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ライラックってどんな花だろうたぶん赤くて 5cmくらいの冬に咲く花

 

1993年のロック

 昔に比べて洋楽と邦楽の聴き手の垣根はなくなったと思う。

 今、2018年において、海外の音楽最高、邦楽は全部すべてまるごとダサい、なんて発言するやつは滅多にいないと思うし、日本語で歌ってるだけでもうダメとかそんなことを思ってるリスナーはかなり、人として、希少価値が高いと思う。

 フジロックのはじまりからすでに20年がたち、洋楽と邦楽、ロックとポップとテクノとヒップ・ホップとアイドルが一緒にある世界はすでに出来上がっている。もうちょっとたてば声優とだって融合するし、ヴァーチャル・アイドルとだって融合する。

 

 ここで1993年頃の話をしたい。

 

 私は分かりやすいくらいの海外音楽かぶれだった。そして当時はそんな時代でもあった。洋楽を聴くもの邦楽を聴くべからず。UKロックを愛すものUSの音楽を聴くべからず。メタルを聴くものパンクスと対立すべし。メタルを愛すものヒップ・ホップを音楽と認めることなかれ。今よりも音楽に対する戒律がきつかった。

 私ももちろんそれに従った。

 日本語で歌っている音楽がすべて馬鹿に見えた。今思えばバカバカしい話だが、当時の私にはそう思えたし、従わざる得なかった。

 ただし、言い訳はさせてほしい。それはすなわち、時代も悪かった。90年台の初頭は日本の音楽シーンもけっこうひどい状況で、流行ったのは「愛は勝つ」とか「SAY YES」とか「どんなときも」とか「ラブ・ストーリーは突然に」とか「それが大事」とか、そのストレート過ぎる歌詞により聴いていると赤面し、真正面から立ち向かうことなく生きているのが嫌になるような、若者を厭世的な気分にさせる曲とフレーズばかりが次々と量産されている時代だった。

 海外の音楽に逃げたくなる気持ちは若干は理解してほしいところではある。

 

ブランキー・ジェット・シティという名の衝撃

 ところがある時、とあるラジオ番組を聴いていると私に衝撃が走った。日本語歌詞でとんでもない歌を歌っている連中がいたのだ。

  

 彼らは3人組のバンドでアーティスト名は「ブランキー・ジェット・シティ」。その時にかかっていた曲はブランキー・ジェット・シティの3rdアルバム「C.B.Jim」の冒頭の曲、「PUNKY BAD HIP」だった。

彼らの楽曲はロック的でもありロカビリーのようでもあり、楽曲そのものも魅力的ではあったが、もっとも印象的だったのは歌詞だった。PUNKY BAD HIPはこんな出だしからはじまる。

 

新しい国が出来た 人口わずか15人

それも全員センスのない 単車乗りばかりが揃ってる

作詞・作曲 KENICHI ASAI ブランキー・ジェット・シティ「C.B.Jim」収録「PUNKY BAD HIP」

 

 

このアルバムの楽曲の歌詞にはイカしたというかイカれた歌詞が延々と書き連ねられている。個人的な感情としては全曲、全歌詞引用したいくらいの気持ちはある。

アルバム「C.B.Jim」にはたった一度だけ「C.B.Jim」という言葉が登場する。それはこんな感じになっている。

フロントフォークが一番長いのはC.B.Jim

作詞・作曲 KENICHI ASAI ブランキー・ジェット・シティ「C.B.Jim」収録「PUNKY BAD HIP」

 アルバムと同一タイトルの曲つまり「C.B.Jim」という曲はなく、たった一度だけこのアルバムタイトルと同じ「C.B.Jim」という言葉がM1の中でシャウトされる。個人的な感想としてはなんとクールなバンドなんだと、思ったものだ。

 

 私はここで何かを皆さんに伝えようとしている。それは何かと尋ねられたならば、25年前私はブランキー・ジェット・シティの歌詞にやられた、ということなんだ。

分かるかい オレは殺し屋

魅力的なおまえの

その白い足に

ミートソースをぶっかける

作詞・作曲 浅井健一 ブランキー・ジェット・シティ「C.B.Jim」収録「D.I.J.のピストル」

ブランキー・ジェット・シティの歌詞にやられてから私はドキドキするようなイカれた人生ってやつに憧れるようになった。

「3104丁目のDANCE HALLに足を向けろ」では、弾丸のように言葉が次々と繰り出され、本当にもうドキドキした。

月へ行く予定だったロケットが湖のほとりに突き刺さった

そこに住んでいたペリカンの親子は即死だったらしい

そんなことを口走るような夜はやばいぜ

作詞・作曲 浅井健一 ブランキー・ジェット・シティ「C.B.Jim」収録「3104丁目のDANCE HALLに足を向けろ」

店中大騒ぎさ でもルールはちゃんと決まってる

紫の照明がオレンジに変わったら ダンスを始めなくちゃいけない

そう 誰も踊ったことのないようなお前だけのダンスを

作詞・作曲 浅井健一 ブランキー・ジェット・シティ「C.B.Jim」収録「3104丁目のDANCE HALLに足を向けろ」

「車泥棒」の中に出てくる、「いつの日か 清潔な襟をした精神科の医者がオレにこう訊くだろう」というのは本当にもう、お気に入りのフレーズだ。

いつの日か 清潔な襟をした精神科の医者がオレにこう訊くだろう

あなたはどんな気持ちで車を盗むのか と

オレはきっと こう答えるだろう

子供の時に よく飛び降りた ブロック塀が壊された時の気持ちで と

作詞・作曲 KENICHI ASAI ブランキー・ジェット・シティ「C.B.Jim」収録「車泥棒」

 このアルバムのラストは大曲「悪いひとたち」で大円団を迎える。この楽曲はストリングスを使い9分7秒の壮大な曲に仕上げられているが、その歌詞もまた良い。この多がりな曲を浅井健一は何かを語るように歌い上げていく。歌詞の強さというものを私は「悪いひとたち」でやっと知ることができたんだと思う。

