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再結成までのライド

 

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 90年代。気がつくとRide(ライド)は終わっていた。けれど実際どのタイミングでライドが終わっていたのかということは私には難すぎてわからない。

 

 ライドは90年代初頭、赤ライド、黄ライドと呼ばれる2枚のEP盤をたずさえてインディ・ロックシーンに颯爽と登場した。彼らはシューゲイザーと呼ばれるジャンルにカテゴライズされ、轟音ギターと爽やかなボーカルが印象的でまさに思春期そのものを想起させるUKバンドだった。

 いくつかの印象的なEP盤とアルバムを出した彼らではあったけれど、思春期が長く続かないように、90年代中盤に主要メンバーであるマーク・ガードナーのテンションが急激に落ちたことに伴いバンドも勢いを失い、4枚目のアルバムを制作すると静かにライドは解散した。

  

 元ライドのもう一人の主要なメンバーであるアンディ・ベルは00年代以降、Oasis(オアシス)、Beady Eye(ビーディ・アイ)といったバンドでリアム・ギャラガーの後ろで静かにベースやらギターを弾いていた。地味ではあるけれど多忙な日々を過ごすアンディ・ベルの体はずっとふさがっていた。つまりライドの再結成なんてことは、物理的に発生しようがない夢物語だ、と誰もが考えていた。

 けれど、昨年の暮れぐらいのこと。ビーディ・アイの解散が突如として判明した。直後、ライドの再結成とそのツアーがあっさりと本当にあっさりと発表された。

 

 年が明け2015年のフジロック出演のアーティストが発表されると、ライドもその中にしっかりと名前を連ねていた。

 

  それを受けて私は今年に入ってからすごい勢いでライドのアルバムを聴いている。

 

Smile/Ride

 

 ここからは愛知県の片田舎でイギリスのギターロックを聴いていたおっさんの思い出話として書きたい。

 

 一般的にライドは1stリリース前の2枚のEP盤つまりRide EPとPlay EP(それぞれ赤ライド、黄ライドと呼ばれている)により彗星のごとく登場し、すぐにイギリスでも日本でも話題になった、というような言い方がされている。

 渋谷にある輸入盤を扱う店ではあっという間に赤ライド、黄ライドは売り切れてしまい買えずにいる耳の早いインディー・ロック・ファンたちがたくさん発生している。とか、そんな時代だったことに今ではなっている。ウィキペディアにもそんな内容が載っているし、ロッキング・オンでも同様の記事が掲載されていた気がする。

 おそらくはそのとおりだったんだと思う。けれど、愛知の片田舎に住んでいる私にとっては、そこまでタイムリーに情報は伝わってこなかったし、当時は輸入盤なんて存在はメジャーなものではなかった。

 

  多くのファンが買えなかった赤ライドと黄ライドは、その後まとめられ1stアルバムのリリース後、1枚の編集盤「スマイル」としてリリースされた。

 

 彼らのデビュー前の作品たちとなる「スマイル」に収録されている曲は聴いていただければわかるけれど、初期衝動という言葉がどこまでもぴったりくる。波のように洪水を引き起こすギターサウンドと、本当に疾走感にあふれるリズム隊と、清涼すぎるさわやかなボーカルとが、渾然一体となっている。

 

 ここで唐突にシューゲイザーの話がしたい。

 シューゲイザーについて一応説明しておくと90年代のはじめUKとそのUKロックのファンのごく一部でのみもてはやされたギターロックのジャンルだ。彼らの多くはザーザーと歪んだギター音にあわせて、ほとんど聞き取れないようなささやくようなボーカルを重ね、しかも彼らは他者とのコミュニーケーションを拒絶するかのようにうつむいて、下を、靴元(shoe)を見ながら(gaze)演奏していた。一説には歌詞が覚えられなかったため床に歌詞が貼ってあったとも言われているが、おそらくはそれは言い訳にすぎない。

