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FKA Twigs(FKAツイッグス)のライブを見た

フジロック ライブ 雑文 音楽 感想 夏フェス
LP1/FKA twigs  → link
 

 

 女神転生というRPGゲームをご存知だろうか。

 いや女神転生というゲームそのものでなくても、ペルソナシリーズでもデビルサマナーシリーズでも、デビルサバイバーシリーズでもかまわない。

 とにかくアトラスという会社が作ったあのメガテンの流れを組むゲームならなんでもいい。

 

 女神転生シリーズはどの作品も悪魔と科学と現代の文明/文化が複雑に絡み合い、時に学園モノであり、時に文明が大きく破綻した後の物語であり、時にオカルトであり、独特の世界が構築されている。秩序と混沌と中立の狭間を行き来するゲームでもある。

 その女神転生の中でもっとも強烈な部分は「悪魔合体」にあると私は考えている。

 女神転生シリーズでは敵として出現するモンスターつまりは悪魔を仲魔として引き入れ、ともに戦いレベルを上げる。この説明だけで言えば、ドラゴンクエストポケモンのようなほのぼのとした共闘関係を思い描くかもしれない。こういったシステムのゲームでは、仲間となったモンスター(あるいはポケモン)もある程度の成長をしてしまうと戦力としては物足りなくなってしまい、仲間預かり所のような場所があり、そこで面倒をみてもらうといったことが多い。

 けれど、女神転生シリーズでは、戦力として物足りなくなってからのルートが異なる。悪魔と悪魔を合体させ新たなる戦力を生み出すのだ。この悪魔の合体シーンがビジュアル的にインパクトがあり、左右から異なる悪魔が登場し、それが画面中央でぶつかりあい、異なる悪魔へと変貌を遂げる。

 

 ともかく女神転生というゲームは悪魔というものを人類の道具として使うのか、打倒すべき敵なのか、それとももっと異なる何かなのかを毎回問いかけ続ける強いメッセージを打ち出した作品となっている。

 

 

 

 もはや何の話かまるでわからなくなっているが、ざっくり言ってしまえば、これは今年(2015年)の夏、私がフジロックへ行きFKAツイッグスという女性アーティストのライブを見て度肝を抜かれた話である。

 

 

  FKAツイッグスについては昨年デビューアルバムが発売され、私もそのアルバムについて感想を書いた。(→link)

  リンク先は長い文章なので読んでもらわなくてかまわない。記事の半分くらいは村山実のザトペック投法とビョークについて書かれている。要約してしまえば、FKAツイッグスは、本人が評価の対象ではなく、その共同作業者とFKAツイッグスの異風なイメージのみについて言及されているばかりで過大評価ではないか、というものだ。

 正直に言ってしまえばアルバムを何度も何度も通して聴いてみても私には何のことやらさっぱりわからなかった。

 それでも新世代のアーティストとしてメディアなどに大きく取り上げられる以上、何らかの大きな魅力がこのアーティストにあるのではないか。それならば実際にこの目でみてやれ、というのがFKAツイッグスに対するフジロックでの私の立ち位置だった。

 

 フジロック2015では一番大きなグリーンステージの3日間のヘッドライナーにそれぞれ、Foo Fightersフー・ファイターズ)、Muse(ミューズ)、Noel Gallagher(ノエル・ギャラガー)、そして3日目のトリ前に目玉としてRide(ライド)が配置されていた。

  今年のテーマはギターロックの復権か何かかと思ったものの、実際に苗場まで足を運んでみるとそうでもなかった。

 私を大きく驚かせたのはDeadmau5(デッドマスス)であり、Rudimental(ルディメンタル)であり、ギターをもたないTodd Rundgrenトッド・ラングレン)であり、そしてこのFKAツイッグスだった。

 

 3日目のホワイトステージ。トリとしてFKAツイッグスは独特の不思議な雰囲気の中薄モヤがかかったように登場した。時間としては21時40分すでに真っ暗だ。

 音が響く。低音がビリビリくる。照明が幻想的だ。

 集客は、話題性のある新人アーティストとしては上々ではないだろうか。裏があの元Oasis(オアシス)の兄貴ことノエル・ギャラガーであることを考えれば、むしろ多くのオーディエンスを集めているとも言える。

