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狂気の左サイドバック/一志治夫

あらすじ

 本書「狂気の左サイドバック」はサッカー日本代表にすべてを捧げた男・都並敏史が「ドーハの悲劇」に至る過程で、その裏側でどのよう闘い、どのように苦悩し、そして彼および彼らが何故敗れたのかを記したノンフィクション作品である。

 

少し長い前置き(FIFAワールドカップロシア大会)

 この文章は'18サッカーワールドカップロシア大会の最中に書かれたものである。

 もっと詳しい時期を記述しておくとグループリーグ一試合目のコロンビア戦に2-1で

勝ち、次のセネガル戦、ポーランド戦を控えている時期の文章となる。

 現在までのサッカー日本代表をとりまく状況について書いておくと、サッカー日本代表アジア最終予選でオーストラリア代表を破り、予選第一位で本大会出場を決めた。その後、W杯が始まるわずか1ヶ月前に代表監督であるヴァヒド・ハリルホジッチ日本サッカー協会はコミュニケーションの理由という、不可思議な理由で解任し、西野朗技術委員長を新監督に迎え、ロシア大会本戦に挑んだ。

 もともとハリルホジッチ時代も高い評価ではなかったサッカー日本代表ではあったが、監督解任騒動によりその人気は地の果てまで落ちた。今回の監督解任の本当に理由については、一部の噂としてハリルホジッチ前監督が代表選出に際しスポンサーから熱く支持されているベテラン選手を選ぼうとしなかったため、日本サッカー協会の逆鱗にふれ、スポンサーに対する忖度(そんたく)した結果のことではないか、とまで言われている。その結果、口の悪いサッカーファンやスポーツ新聞からは「忖度ジャパン」というありがたくない呼称を彼らに与えた。

 事実、NHKの人気番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」の中で、日本代表の背番号4番を背負う本田圭佑は、ウクライナ戦ではハリルホジッチ監督の期待すること(縦パスと裏へ回る早い展開)をあえてやらなかった、後ろへボールを回して攻撃を組み立てようとしていた(そして得点も勝利も出来なかった)、という構成で語られていた。

 直接的には本田圭佑自身の言葉として「ハリルに全て服従して選ばれるのは恥ずかしい」とまで言い切った。

 一般的にハリルホジッチはデュエルと早い縦パスを主なキーワードに戦術サッカー、具体的には相手の長所を消すようなショートカウンターのリアクション・サッカーを行うと考えられていた。一方、本田圭佑が主張するいわゆる「俺達のサッカー」はポゼッションによって相手チームを崩すパスサッカー、これでなければ本戦で勝ち上がっていくのが難しいと本田圭佑は言う。

 「マイアミの奇跡」でブラジル代表を破った西野朗監督を新監督として迎えたサッカー日本代表は、直前の練習試合ではガーナとスイスには敗戦を喫するものの、パラグアイ戦でなんとか勝利をつかみ、コロンビア、セネガルポーランドとの本番を迎え、結果として日本サッカー協会は賭けに勝ったようにも見える。

深夜のラジオCM

 本書「狂気の左サイドバック」はドーハの悲劇(1993年10月28日)の翌年、一志治夫の取材をもとに書かれた作品である。つまり90年代前半に書かれ出版された書籍ということになる。この作品は第一回小学館ノンフィクション大賞を受賞しており、小学館から出版されている。

 なぜ今さら「狂気の左サイドバック」を取り上げてるのかといえば、それは私の脳みそにへばりついた薄暗い記憶を洗い落とす作業に他ならない。

 当時、私は部屋を真っ暗にして深夜のラジオを聴くことが好きで好きでしょうがなかった。その時、深夜のラジオ番組の合間に「狂気の左サイドバック」のCMが何度も何度も繰り返し、流されていた。ちょうど23時から深夜1時くらいまでの時間帯だっただろうか。深夜にひっそりとこだまする「狂気の左サイドバック」というタイトルはあまりにも不気味で、何か狂気を含んだ事件を扱っている物語のようにしか考えられなかった。さながら「ドーハの悲劇」の裏側で猟奇的な殺人事件が起きていたようでもあった。

 この深夜のラジオCMはノンフィンクションの単行本を売るよりは、ピンク・フロイドのアルバムを販促することに向いている出来栄えに私は感じた。

 今にして思えば創設されたばかりのノンフィクション大賞受賞作品を小学館が必死に盛り上げたいという意図があったのだと思うが、しかし「狂気の左サイドバック」というタイトルと、深夜のラジオCMは不気味さを増すばかりであまり効果があるようには思えなかった。

 その殺人事件ではないであろう、ノンフィンクションの物語を20年以上経過した2018年のロシアワールドカップ大会中に読もうというのがこの文章の趣旨だ。

都並敏史少年とサッカーマガジン

 「狂気の左サイドバック」とはつまり、ワールドカップアメリカ大会アジア最終予選でついに試合に出場することの出来なかったサッカー日本代表サイドバック都並敏史の異名であり、苦闘の物語である。

 この物語の冒頭、都並敏史サッカー日本代表に愛を捧げる少年として描かれている。日の丸をとにかく愛し、ありとあらゆる持ち物に日の丸をつけ、日章旗を持参で代表の応援に行き、中学生時代はともすると「右翼」との揶揄をされるほどだった。

 もちろん都並は日の丸が好きだったわけではなく、サッカー日本代表の虜ということだった。けれど、それがすなわち彼にとって日の丸をまとう、ということだった。

 そんな都並のバイブルが月刊サッカーマガジンだった。競馬関係者が、ダービーの日に一年が終わり、ダービーの翌日から新しい1年が始まるというように、都並にとってはサッカーマガジンの発売日である毎月21日が起点だった。日の丸小僧・都並少年にとってはサッカーマガジンの発売がすべての座標軸の中心だった。

 都並敏史が初めてサッカーマガジンにのったのは高校生三年の時のことだ。

 日本で最初に発足した本格的なサッカークラブ、読売クラブに所属していた都並は、高校三年の終わりにはスルスルとトップチームへ昇格した。そう、プロになったのだ。

ハンス・オフト

 都並敏史は日本代表として、’82ワールドカップスペイン大会、'86ワールドカップメキシコ大会のアジア予選に代表サイドバックとして参加するものの本大会の出場は叶わず、'90ワールドカップイタリア大会には代表メンバーとして招集されることもなかった。もっとも元日の丸小僧である都並敏史は日本で行なわれた代表戦はすべて観戦したそうだ。

 もはや代表に縁がなくなてしまったかと思った都並だったが'94ワールドカップアメリカ大会予選の代表メンバーとして招集をされた。

 その時に監督となったのがハンス・オフト。オランダ生まれの元フォワード。外国人としては初の日本代表監督となった。日本サッカーリーグ時代のコーチ、監督を経験するなどもともと日本とは縁のある人物だった。

 

 オフト・ジャパンは決して順風満帆な出だしというわけではなかった。

 日本代表の主将、柱谷哲司はオフトが自分たちをレベルの低いものとして扱っていると感じていた。事実、ハンス・オフトの行った指導はヨーロッパでは育成レベルで行なわれていたことだったとされている。オフトが日本代表監督となったときにはJリーグ開幕前夜の時代だった。つまり日本にはプロサッカーはまだない時代だった。

 

 日本サッカーの父と言われているデットマール・クラマーは60年代日本代表のコーチに就任すると代表選手たちにボールのパス/トラップの方法、インステップキック、インサイドキックといった基本技術から指導したと言われているが(それくらいに日本選手の基礎技術は低かった)、オフトもボールの蹴り方、フリーキックの蹴り方にまで口を挟んだ。この扱いに三浦知良ラモス瑠偉は不満を口にした。

 ハンス・オフトフリーキックの蹴り方に口出しをしたものの、自分でボールを蹴って見せるをことを最初の段階ではしなかった。これもカズやラモスの不満度を高める一要素となった。

 

 オフトが強い信念を持ち、彼が招集した日本代表選手たちといくどとなく、ぶつかり対峙したのは当たり前のなりゆきだった。

 なぜなら、当時の日本サッカー協会はアマチュアあがりの日本人監督にそもそも限界を感じ、世界と渡り合える強さを外国人監督に求め、その結果選ばれたのが、オフトだったのだ。監督に求められていたのは強い意思と強いリーダーシップと強い実行力だった。

三浦知良ラモス瑠偉

  ラモス瑠偉は当初、オフト体制に対してはっきりと批判的だった。そして主張をした。「もっと自由にやりたい。自分たちの思ったとおりにやりたい」

 三浦知良も良い気分はしていなかった。オフト・ジャパンとはつまり「スター選手はいらない」「エースはおかない」といった組織的なサッカーで、彼の目指すものとは一致しているわけではなかった。

 そんな中、都並敏史には不思議と反発心はまるでなかった。まずはグランド上で結果をだしたいとの思いが強かった。

 

 ラモス瑠偉三浦カズはオフトの選んだ代表選手の中では、圧倒的にプロ意識の高い選手であり、プライドの高い選手だった。これはおそらく現在の日本代表の選手のそれに近いものだと推察できる。自分たちのやり方、考え方で何かを成し遂げてきた選手ということだ。

 

 初期のオフトジャパンでのラモスや三浦カズの話を読むと、ハリルホジッチ解任までの日本代表で起きたことと何かが違っているようには思えない。ラモスや三浦カズのプロ意識とアマチュアリズムが同居するさまは、今の日本代表と本質的に同じように感じる。

 ところで、オフト・ジャパンは日本サッカー史の中で初めて自分たちよりも格上の相手に対して、きちんとパスを回していくサッカーを確立した代表とも言われている。オフト監督への反発が中和していく過程で、日本のパスサッカーの原型が出来上がっていったのだ。

 

 これは完全に個人的な意見だが、私は代表チームというのは代表監督のもの(もっと正確に言えば日本サッカー協会のもの)で、選手は代表監督の引いたグランドデザイン/戦略/戦術に従い役割を演じるべきであると考えている。それができない選手はプロフェッショナルではないと信じて疑わない。

ワールドカップアジア最終予選

 ハンス・オフトによってサッカー日本代表は整備されつつあった。

 ダイナスティカップアジアカップで好成績を収め、都並自身もこの新チームに手応えを持っていた。

 事実、ホーム・アンド・アウェー方式で開催されたワールドカップアジア予選1次リーグをアラブ首長国連邦UAE)、タイ、バングラデシュパキスタンの4カ国相手に7勝1分けとし、無事アジア最終予選に駒を進めることに成功させた。

 ここまでは都並敏史にとっては理想的なサッカー日本代表となりつつあった。

Jリーグ開幕と都並の骨折

 ワールドカップの一次予選が終わるとJリーグの開幕が待っていた。

 Jリーグが開幕すると、日本サッカー界はアマチュアの時代を終え、プロの時代となった。

 これは単なる看板の掛替にとどまることなく、多くの選手に今まで以上の報酬と注目とプロ意識と人気が植え付けられる出来事となった。

 実際、Jリーグの開幕に合わせて、元イングランド代表のリネカー、元西ドイツ代表のリトバルスキー、元ブラジル代表のジーコらスーパースターが登場し、日本サッカー新時代を盛り上げた。

 この期間に都並は左の踝(くるぶし)を骨折をしてしまう。疲労骨折だった。レントゲンを取ると左足首に白い筋が映っていた。

 この物語のタイトルである「狂気」がここからはじまる。

狂気とは

 日本の左サイドバックは人材不足で、都並に変わる最適なバックアップの選手は日本中どこを探してもいなかった。もちろん海外リーグに日本人選手が所属する時代でもなかった。都並の持ち味は、守れる選手でありながら、タイミングの良い攻撃参加であり、ある種理想的なサイドバックの選手ということであった。攻撃と守備のバランスがよく、センタリングの質が高く安定した選手は都並以外にはいなかった。

