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James Blake(ジェイムス・ブレイク)のライブを見た

音楽 ライブ ダブステップ 洋楽

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 昔からずっとずっと疑問に思っていたことのうちの一つが解決した夜だった。

 そして魔法にかかった夜だった。

 

 6月6日、木曜日の夜、James Blake(ジェイムス・ブレイク)のライブを見にダイアモンドホール(名古屋の新栄)へ出かけた。ダイアモンドホールはキャパ1000人くらいの箱。私が前日に発券した時には600番くらいだったので、実際の客入りと照らしあわせてもおそらく満員というわけではなかった。

 客層は混沌としていた。

 カップルもそれなりにいたし、私のようなイケていないおっさんも、若き音楽オタクっぽい人もたくさんいた。なんだかカオスな感じで混ざり合っていた。

 

 ジェイムス・ブレイクというアーティストを皆さんはどのように位置づけているんだろうか。

彼をジャンルでくくるときにはダブステップという言葉がよく使われる。ただ、どちらかと言えば単純なダブステップではなく、ポスト・ダブステップといったカテゴリ分けのほうが近いだろうか。

 ジェイムス・ブレイクを「ダブステップのアーティストを聴いてやるぜ、クラブっぽい、踊れる音楽だろ?」とか、あるいはSkrillex(スクリレックス)みたいな感じを想像して曲を聴くとかなり肩透かしを食う。だからといってもう一人のダブステップの代表的なアーティストBurial(ブリアル)ともまた何かが違う。確かにブリアルとは音の繊細さなどは共通する部分があるものの、ジェイムス・ブレイクは、もっと、こう、果てしなく歌っている。

 ジェイムス・ブレイクのことをソウルというジャンル分けや文脈で語られることがわりとよくある。この気持はよくわかる。ジェイムス・ブレイクは思っていたよりもずっとずっと歌手だった。

  ジェイムス・ブレイクは果てしなく私を混乱させる。混沌の海に叩き落とす。ベッドルームで聴くような繊細な音楽のようでもあり、フロア的なクラブ的な体感的な音楽のようでもあり、シンガーソングライター的な、歌手的な、ソウル的な存在でもあり、革新的な音世界の構築にも思えるし、原初的な、本能的な音楽にも思える。

 

  ジェイムス・ブレイクのライブはもちろん私を困惑させた。混沌としたカオスが私をつつんだ。

 

 私の感性はひたすらに鈍いほうだと思う。2013年になって2ndアルバムがリリースされたこの時期になって今更やっと「ジェイムス・ブレイクすげー」とか言っているのだから。

 2ndアルバムがリリースされた直後の正直な感想を言ってしまえば1stアルバムと比較して決して大きな心の揺れを生み出すアルバムとは感じなかった。その時には。

 ジェイムス・ブレイクの今回のライブツアーのセットリストは1stから半分、2ndから半分、その他の楽曲が数曲といった構成。

 私たちの感情を大きく揺さぶったのは聴き慣れた1stアルバムの曲ではなかった。

 2、3の印象的なダンスナンバーがあった。ジェイムス・ブレイクの名前を世間に知らしめたと言われている最初期のシングル(もしくはEP?)の「CMYK」は盛り上がる曲だったし、「Voyeur」も同様にダンスな感じで印象的だった。また「Digital Lion」は多分電車に揺られながら作ったんだろうなと感じた。

 でもその2-3曲以外はどちらかと言えばジェイムス・ブレイクは歌手なんだなと認識した。いや違うんだ。そういう意味じゃないんだ。Feist(ファイスト)のカバー(Limit To Your Love)やJoni Mitchellジョニ・ミッチェル)のカバー(A Case of You )なんかもあったりして、確かに歌手っぽいんだが、もっと、こう高い次元で結びついている。

 

 たまに「高い次元で○○と□□が有機的に結びついている」とか「△△と◇◇が有機的に結びつき高いレベルの☓☓を実現している」といった表現をされる方がいるが、正直なんのこっちゃ、だった。でもジェイムス・ブレイクのライブを見た直後の感想としては私にはなんとなくわかる。革新的であることと、歌声が高い次元で有機的に結びついていた。アレとコレは同居するもんだな、と。

 

 この日のハイライトは2ndアルバムの「Retrograde(レトログレード)」。ジェイムス・ブレイクは淡々と楽曲を進めているように見える。もしかしたらお客さんがいることに気がついていないんじゃないだろうか?というふうにも感じられる。でもこのレトログレードでは何かの感情が爆発したかのように圧倒的な歌声で歌う。もともとエモーショナルな曲ではあるものの、あの瞬間、あの場所で音源以上にひたすらに増幅されたジェイムス・ブレイクの歌声は、おそらく私たちの、あの日ダイアモンドホールにいたお客さんの感情を果てしなく揺さぶった楽曲ではなかっただろうか。

 

 ジェイムス・ブレイクが画期的で新しい音楽なのか?という疑問が実は少しばかりあったが、このライブによりその疑問が解消された。アレは新しい音楽であることは間違いないし、今まで見たことも聴いたこともないものであったことに間違いはない。そして、その新しさは言われているような音の構築だけからやってきているわけはない。ジェイムス・ブレイクの音の作り方と歌声が高い次元で結びついているからにほかならない。そういった意味で他者が容易に再現できるジャンルか、どうかまでは私にはわからない。今のところあのライブに名前をつけるならジャンル「ジェイムス・ブレイク」が一番近いように思う。

 

 実のところ、私は少しお試し感覚でこのライブに出かけたこともあり、想像したよりはフロア仕様ではない、と感じたけれど、もともと強いビートに支えられている音楽ではないし、こちらは逆に意外だったんだけれど思ったよりも音圧がなかった(おそらくこれはダイアモンドホールのせい、他のホールなどではだいたい評判よかったらしい、あと全然音圧がなかったわけではなくて曲によってはビリビリ来ていたし、私の期待値が高すぎた可能性もあって他の人にとってはそうではなかったのかも、でも、個人的にはもっとビシバシやってもらってもよかった)ので、もっと体を動かしても良いのかずっと思い悩んでいた。とはいえ、曲と曲の間に空白ができてしまうところは歌手っぽくもあり、ジェイムス・ブレイクはマイ・ペースでそんなことは気にならないといった仕草だった。革新性と歌声が高い次元で有機的に結びついているんだと息巻いてみたものの、まだまだ成長分というか伸びしろもあるのかな、と感じた。

 お客さんはゆらゆら揺れていたり、曲はじめや曲終わりに手を叩いたりしていたけれど、それらの行動がジェイムス・ブレイクのライブにマッチしているようには思えなかった。じゃあ、どうすればいいんだ?と言われると私に答えはない。そこにはフワフワとした不思議な感想が残った。もしまた、ジェイムス・ブレイクが来日する機会があれば、名古屋に来る機会があればぜひライブに参加したいと思う。

 とにかく不思議な魔法にかかった夜だった。その魔法の正体はジェイムス・ブレイクの歌声と音とのからみあいから生み出されていたんだと思う。

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