 とにかくそんなスタイルゆえに彼らはシューゲイザーと呼ばれた。けれど不思議なことにこのシューゲイザー・バンドの多くには女性メンバーが存在している。私にいわせていただければ、ちくしょー、リア充じゃねえか。それに引き換え、今回取り上げているライド。ライドは男性メンバーのみという潔さ。男所帯の俺達はモテないんだちくしょーというルサンチマンを叩きつけることにより発生させた勢いと、他者とはコミュニケートできないという悔しさを重ねたギターサウンドが赤ライドと黄ライドのすべてだ。

 オリジナル・アルバムではないけれど、この「スマイル」という赤ライドと黄ライドがあわさった編集盤は彼らが出した最高到達点だったと言ってしまっても、過言でないと思う。ひたすらに青い、青臭い音が鳴らされている。

 ある種のライドファンにとってはこの赤ライド、黄ライドまでが、本当のライドだ。

 

 けれど、赤ライドと黄ライド、およびその編集盤である「スマイル」は私からすると、90年代初頭の音楽ファンにとっての地域格差を、情報格差を象徴する楽曲たちでしかない。

 

Nowhere/Ride

 

 赤ライド、黄ライドのあとにジャケットにペンギンが写った通称ペンギンライドと呼ばれるEPが発売された。このペンギンライドのリリースの直後、ライドの1stアルバムであり、ほとんどのロックファンによって彼らの代表作どころかシューゲイザーというジャンルの代表作として認識されることになる「ノーホェア」が世に出た。

 

 けれど1stアルバムが出た瞬間に赤ライドと黄ライドを熱狂的に支持した一部のライドファンの中では、ライドは終わったバンドとなった。彼らの求めていた疾走感あふれるリズムと途方も無い青さはこのアルバムからは失われていたからだ。

 

 しかしそんな急進的なライドファンではない私にとってのライドというバンドのイメージはこの1stアルバムのライドということになる。

 彼らの1stアルバムは今までと同様にジャケット写真から波ライドと呼ばれる。

 そして私にとってのシューゲイザーというジャンルもこの波ライドのことをさす。

 

 一部の性急なUKロックファンは彼らの音楽から離れてしまった。けれど、それ以上に多くのファンをライドはこのアルバムによって獲得することに成功した。名盤と言い切ってしまって間違いない。

 

 急進的なライドファンがライドの終わりと認識したこのアルバムは、地方に住む私たち英国音楽のファンは彼らとまったく違った見解を持っていた。ライドの1stはまったくもって革命的だった。

 

 こんなことを2010年代に言ってしまうと笑われるかもしれないが、90年代初頭、日本の音楽シーンは歌謡曲と強く重なり、日本の音楽と海外の音楽にはひどく差があった。少なくとも私にはそのように感じられた。その距離感は私の住む愛知県と月の距離よりも遠いように思えた。

 そんな中登場したライドのギターサウンドに私は衝撃を受けた。私の知っている歌謡曲とは何もかもが違って聴こえた。音がさざ波のように連なって聴こえていたし、それはつまり音の洪水か何かだった。まったくもって未知の音楽だった。

 とにかくイギリスのデビューしたてのバンドの音と日本の音楽シーンではもう別世界のなにか、としか思えなかった。洋楽と邦楽は別次元のジャンルであり共通点というものが見当たらないように感じられた。

 90年代のはじめ洋楽と邦楽の間にはとてつもなく分厚い壁があるように感じられた1枚だった。

 

Going Blank Again/Ride

 

 2010年代においてはライドと言えばシューゲイザーシューゲイザーと言えばライド。そんなイメージがある。それはすべて1stアルバムである波ライドの功績ではないだろうか。あの1stアルバムは名盤すぎたんだ。

 逆にそれは1stが名盤すぎたことは、ある種の悲劇にもつながっている。なぜなら90年代の多くのUKロックファンの脳みそから2ndアルバム以降の記憶は綺麗に削除されている。もう本当に不自然なまでに2ndアルバム以降はなかったことにされている。それはまるでブラックジャックばりの名医に脳外科手術をほどこされ、記憶の一部を懇切丁寧に切除されたのではなかろうかと思えるほどだ。