 替えが効かないということは、それはつまり悲劇でもあった。

ハンス・オフトは都並骨折の報を受けると、コーチの清雲とともにJリーグの試合を70試合も見た。代表のバックアップメンバーを探すためだ。サイドバックは運動量の多いポジションということもあり、若い選手がサイドバックを務めることが多い。若い選手ゆえの安定感のなさもあり、オフトと清雲は都並の代役を見つけることはついに出来なかった。

 都並の代役が見つからなかったこともあって、オフトは都並に早期の復帰を切望した。

 

 都並自身も早期の復帰を目指すため、西洋医学だけでなく、東洋医学、気功、温泉治療、線香治療、カイロプラクティクなどなんでも出来ることに挑戦をした。

 都並の足は万全とは言えなかったが、試合にでることが可能なくらいには回復していた。正確には回復していたかのように思えた。

 最終予選の地カタールへ赴く6日前の練習/紅白試合までは、都並もオフトもその他チームメイトも都並は最終予選に出場すると考えていた。実際、紅白試合や練習には都並は麻酔を打てばサイドバックとしてのパフォーマンスを十分に発揮することが出来た。ただし、麻酔が切れると都並は激痛のためにホテルでもんどり打つことになった。

 カター行きの2日前の夕方の出来事だ。都並が最終チェックのためレントゲン写真を取ると左足踝にはうっすらと筋が入っていた。骨折線だった。

 都並は混乱した。それでもオフトはカタールに来いと言った。

 

 オフトは都並の左足踝のレントゲン写真を見て決断していた。

 都並を一試合フルで試合で使うことはまったくもって難しいであろうと。ゲーム中のどこかのポイントで短く使えるかどうかの判断が必要だと。

 

 都並の足は決して良い状態ではなく、試合に出場をすれば確実に左足を再度はっきりと骨折をし、今後のサッカー選手としての選手生命を絶たれるどころか、日常生活に影響が出るような怪我をしかねない状況の中でも代表チームに帯同した。

 対戦国にたいして都並が出場するかもしれないというブラフをかけるためでもあり、サッカー日本代表はそういったブラフを必要としていた。さらには本当にピッチに立つ可能性すらもあった。都並を起用するかどうかの悩みはオフトの頭の中でも駆け巡っていた。

 試合に出ると再度、足が折れる可能性がある。それは今後の選手生命に関わるものであり、もはやスポ根モノのアニメや漫画にも近い状況だった。それフィクションではなく現実のものだった。

 

 日本を離れる直前オフトから言われた言葉は「記者には何も言うな、お前は普通のっ状態だ」だった。

 都並自身は、そう言われると前線に行く兵士に、大将が命令するようだと感じた。思わず「イエス、サー」と答えたい気分だった。けれど、一方で「本当は俺は足が折れているんだ、特攻隊として頑張って行くんだ」と言ってしまいたい気分でもあった。

 

 都並はカタールに到着すると麻酔を打って練習に参加した。非公開の紅白戦に参加するとメディアは都並の復帰は近い、イラン戦で復帰するだろうと報じた。

 この練習の代償はすさまじい激痛となって都並を襲った。バスに乗り込む頃には一言も口を聞ける状態ではなくなり、冷や汗がたらたらと流れてきた。

 カタールにいる間中、都並は激痛とつねに闘っていた。そして激痛と同時に、一方で骨が完全に折れ、砕けるかもしれないという恐怖とも闘っていた。

 

 アジア最終予選の初戦、サウジアラビア戦は累積イエローカードの関係でもともと都並は出場できない試合だった。その後の4試合、イラン、北朝鮮、韓国、イラクの試合で都並はベンチで静かに出番を待っていた。それはもしかすると本当に足が折れて、選手生命が絶たれる可能性があることを知りながら。

 

  結果として、都並はアジア最終予選に一試合も出場することなく、サッカー日本代表ドーハの悲劇にてワールドカップ本戦出場を逃すこととなる。

江尻、三浦ヤス、勝矢

 都並が試合に出られない期間、何人かの選手が左サイドバックを努めた。

 彼らもある種、この「狂気」の犠牲者でもある。

 最初に左サイドバックをテストされたのは江尻篤彦。所属チームのジェフユナイテッド市原では中盤の左サイドの選手だ。オフトはわずか45分で江尻に左サイドバック失格を言い渡す。オフトが欲していたのは結局のところ「都並のコピー」だった。江尻はそういった選手ではなかった。

 次に左サイドバックとして試されたのは三浦泰年三浦知良の兄である。彼もまた左サイドバックの選手ではなかった。都並と同じヴェルディ川崎の選手でポジションは守備的ミッドフィルダーだった。

 三浦ヤスは初戦のサウジアラビア戦にサイドバックとして出場する。カタールでは都並と同室だった。ここで都並の壮絶な状態を知ることになる。そして都並がおそらくフルで試合に出られないであろうことも。

 2戦目のイラン戦を落とすと三浦ヤスはオフトから今後サイドバックとして起用しないことを告げられる。都並と同室であり、都並の状況を知る三浦ヤスにとってこれは苦悩でしかなかった。

 三浦ヤスが左サイドバックから外された後、このポジションを守ることになるのは勝矢寿延だった。勝矢は守備よりのサイドバックだった。結果的に最終戦まで勝矢が左サイドバックを守ることになるが、彼にもう少しばかり攻撃参加の能力があったならば、オフトも都並もここまで苦悩はしなかっただろう。

 ともかくドーハの悲劇にて94年のFIFAワールドカップアメリカ大会は夢と消えた。 

その後の左サイドバック

  ところでオフトの次の代表監督はファルカンが努めている。ジーコソクラテストニーニョ・セレーゾらとともにブラジル代表の黄金カルテットの一角を占めたスター選手だ。彼はオフトとは異なり、練習の時に自らフリーキックを見せ、代表選手に好意的に迎えられた。ワールドカップで活躍をし、選手たちに好意的に迎えられたファルカンは左サイドバック岩本輝を選び、背番号10を与えた。けれど、これは不発に終わり、ファルカンもあっさり解任された。

 加茂周岡田武史監督時代の左サイドバック相馬直樹がつとめ、新時代を感じさせるものだった。ここではじめて日本代表はワールドカップ本戦に出場することになる。私も個人的に相馬直樹は好きな選手だった。

 その後のフィリップ・トルシエフラット3のディフェンスラインでサイドバックをおかない守備陣系で日本を初のグループリーグ突破に導いた。

 Jリーグの成功に大きく貢献し、日本でもレジェンドの扱いを受けているジーコはその次の代表監督となった。彼は左サイドバックに、トルシエ時代に主に中盤として活躍した三都主を起用した。日本代表では珍しく左利きのサイドバックとなる。ファルカン時代の岩本輝も同様に左利きだったためブラジル人監督は、左サイドバックは右利きではなくて、当然左利きである、という信念を持っているのかもしれない。

 オシム時代の左サイドバックは駒野がつとめていたが、岡田武史監督が再登板すると長友佑都が抜擢されることとなった。そして今('18ワールドカップロシア大会)に至ることとなっている。

 都並以降のサイドバックは人材が豊富で層が厚いとは言えないが、それでも優秀でタフな選手によって支えられ世界的な比較で考えても、むしろサイドバック排出国とまで言えるのは不思議な結果ではある。 

日の丸サッカーはなぜ敗れたか

 これが締めの文章となる。

 ここではなぜサッカー日本代表がドーハで敗れたかを著者である一志治夫氏ではなく、私が考えたい。

 一番最初にこの作品が世に出たときには「狂気の左サイドバック」のあとに「日の丸サッカーはなぜ敗れたか」というサブタイトルがついていた。これは後に、「日本代表チームに命をかけた男・都並敏史の物語」へと改題される。

 おそらくは「日の丸」という言い方と、都並敏史の行為がバンザイアタックのように日の丸特攻隊を想起させることを出版社が嫌ったからではないかと思う。

 こういった言い方をすると私はが、バンザイアタックをかけなかったから日本代表が負けたと考えたと解釈しているように誤解されそうだが、それはまったくもって逆だ。

 今では、ワールドカップ予選を当たり前のように通過し、本大会で何が出来るかがテーマのサッカー日本代表ではあるけれど、90年代初頭の代表は、たった一人の選手のバックアップにも苦労し、個の力を頼った神風特攻隊のごとくバンザイアタックをかけるかどうかを真剣に考える状況が簡単に発生するほどに、人材資源も戦略も戦術も枯渇していたということだ。

 90年代までのスポ根モノは圧倒的に何かを犠牲にして、一か八かの賭けをおこない勝利する、いや時に敗北する展開の物語が多かった。それ以外のストーリーの選択肢はあまりなかったように思う。時代が20年ほど経過し、物語の幅は昔より膨らんでいるように私は感じている。物語を読み解く幅が増えた分だけ色々な可能性は大きくなったと私個人は感じている。

 あれはやはり負けるべくして負けた。それがドーハの悲劇だったと私は考えている。

 

 

 

グルメ多動力/堀江貴文

あらすじ

 本書「グルメ多動力」はホリエモンこと堀江貴文が、自ら関わるアンバサダーユニット「WAGYUMAFIA」と、やはり自らがプロデユースしたうまい店が探せるグルメアプリ「テリヤキ」によって得た知見を元に、最先端のグルメの総括と、日本の飲食業界の未来へ向けての提言をするふりをした最近思ったことエッセイ風語りおろしである。

 

本書との出会いについて

 本書の内容についてふれる前に、どうして私がこの本の感想を書く気持ちになったかを書きたい。

 一般的に堀江貴文ホリエモン)の印象というのはどういったものであろうか。うさんくさいとか、信用ならないとか、元犯罪者とか、金の亡者とか、空気を読まない人とか、利己主義とか、アスペルガーっぽいとか、いけ好かないマイペース野郎とか、そんな言葉が並ぶのではないだろうか。

 ホリエモンライブドア事件でなぜ逮捕されたのか?ということについては私はいまだに疑問をもっている。あの事件は少なからず見せしめ的な要素があったと考えている。そうでなければ、なぜライブドア事件では逮捕者が出て、東芝粉飾決算では逮捕者がでなかったのか、その違いがさっぱりよくわからない。事件の質、特に本質的な部分に何かの決定的な差があるようには感じていない。個人的な感覚では理不尽で、不当なものに思えて仕方がなかった。おそらくはホリエモンは私以上に同様の感想を抱いたと思う。

 ホリエモンはその受刑期間を無駄なものとしなかった。その時間で多くのことを学んだ。彼は東大出身(中退)でもあり、その知力、ポテンシャルが高いことは間違いなかったが、彼はそこからのさらに教養的な積み上げをおこなった。通常の人ならばマイナスとなる時間を、そうはさせなかった。逮捕前からおこなっていた有料メルマガをストップさせることもなかった。

 そのホリエモンが昨年に「多動力」という本を出版した。ホリエモンは自ら、本を執筆したりすることはなく、インタビュアーにインタビューを受け、それを書籍化するスタイルでたくさんの本を出版している。ホリエモンの言葉を借りれば「ベストセラーもコピペ」で作れるそうだ。

 その「多動力」にはホリエモンなりの現代を楽しく、うまく生き抜くコツみたいなものが書かれていた。本書「グルメ多動力」は、多動力をさらにわかりやすく説明した、しかも、飲食店の経営にしぼった方法論のヒントみたいなものがたくさん書かれている。

