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壇蜜日記/壇蜜

あらすじ

 本書「壇蜜日記」は女優、タレント、グラビアモデルの肩書を持つ壇蜜が2013年秋から2014年夏までの期間について天気と自らの生活の一部をソリッドな文章で書き記した記録である。

 

壇蜜の時代

 確かに壇蜜の時代というものがあった。

それは広末涼子の時代とも、新垣結衣の時代とも、宇多田ヒカルの時代とも、石原さとみの時代とも意味合いが異なる。

 時代の中央に壇蜜がドカンと現れて壇蜜の時代が出来たわけでは決してない。なぜなら壇蜜には独特の日陰者っぽさが漂うからだ。

 結婚するべき正妻というよりは、愛人という言葉が似合う存在だ。いや、愛人と言ってしまうと少し印象が異なる。昭和のお妾さんと言ってしまったほうが、よりイメージにぴったりくる。

 

 壇蜜をもちあげたのは福山雅治だのテリー伊藤だの、ということになる。彼らが壇蜜は素晴らしいと取り上げなければ、壇蜜の時代なんてものは出来なかったはずだ。

 壇蜜がどんなにグラビアで着エロまがいのポーズを決めようとも、ヌードグラビアを発表しようとも、下着姿で妖しげな表情を見せようとも、福山雅治やその他芸能人、文化人たちが、壇蜜素敵じゃないか、といえば壇蜜の株は上がり放題に上がった。あれは本当に不思議な現象だった。 

壇蜜の唇

  黒髪、ルージュの利いた唇、そしてよく見るとスタイルが決して良いと言えないが、壇蜜には不思議な吸引力みたいなものが存在した。それはもしかすると中国人を思わせる芸名から由来しているのかもしれない。

 壇蜜は自らの色気の魅せ方に長けていた。多くの有名人を虜にした。結果として壇蜜は人気を獲得することに成功した。

 なぜ壇蜜が人気があるのか、もしくはあったのかと問われるとするならば、壇蜜の人気の理由はその独特の猫のような表情にあるんだとしか私には言えない。

才女としての壇蜜

  壇蜜は才女だ。それはこの「壇蜜日記」を読めばわかる。とてもソリッドで無駄のない文章で自らの私生活を切り取っている。けれど残念なことに自らの生活を切り取っているはずなのに、あまりにも見事に切り取られているために、生活感がまるでなく、むしろミステリアスさが増している。

 壇蜜の女優としての演技力が高いか低いかは私には分からないが、この文章の書き方、読み手との距離感のとり方はひどく演技をしていると感じる。演ずる人が書く文章としてはとても上手(うわて)だ。

 実家に帰った話題が何度かでてくる。けれど、そこには実家での安心感はまるでない。決してすべてを見せていない文章だ。ともすればすべて虚構かもしれない。

 

 文章の長さもちょうどよい。一文しか書かれていない日もある。

 ゴーストライターの存在を疑われない弾幕としては、適切なのかもしれない。

 

なぜ壇蜜日記の感想なのか

  ところで何故唐突に「壇蜜日記」の感想なのか、という話だが、スマホで自分のブロ負を最近見る機会があった。その際に「長過ぎる」と感じたから、少し短めの文章を差し込みたくなった、ということと、壇蜜日記を最近読んだから、ということにほかならない。特にそれ以上の理由はない。以上。

 

 

「嘘喰い」最終回は打ち切りなのか問題

趣旨説明

このエントリは、当ブログ「vs.おすすめ」へ検索エンジンから多数流入してくる「嘘喰いの最終回は打ち切りエンドだったのでは」という疑問をお持ちの方々のために、私が作者迫稔雄または掲載誌ヤングジャンプに変わって勝手に個人的に妄想で回答をする文章である。

 

ご注意、ネタバレについて

 この文章では、嘘喰いの最終回付近の流れについてある程度書いてあるので、それをネタバレと捉える人がいると考える。

 もし、まだ嘘喰いがどのようなラストとなったのかご存知なく、なおかつ自分で嘘喰いの最終回について読みたいと考えている方は、どうかもっと別の楽しいブログなどを御覧あれ。

結論

 長く色々と書いてもアレなんで早々に結論を書く。

 打ち切りとかそんなワケあるか。

 物語初期に提示されたこのストーリーの最終到達地点である「屋形越え」を斑目貘は完遂し、なおかつそこまでに登場した相手勢力とはキチンとケリをつけているし、最終シリーズの「ハンカチ落とし」についてはコミックスに「Climax(クライマックス)」とまで明記されている。やりたいことはすべて余すところなく書ききった上で最終回を迎えたと考えるのが普通だ。

 もちろん作者の迫稔雄が、この物語の最終回以降のストーリーを改めて構築したくなる可能性はある。また実写化の話もあるという。ので、何らかの理由により再開をしたり、続編を書いたりするということはあると思う。が、いったんは綺麗に物語としてクローズさせた。終了をしている。理由は、書くべきことを全部書いたから、だ。

最終回までの嘘喰い

 書くべきことをすべて書いた、といったものの、 嘘喰いはハンカチ落としの勝敗が決した後、斑目貘が倶楽部「賭郎」の新しいお屋形様になったところで、即、最終回を迎えているわけではない。

 世界的をまたにかけるような「ヴァイスファンド ヴィゾーム」「国民解放戦線 アル・ヒーブル」「知性至上主義団体・メイソープ協会」、「ロシアンマフィア ヴィ・ザゴーネ」、「国際クラッカー組織 ノーフェイス」、「秘密結社 ダロウギアクラブ」、「マランドラジェン・カルテル」と怪しげな組織を多数登場させている。

 けれど、彼らは紹介程度に、蛇足的に登場しただけで、さらっとふれられただけで最終回となっている。

 嘘喰いは打ち切りでは?という話が盛り上がっている原因はここにあって、次に争うべき登場人物が用意されているのに、彼らとの闘いがないのはおかしい、という話なんだろう。

 

南を甲子園に連れて行って

 

 ところで皆さんはタッチの最終回をご存知か。

 タッチは非常に少年漫画としては素晴らしく「南を甲子園に連れて行って」のキャッチフレーズで物語の目的を明確にしている。

 この物語のタイトルが何故タッチなのか?ということに対して作者のあだち充は「バトンタッチ」のタッチだと説明しているそうだ。事実、「南を甲子園に連れて行って」が物語の主旋律と捉えるならば、この目的は双子の弟上杉和也から、双子の兄貴上杉達也にきちんと継承されている。つまりバトンタッチされている。

 タッチという漫画が上杉達也上杉和也からバトンを引き継ぎ、浅倉南を甲子園に連れて行く物語である以上、3年の夏の大会地区予選決勝の最終回、須見工の新田明男を三振に切って取ったところで、語られるべきことはほぼ無くなっている。あとはグランドフィナーレを迎えるだけだ。

 けれど、タッチはここですぐには終わらなかった。上杉達也の前に、甲子園出場することになる怪物だの好打者だのが登場をする。もし、ここであだち充が今風の漫画のように彼らとの対戦を熱心に書いたとしたらタッチは名作と呼ぶにふさわしい漫画ではなくなっていた可能性すらある。

 タッチがすぐに終わらなかった理由は上杉達也の甲子園での奮闘を書きたかったからではない。もう一つ残されていた、ストーリー上のやり残しを解決するためだ。

 「南を甲子園に連れて行って」をこの物語の目的と書いたが、それは漫画の成り行き上提示されている目的であって、真の物語の目的はそれではない。

 そのやり残しとは、タッチの中で「南を甲子園に連れて行って」が名言であるとするならば、それと同じくらい物語にとって重要なセリフ「上杉達也浅倉南を愛しています」を朝倉南に伝えるためだ。

 タッチの最終話では、前回の甲子園入場行進のシーンから、一気に季節が秋へ跳ぶ。上杉達也の本棚には甲子園優勝の盾がひっそりと置かれていた。甲子園での試合内容は一切書かれなていない。

 タッチの最終話を読んだ読者が、甲子園での上杉達也の投球が書かれていない、という理由で、タッチが打ち切りだったという言い出すだろうか。それはないはずだ。

 

 ところで、タッチはそもそも野球漫画じゃなくて恋愛漫画だ、という話のまとめ方は嫌いだ。タッチは私の中では純然たる野球漫画だ。特に上杉達也が2年生の時に、甲子園地区予選において勢南高校戦で西村勇相手に投げ合いノーヒットに抑えながら試合に負ける展開などなかなか他の野球漫画でも出来ない見どころある内容だったと考えている。

世界平和と斑目

  何故タッチの話だったのかと言えば、物語として提示されていた目的が達成された後に新たに出てきた登場人物は、新章突入の証なのか?彼らは物語において消化するべきターゲットなのか?いや違うだろと言いたかっただけだ。

 本来はここで「SLAM DUNK(スラム・ダンク)」の話もしたかったけれど、それはやめた。だいたいにおいてスラム・ダンクは赤木キャプテン曰く「全国制覇」が目的であり、主人公の桜木花道の筋としても赤木晴子と交際することが目的だったようにも思えるので少年漫画としては未完成であるいったら言い過ぎか。けれど山王戦で、漫画としてはすべてを出し切って書くべきことが何も無くなってしまったことは事実にも思えるし、続けたとしても、ライバルの顔の造形的にも考えても限界だったようなので、良い終わりどころ、終わり方だったと私は思う。

 