 

 ライドの2ndアルバムは今までのアルバムの俗称を踏襲するならばピエロライド。

1stで確立した彼らのシューゲイザーサウンドにカラフルさとポップさを追加し、完成度を極限までに高めたアルバムとなっている。

 2ndアルバムはシューゲイザーサウンドとしての完成度はひどく高く、美しく、儚く、もろく、青い。しかもポップでありカラフル。1stの時のようなアルバムとしての統一感は薄れつつあるもののメロディアスな強度を増し、彼らのキャリアでは最高の完成度を誇る。

 

Carnival of Light/Ride

 
  ライドの3rdアルバムはシューゲイザーではない。
 
  ライドの3rdアルバムをひとことで言ってしまえば「思春期の終わり」もしくは「亀裂」。
 
 このアルバムは前半マーク・ガードナーによって書かれた曲と、後半アンディ・ベルによって書かれた曲との2種類の趣きの異なる楽曲が重なりあうことにより制作されたアルバムとなっている。
  今改めてこのアルバムを聴いた音楽リスナー、ロックリスナーからしてみれば、ロックの、しかもUKロックの歴史を振り返った良いアルバム、ギターロックとしては悪くない出来など、前向きな評価が次々出てくることに間違いはない。けれど、それは当時の音楽ファンがライドに期待した役割ではまったくもってなかった。もちろん、あの時1994年に頑固一徹シューゲイザーのアルバムを出し続けることが正しい選択ではなかったことは理解できるけれど、残念ながらアンディ・ベルとマーク・ガードナーはバンドの意志を統一して新しい方向性のアルバムを作り上げることはできなかった。
 
 
 

Tarantula/Ride

 
 ライドの4thアルバムの楽曲はほぼアンディ・ベルの手によって作られた。
 そしてこのアルバムはブリット・ポップそのものだった。
 
 おそらくは2nd末期および3rdアルバムでのバンド運営の失敗からマーク・ガードナーが大きくひいて主導権をほぼほぼすべてアンディ・ベルに引き渡したことが原因だと思われる。
 
 ライドの1stアルバムは1990年。2ndが1992年。3rdは1994年。そして4thは1996年。

Suede(スウェード)の1stが1993年。Blur(ブラー)の3rdが1994年。Oasis(オアシス)の1stも1994年。

 つまりライドが3rdアルバムを準備していた頃にはブリット・ポップの足音はすぐそこまで聞こえていた。

 

 ライドはこの4thアルバムをリリースした直後ひっそりと解散した。

 シューゲイザーを確立したはずの彼らは次のムーブメントであるブリット・ポップに飲み込まれ、あっさりと、本当にあっさりと音楽シーンから退場した。

 

 ライドの解散後、アンディ・ベルは新たなるボーカリストを発掘し彼とHurricane #1(ハリケーン・ナンバー・ワン)というバンドを結成する。このバンドが実にオアシスっぽい。当時の私はアンディ・ベルという男はオアシスになりたかったんだなと、思ったものだ。その後、アンディ・ベルはまさかのオアシス加入、しかもベーシストという待遇で私はひどく複雑な心境になった。

 

2015年のライド

 今年のフジロックにはライドがやってくる。単独公演は今のところ発表されていないのでフェスのみの来日予定となっている。

 

 UKロックが好きな人にひとつ聞きたいことがあるんだ。

 皆さんは本当に今さらライドのライブなんて見たいんだろうか。

 ライドはThe Stone Rosesザ・ストーン・ローゼズ)でもなければ、My Bloody Valentine(マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン)でもない。

 あれは上手くいかなかった思春期を体現しているだけのバンドにすぎない。

 ライドはおぼろげな、はかない、美しい思い出ではあるけれど、今さら見るべきものなのか?尋ねられると返答に困る。

 

 

 

 私?私は今年の夏も新潟旅行を考えている。

 

 

 

 

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