週刊ヤングジャンプ 新連載と打ち切りのスパイラル
あらすじ
このエントリは、「嘘喰い」の終了に伴い、私が勝手に雑誌としてのテンション低下を感じている「週刊ヤングジャンプ」の新連載ラッシュとその打ち切りラッシュについて嘆く、果てしなくおせっかいな雑文である。
毎週木曜日の習慣
私はいつの頃からか、毎週木曜日、通勤前に週刊ヤングジャンプを買っている。駅のホームもしくは電車の中でそれを読む。朝、タイミングが合わず買えなければ、帰りにセブンイレブンかローソンにでも寄って購入をしている。
もともとは何の連載漫画が目的で購入していたか忘れてしまったけれど、どこかのタイミングで昨年末(2017年12月)に連載終了となった「嘘喰い」が私の心を捉えて離さなくなった。
「嘘喰い」の完結/最終回
「嘘喰い」の終了はもちろん、打ち切りなどではない。物語の当初から提示されていた最終章、つまり「屋形越え」をきちんと書き終えて物語が完結となっている。
「嘘喰い」はギャンブルを題材とした物語で、主人公の斑目貘は運を頼った勝負をいっさいしない。それどころか、彼が運任せの勝負に弱いことは、ジャンケンに勝ったことがないという設定で、読者に示されている。運に頼らず、勝ちにしがみつく主人公・斑目貘の物語が「嘘喰い」だ。ちなみにこの話の最強の敵だったのは捨隈悟という登場人物で、彼もやはり運には与しない、自分の運を信じない男だ。
この物語のギャンブルにはルールがある。ルールは要請に応じて立会人を派遣し賭博を取り仕切る秘密の組織・賭郎に委ねられることが多い。斑目貘は、その賭郎の長・お屋形様に挑戦したことがある。けれど、彼はあっさりと、本当にあっさりとゴミクズのように破れた。お屋形様はあっさり斑目貘に興味を失い、「君はつまらない」と投げかける。そのお屋形様にもう一度、挑戦をし、屋形越えを成し遂げ、賭郎を手に入れることが嘘喰い・斑目貘の物語だ。
どんな形かはともかく、「嘘喰い」は49巻という冊数をかけ、無事に完結を迎えている。作者の迫稔雄は「嘘喰い」の続編、スピンオフ、次回作についても言及しているし、映画(実写化)の話も進行しているということだ。49巻という非常に微妙なところで終巻を迎えたことも、なにか意味があるかもしれない。
最後のハンカチ落とし編はある種、長いカーテンコールというか蛇足に感じたわけでもないけれど、とにかく連載は終わった。
そしてそれは私にとって長きに渡り喪失感を味わう出来事となった。今風にいえば「嘘喰いロス」だ。
ネット上では「あまちゃんロス」という言葉が一時期話題になったけれど、意味合い的には理解できる。毎週木曜日が来れば、週刊ヤングジャンプは発売される。けれど、そこには私が毎週楽しみにしてきた「嘘喰い」はない。ルーティンのように訪れる日々に私がかつて愛したものはないのだ。この喪失感というか虚無感が毎週のように、さざなみのように繰り返す。この状態を、この状況を人はロスと呼ぶんだぜ。
週刊漫画連載はフォーマットの限界
「嘘喰い」の良さはどこにあったんだろうか。
よく言われているのは、「暴」と「知」のバランスが素晴らしいとか、立会人が魅力的とか、「嘘喰い」の魅力といえばミスリードだろうとか、いろいろ言われているけれど、単純に毎週掲載されていたことが大きかったように思う。
プロトポロス編の終盤あたりから、若干連載がない週が増えてきて、そのあたりからテンションが落ちていたようにも思えたけれど、少なくとも勢いが大事の初期においては非掲載の週が極端に少なかった。
私が毎週、ヤングジャンプを買う習慣がきちんとできた理由も、「嘘喰い」が毎回掲載されていたという部分が大きい。
例えば同じヤンジャンに掲載されていたGANTZ(ガンツ)は同様に私も好きではあったけれど、途中から隔週連載になっていた。隔週掲載漫画の連載はやはり、雑誌を購入する立場からすると、読みにくい。少なくともメインディッシュとしては読めない。
ところで以前に比べて、週刊で発売されている漫画雑誌全体のことを考えても、毎週きちんと掲載されている漫画の本数/割合が減っているように思う。
昔から連載が滞りがちになる漫画家はたくさんいた。
けれど、それはどちらかといえば一部にそういった漫画家がいるという印象だった。が、最近は、もう編集の方針として、ほとんどの週刊漫画雑誌が、連載漫画をきちん毎週乗せるということを諦めているように思える。
