2つのロキノン
若い世代と音楽について話をしたことがある。少しばかり驚きがあった。
彼らが自分の好きな音楽のことを話す時「好きなジャンルはロキノン」とあっさりと口に出すことがある。その表情には屈託がなく、何者にも臆することがない。
何が私を驚かせているのかと言えば、ロキノンとは人前で自分が好きなジャンルとして語る言葉ではない、という思いが私の中にあったからだ。
ロキノンという言葉が語られる際、しばしば、話がかみあわない。
彼らの世代と私たちの世代とではロキノンという言葉に対する感覚は、まるで違う。
私の世代にとってロッキング・オン(ロキノン)を愛好していたことなど、ひた隠しにするべき、唾棄すべき過去なのだ。ロキノンなど隠れて読むべきものであって、立ち読みしている姿など他者に見られるなどもってのほか、というような禁書のごとき存在でしかない。ロキノンという言葉にはどこか嘲笑と照れ隠しと勘違いと懐かしさと嫌悪の入り混じった複雑な感情が含まれている。
けれど、若い世代にとってはそういったものではない。ロキノンは恥ずべきモノではないのだ。いや、もちろん「若い世代」という乱暴で大雑把なくくりで語ることは間違っていると理解しているし、世代における共通認識なんてものを持ち出すのはズレている。そんなことないよ、という人はたくさんいる。感じ方は人それぞれ、と言い出すことが正解なんだろう。でも、そんな正解なんてものは退屈だけが支配する国にしか繋がっていない。ともかく今の若い世代の口にするロキノンという言葉には、私のようなおっさん世代が発するロキノンという言葉では持ち得ない不思議などこかキラキラとした響きがあるように思える。
なぜ、こんなことが起きているのか。
理由ははっきりしている。2つので世代ではロキノンという言葉の意味が違うからだ。
ロキノンという言葉は、世代によって齟齬(そご)が生じている。
おっさんの世代にとってのロキノンは、渋谷陽一が刊行し、増井修が編集長をつとめていたUKロックをメインに取り上げる「あの」洋楽ロック雑誌のことであり、そこに頻繁に登場する海外アーティスト/バンド、そしてその紹介をしている評論家/ライター周辺とその文章をひとまとめにしてロキノンと呼ぶ。
一方で若い世代の言うロキノンは、毎年8月に茨城県ひたちなか市で開催される夏フェスロック・イン・ジャパンと、そのフェスに登場するようなロック系の邦楽アーティストのことをさしている。そもそもはロキノン(正しくは邦楽専門誌のジャパン)という雑誌がある、ということすら認識されているかどうかすら、あやしい。
若い世代の発するロキノンという言葉がキラキラしているといったが、それはその年代なんてだいたいキラキラしてるもんだろ、という一般論はゴミ箱にでも捨ててしまえばいい。
私たちの世代が若かった頃、ロキノンを読んでる人間なんてみんな掃き溜めの中にいたようなものだ。
90年代、ピストルズが突如として再結成し、ジョニー・ロットンは「再結成の理由は金だ!」と叫んだ。もちろん日本中にいたロックファンはこれを歓喜して出迎えた。武道館での来日公演をおこなった際、ロキノン本誌には、ライヴ中このまま武道館ごと燃えてしまえば、日本中のクズどもが一掃されて社会に貢献できるだろう的なライヴ・レポートまで書かれていた。ロキノン信者はもちろん、これを手を叩いて大笑いしつつも同意した。彼らの何割かはそのライヴへと出向いたのにもかかわらず。
それから10年も経たないうちにロキノンはフェスとウェブの会社へと変貌をとげ、日本中の若者を集客するようなフェスを開催する会社となった。もう間違っても、彼らはこのフェスに来ている連中が燃えちまえばいいなんて書くことはないだろう。
とにかく、私にとってのロキノンはあのロック・イン・ジャパンだの「まんパク」を開催しているフェス屋のことではない。
私にとってのロキノンとは90年代、執拗なほどローゼズとマニックスとオアシスとブラーを、とにかくUKのアーティスト達を載せ続けたあの雑誌のことだ。
なぜ、こんなことを書いたのかと言えば、その90年代ロキノンの編集長をつとめた増井修が突如として沈黙を破って、一冊の本を出したからだ。
増井修はロッキング・オン本誌の編集長を降りると突然、ロッキング・オン社から消えた。その後、いくつかの雑誌に関わるものの行方知れずとなってしまった。
今回出版された本は「ロッキング・オン天国」。
詳しい事情はわからないけれど、増井修はロッキング・オン社と雇用に関して裁判をおこなっている。そのためロッキング・オン時代のことを今さら増井修が語ることはないと思われていたため、これは意外なことだった。
「ロッキング・オン天国」の感想についてはそのうち書きたいと思けれど、今回はここまで。