小沢健二の「LIFE」という名のアルバム、もしくは1995年。
最初に
少し前に1995年を境に、創作に対してお客さんが求めるものが変わってきた、というような記事があった。
実は私はこの話にちょっと思うところがある。
と、同時に1994年に発売された小沢健二の2ndアルバム「LIFE」の感想も書きたい。
中川いさみと鴻上尚史の対談
今回直接的にとりあげているのは下の記事になる。中川いさみの書く鴻上尚史との対談風マンガだ。
中川いさみはスピリッツで「クマのプー太郎」などを掲載していた漫画家でいわゆる不条理漫画にカテゴライズされてはいたけれど、吉田戦車などとくらべればひどく分かりやすいナンセンスさだった。気取った感じや敷居の高さもなく当時、私は好きな漫画家だった。
鴻上尚史と言えば劇団「第三舞台」の主催者であると同時に、コラムニストであり、テレビ・ラジオでも活躍しており、話上手で映画監督としては微妙ではあるけれど、非常に才気走った人という印象があった。
今私が何を伝えようとしているのかといえば、この記事内で対談している2人、中川いさみと鴻上尚史に対して、私はそもそも悪い印象を抱いてはいないということ、だ。
むしろこの2人の人物について、好意的にとらえている。
2人の対談風漫画の内容をざっくりと要約する。
まずは鴻上尚史のターン。95年を境にお客さんがガラッと変わった印象がある。95年の春くらいにわからない作品に対する拒絶反応がすごく出はじめた。で、その理由を考えてみると95年の1月に阪神大震災が、3月にオウム真理教の地下鉄サリン事件があった。
次に中川いさみの述懐。中川いさみも実は鴻上尚史と同様のことを思っていた。けれど、もっともそれを実感した時期は東日本大震災、原発事故以降の話だということだ。不条理な漫画、ひねくれたストーリーはどんどん受け入れられにくくなっているように感じている。
鴻上尚史はこんな風にも語っている。「でも、我々は観客相手の商売なので、観客がナンセンスや不条理に耐えられないのだったら少し歩み寄っていくしかないのかなって気持ちはすごいある」
中川いさみはそれを受けて見た目をシンプルにし中身のいびつさを覆い隠していくしかないのだろうか、とまとめている。
世の中は1995年から急激に変わったのか?
この記事に限らず90年代の中頃、そのものズバリで言えば95年の春から世の中は変わったみたいな言説はよくある。
確かに印象的な出来事が2つ重なり大変わかりやすい。
でも私は本当にそうなのか、と感じている。
私は2つの理由からこの考えが好きではない。
1つ目はたまに評論家風な人が口にする○○年から△△ははっきり変わった、という言い方そのものが違和感ということ。わかりやすいランドマーク的な出来事が発生し、その後から急激に人の意識が変わることはある。けれど、でも世の中そんなに単純ではないと思うんだ。
大きな岩を皆で力いっぱい押せば、その岩はいつかゴロリと動くと思う。その最後のひと押しを誰がしたのか?ということを究明することに意味があるんだろうか。そしてそれは、本当にもっとも力をかけた人物を発見できているのだろうか。結局のところ岩が動いた後にアピールプレイをした人間をその人物と取り違えてやしないだろうか。原因と結果の取り違えをおこなってやしないだろうか。
それから、もう一つ。
小沢健二のことを思い出すからだ。
小沢健二の2ndアルバム「LIFE(ライフ)」
94年の8月の終わり、小沢健二は「LIFE(ライフ)」という2ndアルバムをだす。
このアルバムの発売に先立って小沢健二は「愛し愛されて生きるのさ」 というシングルをリリースしている。カップリングは「東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー」という曲で正直な感想を言ってしまえば、この2曲に私は非常に驚いた。腰を抜かしてしまうんじゃないかというくらいに。
かつて小沢健二は小山田圭吾とともにフリッパーズ・ギターとして活動していた。当時の日本語詞の楽曲は、シニカルで厭世的で内向きで閉じている歌詞が印象的で、ソロとなってからも1stアルバムでは、楽曲そのものはシンプルではあったけれど、その歌詞の醸し出す雰囲気は変わっていないように思えた。その1stアルバムは小山田圭吾に尾崎豊のようだと揶揄されたものの、やや朴訥さとシンプルさが以前の作品と比べ過剰に出ているもののフリッパーズ・ギター時代の小沢健二の延長線上にあるように感じた。
ハッピーすぎる小沢健二
ところがこの2ndアルバムを直後に控えた「愛し愛されて生きるのさ」というシングルはどうだろう。躁状態過ぎやしないか。何もかもハッピーすぎる。
そもそも「愛し愛されて生きるのさ」は言いすぎではないだろうか。前向き度合いが上がりすぎている。何だか別の人になってしまったんじゃないだろうか。とすら思えた。
もともと、小沢健二の書く歌詞は不条理なものでもないしナンセンスなものでもないけれど、けれどこの時期から数年の小沢健二は急激に、音楽に前向きなストレートなメッセージを乗せてきたという印象が私の中では強い。
90年代の邦楽とJ-POP全般の話をする。この90年代の途中、どこかの時期に音楽の世界、いや日本の音楽だけのことではあるけれど、何かが代替わりしたような印象がある。歌詞そのものがストレートになり、シニカルさやパロディ的なもの、言葉遊びのような意匠が極度に失速していったと私は感じていた。その時の先頭グループを走っていたのが小沢健二の2ndアルバム「ライフ」というわけだ。
世紀末を勝手に終わらせてしまった小沢健二
実は小沢健二の1stアルバムには「世紀末を勝手に終わらせてしまった作品」というとんでもない評価が発売当時に与えられていた記憶がある。直接的には1stの中に「昨日と今日」という曲があり、その中で「薄ら笑いさえぎこちないだけの皮肉屋たちが行く先も無いまま 街で深く深く深く溺れ死んでゆく」と歌われ、シニカルさだけの皮肉屋の生きる道などこれからの21世紀にはない、といった拡大解釈からくるものではあったけれど、2ndを聴く限りは、その妄想もありなのかと当時は思ったものだ。
当時はと書いたけれど、今振りかえってどう思うかと言えば、世紀末とはつまり、ノストラダムス的な終末論とか予言の類だったと思うけれど、そんなものはすでに97年を過ぎた頃には誰も信じていなくて、世界が終わるとかかなりバカバカしいものでジョークとしても無価値だったように思う。それは、本当に単純な話で近すぎてなおかつ現実味のない破滅なんて誰も信じやしないということだったんだと思う。
そんな「時代の気分」という大雑把な言葉でくくってしまうんだけれど、そんなものを嗅ぎとったあとにはハッピーにするしかないよね、現実的なものと向き合うしかないよね、というのが小沢健二の「ライフ」というアルバムだったんじゃないかな、と今さらに思う。つまり94年の段階で小沢健二は2馬身くらい世間の感覚を突き放していたように感じてしまうんだ。
95年には阪神大震災が起こり、その後オウム真理教の事件が起こるわけで、これを一緒くたにしてしまうことには、もちろん無理があると思うし乱暴すぎるとは思うんだけれど、少なくともオウム真理教のアレは原因ではなくて、結果の部類なんじゃないかと感じている。
急に変わったのは95年と言われているけれど、小沢健二のアルバムから考えるに94年にはすでにその予兆があった。ほかにも同様の感覚を嗅ぎつけていた創作者たちはたくさんいたのかもしれない。
とにかく、95年はすでに終わらないことが分かってしまった後の世界だったんじゃないだろうか。
そんなことを冒頭の記事を読んで思ったりした。