逆に言えば、10週分連載用原稿がたまるまで、連載の掲載しないという 「ハンターxハンター」の方針は英断ではあるけれど、正しいと思う。きちんと前週から、次号掲載の予告がされていれば、少なくとも雑誌購入者側にとっては、自分の読みたい漫画が必ず掲載されている状態にはなっているわけで、その10週がはっきりと続くという状況は素晴らしいと感じる。
私にとって一番の悪は、自分の読みたい漫画が来週掲載されているかどうか分からない状態だと思っている。もうそんな状況なら立ち読みで済ませれば良いんじゃないかと、ずっと自問自答している。今のヤンジャンのことだ。
最近のヤンジャンでは私は「BUNGO─ブンゴ─」「かぐや様は告らせたい」「銀河英雄伝説」あたりは必ず読んでいる。「キングダム」もだいたい読んでいる。たまにこれらの連載がほとんど掲載されていない週、4つのうち3つくらい掲載されていない週があったりした。そこまで回数が発生していたわけではないけれど、ヤングジャンプを開いて膝から崩れ落ちそうになったことを記憶している。これならば立ち読みですませば良かったとか、グラビアの小倉優香の水着しか、表紙の乃木坂46の誰かの笑顔しか見どころないじゃないか、みたいなことが極めてではあるけれど稀にある。
誤解しないでほしい。漫画家批判ではない。掲載を落とすのは、漫画家が悪いなんて言うつもりはない。作品のクオリティは確実に昔より上がっている。漫画家のやる仕事量は、おそらく、圧倒的に増えている。
毎週クオリティの高い面白い漫画を休みなく掲載していくということは、今のフォーマットにおいて限界がきているんだと思う。なので、毎週掲載されない漫画がたくさん量産されているんだと感じている。
けれど、編集者は悪いと思う。少なくとも現状の体制において、雑誌が売れない、漫画が売れない、本が売れない、それはxxxのせいだ、なんて嘆くのは違うと思う。それは「漫画村」のせいでも「電子書籍」のせいでもなく、編集方針そのもののせいじゃないかと思う。
もちろん、ウェブサイトには今週掲載されている漫画は表示されているとか、次号予告のところには「xxxは休載です」と載っているとか、連載の最後のページの柱には「次回xxxは △月□日発売号にて掲載(2週後、要するに来週は休み)」とお知らせがあるとか言い分はあるだろうけれど、そんなことが言いたいわけじゃない。無条件でパブロフの犬のように雑誌を買っている、編集部にとって一番都合の良いはずの読者に肩透かしを食らわせてどうするのって話だ。
どうせ鳩のようにあっさり忘れるから良いだろう、くらいに思っているんだろうか。
たとえば、アメコミみたいに完全分業制みたいなものはどうだろう。
もちろん日本の漫画が、漫画家の個人的な資質を中心に、もしくは編集者とのタッグで発展してきたという前提があるにせよ、そして完全な分業制が面白い作品を生み出す土壌なのかどうかは分からないけれど、毎週きちんと乗せるということをもう少し真面目に考えても良いのではないんじゃないか、と思っている。
「ブンゴ」の失速
「嘘喰い」の最終盤、ハンカチ落としが始まった頃くらいからだろうか、私は違う漫画に夢中だった。それが「BUNGO-ブンゴ-」。
主人公の石浜文吾は小学生時代はひたすら壁に向かってボールを投げ続ける少年で、中学に入学と同時にシニアで野球を始める。荒削りではあるけれど、とんでもないストレートを投げ続けるという投手。彼が1年生ながら地区大会でライバルチームの四番打者と相対するシーンは圧巻。また、この漫画の主人公は先輩の吉見投手なんじゃないかと思うくらいに「YOSHIMI」。だいたい吉見先輩が活躍している。
ただし、文吾はあまり投げないけれど、その登場シーンにおいては圧倒的に存在感を示す1年編、までは良かった。
けれど、3年になると状況が変わる。主人公が1年生からはじまる野球漫画というかスポーツ漫画の難点として、だいたい上級生特に3年生が魅力的すぎて、彼らの卒業後に物語が漂流する。どこへ流れつくかよくわからない状態になる。
ただし文吾においては瑛太という新キャラを投入したことによって救われたように思えた。けれど、それは思えただけで勘違いだった。確かに瑛太は「EITA」といってよいほどの魅力的なキャラクターではあったけれど、肝心の主人公の文吾からカタルシスが奪われていた。もともとアスペルガーっぽい設定ではあったけれど、そこにさらに動物と会話をするというさらによくわからない設定が追加され、それらがうまく活かされることもなく、再度高校生となった吉見先輩の再登場で物語をつないでいる。
