はじまりとは
昨日の夜、寝ていたらサウスポーのギタリストが枕元に現れて
と言ったのではてなブログを始めることにしました。
イギリス、マンチェスター出身のHuts(ハーツ)と呼ばれる二人組がいるんですが、この人たちを初めて聴いた時、つまり1stが出た当時に「ハーツは静かなNine Inch Nails(ナイン・インチ・ネイルズ)だ、ハーツの暗黒面とナイン・インチ・ネイルズの暗黒面には通じるものがある」とか適当なことをTwitterでツイートしたんですね。そして今、ハーツを聴き返してみると、もうどこが静かなナイン・インチ・ネイルズなのかまるで意味がわからないです。そもそもナイン・インチ・ネイルズは暗黒バンドでもなんでもなくてどちらかといえば健全なメタルに近いくらいの存在ではありませんか。でも、その当時は本気でそういうふうに思っていました。もう勢いあまってハーツのライブに出かけたくらいですから。
思えばそんなことの繰り返しです。The Cribs(クリブス)というバンドを聴いてまるでNew Order(ニュー・オーダー)みたいだ、とか。Klaxons(クラクソンズ)はネジを速めたTV On The Radio(TV・オン・ザ・レディオ)だとか。思ったことを夜中の3時のような勢いで次々に放流していったものです。ひどい感想をあげていけばキリがありません。
インターネッツの世界では賢くて教養がある人がどんどん増えています。むしろ、そういった方々の方が主流であり、すぐれた、素晴らしい、おすすめがどんどんインターネッツの世界に増量されています。毎日毎日どんどん素晴らしいレビューと、後世に残したほうがよい名文と、適切なレコメンドと、ほどよい知識量で書かれたまとめサイトがガンガンwebの世界に吐き出しているかのように感じます。もちろんそれはふさわしいことですし尊敬に値します。王道です。
きちんと調べて書く人が増えていることは正しいと思います。「でもさ」思ったことをまるで身体言語のごとくたれながす人はもっといていいんじゃないかな、と思ったしだいであります。
ここまで書いて思いました。ダメだ、ダメだ、全然ダメだ。まだまだ何かを取り繕おうとしている。カッコつけたことを書こうとしています。そんなんじゃ全然ダメだ。私たちにはもっと適当さが必要なんです。
「もっと適当さを」
このブログは世界中にある知性あふれるインターネッツ上の適切なおすすめに対向するため、私たちの「適当さ」を唯一の拠り所に書かれています。
つまり全然成長してないんです。
成長していないおっさんは醜いですが仕方ありません。
世界はそんな風にできています。