 ここで「嘘喰い」に話を戻す。

嘘喰い」は得体の知れないギャンブラー斑目貘の物語である。その斑目貘には、何人かの協力者がいる。梶隆臣であり、マルコであり、賭郎の立会人である夜行妃古壱である。その専属立会人夜行妃古壱が斑目貘にひとつの質問をしている。それは倶楽部「賭郎」のお屋形様になって何をするのか?という問いだ。斑目貘はこう答えている。

 「世界平和」

 斑目貘は世界平和を目指している。これは物語の中では冗談なのか本気なのか私には判別がつかなかった。屋形越えを終えた後に、世界的な悪の組織が登場したのはこの流れだろう。倶楽部「賭郎」のお屋形様になるということは手段であって、目的ではないという考え方も出来るだろう。

 もし、この「世界平和」を本気と捉えるならば、確かにまだ物語は志半ばと考えることも出来る。ただし一つ問題がある。「世界平和」という言葉は抽象的すぎる概念だ。なのでこの言葉を噛み砕いてわかりやすく伝えるための存在が「ヴァイスファンド ヴィゾーム」である。これと斑目貘はギャンブル勝負をする。といったストーリー仕立てだ。

 けれど、やはり世界平和は冗談なんだ。もしくはまだ冗談とも本気とも判別のついていない場所にある言葉なんだ。だからここで物語は一度フィナーレを迎えます。が、正しい解釈ではないかと考えている。

迫稔雄の新連載「バトゥーキ」

 

 先々週のヤングジャンプより迫稔雄の新連載が始まっている。内容は「嘘喰い」の続編、ではない。

 新連載のタイトルは「バトゥーキ」。主人公の三條一里は物語が始まった現段階では女子中学生だそうだ。

 「バトゥーキ」というこの作品のタイトル名で検索すると、現在では途絶えているブラジルの格闘技の一種の情報が見つかる。この「バトゥーキ」はカポエイラ(もしくはカポエラ)の一種で共通する部分も多いがより攻撃的でアフリカ的な要素が強いとのこと。この「バトゥーキ」と本作の作品名「バトゥーキ」が同じ意味なのかは分からないが雰囲気として何らかのイメージを共有していることは間違いない。

 ちなみにブラジルの格闘技の「バトゥーキ」のつづりと今回の新連載の「バトゥーキ」の表紙にある英字表記は「batuque」で同じだ。

 この文章を書いている時点では、今作「バトゥーキ」は2話まで話が進んでいるが、物語がどんな目的を持ち、どのように展開するかは現在のところ想像がつかない。

 主人公のJCが成長して倶楽部「賭郎」の立会人となる葵新伍キャプテン翼)方式の展開も可能性としてはありえるが、まったくもって今後の展開は不明。

 ところで迫稔雄の新連載とはいっさい関係ないが、バトゥーキの連載が始まった号のヤンジャンの表紙を飾っている宇垣美里アナウンサーの顔が可愛いと思う。

 

 「宇垣美里アナウンサーの顔は可愛いと思う」この文章をもって嘘喰い最終回は打ち切りだったのか問題について締めの言葉にしたいと思う、以上。

 

 

 

 

イーロン・マスクの時代とシヴィライゼーション レボリューション

あらすじ

 このエントリは私が最近面白そうだと感じた書籍のタイトル「イーロン・マスクの世紀」について、なぜそのタイトルが面白そうかと感じたかということをイーロン・マスクという人物には一切ふれずに書かれた文章である。

 

 

イーロン・マスクの世紀

 少し前の文章でイーロン・マスクの世紀という本が気になっていると書いた。(→link)

気になっている理由の一部として書店に行けばイーロン・マスクに関する書籍が少なからず出版されているし、その他色々なメディアにてイーロン・マスクの名前が取りあげられている。彼は時代の寵児であり、21世紀のを読み解く上で重要な存在であることは間違いないようだ。けれど、私がこの「イーロン・マスクの世紀」のタイトルに惹かれる理由はそこにはない。イーロン・マスクの功績にも人望にも可能性にも興味がない。興味があるのはただただ一点、その後に続く「世紀」という言葉についてだ。

 どうやら私は「○○の時代」とか「○○の世紀」とかそういった言葉に大変惹かれる性質のようだ。

メッシの大会、クリスティアーノ・ロナウドの大会

 たとえばサッカーワールドカップが始まる前にサッカーファンたちは毎回言い出す。「今度のワールドカップはメッシの大会になる」「いや、クリスティアーノ・ロナウドの大会」になる。素晴らしい、4年に一回の世界的な大会が一個人の名前によって記憶されるような印象的な大会になるであろうと彼らは言うのだ。

 事実、マラドーナが準々決勝のイングランド相手に「神の手」と「5人抜き」で2得点を叩き出し、決勝で西ドイツを破った1986年メキシコ大会はディエゴ・マラドーナの大会と言って差し支えないだろうし、ジダンマテラッツィに頭突きをして退場となった2006年ドイツ大会は拡大解釈すればジダンの大会と呼んでも良いだろう。そんなワールドカップが過去にはあった。

 けれど残念ながらメッシの大会もクリスティアーノ・ロナウドの大会も現実のものとはならなかった。彼らはサッカーの才能に溢れてはいたが、ワールドカップという大きな、巨大な器では、彼らの名前を冠するほどの活躍はかなわなかった。

イチローの時代、羽生善治の時代、武豊の時代

 時代の寵児となるような活躍をする人物には、あとから考えると○○の時代と呼べるような圧倒的な期間といったものが存在する。

 7年連続で首位打者を取り、メジャーリーグへ移籍してしまったからという理由で、その記録が途絶えてしまったイチローや、年間100勝すると一流ジョッキーと呼ばれる中央競馬会で3年連続200勝という前人未到の記録を打ち立てた武豊や、七大タイトルを同じ年度で全制覇した羽生善治はそのジャンルの枠組みすら飛び越えて、それぞれ大きなムーブメントを作り出した。実際にイチローの時代とか、羽生善治の時代とか、武豊の時代とか呼ばれていたかどうかは別にして、彼らの時代は確実に存在した。そして私のはこの言い回しが好きだ。

 この3人にはある種の共通点がある。それはこの3人は、それぞれの自分たちの活躍しているフィールドを大きく広げている。時代を作る人物にはそういったスケールの大きさが必要だと私は感じている。

マルコポーロの時代、アインシュタインの時代

 今から10年位前にニンテンドーDSをはじめとして、各種TVゲーム機向けにパソコン用ゲーム「シヴィライゼーション」が簡易版として移植された。それが「シヴィライゼーション レボリューション」となる。

 このゲームをざっくり説明すると一つの文明をプレイヤーが選び、テクノロジーを発展させ、軍備を整え、外交を駆使し、金銭を貯め、勝利条件を満たし勝者を目指すシミュレーションゲームだった。

 選ぶ文明により初期のテクノロジーやユニットの特性、政治体制などが異なり、それをもって大陸の覇権を競う内容となっている。

 このゲームをプレイしていると時折、偉人が登場する。それはレオナルド・ダ・ヴインチだったり、マルコ・ポーロだったり、アルベルト・アインシュタインだったりする。彼らを利用することによりテクノロジーを進化させたりすることが出来る。こうして時代を進め、何かを獲得し、最終的にはいずれかの勝利条件を満たすことによりエンディングを迎えると、最後にリプレイを見ることが出来る。それは、どのように大陸の覇権が切り替わり、領土がどのように塗り替わっていったかを見ることが出来るモードだが、この時に偉人を使いボーナスを得ていたりすると「○○の時代」具体的には、「マルコ・ポーロの時代」「アインシュタインの時代」のように表示される。これをぼんやり眺めることが私はシビレルくらい好きだった。シヴィライゼーションというタイトルはここからきているのではないと思うくらいに心痺れる瞬間だ。

 「シヴィライゼーション レボリューション」は選ぶ文明によってプレイスタイルが異なってくること、勝利条件が4つくらいあること、シナリオが複数あること、プレイのたびにマップがランダム生成のこと、などにより、比較的何度でもプレイ出来るゲームだった。結果、私はかなりの回数プレイしている。

 たくさんある文明のうち、初期からガレオン船の持てるスペイン、独特な使用感のあるモンゴル、海を最大限利用できる日本、騎馬の強いアラビアあたりが特に好きで繰り返し、繰り返しいくつも様々なパターンでプレイしていた。

 ただし概ね道筋は決まっている。テクノロジーをぶんぶんと偉人によりスキップさせ戦車を量産、そのまま大陸を何らかの形で制覇。最後のリプレイ画面で「ナイチンゲールの時代」だの「アルキメデスの時代」だのをぼーっと見ることになる。おそらくは私はこの時に「○○の時代」という言葉を強く刷り込まれたんだと思う。 

もう一度イーロン・マスクの世紀

 

 イーロン・マスクについて私は何も知らない。けれど「イーロン・マスクの世紀」という非常にスケール感のあるタイトルに私は惹かれている。

 だってそうじゃないか。時代どころか、世紀だぞ。そんな存在はそうそう、いない。

 「シヴィライゼーション レボリューション」の中ではとにかくテクノロジーを加速度的に発展させることが勝利への近道となっている。

 イーロン・マスクは過去の偉人たちと同様に加速度的に何かを進める存在に違いない、私はそんな風に感じている。

 

 

面白そうだなと思った本2018年7月版

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あらすじ

 このエントリは私が書店をフラフラしている時に表紙を見て単純に面白そうだと感じた本を、冗談50%真面目30%勢い20%で、直感のみでコメントをつけている非常に内容のない文章である。

じみべん

 