「嘘喰い」終盤から「ブンゴ」がメインの目的としてヤンジャンを買っていた私にとっては現状の「ブンゴ」の迷走は苦しいものがある。しかも「ブンゴ」は比較的休載が多い。
今もっともヤンジャンでおすすめできる漫画「かぐや様は告らせたい」
「ゴールデンカムイ」を見失ってしまったこと
実は私はヤングジャンプ連載の人気作、そしてみなさんが普通におすすめをするであろう作品「ゴールデンカムイ」の物語の行き先を見失っている。
私も、アシリパさんが無邪気に「オソマ、オソマ」と言っている様子を微笑ましく読んでいたが、いつの間にやらストーリーについていけなくなり、気がつけば元軍人やら脱獄王が無駄に脱ぎたがる展開に目が点になりつつあり、新選組勢の土方歳三/永倉新八らの関わりもよくわからなくなり、今ではストーリーのことは綺麗サッパリ忘れて純粋なグルメ漫画として読んでいる。
「キングダム」の迷走と実写化、再アニメ化
ヤングジャンプの新連載と打ち切りスパイラル
人気作、長期の連載作についていろいろと書いてきた。
実はここまで長々と書いたことすべてがどうでもいい。
長期に連載していれば、テンションが落ちて低迷することなんて当たり前だ。そんなことは大した問題じゃない。ヒット作の、人気作の宿命でしかない。人気作の停滞/膠着は週刊漫画雑誌にとっては致命傷ではない。では何が致命傷なのか。
私が週刊ヤングジャンプについて抱いている最大の危惧について書きたい。
それは、最近の新連載が毎回びっくりするくらいつまらないこと。
こういった場合によく言われる定型文としては「あなたはもう、ヤングジャンプの想定する読者としてのターゲットから外れているんですよ」みたいな言葉があると思うんですね。ああ、そうですね。私もおっさんで全然ヤングじゃないしね。おっしゃる通りでございます。言いたいことわかります。
もうね。アホかと。表紙のグラビアアイドルの脇とはいえ、それでも表紙でドーンと大文字で期待されて、巻頭カラーで始まったはずの新連載が、コミックス単行本の売上が上がらず、だんだん掲載位置が下がって、明らかなテコ入れをされて、1年くらいであっさりわかりやすく消化不良な打ち切りエンドになる、そんな連載マンガは誰を想定の読者として考えているんですか。何かが間違っていたんじゃないでしょうか。
2017年の途中くらいからの新連載攻勢がだいたい毎回どれもひどかった。
もう具体的にタイトル名を書くのも野暮なんで、どれがどうだとかは言わないけれど、だいたい毎回、絵は綺麗だけれどテーマがよくわかならいし、王道でもないし、主人公が無機質すぎて魅力を感じないことが多いし、展開が唐突すぎるし、みたいな新連載がはじまっては終わるようになっている。
もともとヤングジャンプなんて、ずっとそうだよ、その中から生き延びたタイトルが今のヒット作、長期連載作なんだよ、単なる生存バイアスなんだよ、と言われればそのとおりかもしれないけれど、けれど、この最近の先細り感はきついものがある。
明らかに負のスパイラル以外の何者でもないのではないか。
ところが、ところがだ。この負のスパイラル、メビウスの輪から抜け出すような作品がヤングジャンプには掲載されている。
それは、、、
最近のヤングジャンプの中で唯一面白かった新連載
最近1年くらいにはじまった連載の中で唯一、面白い、毎週読んでも楽しい連載がある。それが「スナックバス江」。
この漫画を読んだことがある方はこう思うに違いない。ここまで引っ張って最後のまとめがそれかよ、「スナックバス江」はねえだろ、と。
「スナックバス江」は場末のスナックの雑談風の会話のみにより成り立っているページ数の少ない、わりとどうでもいいような内容で、間違いなく、「この漫画がすごい」だの、「書店員が選ぶ20xx年のベスト漫画」とかには選ばれない。
けれど、このダラダラとどうでもいい会話のみによって進む、絵もたいして綺麗じゃない、決して「テラフォーマーズ」や「キングダム」「東京喰種 トーキョーグール」に取って代わることなど天地がひっくり返っても起きるはずもないこの「スナックバス江」が今、ヤンジャンでもっとも面白いと思う。これこそがヤンジャンに残された最後の希望である。