックがない。
「原稿チェックがない」とはつまり、雑誌スタッフがアーティストがインタビューをおこなった後、アーティスト本人やスタッフ・事務所に書いた原稿をチェックしてもらうことなく、そのまま雑誌に載せることを意味する。
確かにロッキング・オン系の記事を読むと必ずインタビューをおこなった(原稿を書いた)ライターの名前がはっきりと分かりやすい位置に表記されている。私が音楽ライター(もしくは音楽評論家)の名前をしっかり覚えているのもこれが直接的な理由だ。
話はそれるが私はすべての記事を署名記事にしてほしいと願っている。記事はどんなに頑張っても主観から逃れられるものではないし、それならば誰が書いたのか?くらいは知りたいものだと思っている。
宇野維正はこの文章の中で「音楽ジャーナリズムの名のもとに発表される記事は良くも悪くも『ライターの作品』なのだ。」と書いている。私もその意見には賛成で、少なくとも活字メディアに掲載されているアーティストのインタビューとライターの関係は、食材とシェフの関係と同等だと感じている。
二つ目は、二度目のデビュー。
ここで宇野維正は、ポップミュージックの優れた作り手にはデビューのタイミングが二度やってくると語る。
一度目は、周囲の人々から送り出されるデビュー(最初は誰だってそうだ)と、周りの信頼を得て自分の足で新たなる一歩を踏み出すことが二度目のデビュー、だと。
その意味で宇多田ヒカルや椎名林檎の章でもそのことを論じてきたつもりだ、と宇野維正は語る。そしてaikoの章でもそのことについて語っている。
次の章で取り上げれる浜崎あゆみについてはアイドル時代というものが存在し、その意味では一番イメージがしやすい存在と言えるのかもしれない。
本書を書いている宇野維正は、90年代ロッキング・オン社に入社し、怖いもの知らずのライターとして初期から紙面において取り上げられてきたある種名物編集者だった。
けれどやはりロッキング・オンは良くも悪くも音楽ジャーナリズムの世界では権威であり、傍若無人に振る舞おうともある種守られてきた存在でもある。
その宇野維正は本書「1998年の宇多田ヒカル」にて、音楽ジャーナリストとしての著書名に自身の名前をきちんといれたデビュー作を上梓したことになる。
これは宇野維正自身の二度目のデビュー宣言と受け止めて間違いないはずだ。
「1998年の宇多田ヒカル」は私の疑問を解決してくれないと冒頭に書いた。
理由は単純で、本書は宇野維正の冒険記の始まりを示す内容であり、解決編ではないからだ。
これは決意表明の書なんだ。
浜崎あゆみの持つアイドル的側面
アイドルとアーティスト、二度目のデビュー、音楽ジャーナリズムとアーティストの関わり、これが本書で大きく取り扱われているテーマになる。
この部分において皮肉にももっとも色濃く反映されている存在が浜崎あゆみになるはずだが不思議なことに、もっともページ数が割かれていないアーティストが浜崎あゆみだ。
もともとアイドル出身で水着グラビアなどもおこなっており、本当にブリブリのB級アイドルを演じていた浜崎あゆみは、事務所(とレコード会社)をエイベックスに移しデビューを果たした。
その意味では宇多田ヒカルや椎名林檎よりもアーティストとアイドルの狭間を語るのにはうってつけの存在と言えるはずだ。
浜崎あゆみはどういった経緯があるにせよロッキング・オン・ジャパンの表紙やそのメインコンテンツである2万字インタビューを飾っている。
けれど本書では宇多田ヒカルとの関係性(カバー曲)を中心に少し触れられる程度で、ある種添え物的な扱いをうけている。
1998年に何かが変わったのか
いつの間にか音楽に関しては、どこかのタイミングで何かが変わった気がしている。
2000年代に突入すると、海外の音楽が日本の国内へ紹介される機会が圧倒的に少なくなったように感じている。
アーティストが本物なのか偽物なのか問題というは実は根深い話ではないかと思っている。
はるか昔は単純で、海外のアーティストは本物、日本にはアーティストは存在しなくてアイドルがいるという価値観が少なからずあった。
00年代以降にデビューした海外のビッグネームは、日本では決してビッグネームではない。
インターネットの時代がはじまり、海外の情報が取得しやすくなったはずが、逆に日本のアーティストの価値が相対的に上がる時代が来たように思う。
もちろん90年代のOasis(オアシス)とかNirvana(ニルヴァーナ)はそんなに知名度があったのかと言えばもちろんNOだ。けれど、いまのImagine Dragons(イマジン・ドラゴンズ)やEd Sheeran(エド・シーラン)あたりはあまりにも知られていなさすぎではないかと感じている。
本書を手に取った理由は最初にも書いたが、今の漠然と箇条書きにした疑問に答えてくれる内容だったのではないか?という部分から始まっている。
ところが、その疑問について本書では回答されている気がしない。
けれど、それは仕方がないことだと理解した。これはスター・ウォーズで言えばエピソード1なんだ。
物語の序章でしかない。
そう思うことにした。