 書店を歩いていて私の目に飛び込んできた文字、それが「じみべん」である。

 正しい書籍のタイトルは「つくおきのじみべん」。

 「じみべん」とは何かということなのだが、見た目が茶色っぽく地味になりがちだが、それを飽きさせない工夫を凝らした作り置き弁当。しかも5日分を週末に準備するレシピ集というのが本書の趣旨らしい。

 伝説のロックスターにジミヘンというギタリストがいる。1970年9月に亡くなっているのであと数年で没後50年になる。この著者がジミヘンのことを知っているかどうかは不明だが、「ジミヘン」と「じみべん」を掛けたタイトルなのだろうか。それとも「じみべん」というタイトルが単純にキャッチーに感じたのだろうか。

 「地味な弁当」をコンセプトに著書を作り、売っていこうという著者と出版社の野心には脱帽である。

 ただ、この「つくおき」はシリーズとして累計100万部を突破しているそうなので、左利きのギタリストの名前をもじったりするお遊びが出来る余裕がある人気シリーズということなのだろう。

 

ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。

 

 なかなかに強烈なタイトルである。

ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のことを教えてくれた。」

 あまりにも唐突すぎて呆然とした。

 「17歳の私」にと書いてあるからにはおそらくターゲットが17歳周辺向けの哲学書をわかり易く説明した本、ということになると思う。が、よくわからないのは京都の部分。京都であることは何らかの意味合いがあるんだろうか。興味深い。

 また、わかりやすさを追求していくためには仕方ないとは言え「17歳の私」とはずいぶんド直球の対象者の絞り方で、あまりに説明的で、その直接的な表現方法に度肝を抜かれた。

名将への挑戦状 ~世界のサッカー監督論~

 

 サッカーの監督論である。著者はヘスス・スアレス

 もちろんこの著書を書いているスアレスは、ウルグアイ代表で試合中に相手選手に噛み付くフォワードのルイス・アルベルト・スアレスのことではない。

 著者のヘスス・スアレスはスペインの州リーグでプロ経験のあるサッカー・ジャーナリストであり、コラムニスト。その彼がサッカー界の名監督を切りまくった内容。

 出版そのものが2011年であるため若干古いが、それでもここで取り上げられているのはグアルディオラカペッロデルボスケモウリーニョベンゲルビエルサカマーチョなど13名。

イーロン・マスクの世紀

 

 私はイーロン・マスクについて何も知らない。

 もちろんPayPalの共同設立者であるとか、南アフリカ共和国出身であるとか、テスラモーターズの取締役会長兼CEOであるとか、宇宙関連事業をスペースX社で推進しているとか、ホリエモン堀江貴文)がことあるごとにイーロン・マスクの名前を出すとか、そんな細部は知っている。けれど、そのどれもがバラバラ過ぎて、断片過ぎて、結局私にはひとつのストーリーとして繋がっていない。

 そんな中、書店で見たタイトルが「イーロン・マスクの世紀」である。世紀って。世紀をを代表する人物とはどんだけ偉大な人物なのか?という問いが私の中には残る。

 イーロン・マスクに関する書籍は他にも多数出ているのでいつか読みたいと考えている。

デムーロ&ルメールで毎週焼肉を食べる法

 

 世界がイーロン・マスクの世紀であるならばJRA(日本中央競馬会)はデムーロルメール時代である。彼らが出走するレースで彼らに逆らうのはもはや愚策である。

 そんなデムーロルメールの得意・不得意などを調査/網羅した騎手本である。

 彼らはあまり人気を裏切ることもなく、不人気馬で穴をあけるという、競馬ファンにとっては神のごとき存在ではある。

 けれど、競馬ファンはデムルメという大雑把なくくりでまとめて、ともすれば競馬は外人騎手を買えば儲かるとかなりざっくりとした言い方をする。そんな競馬ファンへのカウンターパンチ。

 それをわかりやすい欲望、というかゲスい言葉、「毎週焼き肉を食べる法」と表現したなかなかの良タイトル。 

 

なす、大量消費

 
 
 ナスとは大量消費されるべき存在なんだろうか?私の頭の中に疑問が浮かぶ。
 やはりこのムック本も「作りおき」をテーマとしているレシピ本だ。レシピ本界では「作りおき」は大注目ワードなんだろうか。
書店のレシピコーナーへ行くと「作りおき」に関する書籍が山のように並ぶ。その中で他の書籍と違ったバリエーションを求めて、この書では「ナスの大量消費」をテーマとしたのだろうか。その理由はわからないけれど、インパクトは絶大である。

 

実録"気づくだけ"ダイエット

 
 すごい。気づくだけでダイエットが出来る。これはあまりにも画期的だ。
 
 何が画期的なのかを説明したい。

 内容としてはアマゾンは検索エンジンとしても有効であると考えたが、そうでもなかったという話だ。

 けれど「ダイエット」というキーワード検索をかけるとそこそこ面白い検索結果となる(→link)。

 それは「きゅうりを食べるだけ」のダイエットであったり、「体質改善」によるダイエットであったり、「1日2分跳ぶだけ」のダイエットであったり、「1日3分スクワットをするだけ」で痩せるダイエットであったり、「糖質制限」ダイエットであったり、「皮膚をねじる」ダイエットであったり、とにかく1日5分とか、1日10分とか、1日30秒とか色々なものが踊っている。

 革命じゃないですか。ダイエットの革命。xxしか食べないとか、1日xx分何をしないといけないとか、xxを制限するとかすべて些細なこと。気がつくだけでダイエット。何もかも超越している。

ブランドのコラボは何をもたらすか

 

 いつのころからかコラボーレーションが熱い。特に強いブランドと強いブランドの強烈なコラボレーションが熱い。

 私が昔よく行っていた回転寿司屋にはカニコラボというメニューがあった。今思えばなにがカニのコラボなのかよく分からないけれど、それはそれとしてコラボレーションはうまくやらないと魔法は生まれない。

 例えば「マジンガーZ VS デビルマン」とか「ドカベン VS 野球狂の詩」であれば作者がおなじためバランス感覚などに手心を加えるのは容易なことだ。けれど、まったく文化の異なるブランド間でのコラボレーションはそういったわけにはいかない。

 そういった意味で午後の紅茶とポッキーのコラボレーションの内情に迫る本書は興味深い。

 

小売再生 リアル店舗はメディアになる

 

 最近読んでいるいくつかの本が何故か最終的にコンビニのことを語っている、といった場合が多い。不思議なことに、小売において消費者の利便性を追求していくと、結果としてコンビニにたどり着くのだろうかというのが、最近の私の疑問だ。

 そんな中で見つけたのが本書になる。

商品開発という点では他のコンビニに大きく遅れを取っているファミリーマートの店内にいるとたまに不思議な放送が流れている。ファミマオリジナルのラジオ放送だ。比較的有名な芸能人などがDJを務め、ファミリーマートと自分の結びつきを語る。本書で語られているメディア化と関係があるか、ないかはわからないが、確かにこういった試みを行っているチェーン店はいくつかある。

 店舗はメディア化する。これは不思議なキーワードではない。

 実際、書店や雑貨店、飲食店に置かれている商品の売れ筋ランキングなどは購買行動に大いに結びついていると考えても良いと思う。

 リアル店舗とメディア化ということは同居が容易に想像される組み合わせと私にも思える。

 

ちょっとドキドキする女の子の仕草を描くイラストポーズ集

 

 私はイラストを描いたり、デザインをしたりしない。なので書店の絵を書く人のためのコーナーに入った時に、この手の種類の本がたくさんあることに驚いた。

 それは別に悪い意味ではなく、いろいろなポーズ、仕草、構成を書くためにもプロもしくはプロになりたい人はたくさんの資料を元に探求しているということにとても感心した、ということだ。

作画のための 戦う和装男子ポーズ集

 

 女性の仕草、ポーズ集だけだとアレなのでバランスをとって男子編。しかも戦う和装男子ポーズ集とかなり突き抜けてマニアックな感じで。

 一般的に女性向けは刀剣乱舞に限らず、例えば新選組関連などもかなり一般的なので創作をやる方には受けたりするのでは、ということ。

 実際にどれくらい売れているのだろうか。

高校野球は親が9割

 

「人は見た目が9割」とか「伝え方が9割」とか定番の9割本もあるが、最近ではとにかくなんでも9割と書かれた本がブーム。(→link)

 そんな中、登場したのが「高校野球は親が9割」。受験とかならまだわかるが高校野球まで親が9割といってしまうとさすがに言い過ぎでは?と感じるタイトル。

BAILA 2018年7月号

  私は自分が普段興味のないジャンルの雑誌の表紙を眺めることが大変好きだ。特に興味深いのが女性向けのファッション誌。この雑誌BAILA(バイラ)はもちろん一度も読んだことはないけれど、雑誌の特集として「着回し」という言葉をどーんと出してくる飾らないスタイルがとても素敵だ。これがティーンから20代前半向けの雑誌であるならば、もっとキラキラした言葉を使って、決して現実的なことを想起させたりしない。その意味において対象年齢が少し高いんだろうなと想像している。

まとめ

 面白そうだなと思った本を集めてみた。ただし、それ本当に読みたいのかよっ、出落ちじゃねえか、みたいなものが含まれてはいるけれど、私的にはやりきった感があるのでこれはこれで有りと感じている。

狂気の左サイドバック/一志治夫

あらすじ

 本書「狂気の左サイドバック」はサッカー日本代表にすべてを捧げた男・都並敏史が「ドーハの悲劇」に至る過程で、その裏側でどのよう闘い、どのように苦悩し、そして彼および彼らが何故敗れたのかを記したノンフィクション作品である。

 

少し長い前置き(FIFAワールドカップロシア大会)