 FKAツイッグスのフジロックでのパフォーマンスは圧倒的だった、という評価は正しい。華奢でありながら、そのしなやかであり、官能的であり、筋肉質である、その肢体からくりだされるダンスは、観るものを魅了したといって間違いないだろう。

 獣のようでもあり、そのドコドコ鳴り響くリズムからは、呪術的なものを感じた。シャーマニックという言葉は彼女のライブについてまわる表現だが、その陳腐な言葉に私は異論はない。

 これが音楽なのかどうかすら、私にはよくわからなかった。もはや儀式のようでもあった。ステージ上にいるのは人で在らざるもののような気さえしてきた。圧倒的にキレキレで黒ヒョウかなにかのようにも思えた。

 こんな書き方をすると、FKAツイッグスはダンサーとしての能力が高いだけで音楽的には微妙と受け取る方もいるかもしれない。けれど、それは違う。

 音楽にはビジュアルもルックスも含まれている。ライブという場においては照明も重要な要素の一つだ。FKAツイッグスは声、音、リズム、ダンス、容姿、照明、音圧、雰囲気、すべてを利用してオーディエンスを魅了している。

 

 私はかつてJames Blake(ジェイムス・ブレイク)のライブを見た時、その高い次元で色々な要素がからみ合っているさまに驚き、感動した。けれどもう少し音圧があれば、ビリビリしていれば良かった、というようなブログ記事を書いた。(→link)

 FKAツイッグスのライブはジェイムス・ブレイクのそれで味わった要素とは異なるけれど、けれど色々なモノが高い次元で結びつき、そして音圧のある、ビリビリとしたライブだった。

 逆に、この二者のライブでもっとも違っていたものは、ジェイムス・ブレイクがその風貌とは真逆にエモーショナルな人の持つ感情に訴えかけていたことに対し、FKAツイッグスはもっと奥深い、人類の原初的な本能的な部分に直接、ダイレクトに訴えかけていたように感じたことだ。

 

 もう一つ、Sigur Rós(シガー・ロス)のライブのことを思い出した。(→link)シガー・ロスは印象的なバンドで、圧倒的な静寂と爆音によってライブ会場を制圧した。この時の様子を私に思いおこさせた。

 とにかくシガー・ロスの演奏の前においてはただただ、アホウのように口をあけて呆然とその姿を立ち尽くして観る以外に何もできなかった。

 私は己の無能を呪うしかすることができない状態だった。

 それが今回のFKAツイッグスのライブでも起きた。

 私は、いや私たちは呆然と圧倒的なFKAツイッグスをただただ眺めることしかできなかった。FKAツイッグスのパフォーマンスが先鋭的すぎて、何をどう反応すべきかいまだ人類にはそのリアクションは、叡智は授けられていないのだ。

 

 おそらくはこのまま光と闇と音の織りなす空間を見続けていたら、邪神が創造されるに違いない、私がそんな結論にいたったころ、「Give Up」という曲が演奏された。

 圧倒的でシャーマニックな踊りをステージの中央で演じ続けていたFKAツイッグスの脇に、もう一人のダンサーが現れた。

 もう一人のダンサーは恐ろしいほどにキレのある動きをして、FKAツイッグスにも引けを取らないレベルの動作だった。

 メカゴジラVSキングギドラのような、とんでもないものに私には見えた。もしくは二人ともインドの古代神だったのかもしれない。

 二人は引き寄せられるようにステージ中央で重なった。

 それは女神転生における悪魔合体そのものだった。

 禍々しい光景だった。

 悪魔合体により誕生した邪神は阿修羅のように手足を四方八方に動かし、その儀式の目的をフジロックのホワイトステージ中央で達成したかのようだった。

 音楽の世界はついに悪魔の力を手に入れたのだ。

 残念なことに、その邪神は現実世界ではわずかの時間しか効力を発揮しなかった。

 時間にして数分であろうか、二人は合体した邪神の姿を保つことができずパッとわかれていった。

 けれど、それだけの短い時間で私たちにとって充分だった。

 

 FKAツイッグスのライブは、どこか古代の呪術や儀式を想起させるものだった。

 あまりの出来事に私は、その夜興奮してなかなか眠れなかった。

 

 

 

 

 このライブの帰り道、ノエル・ギャラガーの歌う「Don't Look Back in Anger」を見ることが出来た。もちろんグリーンステージおよび通路中大合唱で良い雰囲気だった。兄貴もまだまだ捨てたもんじゃない。

 

 

 

 

 

 

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