 私は飲食店を経営することも、飲食関連の仕事で働いたことも、今後そういったものに関わることもないけれど、「食う」ということは誰しもが毎日必ず、関わらなければいけないことだ、その方向性から本書を楽しく読んだ。

 ホリエモンと飲食と言えばテレビ番組なのかツイッターなのかはわからないけれど、「寿司屋での修行なんて意味がない」という名言がある。その内容の真意もこの書には書かれている。TV番組かなにかの発言では「Youtubeの動画で見ればいい」といった発言で物議をかもしたが、本書「グルメ多動力」を読むと少しだけその意味が理解できる。

 ところで、ここまで書いてある内容を読んでいただければ伝わると思うが、私はホリエモンに対して好意的である。彼の言動や、行動に対して好意的である。もちろん、すべての発言に対して同意するわけではないけれど、比率で言えば概ね好意的であると捉えていただいてかまわない。

 何が私をそうさせるのか、そう思わせるのか、ということについては単純で、ホリエモンはなんだかんだ言って、話の細部つまりディテールにおいては個人的に信憑性が高い部分が多いと感じているからだ。そのあたりについては後ほど。

お店選びもインスタ映えで検索

 2017年から2018年にかけてリアルのお店を席巻しているキーワードがある。それは「インスタ映え」だ。またか、またインスタ映えか、と思われるかもしれないが、個人的にはインスタ映えという言葉の伝播力、感染力はすごいと感じている。

 こんな私ではあるが、色々なお店(飲食店/カフェ)などで食事をしたりしている。そうすると、周りのお客さんから「インスタ映え」という言葉が聞こえてくるではないか。カフェとかイタリアレストランはもちろん、それは中華料理のお店であっても、ラーメン屋であっても、つけ麺屋であっても、うどん屋であっても、チェーン店じゃないハンバーガー屋であっても、本当にどこでも聞こえてくる、わりと本気の流行語だ。

 そんな「インスタ映え」を飲食店は取り入れるべきと、ホリエモンは熱く語っている。世界観を作り上げれば、地方のお店でも集客できるとすらホリエモンは豪語している。ホリエモンが「すごい冷やし中華」として取り上げたのは栃木県足利市のラーメン屋さんだ。ビジュアル的に成功しているようでグーグルで画像検索すると、この「すごい冷やし中華」の画像ばかりがヒットする。

 ここには一つ示唆があって、インスタ映えしそうにないメニューですらインスタ映えさせることができる、ということだ。

 お店選びをインスタグラムの検索でおこなう顧客層が増えているそうだ。食べログやRetty、ぐるなびではなくインスタグラム。ビジュアル的に画像で検索して、その中で感覚の合うお店を再度詳しく調べると言った手順にでもなるのだろうか。若い世代の感覚とも思える。

 これに対して飲食店側は手をこまねいて指をくわえて眺めているわけにはいかない。

 確かに言われてみれば、ステーキ屋で焼く前のお肉をドーンと誇らしげにシェフに見せられたことがある。あれは、ほら、お前の手持ちのスマホで写真をとってSNSツイッターなり、フェイスブックなり、インスタグラムにでも拡散しろよという合図だったんだろうか、と今さらながらに思う。

 

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投稿したくなるシーン

 このSNS、特にインスタ映え全盛のこの時代において、飲食店がなすべきは何か?ということについては、もちろん、SNSに投稿したくなるシーンの提供ということになる。

 それは色々な方法がある。色々なインスタ映えの手法がある。

 もちろん盛付けの方法でもあるし、素材の美しさでもあるし、器の美しさでもあるし、切り口の美しさでもあるし、意外性のコラボレーションでもあるし、特別なシチュエーション/場面でもあるし、店主/店員のキャラクターでもあるし、本当に直球の撮ってくださいというお願いでもあるし、とにかく見せたら撮らずにはいられないという瞬間の構築ではあるように思う。

 どうやって投稿したくなるシーンを作るのか、それが今、求められているとホリエモンは語る。

 インスタグラムの活用は、自分で撮ってアップするだけではまだ不十分で、どれだけお客さんを巻き込むかが重要となっている。

 「撮らずにはいられない」「誰かに見せたくなる景色」の連続を演出できれば、もうそれだけで、あなたは勝ち組だ。

 

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ドタキャン対策ビジネス

 ネット上で時折、飲食店のドタキャンの話題がタイムラインに流れる。大体の場合、10人とか20人の大型客が、予約をしたのにもかかわらず当日にキャンセルをする、もっと悪質な場合はキャンセル連絡すらない、というものだ。店主は食材10人分なり、20人分が無駄になったとツイッターなどで嘆くのがお決まりのパターンだ。

 この話題は人々の関心を大きく集めるらしく、フェイク・ニュースすら流れたりする。

 ドタキャンは飲食業界にとって深刻な話題だ。食材はもちろん鮮度が大切なので、単純な時間あたりの売上の機会損失だけでなく、食材の破棄による損害が出る。

 キャンセルは大口客だけの問題ではない。普通の2人3人のお客さんでも同様の問題は起こる。

 ネットの普及により簡単に予約が出来るようになったこともあり、お客さんは気軽にキャンセルをする。実はその感覚はわからないでもない、ネットの予約を自動販売機の販売ボタンか何かのように気軽に押しているんだ。けれど、キャンセルされた店舗側としてはたまったものではない。

 そんな中、店舗はいくつかの取り組みを行っている。どちらも人気店ならでは取り組みとなるだろうけれど、1つ目は、「チケットぴあ」で予約券を販売するというものだ。例えば、水族館や科学館、美術館のような催しものがある場合には確かに、チケットぴあで入場券が買えたりする。あれと同じ要領だ。予約券はもちろん、来店するとキャッシュバックされる。2つ目はLINE(ライン)やフェイスブックを利用するというものだ。これは常連客に、空きテーブルが出来た段階で案内を送ることになる。キャンセル待ちをSNSで募集するという手法になる。

名言「寿司屋で修行なんてするな」

 ホリエモンの最近の名言としては「寿司屋で修行なんてするな」というものがある。

じゃあどうすればいいんだ?の問いかけにYoutubeなどの動画を見れば良い、と答えてしまったせいで失笑を買ったが、事の本質はそこにはない。

 かつて、情報伝達の手段が限られていた時代には「どうやったら美味しい酢飯を作れるのか」「魚の旨さを最大限に引き出す包丁の使い方」といったものは、一部の親方のみがもつ貴重な情報だった。それを引き出すには、弟子となり、下積みを何年もするしか方法がなかった。それしか貴重な伝統技術を受け継ぐ方法はなかったのだ。

 けれど、時代は変わった。それこそ、そういった情報はYouTubeにすらある。もちろんYoutubeにある、といったのはものの喩えで、本当にそんな情報があるかどうかはわからない、けれど、それくらいに情報を入手する手段は格段に増えている。オープンソースの時代というのは何か違うとは思うけれど、正解は親方だけの所有物ではない。

 もちろん寿司屋の大将が持つものは、寿司の作り方に関する知識だけではない、仕入れのルート、常連客、人脈その他色々あるだろう。けれど、それは全部変わってきている時代の中で、なんとかなるものじゃないのか?とホリエモンは問いかけている。

 これをもって私は「寿司屋で修行なんてするな」は名言だと思っている。

食べログで3.7前後の店はコスパが悪い

 例えば政治家が自らを庶民派を自称する際に、いかに自分が庶民的であるかを語ろうとした際に、踏み込みが甘くて化けの皮が剥がれることがよくある。一般的な会社員の月収についてわからなかったり、庶民的な食べ物の価格についてトンチンカンなことを言ったりする。それはそれでかまわない、有権者は決して政治家に安いバーや居酒屋で飲んでほしいわけでもないし、料亭で食事をしてほしくないと願っているわけでもない。けれど、庶民派のふりをして、そのディテールが誤ってることにはがっかりだ。

 芸能人がオタク的な面もあるふりをして、そのジャンルについてあまり詳しい知識がないときにも同様に私達はがっかりする。ワンピースがオタク向けコンテンツかどうかは、まったくもって評価の分かれることではあるけれど、ワンピースが好きなふりをしたならば、ワンピースに詳しくあるべきだ。

 

 ある時、とあるITベンチャー企業の代表が「食べログ」の点数について言及していた。曰く「食べログ」で高得点のついているお店は、リーズナブルで味よりも価格に収斂しているそうだ。それがユーザーレビューの限界だ、とも。

 「食べログ」はサイトの構造上、優秀な(正確には優秀とされている)レビュアーが高得点をつけると点数が跳ね上がる仕組みだ。そのため有象無象の木っ端レビュアーが5点(満点)をつけてもそうそう点数は変動するものではない。印象としてはたくさんの店を食べ歩いているレビュアーが良い点をつけると点はぐんぐん上がっていく。3.5を超える店は良い店で、4点を超える店はなかなか、ない。

 食べ歩きをしている食べログのレビュアーは経済的に余裕があるらしく、そのジャンルの平均的な価格よりも高めのお店に、良い点数をつける傾向があるようだ。これは仕組み上、焼き肉でも寿司でも、イタリアンでも、フランス料理でも、良いメニューを提供するが、高価格帯のお店の点数が高くなる仕組みだ。事実、同じお店であったとしても、ランチメニューよりもディナーメニューのほうが高得点となっている場合がほとんどに思える。

 そんなことは「食べログ」を地図もしくは、開店時間や閉店時間、メニュー確認サイトとして使っていても気がつくレベルだ。おそらくはそのITベンチャーの代表は「食べログ」をあんまり使ったことがない、と思う。おそらくその方は「食べログ」という既存のサイトそのものについて文句をいいたかっただけだ、と感じている。

 

 こういった実際に使えば、分かるようなことを知らないなら、言わなければいいのにと思うのが私の性分だ。

 そんな中この「グルメ多動力」の中に面白いことが書いてあった。

食べログ」で3.7前後の店はコスパが悪い。

 これは薄々そうじゃないかと思っていた。3.7前後のお店は探せばけっこうある。週末の予約も少し取りにくい、くらいのお店が多い。確かに美味いけれど、少しお高いな、という印象に間違いはない。そういった意味ではホリエモンは「食べログ」のことをわかっているな、という印象があった。

  この些細な積み重ねが私がホリエモンに興味をいだく理由でもある。

「オーガニック」「ヘルシー」はファッションだ

 モノを売る際に「オーガニック」とか「ヘルシー」というキーワードは実はあまり刺さらない。このキーワードで人の気を引くことまでは出来ても、ものを売ったり、サービスを売ったりすることは少し難しい。

 けれど、ホリエモンは「オーガニック、ヘルシーという言葉はファッションだ」といい切った。

 この言葉により私は目から鱗が落ちた。オーガニックとかヘルシーのキーワードで売るべきは、ファッション性ということになる。それが理解できていなければ、根本的な方針がズレたままだ。

 パッケージを可愛くして、フォトジェニックな演出を加え、インスタグラムで盛り上げれば人気が出るに違いない。真面目にスペックを高めるやり方は、一般的な商売の正攻法は通じない。

寿司屋でシャリを残すOLは正義

 ある時、寿司屋でシャリを残すOLが話題になった。糖質制限ダイエットを試みているため、シャリをつまりお米を食べるわけにはいかないそうだ。ネット上では激しい避難の嵐だったそうだ。もちろんコレが本当の出来事かどうかは私にはわからない。今までそんな場面に出くわしたことがないからだ。