 この文章は'18サッカーワールドカップロシア大会の最中に書かれたものである。

 もっと詳しい時期を記述しておくとグループリーグ一試合目のコロンビア戦に2-1で

勝ち、次のセネガル戦、ポーランド戦を控えている時期の文章となる。

 現在までのサッカー日本代表をとりまく状況について書いておくと、サッカー日本代表アジア最終予選でオーストラリア代表を破り、予選第一位で本大会出場を決めた。その後、W杯が始まるわずか1ヶ月前に代表監督であるヴァヒド・ハリルホジッチ日本サッカー協会はコミュニケーションの理由という、不可思議な理由で解任し、西野朗技術委員長を新監督に迎え、ロシア大会本戦に挑んだ。

 もともとハリルホジッチ時代も高い評価ではなかったサッカー日本代表ではあったが、監督解任騒動によりその人気は地の果てまで落ちた。今回の監督解任の本当に理由については、一部の噂としてハリルホジッチ前監督が代表選出に際しスポンサーから熱く支持されているベテラン選手を選ぼうとしなかったため、日本サッカー協会の逆鱗にふれ、スポンサーに対する忖度(そんたく)した結果のことではないか、とまで言われている。その結果、口の悪いサッカーファンやスポーツ新聞からは「忖度ジャパン」というありがたくない呼称を彼らに与えた。

 事実、NHKの人気番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」の中で、日本代表の背番号4番を背負う本田圭佑は、ウクライナ戦ではハリルホジッチ監督の期待すること(縦パスと裏へ回る早い展開)をあえてやらなかった、後ろへボールを回して攻撃を組み立てようとしていた(そして得点も勝利も出来なかった)、という構成で語られていた。

 直接的には本田圭佑自身の言葉として「ハリルに全て服従して選ばれるのは恥ずかしい」とまで言い切った。

 一般的にハリルホジッチはデュエルと早い縦パスを主なキーワードに戦術サッカー、具体的には相手の長所を消すようなショートカウンターのリアクション・サッカーを行うと考えられていた。一方、本田圭佑が主張するいわゆる「俺達のサッカー」はポゼッションによって相手チームを崩すパスサッカー、これでなければ本戦で勝ち上がっていくのが難しいと本田圭佑は言う。

 「マイアミの奇跡」でブラジル代表を破った西野朗監督を新監督として迎えたサッカー日本代表は、直前の練習試合ではガーナとスイスには敗戦を喫するものの、パラグアイ戦でなんとか勝利をつかみ、コロンビア、セネガルポーランドとの本番を迎え、結果として日本サッカー協会は賭けに勝ったようにも見える。

深夜のラジオCM

 本書「狂気の左サイドバック」はドーハの悲劇(1993年10月28日)の翌年、一志治夫の取材をもとに書かれた作品である。つまり90年代前半に書かれ出版された書籍ということになる。この作品は第一回小学館ノンフィクション大賞を受賞しており、小学館から出版されている。

 なぜ今さら「狂気の左サイドバック」を取り上げてるのかといえば、それは私の脳みそにへばりついた薄暗い記憶を洗い落とす作業に他ならない。

 当時、私は部屋を真っ暗にして深夜のラジオを聴くことが好きで好きでしょうがなかった。その時、深夜のラジオ番組の合間に「狂気の左サイドバック」のCMが何度も何度も繰り返し、流されていた。ちょうど23時から深夜1時くらいまでの時間帯だっただろうか。深夜にひっそりとこだまする「狂気の左サイドバック」というタイトルはあまりにも不気味で、何か狂気を含んだ事件を扱っている物語のようにしか考えられなかった。さながら「ドーハの悲劇」の裏側で猟奇的な殺人事件が起きていたようでもあった。

 この深夜のラジオCMはノンフィンクションの単行本を売るよりは、ピンク・フロイドのアルバムを販促することに向いている出来栄えに私は感じた。

 今にして思えば創設されたばかりのノンフィクション大賞受賞作品を小学館が必死に盛り上げたいという意図があったのだと思うが、しかし「狂気の左サイドバック」というタイトルと、深夜のラジオCMは不気味さを増すばかりであまり効果があるようには思えなかった。

 その殺人事件ではないであろう、ノンフィンクションの物語を20年以上経過した2018年のロシアワールドカップ大会中に読もうというのがこの文章の趣旨だ。

都並敏史少年とサッカーマガジン

 「狂気の左サイドバック」とはつまり、ワールドカップアメリカ大会アジア最終予選でついに試合に出場することの出来なかったサッカー日本代表サイドバック都並敏史の異名であり、苦闘の物語である。

 この物語の冒頭、都並敏史サッカー日本代表に愛を捧げる少年として描かれている。日の丸をとにかく愛し、ありとあらゆる持ち物に日の丸をつけ、日章旗を持参で代表の応援に行き、中学生時代はともすると「右翼」との揶揄をされるほどだった。

 もちろん都並は日の丸が好きだったわけではなく、サッカー日本代表の虜ということだった。けれど、それがすなわち彼にとって日の丸をまとう、ということだった。

 そんな都並のバイブルが月刊サッカーマガジンだった。競馬関係者が、ダービーの日に一年が終わり、ダービーの翌日から新しい1年が始まるというように、都並にとってはサッカーマガジンの発売日である毎月21日が起点だった。日の丸小僧・都並少年にとってはサッカーマガジンの発売がすべての座標軸の中心だった。

 都並敏史が初めてサッカーマガジンにのったのは高校生三年の時のことだ。

 日本で最初に発足した本格的なサッカークラブ、読売クラブに所属していた都並は、高校三年の終わりにはスルスルとトップチームへ昇格した。そう、プロになったのだ。

ハンス・オフト

 都並敏史は日本代表として、’82ワールドカップスペイン大会、'86ワールドカップメキシコ大会のアジア予選に代表サイドバックとして参加するものの本大会の出場は叶わず、'90ワールドカップイタリア大会には代表メンバーとして招集されることもなかった。もっとも元日の丸小僧である都並敏史は日本で行なわれた代表戦はすべて観戦したそうだ。

 もはや代表に縁がなくなてしまったかと思った都並だったが'94ワールドカップアメリカ大会予選の代表メンバーとして招集をされた。

 その時に監督となったのがハンス・オフト。オランダ生まれの元フォワード。外国人としては初の日本代表監督となった。日本サッカーリーグ時代のコーチ、監督を経験するなどもともと日本とは縁のある人物だった。

 

 オフト・ジャパンは決して順風満帆な出だしというわけではなかった。

 日本代表の主将、柱谷哲司はオフトが自分たちをレベルの低いものとして扱っていると感じていた。事実、ハンス・オフトの行った指導はヨーロッパでは育成レベルで行なわれていたことだったとされている。オフトが日本代表監督となったときにはJリーグ開幕前夜の時代だった。つまり日本にはプロサッカーはまだない時代だった。

 

 日本サッカーの父と言われているデットマール・クラマーは60年代日本代表のコーチに就任すると代表選手たちにボールのパス/トラップの方法、インステップキック、インサイドキックといった基本技術から指導したと言われているが(それくらいに日本選手の基礎技術は低かった)、オフトもボールの蹴り方、フリーキックの蹴り方にまで口を挟んだ。この扱いに三浦知良ラモス瑠偉は不満を口にした。

 ハンス・オフトフリーキックの蹴り方に口出しをしたものの、自分でボールを蹴って見せるをことを最初の段階ではしなかった。これもカズやラモスの不満度を高める一要素となった。

 

 オフトが強い信念を持ち、彼が招集した日本代表選手たちといくどとなく、ぶつかり対峙したのは当たり前のなりゆきだった。

 なぜなら、当時の日本サッカー協会はアマチュアあがりの日本人監督にそもそも限界を感じ、世界と渡り合える強さを外国人監督に求め、その結果選ばれたのが、オフトだったのだ。監督に求められていたのは強い意思と強いリーダーシップと強い実行力だった。

三浦知良ラモス瑠偉

  ラモス瑠偉は当初、オフト体制に対してはっきりと批判的だった。そして主張をした。「もっと自由にやりたい。自分たちの思ったとおりにやりたい」

 三浦知良も良い気分はしていなかった。オフト・ジャパンとはつまり「スター選手はいらない」「エースはおかない」といった組織的なサッカーで、彼の目指すものとは一致しているわけではなかった。

 そんな中、都並敏史には不思議と反発心はまるでなかった。まずはグランド上で結果をだしたいとの思いが強かった。

 

 ラモス瑠偉三浦カズはオフトの選んだ代表選手の中では、圧倒的にプロ意識の高い選手であり、プライドの高い選手だった。これはおそらく現在の日本代表の選手のそれに近いものだと推察できる。自分たちのやり方、考え方で何かを成し遂げてきた選手ということだ。

 

 初期のオフトジャパンでのラモスや三浦カズの話を読むと、ハリルホジッチ解任までの日本代表で起きたことと何かが違っているようには思えない。ラモスや三浦カズのプロ意識とアマチュアリズムが同居するさまは、今の日本代表と本質的に同じように感じる。

 ところで、オフト・ジャパンは日本サッカー史の中で初めて自分たちよりも格上の相手に対して、きちんとパスを回していくサッカーを確立した代表とも言われている。オフト監督への反発が中和していく過程で、日本のパスサッカーの原型が出来上がっていったのだ。

 

 これは完全に個人的な意見だが、私は代表チームというのは代表監督のもの(もっと正確に言えば日本サッカー協会のもの)で、選手は代表監督の引いたグランドデザイン/戦略/戦術に従い役割を演じるべきであると考えている。それができない選手はプロフェッショナルではないと信じて疑わない。

