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ロートレック荘事件/筒井康隆

小説 感想 読書 筒井康隆
 

 

 

 今回もネタバレから入る。叙述トリック。以上。

 

 

 勘の良いミステリーファンならこれでだけで充分理解できる。

 いや、少しだけ説明させてくれ。この物語は推理小説を読み慣れた人にとっては、そこまで出来の良い話ではない。なのでわざわざ手に取るほどの物語ではない。ミステリーとして考えたならば、筒井康隆という有名なSF作家が叙述トリックを使って推理小説を書いた。それ以上の意味はない。おそらくはミステリーファンからの評価もそこまで高いものではない。

 逆にそういった物語を読みなれていない筒井康隆ファンならば、ある種、驚愕する展開なのかもしれない。そもそも叙述トリックとはなんなのか?をわかっていない読者向けの物語としてはフェアであり、親切で、懇切丁寧といってもいいくらいだ。読者にきちんとチャンスを提示している。

 

 

 さて、ネタバレも盛大に済ませたことだし、「ロートレック荘事件」について感想を書きたい。

 

 

 その前にちょっとだけ筒井康隆という作家について私が感じていることを書きたい。

 

 筒井康隆は不思議な作家だ。一応はSF作家という肩書を持っているし、エッセイなどを読むと本人もそう名乗っている。昔の短編が多く収録されている短篇集などを文庫本で読むと漫画が収録されていることがある。本人の書いた自身の短編がそのまま漫画化されている。私自身、最初に読んだ際に何故漫画が一緒に収録されているのか意味が理解できなかったが、どうやら本人が書いているらしいのだ。漫画すら書くSF作家筒井康隆。それが私のこの作家に対する初期のイメージだった。

 けれど筒井康隆の才能は、それだけではなく1980年代以降、SFやエンターティメントというジャンルに留まることなく、純文学的なアプローチ、しかもどちらかといえば前衛的な実験作を次々と生み出していく。「虚人たち」「虚航船団」「夢の木坂分岐点」「文学部唯野教授」「朝のガスパール 」「驚愕の曠野」「パプリカ」「残像に口紅を」「旅のラゴス」。

 若い頃のナンセンスでブラックユーモアあふれる作品ももちろん好きだが、この時期つまり80年代から90年代断筆宣言直前までの作品が私は一番好きだ。全盛期といって良いと思う。特に「驚愕の曠野」は筒井康隆だけではなく、すべての小説作品の中で一番の物語だと思っている。

 私はよくTwitter上で「村上春樹ノーベル文学賞をやるくらいなら、まず筒井康隆にやれ」と冗談でツイートするが、それは冗談などではなく、わりと本気の意見でそう思っている。筒井康隆こそが文学者、だと思っている。

ロートレック荘事件」はそんな筒井康隆の全盛期1990年に書かれた作品となる。

 

 

 さて、今度こそ「ロートレック荘事件」について書く。 

 この作品では筒井康隆は読者の持つ「違和感」をうまく利用している。

 

ロートレック荘事件」は読み進めていくといくつかの不自然な点にぶちあたる。ひとつめの違和感は冒頭。突然、物語の語り手が別人に切り替わる。

 ロートレックという画家がいる。19世紀後半に活躍したフランスの画家。新潮文庫版の表紙に描かれている絵は彼の作品だ。ロートレックは思春期に怪我によるものか、あるいは貴族的な血の濃さに起因するものなのか理由はわからないが、脚の発育がとまってしまったある種の障害を持つ画家だった。そのロートレックの絵を収集する会社経営者・木内氏の別荘が「ロートレック荘」という名前で呼ばれている。

 そんなロートレック荘はかつて「おれ」の父親の持ち物だった。その幼少期を過ごしたロートレック荘に「おれ」と友人たちは木内氏に招待され出かけることになった。

  招待された別荘では木内夫妻の他に三人の顔なじみの美女が待ち受けていた。

 8歳のころの事故により下半身の成長のとまった「おれ」、同時に「おれ」は名の知れた画家でもある。このあたりの経緯を説明するため、冒頭で視点の切り替えが行われている。

 

 筒井康隆のファンは筒井康隆の小説にリアリティなどもとめていない。ところが角度を変えて読むと不思議なことに筒井康隆の作品では、本来言葉にされず覆い隠されている人間の持つある種の感情を隠しもせずあけっぴろげに書かれている、とも読み取ることができる。それがつまり筒井康隆なりのリアリティということだ。

 筒井作品を知っている読者ならばその筒井作品の読書量が多い読者ほど、「ロートレック荘事件」を読み進めていくうちに、不思議な「違和感」を感じることになる。それはつまり「おれ」が三人の美女にモテていること。読者は葛藤することになる。この人物は本当に三人の女性とその家族から求められるような人物なのか?ということを。そして読者は自分の中にある偏見と闘うことになる。筒井康隆が持つべきリアリティから逸脱している、と感じることになる。

 

 そこで事件は起こる。殺人事件だ。誰が犯人なのか一筋縄ではわからない。

 物語が進むとさらに内容が混迷してくる。状況から考えて内部に犯人がいることは間違いない。 一番わからないことは動機。なぜ、被害者は殺されなければいけないのか。

 

 80年代から、筒井康隆の作品はエンターティメント/SF小説から、文学的なジャンルに大きく軸足を動かしてきているように思う。ただし、その本質は変わっていない。この「ロートレック荘事件」はそういった意味で過去の作品に近く、エンターティメント寄りの作品でもある。

 けれど本当にそうだろうか。

 この作品では、筒井康隆は、人の持つ偏見、固定観念、常識をナイフのように読者の喉元につきつける。それは非常に文学的な行為のように思う。

 ミステリー作品としては、「ロートレック荘事件」は実は失敗していると思う。この作品を絶賛している書評などがあったとしたら、そんなものは嘘っぱちだ。そこまでの価値などこの作品にはない。気の利いた解説なんてかけるはずもない。

 けれど、「ロートレック荘事件」は人の持つ偏見を利用しており重要な部分をうまく覆い隠している点において、ただの推理小説が文学にまで昇華されていると私は感じた。

 

 

 最後にどうでも良い話としては、私はこの作品の文庫本の表紙が、ロートレックの絵に「ロートレック荘事件」「筒井康隆」「新潮文庫」の文字が大きく入っている点が、デザインとして非常に好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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