 けれど、これもホリエモンに言わせれば、糖質制限はもはや常識。糖質制限に対応し他メニューを考えない店のほうが遅れている。いや、もちろん飲食店はお客さんの言うことにすべて同意すべきではない、寿司屋でカレーライスを頼むお客さんは追放するべきだ。作れる/作れないの問題ではない、他のお客さんに迷惑がかかる。すべての店で実現することが正しいとは思わない。寿司には寿司の枠組みというものがある。

 そうはいっても、寿司にはシャリがあるものという常識を、いったん枠を外してみようというのは、一つの見識だ。

 例えばシャリの代替として他の野菜を使ってみるとか、なんならコンニャクでもいい。もしかすると、そこには新しい活路があるかもしれない。

 食の進歩という意味では、寿司屋でシャリを残すOLは正義で、私達の感覚が一歩遅れているんだ。

 糖質制限ダイエットがこれだけ話題になるんだから、逆手にとったメニューは売りになる。

コンビニエンスストアの弁当格付け

 「食べログ」のところで、ホリエモンのディテールにこだわる微妙な感性が興味深いと書いた。それはこの「グルメ多動力」の中で紹介されている、コンビニエンスストアの弁当や冷凍食品の言及についても現れている。

 「グルメ」と冠しているのに、コンビニ弁当や冷凍食品について言及するチョイスも愉快だが、そこで格付けが行われている。それは決して奇異をてらったものではなく、オーソドックスな内容でもある。一般的に言われていることに近いものだ。要はセブンイレブンが1番で、ローソンが2番手、その他はそれに追随する形になっていると。

 一般論として、セブンイレブンは商品開発に力入れているので一番の評価を受けるのはうなずけるし、実際に食うと美味い。ローソンの弁当コーナーは気が利いていて、これも評価が高いことに異論はない。けれど、それをわざわざ口に出す著名人はなかなかいない。あそこの蕎麦屋は美味いといっても、あそこのコンビニの弁当が美味いとはなかなか言わない。

 ところで、コンビニの弁当の中で異彩を放っているチェーン店がある。ファミリーマートだ。ファミマの弁当はひどくまずい。これは不思議に思ったので周りの人達にリサーチをしたことがある。コンビニの弁当の味なんて気にしたことがないという人が半分、もう半分は「ファミマで弁当を買うとかありえない」というものだった。私の会社の近所のファミマの評判がスタッフも含めて悪いだけかもしれないが、けれど、やっぱり思うことは皆、同じなんだなとその時に感じた。 

地方のホテルはレストランを閉めろ

 出張でビジネスホテルに泊まることがある。

 個人的にはコンビニが併設されている方がずっと嬉しい。食事が出来るレストランがあったとしてもメニューは限られているし、だいたい時間の制約がきつい。それならば、コンビニで色々と買い込めたほうがずっとずっと楽しい。

 コンビニエンスストアで、フルーツだのお酒だのお菓子だのを買い込む瞬間こそが、ビジネスホテルに泊まる醍醐味というものだと感じている。

クックパッドからレシピ動画サイトへ

 ここ数年料理のレシピ動画サイトが流行っている。一時期のクックパッドの興隆はすでに下り坂となり、今は動画サイトが日の出の勢いだそうだ。

 「DELISH KITCHEN」や「クラシル」の評価がとても高い。私のまわりでも「Tasty Japan」が人気だ。

 短い時間でザクザクとザッピング感覚で料理の動画がスタイリッシュに編集されて次々と流れだし見る側の目に次々と飛び込んでくる。これは今の時間間隔にとてもあっている。

「ヤツラは情報を食ってる」

 

 ホリエモンの漫画好きは有名であり、彼は色々な場面で色々な漫画をおすすめしている。

 ホリエモンは本書「グルメ多動力」の中で「ラーメン発見伝/らーめん才遊記」を取り上げている。この「ラーメン発見伝/らーめん才遊記」はラーメン好きかつマンガ好きならば知っているであろう有名なフレーズがある。それが「ヤツらはラーメンを食ってるんじゃない。情報を食っている」だ。

 飲食店にとって味は確かに大事だ。けれども、「おいしさ」とはそれだけではない。お客さんにとっては能書きも、インスタ映えも、特別感ある非日常的なイベントも、稀有なコミュニケーションも、多彩なメニューも、時代にあった特別対応も、ファッション性も、同様に大事なことなんだ。

 そしてウェブの時代、食べログで点数やランキングをチェックするところからすでに、情報のやり取りは始まっている。

結論「究極の飲食店」のスタイルはスナック

 ホリエモンの本書「グルメ多動力」での最終的な結論は実はひどい。

 曰く、究極的に飲食店を突き詰めていくと、それは「スナック」になるとのことだ。ホリエモンは多忙を極め各地を転々としながら、働いている。どこでも、パソコンを使わずともスマホで働けるのが彼のスタイルだそうだ。そのために色々な地方都市を訪れれながら仕事をすることも出来る。

 どんな小さな地方都市にいっても必ずある店がある。それが「スナック」だそうだ。「スナック」では、コミュニケーションのやり取りさえ、きちんと出来れば飲食店は料理そのものだってアウトソーシングすれば良いとホリエモンは言う。

 「グルメ」をタイトルに冠した書籍の結論がそれか、というのはかなり愉快な結論ではあるけれど、ある種本書のテーマとしては一貫している。

 

 私は残念ながらスナックと呼ばれるところに行ったことがないので、最後の結論の部分に関しては同意も、否定も出来ないけれど、つい最近のエントリ(→link)でも少し書いたが「スナックバス江」という漫画にハマっているので、スナックについて漫画で学びたいと考えている。

私なりの「グルメ多動力」の結論

 ホリエモンが嬉々としてインスタグラムのハッシュタグについて語ったりする本書はとても無邪気であり、彼のワクワク感の彩られている。そして最後の結論が、究極の飲食店は「スナック」である、という暴論で締めくくられている。いや、別に本書はそれで締めくくられているわけではないが、私はそういった終わり方と感じた。

 最後に「肉山」の店主らとの対談が3つほど掲載されていたりするが、それはあくまでおまけと捉えている。

 「ラーメン発見伝」のラーメンハゲこと芹沢達也のセリフ「ヤツラは情報を食っている」という言葉を丁寧に真摯に考えると、「グルメ多動力」の伝えたいことにたどり着くという気がした。これが私なりの結論だ。

 

 

自分用メモ帳 2018年6月9日版

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メモ帳について

このブログの箸休め的存在です。

思ったことをダラダラと無目的に書くだけです。

本日6月9日は音楽評論家の渋谷陽一の誕生日でもあるので、それを記念しているわけでもないですが無駄で、無意味なことをダラダラと書きたいと思います。

ヤンジャンについて

  先週くらいに最近のヤンジャンについてちょこっと書きました。

ame774.hatenablog.com

 その時の文章の中では「スナックバス江」が激推しで、勢いに乗じてコミックも買いましたが少し浮かれていましたね。本誌掲載時は結構楽しかったのですが、コミックにはなんだか向いていない趣があります。ちょっぴり冷静になりました。

 それはそれとして、今週のヤンジャンでは「かぐや様は告らせたい」のアニメ化が発表されていました。私はアニメを見たりすることはありませんが、これで名実ともに「かぐや様は告らせたい」はヤンジャンの柱となりましたね。

桜えびのかき揚

 この記事の冒頭の画像は桜えびのかき揚げなんですが、私の中でムーブメントが来てます。桜えびムーブメントです。画像の桜えびは宇和島直送と銘打たれていますが、桜えびに関しては静岡県由比産のものが圧倒的にうまいと思います。

 もともと、人生の中で一番うまいと思っている食べ物が桜えびのかき揚げだったんですが、最近その想いがヒートアップして、とんでもないことになっています。

 週に2回くらいのペースで桜えびのかき揚げを頼む状況です。

 最近読んでる本

  ブームといえば読書ブーム来てます。

ame774.hatenablog.com

 額賀澪という作家さんの「拝啓、本が売れません」を読んだことはブログ記事にもしましたが、それ以外にも読みたい本がたくさんある状態です。

 ホリエモン堀江貴文)の本をいくつかと、ジブリ鈴木敏夫ジブリの仲間たち」、一志治夫狂気の左サイドバック」、橋場日月「新説 桶狭間合戦」、宇野維正「小沢健二の帰還」、燃え殻「ボクたちは大人になれなかった」このあたりを今、同時に読んでいます。あとデザインの本もけっこう読んでいます。書店で本を手に取る瞬間が好きです。

 その他、韓非子に関連した書籍や、サマセット・モーム「月と六ペンス」、吉田兼好徒然草」、紫式部紫式部日記」、清少納言枕草子」にも手をかけています。

ブンゴと、ダンジョン飯と、恋は雨上がりのように

  ヤンジャンはある種の惰性で読んでます。でも「BUNGO―ブンゴ―」はやっとのことで関東大会というか、公式戦に突入しそうです。迷走した部分もありますが、ここからの展開に期待です。

 最近の九井諒子ダンジョン飯」の展開が好きです。もともとダンジョン飯の1巻が出たときには、長期連載では九井諒子の才能はあんまり活かしきれんのかあと、少し失望した面もありましたが、巻が進むにつれてグイグイ来てます。ダークさもいい塩梅に増して、物語の今後に期待です。期待に胸膨らみます。

 眉月じゅん恋は雨上がりのように」の連載が終了しました。ネタバレ的になってしまいますが、この物語は中年のファミレス店長がアルバイトしている女子高生と淡い恋愛関係になると思いきや、何事もなくそれぞれの日常に戻るといった終わり方で最終巻となっています。少し拍子抜けの最終回ですが、その後にジャニーズの事件(TOKIOの山口くんが未成年と、、、)があったので、物語としては正しい終わらせ方だったのかな、と思っとります。

 ヤンジャンばかり言っていますがスピリッツはきっかけがあれば買いはじめても良いかなとか思っています。

インスタ映え

 個人的に今さらインスタ映えがブームです。 とはいえインスタグラムに画像とか、動画を投稿するわけではありません。電車とか飲食店とか駅のホームとかで、周りの会話に聞き耳を立てて「インスタ映え」といっている人たちの会話をこっそりと聞いてニヤリとするだけです。

 この前電車に乗っている時に私の前に立っていた眉毛の手入れをしたどちらかといえばリア充サイドの男子高校生が、スマホの画面を死んだ目で眺めながら、ライン工のように、タイムライン上の画像に次々に「いいね」をしている姿は印象的でした。ああいった姿を見ると個人的にはワクワクが止まりません。

久米田康治

 言うまでもなく私は久米田康治という漫画家が好きで好きでたまりませんが、また何度目かのブームがきています。

 最近白泉社から1巻の出た「スタジオパルプ」はスターシステム制を導入しているため、「かってに改蔵」や「さよなら絶望先生」の人気キャラが多数登場しています。

 またもちろん、「かくしごと」も引き続き楽しく読んでいます。

フジロック2018

  今年のフジロックは何だかいつもと様子が違いますね。

 ヘッドライナーはKendrick Lamar(ケンドリック・ラマー)、Bob Dylanボブ・ディラン)、N.E.R.D(ナード)とネーム・バリュー的には超強力なんですが、これで本当に集客できるのか?と勝手に不安になってしまう感じです。特にブラック・ミュージックというかヒップホップ色が強いヘッドライナーは過去のフジロック好きにはどこまでアピールできるんでしょうか。