ワールドカップアジア最終予選

 ハンス・オフトによってサッカー日本代表は整備されつつあった。

 ダイナスティカップアジアカップで好成績を収め、都並自身もこの新チームに手応えを持っていた。

 事実、ホーム・アンド・アウェー方式で開催されたワールドカップアジア予選1次リーグをアラブ首長国連邦UAE)、タイ、バングラデシュパキスタンの4カ国相手に7勝1分けとし、無事アジア最終予選に駒を進めることに成功させた。

 ここまでは都並敏史にとっては理想的なサッカー日本代表となりつつあった。

Jリーグ開幕と都並の骨折

 ワールドカップの一次予選が終わるとJリーグの開幕が待っていた。

 Jリーグが開幕すると、日本サッカー界はアマチュアの時代を終え、プロの時代となった。

 これは単なる看板の掛替にとどまることなく、多くの選手に今まで以上の報酬と注目とプロ意識と人気が植え付けられる出来事となった。

 実際、Jリーグの開幕に合わせて、元イングランド代表のリネカー、元西ドイツ代表のリトバルスキー、元ブラジル代表のジーコらスーパースターが登場し、日本サッカー新時代を盛り上げた。

 この期間に都並は左の踝(くるぶし)を骨折をしてしまう。疲労骨折だった。レントゲンを取ると左足首に白い筋が映っていた。

 この物語のタイトルである「狂気」がここからはじまる。

狂気とは

 日本の左サイドバックは人材不足で、都並に変わる最適なバックアップの選手は日本中どこを探してもいなかった。もちろん海外リーグに日本人選手が所属する時代でもなかった。都並の持ち味は、守れる選手でありながら、タイミングの良い攻撃参加であり、ある種理想的なサイドバックの選手ということであった。攻撃と守備のバランスがよく、センタリングの質が高く安定した選手は都並以外にはいなかった。

 替えが効かないということは、それはつまり悲劇でもあった。

ハンス・オフトは都並骨折の報を受けると、コーチの清雲とともにJリーグの試合を70試合も見た。代表のバックアップメンバーを探すためだ。サイドバックは運動量の多いポジションということもあり、若い選手がサイドバックを務めることが多い。若い選手ゆえの安定感のなさもあり、オフトと清雲は都並の代役を見つけることはついに出来なかった。

 都並の代役が見つからなかったこともあって、オフトは都並に早期の復帰を切望した。

 

 都並自身も早期の復帰を目指すため、西洋医学だけでなく、東洋医学、気功、温泉治療、線香治療、カイロプラクティクなどなんでも出来ることに挑戦をした。

 都並の足は万全とは言えなかったが、試合にでることが可能なくらいには回復していた。正確には回復していたかのように思えた。

 最終予選の地カタールへ赴く6日前の練習/紅白試合までは、都並もオフトもその他チームメイトも都並は最終予選に出場すると考えていた。実際、紅白試合や練習には都並は麻酔を打てばサイドバックとしてのパフォーマンスを十分に発揮することが出来た。ただし、麻酔が切れると都並は激痛のためにホテルでもんどり打つことになった。

 カター行きの2日前の夕方の出来事だ。都並が最終チェックのためレントゲン写真を取ると左足踝にはうっすらと筋が入っていた。骨折線だった。

 都並は混乱した。それでもオフトはカタールに来いと言った。

 

 オフトは都並の左足踝のレントゲン写真を見て決断していた。

 都並を一試合フルで試合で使うことはまったくもって難しいであろうと。ゲーム中のどこかのポイントで短く使えるかどうかの判断が必要だと。

 

 都並の足は決して良い状態ではなく、試合に出場をすれば確実に左足を再度はっきりと骨折をし、今後のサッカー選手としての選手生命を絶たれるどころか、日常生活に影響が出るような怪我をしかねない状況の中でも代表チームに帯同した。

 対戦国にたいして都並が出場するかもしれないというブラフをかけるためでもあり、サッカー日本代表はそういったブラフを必要としていた。さらには本当にピッチに立つ可能性すらもあった。都並を起用するかどうかの悩みはオフトの頭の中でも駆け巡っていた。

 試合に出ると再度、足が折れる可能性がある。それは今後の選手生命に関わるものであり、もはやスポ根モノのアニメや漫画にも近い状況だった。それフィクションではなく現実のものだった。

 

 日本を離れる直前オフトから言われた言葉は「記者には何も言うな、お前は普通のっ状態だ」だった。

 都並自身は、そう言われると前線に行く兵士に、大将が命令するようだと感じた。思わず「イエス、サー」と答えたい気分だった。けれど、一方で「本当は俺は足が折れているんだ、特攻隊として頑張って行くんだ」と言ってしまいたい気分でもあった。

 

 都並はカタールに到着すると麻酔を打って練習に参加した。非公開の紅白戦に参加するとメディアは都並の復帰は近い、イラン戦で復帰するだろうと報じた。

 この練習の代償はすさまじい激痛となって都並を襲った。バスに乗り込む頃には一言も口を聞ける状態ではなくなり、冷や汗がたらたらと流れてきた。

 カタールにいる間中、都並は激痛とつねに闘っていた。そして激痛と同時に、一方で骨が完全に折れ、砕けるかもしれないという恐怖とも闘っていた。

 

 アジア最終予選の初戦、サウジアラビア戦は累積イエローカードの関係でもともと都並は出場できない試合だった。その後の4試合、イラン、北朝鮮、韓国、イラクの試合で都並はベンチで静かに出番を待っていた。それはもしかすると本当に足が折れて、選手生命が絶たれる可能性があることを知りながら。

 

  結果として、都並はアジア最終予選に一試合も出場することなく、サッカー日本代表ドーハの悲劇にてワールドカップ本戦出場を逃すこととなる。

江尻、三浦ヤス、勝矢

 都並が試合に出られない期間、何人かの選手が左サイドバックを努めた。

 彼らもある種、この「狂気」の犠牲者でもある。

 最初に左サイドバックをテストされたのは江尻篤彦。所属チームのジェフユナイテッド市原では中盤の左サイドの選手だ。オフトはわずか45分で江尻に左サイドバック失格を言い渡す。オフトが欲していたのは結局のところ「都並のコピー」だった。江尻はそういった選手ではなかった。

 次に左サイドバックとして試されたのは三浦泰年三浦知良の兄である。彼もまた左サイドバックの選手ではなかった。都並と同じヴェルディ川崎の選手でポジションは守備的ミッドフィルダーだった。

 三浦ヤスは初戦のサウジアラビア戦にサイドバックとして出場する。カタールでは都並と同室だった。ここで都並の壮絶な状態を知ることになる。そして都並がおそらくフルで試合に出られないであろうことも。

 2戦目のイラン戦を落とすと三浦ヤスはオフトから今後サイドバックとして起用しないことを告げられる。都並と同室であり、都並の状況を知る三浦ヤスにとってこれは苦悩でしかなかった。

 三浦ヤスが左サイドバックから外された後、このポジションを守ることになるのは勝矢寿延だった。勝矢は守備よりのサイドバックだった。結果的に最終戦まで勝矢が左サイドバックを守ることになるが、彼にもう少しばかり攻撃参加の能力があったならば、オフトも都並もここまで苦悩はしなかっただろう。

 ともかくドーハの悲劇にて94年のFIFAワールドカップアメリカ大会は夢と消えた。 

その後の左サイドバック

  ところでオフトの次の代表監督はファルカンが努めている。ジーコソクラテストニーニョ・セレーゾらとともにブラジル代表の黄金カルテットの一角を占めたスター選手だ。彼はオフトとは異なり、練習の時に自らフリーキックを見せ、代表選手に好意的に迎えられた。ワールドカップで活躍をし、選手たちに好意的に迎えられたファルカンは左サイドバック岩本輝を選び、背番号10を与えた。けれど、これは不発に終わり、ファルカンもあっさり解任された。

 加茂周岡田武史監督時代の左サイドバック相馬直樹がつとめ、新時代を感じさせるものだった。ここではじめて日本代表はワールドカップ本戦に出場することになる。私も個人的に相馬直樹は好きな選手だった。

 その後のフィリップ・トルシエフラット3のディフェンスラインでサイドバックをおかない守備陣系で日本を初のグループリーグ突破に導いた。

 Jリーグの成功に大きく貢献し、日本でもレジェンドの扱いを受けているジーコはその次の代表監督となった。彼は左サイドバックに、トルシエ時代に主に中盤として活躍した三都主を起用した。日本代表では珍しく左利きのサイドバックとなる。ファルカン時代の岩本輝も同様に左利きだったためブラジル人監督は、左サイドバックは右利きではなくて、当然左利きである、という信念を持っているのかもしれない。

 オシム時代の左サイドバックは駒野がつとめていたが、岡田武史監督が再登板すると長友佑都が抜擢されることとなった。そして今('18ワールドカップロシア大会)に至ることとなっている。

 都並以降のサイドバックは人材が豊富で層が厚いとは言えないが、それでも優秀でタフな選手によって支えられ世界的な比較で考えても、むしろサイドバック排出国とまで言えるのは不思議な結果ではある。 

日の丸サッカーはなぜ敗れたか

 これが締めの文章となる。

 ここではなぜサッカー日本代表がドーハで敗れたかを著者である一志治夫氏ではなく、私が考えたい。

 一番最初にこの作品が世に出たときには「狂気の左サイドバック」のあとに「日の丸サッカーはなぜ敗れたか」というサブタイトルがついていた。これは後に、「日本代表チームに命をかけた男・都並敏史の物語」へと改題される。