 ありきたりの言葉で表現するならば私はこのアルバム「C.B.Jim」を聴くことにより、バットで頭を思い切りぶん殴られたような気分になった。日本語の歌詞を歌っているアーティストの中にもとんでもない事を歌い上げている連中がいる、ということをブランキー・ジェット・シティによって知った。

お願いだ 僕の両手にその鋼鉄の手錠をかけてくれよ 縛り首でも別にかまわない

さもなきゃお前の大事な一人娘をさらっちまうぜ

 

作詞 KENICHI ASAI 作曲 TOSHIYUKI TERUI ブランキー・ジェット・シティ「C.B.Jim」収録「悪いひとたち」

日傘をさして歩く彼の恋人は妊娠中で

お腹の中の赤ちゃんはきっとかわいい女の子さ

 

作詞 KENICHI ASAI 作曲 TOSHIYUKI TERUI ブランキー・ジェット・シティ「C.B.Jim」収録「悪いひとたち」

 

 そして今日の話題の中心はアルバム「C.B.Jim」の中の一曲「ライラック」について。

 このアルバムをはじめて聴いたのはの1993年ということになる。当時、ミュージック・スクエアというラジオ番組をNHK-FMで放送していて、その月曜日のパーソナリティが渋谷陽一だった。

 渋谷陽一といえばもちろん、雑誌ロッキングを発行するロッキング・オン社の社長で元編集長でもあり、通常このラジオ番組では、海外のロックのみを取り扱っていたが、なぜかこの日は邦楽特集だった。その中で取り上げられたアーティストがブランキー・ジェット・シティの「C.B.Jim」だった。渋谷陽一が自分のラジオ番組しかもレギュラー放送の中で邦楽アーティストをかけることは、かなり異例なことで、あまりおこなわない志向の回だったように思う。

 その中で渋谷陽一はこのアルバムについて数曲紹介をおこなったように記憶している。私はびっくりして、すぐにこのアルバムを買いに行った。

 そして繰り返し、繰り返し、このアルバムを聴いた。当時はiPhoneやMP3プレイヤーなんてものはなく、私はディスクマン(ポータブルCDプレイヤー)を愛用していたので、ディスクマンでこのアルバムを移動中も何度も何度も聴いた。

 このアルバムは全編クライマックスで捨て曲なしのアルバムだと私は認識している。

 皆さんに何をお伝えしたいのかと言えば、単純に、私は1993年からずっとこのアルバムが好きだったということ、だ。

でもライラックってどんな花 時々耳にするけど どんな花なのか知らない

たぶん赤くて 5cmくらいの冬に咲く花

そんなに人気はない花だと思うけど

 

作詞 浅井健一 作曲 浅井健一 ブランキー・ジェット・シティ「C.B.Jim」収録「ライラック

 私も花にずっと興味がなかった。だからライラックという花がどんな花かは知らなかったし、今もよく知らない。なので「ライラック」について知っている知識はこの曲のこの部分だけだった。

2018年のインターネット

 ここで話が2018年まで飛ぶ。

 ある日はてなブックマークを見ていたら、ライラックという花が「赤くて 5cmくらいの冬に咲く花」ではない、ことについてコメントされていた。

 驚いた。あまりにも驚いたのでググった。

ヨーロッパ原産。春(日本では4-5月)に紫色・白色などの花を咲かせ、香りがよく香水の原料ともされる。 日本には近縁種ハシドイ (Syringa reticulata) が野生する。開花はライラックより遅く、6-7月に花が咲く。ハシドイは、俗称としてドスナラ(癩楢、材としてはナラより役に立ちにくい意味)とも呼ばれることがある。

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ウィキペディア」より

上の文章も画像もウィキペディアからの引用。

 まったくもってブランキー・ジェット・シティの中で歌われている「ライラック」とはかけ離れたものだった。

 私はずっとずっとライラックという花について勘違いしていたことになる。

1980年代の村上春樹

 実はかつてこれと似たような経験をしたことがある。

 私が高校生の頃、村上春樹の小説を初めて読んだ時のことだ。彼はそのデビュー作「風の歌を聴け」の中で、事あるごとに「デレク・ハートフィールド」という作家の文章や、言葉、生き方を引用していた。デレク・ハートフィールドはあまり有名ではないけれど、不毛であり、問題をかかえ、そしていくつかの著作物を残したかのようにように思えた。

 高校生だった私もデレク・ハートフィールドに興味がわき、書店や図書館でその著作を探したが、残念ながら、それを見つけることは出来なかった。

  もちろん見つかるはずなんてないんだ。デレク・ハートフィールド村上春樹のでってあげた虚構の作家なのだから。

 優れた作家は、ありもしないものを、さもあるかのように語る。私はその罠にあっさりと落ちた。

 

 ブランキー・ジェット・シティの歌うライラックはもちろん実在する花だ。ただし、歌われているライラックは歌い手の想像の産物でしかない。実在するものを歌った歌ではない。

 20年経って私はやっとそのことに気がついた。

 

 

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