 Vampire Weekend(ヴァンパイア・ウィークエンド)やMGMTSkrillex(スクリレックス)、CHVRCHES(チャーチズ)といった鉄板系がたくさんいるのでライブそのものについては安心感はありますが。

 私個人としては、今のところ都合がつく見通しがないのでいかない方向性です。可能な限り行きたいとは思ってはいます。

サマーソニック2018とソニックマニア

  一方、サマソニのヘッドライナーはNoel Gallagher's High Flying Birds(ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ)とBeck(ベック)です。若干、弱いヘッドライナーのようにも思えますが、ソニマニにはNine Inch Nailsナイン・インチ・ネイルズ)とMy Bloody Valentineマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン)の登場と、豪華です。ただし、おいおい2018年にもなって90年代の夢よもう一度かよ、みたいなところはあります。

サッカーワールドカップ ロシア大会

 サッカーW杯ロシア大会が6月15日に開幕だそうです。

 4月7日付けで前ハリルホジッチ監督を解任した日本サッカー協会は、新監督に西野朗技術委員長を迎え新体制を構築したけれど、代表メンバーの選手選考に関してもネットを中心に散々に叩かれて、「忖度ジャパン」と揶揄されるくらいの不人気が現状です。

 急な解任だったため、西野新監督としてはわずか3試合のテスト期間で、本番のコロンビア戦、セネガル戦、ポーランド戦を迎えます。

 今までのガーナ戦、スイス戦はそれぞれ無得点であっさり敗れ去り、3バックなのか、4バックなのかどちらでやりたいかわからないとDFの選手からも疑問の声が上がる状態で、最後のテストマッチパラグアイ戦となります。

 最悪の場合、西野監督は0勝6敗・無得点という無残な成績となる可能性すらある状況で、過去にここまで期待されなかったサッカー日本代表というのも珍しいですね。

 

その他

 スマホゲームのこととか、あと夏フェスのことももう少し書きたいことがあった気がしますが、余裕がある時に頑張ってなんとか書きますね。

それでは。

 

 

週刊ヤングジャンプ 新連載と打ち切りのスパイラル

あらすじ

 このエントリは、「嘘喰い」の終了に伴い、私が勝手に雑誌としてのテンション低下を感じている「週刊ヤングジャンプ」の新連載ラッシュとその打ち切りラッシュについて嘆く、果てしなくおせっかいな雑文である。

 

毎週木曜日の習慣

 私はいつの頃からか、毎週木曜日、通勤前に週刊ヤングジャンプを買っている。駅のホームもしくは電車の中でそれを読む。朝、タイミングが合わず買えなければ、帰りにセブンイレブンかローソンにでも寄って購入をしている。

 もともとは何の連載漫画が目的で購入していたか忘れてしまったけれど、どこかのタイミングで昨年末(2017年12月)に連載終了となった「嘘喰い」が私の心を捉えて離さなくなった。

嘘喰い」の完結/最終回

 

 「嘘喰い」の終了はもちろん、打ち切りなどではない。物語の当初から提示されていた最終章、つまり「屋形越え」をきちんと書き終えて物語が完結となっている。

 「嘘喰い」はギャンブルを題材とした物語で、主人公の斑目貘は運を頼った勝負をいっさいしない。それどころか、彼が運任せの勝負に弱いことは、ジャンケンに勝ったことがないという設定で、読者に示されている。運に頼らず、勝ちにしがみつく主人公・斑目貘の物語が「嘘喰い」だ。ちなみにこの話の最強の敵だったのは捨隈悟という登場人物で、彼もやはり運には与しない、自分の運を信じない男だ。

 この物語のギャンブルにはルールがある。ルールは要請に応じて立会人を派遣し賭博を取り仕切る秘密の組織・賭郎に委ねられることが多い。斑目貘は、その賭郎の長・お屋形様に挑戦したことがある。けれど、彼はあっさりと、本当にあっさりとゴミクズのように破れた。お屋形様はあっさり斑目貘に興味を失い、「君はつまらない」と投げかける。そのお屋形様にもう一度、挑戦をし、屋形越えを成し遂げ、賭郎を手に入れることが嘘喰い斑目貘の物語だ。

 どんな形かはともかく、「嘘喰い」は49巻という冊数をかけ、無事に完結を迎えている。作者の迫稔雄は「嘘喰い」の続編、スピンオフ、次回作についても言及しているし、映画(実写化)の話も進行しているということだ。49巻という非常に微妙なところで終巻を迎えたことも、なにか意味があるかもしれない。

 最後のハンカチ落とし編はある種、長いカーテンコールというか蛇足に感じたわけでもないけれど、とにかく連載は終わった。

 そしてそれは私にとって長きに渡り喪失感を味わう出来事となった。今風にいえば「嘘喰いロス」だ。

 ネット上では「あまちゃんロス」という言葉が一時期話題になったけれど、意味合い的には理解できる。毎週木曜日が来れば、週刊ヤングジャンプは発売される。けれど、そこには私が毎週楽しみにしてきた「嘘喰い」はない。ルーティンのように訪れる日々に私がかつて愛したものはないのだ。この喪失感というか虚無感が毎週のように、さざなみのように繰り返す。この状態を、この状況を人はロスと呼ぶんだぜ。

週刊漫画連載はフォーマットの限界

嘘喰い」の良さはどこにあったんだろうか。

 よく言われているのは、「暴」と「知」のバランスが素晴らしいとか、立会人が魅力的とか、「嘘喰い」の魅力といえばミスリードだろうとか、いろいろ言われているけれど、単純に毎週掲載されていたことが大きかったように思う。

 プロトポロス編の終盤あたりから、若干連載がない週が増えてきて、そのあたりからテンションが落ちていたようにも思えたけれど、少なくとも勢いが大事の初期においては非掲載の週が極端に少なかった。

 私が毎週、ヤングジャンプを買う習慣がきちんとできた理由も、「嘘喰い」が毎回掲載されていたという部分が大きい。

 例えば同じヤンジャンに掲載されていたGANTZガンツ)は同様に私も好きではあったけれど、途中から隔週連載になっていた。隔週掲載漫画の連載はやはり、雑誌を購入する立場からすると、読みにくい。少なくともメインディッシュとしては読めない。

 ところで以前に比べて、週刊で発売されている漫画雑誌全体のことを考えても、毎週きちんと掲載されている漫画の本数/割合が減っているように思う。

 
 

 昔から連載が滞りがちになる漫画家はたくさんいた。

 けれど、それはどちらかといえば一部にそういった漫画家がいるという印象だった。が、最近は、もう編集の方針として、ほとんどの週刊漫画雑誌が、連載漫画をきちん毎週乗せるということを諦めているように思える。

 逆に言えば、10週分連載用原稿がたまるまで、連載の掲載しないという 「ハンターxハンター」の方針は英断ではあるけれど、正しいと思う。きちんと前週から、次号掲載の予告がされていれば、少なくとも雑誌購入者側にとっては、自分の読みたい漫画が必ず掲載されている状態にはなっているわけで、その10週がはっきりと続くという状況は素晴らしいと感じる。

 私にとって一番の悪は、自分の読みたい漫画が来週掲載されているかどうか分からない状態だと思っている。もうそんな状況なら立ち読みで済ませれば良いんじゃないかと、ずっと自問自答している。今のヤンジャンのことだ。

 最近のヤンジャンでは私は「BUNGO─ブンゴ─」「かぐや様は告らせたい」「銀河英雄伝説」あたりは必ず読んでいる。「キングダム」もだいたい読んでいる。たまにこれらの連載がほとんど掲載されていない週、4つのうち3つくらい掲載されていない週があったりした。そこまで回数が発生していたわけではないけれど、ヤングジャンプを開いて膝から崩れ落ちそうになったことを記憶している。これならば立ち読みですませば良かったとか、グラビアの小倉優香の水着しか、表紙の乃木坂46の誰かの笑顔しか見どころないじゃないか、みたいなことが極めてではあるけれど稀にある。

 誤解しないでほしい。漫画家批判ではない。掲載を落とすのは、漫画家が悪いなんて言うつもりはない。作品のクオリティは確実に昔より上がっている。漫画家のやる仕事量は、おそらく、圧倒的に増えている。

 毎週クオリティの高い面白い漫画を休みなく掲載していくということは、今のフォーマットにおいて限界がきているんだと思う。なので、毎週掲載されない漫画がたくさん量産されているんだと感じている。

 けれど、編集者は悪いと思う。少なくとも現状の体制において、雑誌が売れない、漫画が売れない、本が売れない、それはxxxのせいだ、なんて嘆くのは違うと思う。それは「漫画村」のせいでも「電子書籍」のせいでもなく、編集方針そのもののせいじゃないかと思う。

 もちろん、ウェブサイトには今週掲載されている漫画は表示されているとか、次号予告のところには「xxxは休載です」と載っているとか、連載の最後のページの柱には「次回xxxは △月□日発売号にて掲載(2週後、要するに来週は休み)」とお知らせがあるとか言い分はあるだろうけれど、そんなことが言いたいわけじゃない。無条件でパブロフの犬のように雑誌を買っている、編集部にとって一番都合の良いはずの読者に肩透かしを食らわせてどうするのって話だ。

 どうせ鳩のようにあっさり忘れるから良いだろう、くらいに思っているんだろうか。

 

 

 たとえば、アメコミみたいに完全分業制みたいなものはどうだろう。

 もちろん日本の漫画が、漫画家の個人的な資質を中心に、もしくは編集者とのタッグで発展してきたという前提があるにせよ、そして完全な分業制が面白い作品を生み出す土壌なのかどうかは分からないけれど、毎週きちんと乗せるということをもう少し真面目に考えても良いのではないんじゃないか、と思っている。

「ブンゴ」の失速

 

嘘喰い」の最終盤、ハンカチ落としが始まった頃くらいからだろうか、私は違う漫画に夢中だった。それが「BUNGO-ブンゴ-」。

 主人公の石浜文吾は小学生時代はひたすら壁に向かってボールを投げ続ける少年で、中学に入学と同時にシニアで野球を始める。荒削りではあるけれど、とんでもないストレートを投げ続けるという投手。彼が1年生ながら地区大会でライバルチームの四番打者と相対するシーンは圧巻。また、この漫画の主人公は先輩の吉見投手なんじゃないかと思うくらいに「YOSHIMI」。だいたい吉見先輩が活躍している。

 ただし、文吾はあまり投げないけれど、その登場シーンにおいては圧倒的に存在感を示す1年編、までは良かった。

 けれど、3年になると状況が変わる。主人公が1年生からはじまる野球漫画というかスポーツ漫画の難点として、だいたい上級生特に3年生が魅力的すぎて、彼らの卒業後に物語が漂流する。どこへ流れつくかよくわからない状態になる。

 ただし文吾においては瑛太という新キャラを投入したことによって救われたように思えた。けれど、それは思えただけで勘違いだった。確かに瑛太は「EITA」といってよいほどの魅力的なキャラクターではあったけれど、肝心の主人公の文吾からカタルシスが奪われていた。もともとアスペルガーっぽい設定ではあったけれど、そこにさらに動物と会話をするというさらによくわからない設定が追加され、それらがうまく活かされることもなく、再度高校生となった吉見先輩の再登場で物語をつないでいる。