 おそらくは「日の丸」という言い方と、都並敏史の行為がバンザイアタックのように日の丸特攻隊を想起させることを出版社が嫌ったからではないかと思う。

 こういった言い方をすると私はが、バンザイアタックをかけなかったから日本代表が負けたと考えたと解釈しているように誤解されそうだが、それはまったくもって逆だ。

 今では、ワールドカップ予選を当たり前のように通過し、本大会で何が出来るかがテーマのサッカー日本代表ではあるけれど、90年代初頭の代表は、たった一人の選手のバックアップにも苦労し、個の力を頼った神風特攻隊のごとくバンザイアタックをかけるかどうかを真剣に考える状況が簡単に発生するほどに、人材資源も戦略も戦術も枯渇していたということだ。

 90年代までのスポ根モノは圧倒的に何かを犠牲にして、一か八かの賭けをおこない勝利する、いや時に敗北する展開の物語が多かった。それ以外のストーリーの選択肢はあまりなかったように思う。時代が20年ほど経過し、物語の幅は昔より膨らんでいるように私は感じている。物語を読み解く幅が増えた分だけ色々な可能性は大きくなったと私個人は感じている。

 あれはやはり負けるべくして負けた。それがドーハの悲劇だったと私は考えている。

 

 

 

グルメ多動力/堀江貴文

あらすじ

 本書「グルメ多動力」はホリエモンこと堀江貴文が、自ら関わるアンバサダーユニット「WAGYUMAFIA」と、やはり自らがプロデユースしたうまい店が探せるグルメアプリ「テリヤキ」によって得た知見を元に、最先端のグルメの総括と、日本の飲食業界の未来へ向けての提言をするふりをした最近思ったことエッセイ風語りおろしである。

 

本書との出会いについて

 本書の内容についてふれる前に、どうして私がこの本の感想を書く気持ちになったかを書きたい。

 一般的に堀江貴文ホリエモン)の印象というのはどういったものであろうか。うさんくさいとか、信用ならないとか、元犯罪者とか、金の亡者とか、空気を読まない人とか、利己主義とか、アスペルガーっぽいとか、いけ好かないマイペース野郎とか、そんな言葉が並ぶのではないだろうか。

 ホリエモンライブドア事件でなぜ逮捕されたのか?ということについては私はいまだに疑問をもっている。あの事件は少なからず見せしめ的な要素があったと考えている。そうでなければ、なぜライブドア事件では逮捕者が出て、東芝粉飾決算では逮捕者がでなかったのか、その違いがさっぱりよくわからない。事件の質、特に本質的な部分に何かの決定的な差があるようには感じていない。個人的な感覚では理不尽で、不当なものに思えて仕方がなかった。おそらくはホリエモンは私以上に同様の感想を抱いたと思う。

 ホリエモンはその受刑期間を無駄なものとしなかった。その時間で多くのことを学んだ。彼は東大出身(中退)でもあり、その知力、ポテンシャルが高いことは間違いなかったが、彼はそこからのさらに教養的な積み上げをおこなった。通常の人ならばマイナスとなる時間を、そうはさせなかった。逮捕前からおこなっていた有料メルマガをストップさせることもなかった。

 そのホリエモンが昨年に「多動力」という本を出版した。ホリエモンは自ら、本を執筆したりすることはなく、インタビュアーにインタビューを受け、それを書籍化するスタイルでたくさんの本を出版している。ホリエモンの言葉を借りれば「ベストセラーもコピペ」で作れるそうだ。

 その「多動力」にはホリエモンなりの現代を楽しく、うまく生き抜くコツみたいなものが書かれていた。本書「グルメ多動力」は、多動力をさらにわかりやすく説明した、しかも、飲食店の経営にしぼった方法論のヒントみたいなものがたくさん書かれている。

 私は飲食店を経営することも、飲食関連の仕事で働いたことも、今後そういったものに関わることもないけれど、「食う」ということは誰しもが毎日必ず、関わらなければいけないことだ、その方向性から本書を楽しく読んだ。

 ホリエモンと飲食と言えばテレビ番組なのかツイッターなのかはわからないけれど、「寿司屋での修行なんて意味がない」という名言がある。その内容の真意もこの書には書かれている。TV番組かなにかの発言では「Youtubeの動画で見ればいい」といった発言で物議をかもしたが、本書「グルメ多動力」を読むと少しだけその意味が理解できる。

 ところで、ここまで書いてある内容を読んでいただければ伝わると思うが、私はホリエモンに対して好意的である。彼の言動や、行動に対して好意的である。もちろん、すべての発言に対して同意するわけではないけれど、比率で言えば概ね好意的であると捉えていただいてかまわない。

 何が私をそうさせるのか、そう思わせるのか、ということについては単純で、ホリエモンはなんだかんだ言って、話の細部つまりディテールにおいては個人的に信憑性が高い部分が多いと感じているからだ。そのあたりについては後ほど。

お店選びもインスタ映えで検索

 2017年から2018年にかけてリアルのお店を席巻しているキーワードがある。それは「インスタ映え」だ。またか、またインスタ映えか、と思われるかもしれないが、個人的にはインスタ映えという言葉の伝播力、感染力はすごいと感じている。

 こんな私ではあるが、色々なお店(飲食店/カフェ)などで食事をしたりしている。そうすると、周りのお客さんから「インスタ映え」という言葉が聞こえてくるではないか。カフェとかイタリアレストランはもちろん、それは中華料理のお店であっても、ラーメン屋であっても、つけ麺屋であっても、うどん屋であっても、チェーン店じゃないハンバーガー屋であっても、本当にどこでも聞こえてくる、わりと本気の流行語だ。

 そんな「インスタ映え」を飲食店は取り入れるべきと、ホリエモンは熱く語っている。世界観を作り上げれば、地方のお店でも集客できるとすらホリエモンは豪語している。ホリエモンが「すごい冷やし中華」として取り上げたのは栃木県足利市のラーメン屋さんだ。ビジュアル的に成功しているようでグーグルで画像検索すると、この「すごい冷やし中華」の画像ばかりがヒットする。

 ここには一つ示唆があって、インスタ映えしそうにないメニューですらインスタ映えさせることができる、ということだ。

 お店選びをインスタグラムの検索でおこなう顧客層が増えているそうだ。食べログやRetty、ぐるなびではなくインスタグラム。ビジュアル的に画像で検索して、その中で感覚の合うお店を再度詳しく調べると言った手順にでもなるのだろうか。若い世代の感覚とも思える。

 これに対して飲食店側は手をこまねいて指をくわえて眺めているわけにはいかない。

 確かに言われてみれば、ステーキ屋で焼く前のお肉をドーンと誇らしげにシェフに見せられたことがある。あれは、ほら、お前の手持ちのスマホで写真をとってSNSツイッターなり、フェイスブックなり、インスタグラムにでも拡散しろよという合図だったんだろうか、と今さらながらに思う。

 

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投稿したくなるシーン

 このSNS、特にインスタ映え全盛のこの時代において、飲食店がなすべきは何か?ということについては、もちろん、SNSに投稿したくなるシーンの提供ということになる。

 それは色々な方法がある。色々なインスタ映えの手法がある。

 もちろん盛付けの方法でもあるし、素材の美しさでもあるし、器の美しさでもあるし、切り口の美しさでもあるし、意外性のコラボレーションでもあるし、特別なシチュエーション/場面でもあるし、店主/店員のキャラクターでもあるし、本当に直球の撮ってくださいというお願いでもあるし、とにかく見せたら撮らずにはいられないという瞬間の構築ではあるように思う。

 どうやって投稿したくなるシーンを作るのか、それが今、求められているとホリエモンは語る。

 インスタグラムの活用は、自分で撮ってアップするだけではまだ不十分で、どれだけお客さんを巻き込むかが重要となっている。

 「撮らずにはいられない」「誰かに見せたくなる景色」の連続を演出できれば、もうそれだけで、あなたは勝ち組だ。

 

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ドタキャン対策ビジネス

 ネット上で時折、飲食店のドタキャンの話題がタイムラインに流れる。大体の場合、10人とか20人の大型客が、予約をしたのにもかかわらず当日にキャンセルをする、もっと悪質な場合はキャンセル連絡すらない、というものだ。店主は食材10人分なり、20人分が無駄になったとツイッターなどで嘆くのがお決まりのパターンだ。

 この話題は人々の関心を大きく集めるらしく、フェイク・ニュースすら流れたりする。

 ドタキャンは飲食業界にとって深刻な話題だ。食材はもちろん鮮度が大切なので、単純な時間あたりの売上の機会損失だけでなく、食材の破棄による損害が出る。

 キャンセルは大口客だけの問題ではない。普通の2人3人のお客さんでも同様の問題は起こる。

 ネットの普及により簡単に予約が出来るようになったこともあり、お客さんは気軽にキャンセルをする。実はその感覚はわからないでもない、ネットの予約を自動販売機の販売ボタンか何かのように気軽に押しているんだ。けれど、キャンセルされた店舗側としてはたまったものではない。

 そんな中、店舗はいくつかの取り組みを行っている。どちらも人気店ならでは取り組みとなるだろうけれど、1つ目は、「チケットぴあ」で予約券を販売するというものだ。例えば、水族館や科学館、美術館のような催しものがある場合には確かに、チケットぴあで入場券が買えたりする。あれと同じ要領だ。予約券はもちろん、来店するとキャッシュバックされる。2つ目はLINE(ライン)やフェイスブックを利用するというものだ。これは常連客に、空きテーブルが出来た段階で案内を送ることになる。キャンセル待ちをSNSで募集するという手法になる。