 「嘘喰い」終盤から「ブンゴ」がメインの目的としてヤンジャンを買っていた私にとっては現状の「ブンゴ」の迷走は苦しいものがある。しかも「ブンゴ」は比較的休載が多い。

今もっともヤンジャンでおすすめできる漫画「かぐや様は告らせたい

 「BUNGO-ブンゴ-」が失速している中で、私がヤングジャンプの中でもっとも、今、現在、楽しみにしている漫画が「かぐや様は告らせたい ~天才たちの恋愛頭脳戦」だ。
 この漫画がいつからヤンジャンに登場したのか、実は記憶がない。気がつけば、そこにあった。ミスターチルドレンの歌詞のような存在である。面白い漫画はきっと奪うでも与えるでもなくて気が付けばそこにある物。ところで過去にミスチル地蔵について書いたことがある。暇なら読んでほしい。 (→link)
 話がそれた。ウィキペディアによれば、もともと「かぐや様は告らせたい」はミラクルジャンプで連載されていたものがヤングジャンプに移籍してきたらしい。
 連載開始最初期は、主人公の副会長・四宮かぐやと会長・白銀御行がお互いに妄想の中でマウントを取り合い「お可愛いこと」と言い合うストーリーだったが、あっという間に天才たちの恋愛頭脳戦というサブタイトルは形骸化し、書紀の藤原千花が暴走して周囲が振り回される展開が主となっていた。会計の石上優が物語の中央に関わるようになってからはそのバランスは崩れつつあるが、それは良い崩壊である。
 「かぐや様は告らせたい」の良いところは、いろいろあるけれど、なんと言っても掲載されていることが多い、ということだ。またそれか、というのが皆さんの正直な感想であると思うけれど、私にとっては大事なことだ。このブログでは、基本的になにかをおすすめしたりしないけれど、もしヤンジャンの中でおすすめを一つ言えと言われれば「かぐや様は告らせたい」がよいと思う。
 

ゴールデンカムイ」を見失ってしまったこと

 

 実は私はヤングジャンプ連載の人気作、そしてみなさんが普通におすすめをするであろう作品「ゴールデンカムイ」の物語の行き先を見失っている。

 私も、アシリパさんが無邪気に「オソマ、オソマ」と言っている様子を微笑ましく読んでいたが、いつの間にやらストーリーについていけなくなり、気がつけば元軍人やら脱獄王が無駄に脱ぎたがる展開に目が点になりつつあり、新選組勢の土方歳三/永倉新八らの関わりもよくわからなくなり、今ではストーリーのことは綺麗サッパリ忘れて純粋なグルメ漫画として読んでいる。

「キングダム」の迷走と実写化、再アニメ化

 ヤングジャンプにとって重要な漫画がもうひとつある。もちろん「キングダム」だ。
 いや待て「テラフォーマーズ」があるだろう、とか「源君物語」を軽視する理由がわからないとか色々あるだろうけれど、そのあたりの作品のことは忘れてくれ。もちろん「源君物語」は偉大だとは思うけれど、ページ数が少ないのに毎週必ず掲載されているわけではないのは、いただけないと思う。
 さて「キングダム」に話を戻す。
 「キングダム」も迷走していると思う。実際、今(2018年5月現在)、誰と戦っているのかよくわからない。いや王センが趙の九城を落とし李牧と相対している戦いという状況は理解できるが、展開がなんだか戦国無双だか三國無双みたいになっていて、以前にもまして少年ジャンプに連載するべき内容になっている気がする。もちろん「キングダム」はヤングジャンプより少年ジャンプが似合う少年漫画のような漫画ではあるので、仕方ないと思うけれど、けれど、出てくる相手方の将の強さがざっくりしていて私にはよくわからない。
 「キングダム」は言うまでもなく項羽と劉邦つまりは楚漢戦争のひと世代前の話で、秦王政(始皇帝)が秦を建国し、その片腕となった信(李信)が主人公の物語である。秦建国の影の立役者である呂不韋はすでに退場しているので、物語的には半ばだろうか。ここから先は信が将軍になった後の物語になるはずだが、登場する適役が、まだ中途半端な形なので、「キングダム」もやはり迷走中に思える。
 ところでキングダムは実写化(映画化)が予定されている。アニメも2期まで放送されていて、再びアニメ化されるとすれば、合従軍編ということになるだろう。秦一カ国に対し、趙・燕・魏・韓・楚が連合を組む戦いとなるキングダム最大の見せ場にはなるはず。
 ひとつ思ったことがある。ヤングジャンプにとってメディアミックスは鬼門かもしれない。メディアミックスをすればするほど、肝心の本編が迷走していく気がしてならない。じゃあメディアミックスされていない「ブンゴ」はどうなんだ?といわれれば、気のせいなのかもしれないけれど。

ヤングジャンプの新連載と打ち切りスパイラル

 人気作、長期の連載作についていろいろと書いてきた。

 実はここまで長々と書いたことすべてがどうでもいい。

 長期に連載していれば、テンションが落ちて低迷することなんて当たり前だ。そんなことは大した問題じゃない。ヒット作の、人気作の宿命でしかない。人気作の停滞/膠着は週刊漫画雑誌にとっては致命傷ではない。では何が致命傷なのか。

 私が週刊ヤングジャンプについて抱いている最大の危惧について書きたい。

 それは、最近の新連載が毎回びっくりするくらいつまらないこと。

 こういった場合によく言われる定型文としては「あなたはもう、ヤングジャンプの想定する読者としてのターゲットから外れているんですよ」みたいな言葉があると思うんですね。ああ、そうですね。私もおっさんで全然ヤングじゃないしね。おっしゃる通りでございます。言いたいことわかります。

 もうね。アホかと。表紙のグラビアアイドルの脇とはいえ、それでも表紙でドーンと大文字で期待されて、巻頭カラーで始まったはずの新連載が、コミックス単行本の売上が上がらず、だんだん掲載位置が下がって、明らかなテコ入れをされて、1年くらいであっさりわかりやすく消化不良な打ち切りエンドになる、そんな連載マンガは誰を想定の読者として考えているんですか。何かが間違っていたんじゃないでしょうか。

 2017年の途中くらいからの新連載攻勢がだいたい毎回どれもひどかった。

もう具体的にタイトル名を書くのも野暮なんで、どれがどうだとかは言わないけれど、だいたい毎回、絵は綺麗だけれどテーマがよくわかならいし、王道でもないし、主人公が無機質すぎて魅力を感じないことが多いし、展開が唐突すぎるし、みたいな新連載がはじまっては終わるようになっている。

 もともとヤングジャンプなんて、ずっとそうだよ、その中から生き延びたタイトルが今のヒット作、長期連載作なんだよ、単なる生存バイアスなんだよ、と言われればそのとおりかもしれないけれど、けれど、この最近の先細り感はきついものがある。

 明らかに負のスパイラル以外の何者でもないのではないか。

 

 ところが、ところがだ。この負のスパイラル、メビウスの輪から抜け出すような作品がヤングジャンプには掲載されている。

 それは、、、

 

 

 

最近のヤングジャンプの中で唯一面白かった新連載

 

 最近1年くらいにはじまった連載の中で唯一、面白い、毎週読んでも楽しい連載がある。それが「スナックバス江」。

 この漫画を読んだことがある方はこう思うに違いない。ここまで引っ張って最後のまとめがそれかよ、「スナックバス江」はねえだろ、と。

 「スナックバス江」は場末のスナックの雑談風の会話のみにより成り立っているページ数の少ない、わりとどうでもいいような内容で、間違いなく、「この漫画がすごい」だの、「書店員が選ぶ20xx年のベスト漫画」とかには選ばれない。

 けれど、このダラダラとどうでもいい会話のみによって進む、絵もたいして綺麗じゃない、決して「テラフォーマーズ」や「キングダム」「東京喰種 トーキョーグール」に取って代わることなど天地がひっくり返っても起きるはずもないこの「スナックバス江」が今、ヤンジャンでもっとも面白いと思う。これこそがヤンジャンに残された最後の希望である。

 

検索エンジンとしてのアマゾン

 

インスタ映えとパンケーキ

 ちょっと前に最近の若い人はGoogle(グーグル)なんて使わない、Instagram(インスタグラム)で自分の欲しいものをファッション的にチョイスして買うんだ、みたいな記事があった。

 少し気になったので元記事を探してきた。

marketing-rc.com

 私の記憶は若干間違っていて、しかもすでに2年前の記事だ。

 そんなことはさておき、ざっくり記事の内容を説明すると、今の10代はGoogle以外にもTwitterツイッター)や、Instagramで検索をおこなっている。

 用途はSNSごとに別れているが、特にインスタグラムでは服や髪型、コーディネート、ネイル、飲食店、観光地などを検索するそうだ。真似したいものやビジュアル的に興味のあるものを直感的に選べることがインスタグラムで検索する利点ということになる。

 

 

 私がお昼ご飯をよく食べる通りでは、時折、若い女性の口から「インスタ映え」という会話が聞こえてくる。なぜ、こんなにもこの通りでは「インスタ映え」という言葉をよく聞くのだろうとずっと疑問に思っていたけれど、最近気がついたことがある。

 この通りにはパンケーキを出す有名な店がいくつか、ある。

 そのお店の出すパンケーキは、独特で数量限定だったする。わかりやすくインスタ映えしやすい。いや、パンケーキを出すカフェだけではない。インスタ映えするいくつかの飲食店がある。

 もう、本当にそれだけのことで若い女性は道を歩きながら「インスタ映え」を連呼するんだ。

 私に言わせれば山本屋本店だって、スガキヤだって、コメダだって全然インスタ映えする店だが。

  とにかく若い女性にインスタ映えはびっくりするくらい浸透している。 

Twitterの検索能力

  ツイッターはだいたいにおいて軽んじられている。ツイッターすごいとか、ツイッターに価値がある、なんて言う記事はあんまり見たことがない。やっぱりインスタグラムだよねとか、FaceBookフェイスブック)の浸透度と収益性がすごいとか、LINE(ライン)はインフラとして確立しているとか、だいたいそんな感じだ。

 IT関連の記事においては、ツイッターは代替の場面でオチとして使われることが多い。

 けれど先の記事では検索エンジンとしてのツイッターを高く評価している。

 ツイッターでは、速報ネタや今旬のこと、芸能人のこと、ゴシップ、トレンドなどを検索することが多いそうだ。

 確かに言われてみれば、私も電車が止まったり、地震があればツイッターで検索するし、タイムライン上で有名人の名前がホットになっていれば何があったのかとやはりツイッター検索する。

 検索エンジンとしてのツイッターは強力だ。

特異な検索の仕方は若者だけのものか?