名言「寿司屋で修行なんてするな」

 ホリエモンの最近の名言としては「寿司屋で修行なんてするな」というものがある。

じゃあどうすればいいんだ?の問いかけにYoutubeなどの動画を見れば良い、と答えてしまったせいで失笑を買ったが、事の本質はそこにはない。

 かつて、情報伝達の手段が限られていた時代には「どうやったら美味しい酢飯を作れるのか」「魚の旨さを最大限に引き出す包丁の使い方」といったものは、一部の親方のみがもつ貴重な情報だった。それを引き出すには、弟子となり、下積みを何年もするしか方法がなかった。それしか貴重な伝統技術を受け継ぐ方法はなかったのだ。

 けれど、時代は変わった。それこそ、そういった情報はYouTubeにすらある。もちろんYoutubeにある、といったのはものの喩えで、本当にそんな情報があるかどうかはわからない、けれど、それくらいに情報を入手する手段は格段に増えている。オープンソースの時代というのは何か違うとは思うけれど、正解は親方だけの所有物ではない。

 もちろん寿司屋の大将が持つものは、寿司の作り方に関する知識だけではない、仕入れのルート、常連客、人脈その他色々あるだろう。けれど、それは全部変わってきている時代の中で、なんとかなるものじゃないのか?とホリエモンは問いかけている。

 これをもって私は「寿司屋で修行なんてするな」は名言だと思っている。

食べログで3.7前後の店はコスパが悪い

 例えば政治家が自らを庶民派を自称する際に、いかに自分が庶民的であるかを語ろうとした際に、踏み込みが甘くて化けの皮が剥がれることがよくある。一般的な会社員の月収についてわからなかったり、庶民的な食べ物の価格についてトンチンカンなことを言ったりする。それはそれでかまわない、有権者は決して政治家に安いバーや居酒屋で飲んでほしいわけでもないし、料亭で食事をしてほしくないと願っているわけでもない。けれど、庶民派のふりをして、そのディテールが誤ってることにはがっかりだ。

 芸能人がオタク的な面もあるふりをして、そのジャンルについてあまり詳しい知識がないときにも同様に私達はがっかりする。ワンピースがオタク向けコンテンツかどうかは、まったくもって評価の分かれることではあるけれど、ワンピースが好きなふりをしたならば、ワンピースに詳しくあるべきだ。

 

 ある時、とあるITベンチャー企業の代表が「食べログ」の点数について言及していた。曰く「食べログ」で高得点のついているお店は、リーズナブルで味よりも価格に収斂しているそうだ。それがユーザーレビューの限界だ、とも。

 「食べログ」はサイトの構造上、優秀な(正確には優秀とされている)レビュアーが高得点をつけると点数が跳ね上がる仕組みだ。そのため有象無象の木っ端レビュアーが5点(満点)をつけてもそうそう点数は変動するものではない。印象としてはたくさんの店を食べ歩いているレビュアーが良い点をつけると点はぐんぐん上がっていく。3.5を超える店は良い店で、4点を超える店はなかなか、ない。

 食べ歩きをしている食べログのレビュアーは経済的に余裕があるらしく、そのジャンルの平均的な価格よりも高めのお店に、良い点数をつける傾向があるようだ。これは仕組み上、焼き肉でも寿司でも、イタリアンでも、フランス料理でも、良いメニューを提供するが、高価格帯のお店の点数が高くなる仕組みだ。事実、同じお店であったとしても、ランチメニューよりもディナーメニューのほうが高得点となっている場合がほとんどに思える。

 そんなことは「食べログ」を地図もしくは、開店時間や閉店時間、メニュー確認サイトとして使っていても気がつくレベルだ。おそらくはそのITベンチャーの代表は「食べログ」をあんまり使ったことがない、と思う。おそらくその方は「食べログ」という既存のサイトそのものについて文句をいいたかっただけだ、と感じている。

 

 こういった実際に使えば、分かるようなことを知らないなら、言わなければいいのにと思うのが私の性分だ。

 そんな中この「グルメ多動力」の中に面白いことが書いてあった。

食べログ」で3.7前後の店はコスパが悪い。

 これは薄々そうじゃないかと思っていた。3.7前後のお店は探せばけっこうある。週末の予約も少し取りにくい、くらいのお店が多い。確かに美味いけれど、少しお高いな、という印象に間違いはない。そういった意味ではホリエモンは「食べログ」のことをわかっているな、という印象があった。

  この些細な積み重ねが私がホリエモンに興味をいだく理由でもある。

「オーガニック」「ヘルシー」はファッションだ

 モノを売る際に「オーガニック」とか「ヘルシー」というキーワードは実はあまり刺さらない。このキーワードで人の気を引くことまでは出来ても、ものを売ったり、サービスを売ったりすることは少し難しい。

 けれど、ホリエモンは「オーガニック、ヘルシーという言葉はファッションだ」といい切った。

 この言葉により私は目から鱗が落ちた。オーガニックとかヘルシーのキーワードで売るべきは、ファッション性ということになる。それが理解できていなければ、根本的な方針がズレたままだ。

 パッケージを可愛くして、フォトジェニックな演出を加え、インスタグラムで盛り上げれば人気が出るに違いない。真面目にスペックを高めるやり方は、一般的な商売の正攻法は通じない。

寿司屋でシャリを残すOLは正義

 ある時、寿司屋でシャリを残すOLが話題になった。糖質制限ダイエットを試みているため、シャリをつまりお米を食べるわけにはいかないそうだ。ネット上では激しい避難の嵐だったそうだ。もちろんコレが本当の出来事かどうかは私にはわからない。今までそんな場面に出くわしたことがないからだ。

 けれど、これもホリエモンに言わせれば、糖質制限はもはや常識。糖質制限に対応し他メニューを考えない店のほうが遅れている。いや、もちろん飲食店はお客さんの言うことにすべて同意すべきではない、寿司屋でカレーライスを頼むお客さんは追放するべきだ。作れる/作れないの問題ではない、他のお客さんに迷惑がかかる。すべての店で実現することが正しいとは思わない。寿司には寿司の枠組みというものがある。

 そうはいっても、寿司にはシャリがあるものという常識を、いったん枠を外してみようというのは、一つの見識だ。

 例えばシャリの代替として他の野菜を使ってみるとか、なんならコンニャクでもいい。もしかすると、そこには新しい活路があるかもしれない。

 食の進歩という意味では、寿司屋でシャリを残すOLは正義で、私達の感覚が一歩遅れているんだ。

 糖質制限ダイエットがこれだけ話題になるんだから、逆手にとったメニューは売りになる。

コンビニエンスストアの弁当格付け

 「食べログ」のところで、ホリエモンのディテールにこだわる微妙な感性が興味深いと書いた。それはこの「グルメ多動力」の中で紹介されている、コンビニエンスストアの弁当や冷凍食品の言及についても現れている。

 「グルメ」と冠しているのに、コンビニ弁当や冷凍食品について言及するチョイスも愉快だが、そこで格付けが行われている。それは決して奇異をてらったものではなく、オーソドックスな内容でもある。一般的に言われていることに近いものだ。要はセブンイレブンが1番で、ローソンが2番手、その他はそれに追随する形になっていると。

 一般論として、セブンイレブンは商品開発に力入れているので一番の評価を受けるのはうなずけるし、実際に食うと美味い。ローソンの弁当コーナーは気が利いていて、これも評価が高いことに異論はない。けれど、それをわざわざ口に出す著名人はなかなかいない。あそこの蕎麦屋は美味いといっても、あそこのコンビニの弁当が美味いとはなかなか言わない。

 ところで、コンビニの弁当の中で異彩を放っているチェーン店がある。ファミリーマートだ。ファミマの弁当はひどくまずい。これは不思議に思ったので周りの人達にリサーチをしたことがある。コンビニの弁当の味なんて気にしたことがないという人が半分、もう半分は「ファミマで弁当を買うとかありえない」というものだった。私の会社の近所のファミマの評判がスタッフも含めて悪いだけかもしれないが、けれど、やっぱり思うことは皆、同じなんだなとその時に感じた。 

地方のホテルはレストランを閉めろ

 出張でビジネスホテルに泊まることがある。

 個人的にはコンビニが併設されている方がずっと嬉しい。食事が出来るレストランがあったとしてもメニューは限られているし、だいたい時間の制約がきつい。それならば、コンビニで色々と買い込めたほうがずっとずっと楽しい。

 コンビニエンスストアで、フルーツだのお酒だのお菓子だのを買い込む瞬間こそが、ビジネスホテルに泊まる醍醐味というものだと感じている。

クックパッドからレシピ動画サイトへ

 ここ数年料理のレシピ動画サイトが流行っている。一時期のクックパッドの興隆はすでに下り坂となり、今は動画サイトが日の出の勢いだそうだ。

 「DELISH KITCHEN」や「クラシル」の評価がとても高い。私のまわりでも「Tasty Japan」が人気だ。

 短い時間でザクザクとザッピング感覚で料理の動画がスタイリッシュに編集されて次々と流れだし見る側の目に次々と飛び込んでくる。これは今の時間間隔にとてもあっている。

「ヤツラは情報を食ってる」

 

 ホリエモンの漫画好きは有名であり、彼は色々な場面で色々な漫画をおすすめしている。

 ホリエモンは本書「グルメ多動力」の中で「ラーメン発見伝/らーめん才遊記」を取り上げている。この「ラーメン発見伝/らーめん才遊記」はラーメン好きかつマンガ好きならば知っているであろう有名なフレーズがある。それが「ヤツらはラーメンを食ってるんじゃない。情報を食っている」だ。