 思い出して見るとこのインスタグラムやツイッターの使い方、ざっくり言ってしまって直感的な検索窓の使い方は若い世代だけのものではない。これらのSNSがまだなかった頃、私と同い年の同僚が、ヤフーオークションの使い方について教えてくれた。

 ヤフオクでは、文字情報を消して画像の状態にしておき、自分の気になるキーワードで検索するんだそうだ。その中で欲しいものを落札していく。

 直感だけで出品物を選ぶ。彼のヤフオクの使い方はそんな使い方だそうだ。

私と同い年ということは、つまり彼もおっさんであるということだ。

 

 ところで、このヤフオクの落札商品を画像で選ぶ彼のエピソードを聞いてから、私は直感的に画像検索を使うことが好きになった。

 従来のグーグルの画像検索の使い方としては「深田恭子 水着」とか「新垣結衣 メガネ」とか「橋本環奈 制服」とか、そんな、どんな検索結果になるか想像しやすい言葉というか、わかりやすい目的で画像検索することが一般的に思う。

 けれど、それよりも「インスタ映え」とか「土臭い」とか「抜け感」「食欲がなくなる食べ物」とかそんな実態のよくわからん言葉を検索する時や、「アマゾンピッキングチャレンジ」「eスポーツ」「惑星ニビル」とか昨日今日聞いた言葉を、あんまり本気で知りたくないけど、とりあえず検索したい時にこの方法は重宝している。

世界で2番目の検索エンジンってなんだろう

 ところで世界で二番目の検索エンジンてなんだろう。

 どこまでを、検索エンジンとして捉えるのか?という問題はあるけれど、Yahoo(ヤフー)は今、どのくらいの位置につけているんだろうか。

 Microsoftの提供するBing(ビング)がその力技で2位の地位を守っているんだろうか。百度バイドゥ)がその対象人口の多さで2位の座を奪取しているんだろうか。

 

 検索窓を所有していることを検索エンジンと捉えるならば、YouTuber(ユーチューバー)という言葉がこれだけもてはやされるのだから、YouTube(ユーチューブ)はすごい検索数であることは間違いない。

 確かにYouTubeで検索すると流行りのものはだいたい、誰かが動画を作っている。もちろん需要があるから作っているに違いない。

  ツイッターやインスタグラムを押しのけて、ビングやバイドゥも押しのけて、世界第二位の検索エンジンYouTubeが名乗りを上げてもおかしくはない。 

 検索エンジンとしてのYouTubeは相当に有能だ。

検索エンジンとしてのアマゾン

 ところでそろそろ、検索エンジンとしてのアマゾンの話がしたい。

 この記事のタイトルが「検索エンジンとしてのアマゾン」ということで、これを読んでいる方は、アマゾンは検索エンジンとして素晴らしい、とっても優秀、みたいな結論を期待しているのかもしれない。残念だが、そうは問屋がおろさない。

 

 私は、とある言葉について詳しく知りたいけれど、WEBだけの情報ではなく、本を読みたい時には、アマゾンで検索をする。

 「SNSマーケティング」とか、「インスタ映え」とか、そんな言葉で検索する。

結果、だいたいにおいて、がっかりだ。

 

 たとえばGoogleのインスタ映えの画像検索の検索結果は、大変インスタ映えしている。とってもインスタジェニックだ。想像通りの結果と言って良い。(→link)

 

 時事ネタの検索として使われることの多いYouTubeでの「インスタ映え」の検索結果はユーチューバーが活躍している。バラエティ番組のミニコーナーみたいになっている。グーグルの画像検索とは違うけれど、YouTubeっぽい。(→link)

 

 それに比べて、アマゾンのインスタ映えの検索結果は、とてもインスタ映えしていない。というか何者でもない。(→link)

 

 それは「抜け感」だろうが「スタイリッシュ」という言葉だろうが、大体そうだ。

いやいや、お前、そりゃそうだろ、アマゾンに何を期待しているという意見はごもっとだが、私の考えは違った。

 アマゾンにだって、まともな、直感的な、検索結果を期待しても良いのではないだろうか。

漫画村とアマゾン

 かつてインターネット上には「漫画村」というサイトがあった。日本で売られている漫画の多くがフルでアップロードされ、優れたUIで共有がされている、違法サイトだったそうだ。今はすでに著作権の問題で閉鎖されている。

 どういう仕組みかは分からないが、「漫画村」は公開されているデジタルコンテンツを取得し、各ページにご丁寧に「漫画村」のロゴを入れて、アップロードしていたそうだ。

 今日語りたいのは「漫画村」についてではない。

 その「漫画村」のロゴのついた漫画が「Amazon Kindleストア」で販売されていたそうだ。もちろん、言うまでもなく犯罪行為。

 なぜ、こんなことが起きたのかといえば、アマゾンで電子書籍を自主出版できるサービス「Amazon Kindle ダイレクト・パブリッシング(KDP)」を悪用したからに過ぎない。れっきとした海賊版

 「漫画村」も「漫画村」なら、そこからコンテンツを流用してアマゾンで電子書籍として売る方も売る方だ。

 けれど、この騒動を見て少し思ったことがある。

 動画のYouTubeよりもさらに難易度が高いかもしれないけれど、話題のキーワードはKDPを使えば、集客という分野にとって良いツールなのかもしれない、という可能性を少しばかり感じた。

Amazonから薄い本を出す方法

 ところで冒頭の画像で鈴木みそ電子書籍の画像を掲載していることに理由はない。単純に「アマゾンの方からきました~Amazonから薄い本を出す方法」という題名が個人的に、グッときたからだ。もちろん読んだわけではない。ひどい理由。

 ただ鈴木みその過去の著作はかなり読んでいて、大好きな部類の漫画家だ。

特に最近の作品では電子書籍を扱った「ナナのリテラシー」、いろいろなテーマを書こうとして、とっちらかってしまった感のある「限界集落(ギリギリ) 温泉」は読んで損はないはず。

 

 

 

オークス2018回顧とダービー2018前夜

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ダービー前夜

 現在、春の競馬シーズン真っ只。東京競馬場では5週連続G1。

先週オークスが終わり、明日(日付的には今日)5月27日はダービー(東京優駿)だ。

私は東京競馬場で開催される芝レースにおいては、デムーロルメールハーツクライステイゴールドしか買わないため当たり馬券には縁遠い。

 NHKマイルカップヴィクトリアマイルについてはもはや記憶にない。いやヴィクトリアマイル武豊の騎乗するリスグラシューについて検討したおぼろげな、あいまいな思考の断片はあるが、あれが現実のものかどうか今となってはわからない。

 念の為、Twitterをさかのぼるとメイズオブオナーとツイートしていることを発見した。おそらくは私の本命はメイズオブオナーだったんだろう。

 とりあえず覚えている2018年のオークスの事前予想とレースの回顧について書きたい。

桜花賞オークス事前予想

 オークスの事前予想の前に、まずは2018年の桜花賞を見てほしい。阪神競馬場でおこなわれた1600mのレースだ。

 7枠13番オレンジの帽子、アーモンドアイが阪神競馬場の直線でアッと言う間に、2着のラッキーライラックを突き放す。はっきり言ってしまえばかなり強い競馬だ。

 オークスではまずは、この強いアーモンドアイの取捨選択からおこなわなければいけない。

 オークス東京競馬場の2400mで行われる。桜花賞と比較すると800mも距離が伸びることになる。

 一般的に3歳牝馬の限定戦であるオークスは、桜花賞からの距離延長により、距離が壁となって桜花賞の勝ち馬が惨敗するケースは 少ないと言われている。特に桜花賞を差して勝った馬は、オークスではしぶとく2着に突っ込むケースが多い。これが一般論だ。

 オークス前の予想では、競馬ファンや評論家はアーモンドアイをかなり高く評価していた。一つの意見としては桜花賞を差して勝ったアーモンドアイが、オークスではさらに引き離して勝つ、という論調も見受けられた。

 桜花賞で差して勝った馬が、オークスでさらに突き放して勝った馬は、私はただ一頭しか知らない。ジェンティルドンナだ。それはつまり最強牝馬の称号でもある。ジェンティルドンナ秋華賞を勝ち、牝馬の三冠を成し遂げると、その後ジャパンカップを2勝、海外のドバイシーマクラシックまで勝ち、引退レースの有馬記念にて有終の美を飾った。

 アーモンドアイがジェンティルドンナなのか?答えは簡単だ。否、そんなはずがない。来ても2着まで。

 私の中ではアーモンドアイはファイトガリバーと重なって見えた。ファイトガリバーとはかつて天才と呼ばれた男・田原成貴が騎乗して派手にガッツポーズを決めて桜花賞を勝った馬の名前だ。

 ファイトガリバーオークスでは2着に終わる。その時の勝ち馬はエアグルーヴ牝馬ながら天皇賞(秋)を勝ち、ジャパンカップの2着となった馬。

 2018年のオークスの私のテーマはエアグルーヴを探すこと。

 実はあっさり2018年のエアグルーヴは見つかった。

 トーホウアルテミス。父親ハーツクライエアグルーヴの父親トニービンの血が入っている馬でもある。直前の矢車賞(東京競馬場2200m 500万条件)を勝ち上がっている。騎手は松若風馬JK。まだG1を勝ったことはないが、今年22歳の期待の若手である。良い。

 もう一頭、2着候補も見つけた。ラッキーライラック桜花賞2着馬。オルフェーヴルの産駒。

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オークスの結果

オークスの結果についてもYoutubeで見ていただきたい。7枠13番がアーモンドアイ。桜花賞のときよりも前目でレースをしている。

  アーモンドアイの父親はロードカナロア。アーモンドアイは初年度産駒にあたる。ロードカナロアの父親はキングカメハメ、ミスプロ系の異端児でダービー馬だ。しかしロードカナロアは1200mから1600mを主戦場としたイメージとしては短距離馬。

 アーモンドアイは距離をこないせないのでは?の疑念がこのオークスではつきまとっていた。後ろからレースを進める分には距離は関係ない、との意見もあった。けれど、アーモンドアイはそのどちらの言葉も無視をして、中段より前で競馬をし、直線でその他17頭をあっという間に蹴散らした。

 惨敗である。

 私の惨敗である。

ダービー予想

 さてダービー予想。

 皐月賞エポカロードは人気がない。

 過去20年2番人気以下でダービーに挑んだ皐月賞馬は8頭。うち1頭が3着。その他7頭は着外。「もうフロックでもなんでもないっ」と逃げ切ったサニーブライアンは21年前のことだそうだ。

 1番人気は皐月賞をパスして、弥生賞以来となるダノンプレミアム。この馬の名前はなんだか、コンビニで売っているプチリッチなアイスクリームの商品名みたいだ。

 2番人気はブラストワンピース。この馬も皐月賞には出ていない。

 私はこの3頭と皐月賞組みをごっそり外したい。

 アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズは2005年6月スタンフォード大学の卒業式辞をこんな言葉で締めくくったそうだ。

Stay hungry, stay foolish

私はジョブズの信者ではないけれど、とりあえず彼の言葉にのることにする。

迷いなしだ。

ダービーの予想は5枠10番ステイフーリッシュ。

その名から分かるとおり、ステイゴールド産駒でもある。 

安田記念予想

 ついでなので安田記念の予想も。

 これについては昨年の有馬記念にさかのぼる。

 去年の有馬記念の時、当時3歳馬スワーヴリチャードについてこんなことを思っていた。ここで、もしスワーヴリチャードがかったら来年(2018)のG1はスワーヴリチャードが3つか4つくらい勝つんじゃないかなって。

 残念ながらキタサンブラック有馬記念を制し、スワーヴリチャードは4着となったわけだが、今年に入ってからスワーヴリチャードは大阪杯を勝っている。

 このまま行けば、やはり残りの東京競馬場のG1つまり安田記念天皇賞(秋)ジャパンカップをこの馬が勝つんじゃないかと思っている。

 なので安田記念はスワーヴリチャードと予想。

競馬場で逢おう

 昔から、競馬について書かれた文章を読むことが好きだった。

 それは寺山修司の文章すべてだったり、清水成駿の競馬予想コラムだったり、成沢大輔のダビスタ関連の本であったり。

 このところずっと競馬から離れつつあったけれど、昨年の秋くらいから、また競馬というものを見始めている。

 

 

拝啓、本が売れません/額賀澪

あらすじ

 本書「拝啓、本が売れません」は、出版不況の中、様々な場所へ出向き、様々な人と話をし、一冊でも多く自分の本を売って自分の寿命を延命すべく右往左往する、平成生まれの自称ゆとり世代作家・額賀澪の挑戦の記録である。

 

この本との出会いについて

  内容についての感想を書く前に、私がどうしてこの本を読むに至ったのか書いておきたい。

 直接的な、本当に直接的な理由としては書店の店頭でたまたま手に取って、面白そうだと思ったから購入をした。書店の入り口付近の目立つ位置にたまたま本書が、平積みで置かれていて、私は表紙を見て、中身をパラパラと確認し、なんとなく良さそうだと思った。それだけのことだ。

 著者の額賀澪という人がどんな人なのかは、この「拝啓、本が売れません」を手に取るまで、まったく名前も知らない作家さんだった。

 この本の何に惹かれて私は手に取り、購入にいたったのだろうか。

 それは私自身が何者であるかということと関わりがあるのかもしれない。

 重要な要素としては私はおっさんである。いや、いきなりそんなことを告白されても困るとは思うが、これは重要な情報でもある。

 私は、自分の職業というものが未だによくわかっていないが、WEB上において、それは決してクリエイティブなものではないが、何かを制作したり、誰かを集客したり、何かを販売したり、それが実態のあるものであったり、そうでなかったりする、そんな仕事についている。そして、それは必ずしも右肩上がりの事業ではない。

 元気のない出版業界に親近感がわかずにはいられない、ということなのだ。

マーケティングの書としての「拝啓、本が売れません」

  まず最初に、著者の額賀澪は、元電撃文庫の編集長・三木一馬氏の元へと赴く。電撃文庫といえば、もちろんライトノベルの世界では大メジャーな文庫レーベルである。その元電撃文庫の敏腕編集者という肩書で紹介される氏は、現在は株式会社ストレートエッジの代表取締役でもある。

 

 この本で語られる内容はマーケティングの基礎と言ってしまって差し支えないと思う。

 い.想定の読者を絞り込む

 ろ.良い作品を作る

 は.ターゲットに届けるために努力をする

マーケティングとは平たく言ってしまえばこういうことだ。その筋をきちんと通す過程がマーケティングそのものなのだ。この書では、これがわかりやすく書かれている。

 ストレートエッジの三木代表は言う。今は情報過多の時代であり、受取り手側も「自分が楽しめるのはどれなのか?」と困惑する状況。そのために、送り手側が「これはあなた達の楽しめるものですよ」と電車の行き先表示のようなのを準備する必要があると語る。

 著者である額賀澪は中高生をターゲットに文芸作品を書く作家だ。2015年に第二十二回松本清張賞と第十六回小学館文庫小説賞を受賞して「屋上のウインドノーツ」でデビューしている。

  この「屋上のウインドノーツ」の内容について三木氏は「キャラクターが弱いですよね」と言い放つ。この小説は単行本の発刊から2年後、文庫本になっている。その際にライトノベルのようなキャラクター押しの表紙に差し替えられている。

 三木氏が言わんとしていることは、行き先表示と内容が一致していない。読み手の事を考えているとは言い難い。つまり上にかいてあるマーケティングの「いろは」が一致していないとの指摘をしている。

虐げられていたオタクたち

 三木氏は世代としては私の世代に近い。

 氏は自分が中高生の頃の思い出を語っている。

 「僕が中高生の頃ってねー、パトレイバーが好きな奴はいじめられたんですよ。オタクだー!オタクがいるぞー!って」

 でも今は違うんですよね、これが。そう続けた三木さんに、堪らず頷いた。

「アニメを観たり、ラノベを読んだり、好きなキャラのグッズを鞄につけたり、そういうことにオープンになったというか、やっても許される社会になりましたよね」

  この感覚は大変よく分かる。はてなブログでも私に近い世代の人が書くオタク系ブログはだいたい、大変、とってもこじらせている。

 いや若い世代でも、もちろんそういった方もたくさんいるが、けれど比率が全然違うように感じる。

 今の若い世代はオタク文化に寛容だ、と三木氏は語るが、彼の考える想定の読者とは若干ステレオタイプで、三木氏の中高生時代のオタク観が強く反映されているように思える。

 「彼はいじめられているんですね。学校が大嫌いで、クラスメイトも嫌いなんです。で、いつも図書館に逃げ込んでいる。そんな彼が楽しんでくれる物語を常に僕は求めています」

 だから自分の関わる物語にはカタルシス持ちたい、とのことなのだ。

額賀澪の書いた初期の作品は必ずしもカタルシスのある、分かりやすく言えば、「苦労やピンチを乗り越えて、勝利をつかむ」といったラスト迎える内容ではない。厳しい現実を突きつけるもの、だそうだ。

 それは、三木氏の考える想定の読者に届ける内容とは異なるということだ。

もちろん額賀澪と三木氏は今回、初めて会ったわけで、作家と担当編集者という関係性ではない。三木氏は額賀作品の想定の読者を考える立場にはない。けれど、額賀澪は三木氏にマーケティングの筋をきちんと通しているのか?と問い詰められている気分となっている。

 

スター書店員

  2人目の取材先として、東北のとある書店の店員が選ばれている。この「さわや書店」は2016年頃より、特異な文庫本の売り方として全国に飛び火した「文庫X」の発祥の地でもある。

 額賀澪に同行する編集者、ワタナベ氏はさわや書店の松本氏に直球の質問を投げかける。

「ぶっちゃけ、今の日本に苦しくない書店なんてないと思うんですよ」

「儲かってるし未来に不安もありませんっていう書店があるなら行ってみたいですよ。地球の裏側だって行きますよ」

わかってはいたけれど、あまりにもストレートな物言い。書店に未来があるなんて誰にも思えないし、将来のことなんてまともに考えられない、これが斜陽の産業に関わるものの正直な思い、ではないだろうか。そして業界にいる人間はその答えを避けつつ日々を過ごしている。

 この問いかけに対し、さわや書店の松本氏はこう返す。

 「僕も長く本屋やっていますけど、書店って昔は情報収集の場だったんですよね。本が情報を得るための重要な手段だった。もうこんな話、聞き飽きたでしょうけど、ネットとかスマホとかがこれだけあふれてれば、書店はもう情報収集の場じゃないんですよ。だから<<情報収集のその先>>が、さわや書店のコンセプトなんです」

 ひとつ面白いと思ったことがある。松本氏の話の中で、ネットとスマホが並列であるかのように語られていること。普通に考えるとレベル感をあわせるため、こういった言い方はしない。ネットという広大な世界があって、そのデバイスのひとつとしてスマホがある、というのが一般的というか、おっさんの感覚では正しい。けれど、ネットとスマホという言い方が、今の時代にあった、正解に近い物言いんだろうな、と思う。

 そんな正しい感覚を身につけた人が書店の進むべき道として「情報収集のその先」をコンセプトとしてとらえている。

 

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ウェブ、メディアミックス、表紙

 「拝啓、本が売れません」の著者である額賀澪は、WEBコンサルタト大廣氏、映像プロデューサー浅野氏、ブックデザイナー川谷氏と出会い、どうしたら本が売れるのか?の答えを徐々に掴んでいく。それはWEB上の展開からの認知であったり、映像化までの近道であったり、既存からの脱却であったりする。

 

 特にブックデザイナーの川谷康久氏については、印象的なブックデザインをおこなっているので見ていただきたい。

 見ていただくと気がつくことがあると思う。

 ↓ 

 

 この記事の一番上に戻っていただいて「拝啓、本が売れません」の表紙を見ていただければわかると思うが、この著書の表紙は川谷康久氏が担当している。 

なるべく巻き込む人を多くする作戦

 額賀澪はまるでRPGでパーティをふやしつつ冒険をする勇者のようである。

 「拝啓、本が売れません」は「なるべく巻き込む人を多くする」作戦が採用されている。著者はお供に編集者を従え、各地に飛び回り、たくさんの人に出会い、知恵を、勇気を、多くの味方を、様々な武器を得ていく。

  その結果として、この「拝啓、本が売れません」が出来たということになる。カバーデザインは最後に出会った川谷康久氏が担当している。

タンスの角に足の指をぶつけちまえ

 私には嫌いな言葉がある。「死ね」というやつだ。

この呪詛の言葉を誰かに向けて言ったとする。その相手が、どんなに嫌いな相手であったとしても、仮に、何かの間違いで死んでしまったとする。もちろん、私の言葉にそんな力はない。けれど、それは最高に寝覚めの悪い状況だろう。

 そんな気持ちの悪い状況を避けるために、「死ね」なんて言うべきではない。けれど、腹が立つことがある。どうしようもなく腹立たしいという人はいる。その状況のための代替の言葉として「タンスの角に小指をぶつけちまえ」という地味な不幸を願うことは、決して悪いことではない。

 額賀澪は語る。

「毒なら持ってますよ!人より多めに抱え込んでますよ!朝井リョウさんと住野よるさんの本を書店で見かけるたびに『タンスの角に足の指ぶつけちまえ」と思ってます」

 なんでも朝井リョウがデビューした時の小説すばる新人賞に応募して一時落ちしたそうだ。住野よるについては、デビューが一週違いで、気がつけば「君の膵臓を食べたい」がベストセラーとなり差がついたことを意識しているとのことだ。

 また自身のデビュー数週間後に又吉直樹が「火花」で芥川賞を取ったことを、印象的な出来事として語っている。普段本を読まない人が書店に来ることになるきっかけとなった、と。

 これが「なるべく巻き込む人を多くする」作戦の原風景となっている。

 

「拝啓、本が売れません」感想とまとめ

 マーケティングを取り扱う書として考えた時にこの書はかなり優れている。

「世界一わかりやすいマーケティングの本」という帯をつけて書店におけば良いと思う。

 ただし、この書はマーケティングを語った書としては優れているが、この本自身のマーケティング戦略については失敗しているかもしれない。

 

 「拝啓、本が売れません」にはいくつかの仕掛けがある。

 表紙のカバーデザインについてはかなり斬新だ。

 また、巻末に文藝春秋社より2018年6月頃に刊行予定の「風に恋う(仮)」の冒頭部分が特別付録として収録されている。冒頭部分と言っても、かなり長く一章まるまるという話だ。他社より刊行される小説の一部が先行して掲載されるというのは異例ではないだろうか。

 

 ところで、この特別付録を読んだ感想としては、私(おっさん)は著者が考える想定の読者ではないな、ということだ。

 確かに思えば、この書の中で、何度も何度も著者自身が「ゆとり世代」であることを強調している。私は当該の世代ではないため、なんだか痛々しいなという感想を抱いていた。

 何故、この人は自分をカテゴライズして語るのだろうかと。いや、もちろん笑いを誘うためだとは思う。おそらくは同世代感で共有されるべき自虐ネタなんだろうな、と思った。私と同様の感想をいだいた読者、他にもいるんだろうか。

 

 私が言いたかったことは、著者が想定した読者のもとにはこの本はあんまり届いていないんじゃないか、と。

 

 「本が売れません」という言葉に意味することは2つあるように思えて仕方がない。クリエイティブな側面としての悩みと、物販としての現実的な悩み。

 もちろん現実的には先にあげた二つが螺旋のように絡み合ったいるのは分かっている。

 私がこの書を手に取った理由としては、何かを販売したり、誰かを集客したりする手助けとしてこの本が何かの役に立つかもしれないと思ったからだ。そこには決してクリエイティブな側面はない。そしてある種、思っていたことに近い内容でもあった。

 でも、それはおっさんに刺さる内容だったんじゃないかな、と思った。

 

 あるいは、10代20代の読者は今回狙っておらず、おっさんを釣り上げようとしているなら、私はうまく釣り上げられたことになる。著者の掌の上でくるくると踊っていたことになる。 

 

 それとも、そもそも若い人がクリエイテイブな側面の物語や、夢のある物語を好むというのはおっさんの幻想なのか。

 

 

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