 飲食店にとって味は確かに大事だ。けれども、「おいしさ」とはそれだけではない。お客さんにとっては能書きも、インスタ映えも、特別感ある非日常的なイベントも、稀有なコミュニケーションも、多彩なメニューも、時代にあった特別対応も、ファッション性も、同様に大事なことなんだ。

 そしてウェブの時代、食べログで点数やランキングをチェックするところからすでに、情報のやり取りは始まっている。

結論「究極の飲食店」のスタイルはスナック

 ホリエモンの本書「グルメ多動力」での最終的な結論は実はひどい。

 曰く、究極的に飲食店を突き詰めていくと、それは「スナック」になるとのことだ。ホリエモンは多忙を極め各地を転々としながら、働いている。どこでも、パソコンを使わずともスマホで働けるのが彼のスタイルだそうだ。そのために色々な地方都市を訪れれながら仕事をすることも出来る。

 どんな小さな地方都市にいっても必ずある店がある。それが「スナック」だそうだ。「スナック」では、コミュニケーションのやり取りさえ、きちんと出来れば飲食店は料理そのものだってアウトソーシングすれば良いとホリエモンは言う。

 「グルメ」をタイトルに冠した書籍の結論がそれか、というのはかなり愉快な結論ではあるけれど、ある種本書のテーマとしては一貫している。

 

 私は残念ながらスナックと呼ばれるところに行ったことがないので、最後の結論の部分に関しては同意も、否定も出来ないけれど、つい最近のエントリ(→link)でも少し書いたが「スナックバス江」という漫画にハマっているので、スナックについて漫画で学びたいと考えている。

私なりの「グルメ多動力」の結論

 ホリエモンが嬉々としてインスタグラムのハッシュタグについて語ったりする本書はとても無邪気であり、彼のワクワク感の彩られている。そして最後の結論が、究極の飲食店は「スナック」である、という暴論で締めくくられている。いや、別に本書はそれで締めくくられているわけではないが、私はそういった終わり方と感じた。

 最後に「肉山」の店主らとの対談が3つほど掲載されていたりするが、それはあくまでおまけと捉えている。

 「ラーメン発見伝」のラーメンハゲこと芹沢達也のセリフ「ヤツラは情報を食っている」という言葉を丁寧に真摯に考えると、「グルメ多動力」の伝えたいことにたどり着くという気がした。これが私なりの結論だ。

 

 

自分用メモ帳 2018年6月9日版

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メモ帳について

このブログの箸休め的存在です。

思ったことをダラダラと無目的に書くだけです。

本日6月9日は音楽評論家の渋谷陽一の誕生日でもあるので、それを記念しているわけでもないですが無駄で、無意味なことをダラダラと書きたいと思います。

ヤンジャンについて

  先週くらいに最近のヤンジャンについてちょこっと書きました。

ame774.hatenablog.com

 その時の文章の中では「スナックバス江」が激推しで、勢いに乗じてコミックも買いましたが少し浮かれていましたね。本誌掲載時は結構楽しかったのですが、コミックにはなんだか向いていない趣があります。ちょっぴり冷静になりました。

 それはそれとして、今週のヤンジャンでは「かぐや様は告らせたい」のアニメ化が発表されていました。私はアニメを見たりすることはありませんが、これで名実ともに「かぐや様は告らせたい」はヤンジャンの柱となりましたね。

桜えびのかき揚

 この記事の冒頭の画像は桜えびのかき揚げなんですが、私の中でムーブメントが来てます。桜えびムーブメントです。画像の桜えびは宇和島直送と銘打たれていますが、桜えびに関しては静岡県由比産のものが圧倒的にうまいと思います。

 もともと、人生の中で一番うまいと思っている食べ物が桜えびのかき揚げだったんですが、最近その想いがヒートアップして、とんでもないことになっています。

 週に2回くらいのペースで桜えびのかき揚げを頼む状況です。

 最近読んでる本

  ブームといえば読書ブーム来てます。

ame774.hatenablog.com

 額賀澪という作家さんの「拝啓、本が売れません」を読んだことはブログ記事にもしましたが、それ以外にも読みたい本がたくさんある状態です。

 ホリエモン堀江貴文)の本をいくつかと、ジブリ鈴木敏夫ジブリの仲間たち」、一志治夫狂気の左サイドバック」、橋場日月「新説 桶狭間合戦」、宇野維正「小沢健二の帰還」、燃え殻「ボクたちは大人になれなかった」このあたりを今、同時に読んでいます。あとデザインの本もけっこう読んでいます。書店で本を手に取る瞬間が好きです。

 その他、韓非子に関連した書籍や、サマセット・モーム「月と六ペンス」、吉田兼好徒然草」、紫式部紫式部日記」、清少納言枕草子」にも手をかけています。

ブンゴと、ダンジョン飯と、恋は雨上がりのように

  ヤンジャンはある種の惰性で読んでます。でも「BUNGO―ブンゴ―」はやっとのことで関東大会というか、公式戦に突入しそうです。迷走した部分もありますが、ここからの展開に期待です。

 最近の九井諒子ダンジョン飯」の展開が好きです。もともとダンジョン飯の1巻が出たときには、長期連載では九井諒子の才能はあんまり活かしきれんのかあと、少し失望した面もありましたが、巻が進むにつれてグイグイ来てます。ダークさもいい塩梅に増して、物語の今後に期待です。期待に胸膨らみます。

 眉月じゅん恋は雨上がりのように」の連載が終了しました。ネタバレ的になってしまいますが、この物語は中年のファミレス店長がアルバイトしている女子高生と淡い恋愛関係になると思いきや、何事もなくそれぞれの日常に戻るといった終わり方で最終巻となっています。少し拍子抜けの最終回ですが、その後にジャニーズの事件(TOKIOの山口くんが未成年と、、、)があったので、物語としては正しい終わらせ方だったのかな、と思っとります。

 ヤンジャンばかり言っていますがスピリッツはきっかけがあれば買いはじめても良いかなとか思っています。

インスタ映え

 個人的に今さらインスタ映えがブームです。 とはいえインスタグラムに画像とか、動画を投稿するわけではありません。電車とか飲食店とか駅のホームとかで、周りの会話に聞き耳を立てて「インスタ映え」といっている人たちの会話をこっそりと聞いてニヤリとするだけです。

 この前電車に乗っている時に私の前に立っていた眉毛の手入れをしたどちらかといえばリア充サイドの男子高校生が、スマホの画面を死んだ目で眺めながら、ライン工のように、タイムライン上の画像に次々に「いいね」をしている姿は印象的でした。ああいった姿を見ると個人的にはワクワクが止まりません。

久米田康治

 言うまでもなく私は久米田康治という漫画家が好きで好きでたまりませんが、また何度目かのブームがきています。

 最近白泉社から1巻の出た「スタジオパルプ」はスターシステム制を導入しているため、「かってに改蔵」や「さよなら絶望先生」の人気キャラが多数登場しています。

 またもちろん、「かくしごと」も引き続き楽しく読んでいます。

フジロック2018

  今年のフジロックは何だかいつもと様子が違いますね。

 ヘッドライナーはKendrick Lamar(ケンドリック・ラマー)、Bob Dylanボブ・ディラン)、N.E.R.D(ナード)とネーム・バリュー的には超強力なんですが、これで本当に集客できるのか?と勝手に不安になってしまう感じです。特にブラック・ミュージックというかヒップホップ色が強いヘッドライナーは過去のフジロック好きにはどこまでアピールできるんでしょうか。

 Vampire Weekend(ヴァンパイア・ウィークエンド)やMGMTSkrillex(スクリレックス)、CHVRCHES(チャーチズ)といった鉄板系がたくさんいるのでライブそのものについては安心感はありますが。

 私個人としては、今のところ都合がつく見通しがないのでいかない方向性です。可能な限り行きたいとは思ってはいます。

サマーソニック2018とソニックマニア

  一方、サマソニのヘッドライナーはNoel Gallagher's High Flying Birds(ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ)とBeck(ベック)です。若干、弱いヘッドライナーのようにも思えますが、ソニマニにはNine Inch Nailsナイン・インチ・ネイルズ)とMy Bloody Valentineマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン)の登場と、豪華です。ただし、おいおい2018年にもなって90年代の夢よもう一度かよ、みたいなところはあります。

サッカーワールドカップ ロシア大会

 サッカーW杯ロシア大会が6月15日に開幕だそうです。

 4月7日付けで前ハリルホジッチ監督を解任した日本サッカー協会は、新監督に西野朗技術委員長を迎え新体制を構築したけれど、代表メンバーの選手選考に関してもネットを中心に散々に叩かれて、「忖度ジャパン」と揶揄されるくらいの不人気が現状です。

 急な解任だったため、西野新監督としてはわずか3試合のテスト期間で、本番のコロンビア戦、セネガル戦、ポーランド戦を迎えます。

 今までのガーナ戦、スイス戦はそれぞれ無得点であっさり敗れ去り、3バックなのか、4バックなのかどちらでやりたいかわからないとDFの選手からも疑問の声が上がる状態で、最後のテストマッチパラグアイ戦となります。

 最悪の場合、西野監督は0勝6敗・無得点という無残な成績となる可能性すらある状況で、過去にここまで期待されなかったサッカー日本代表というのも珍しいですね。

 

その他

 スマホゲームのこととか、あと夏フェスのことももう少し書きたいことがあった気がしますが、余裕がある時に頑張ってなんとか書きますね。

それでは。

 

 

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