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アニメとドラマとミンミンゼミ

 
 

 初めて夏の関東地方に出かけたのは20歳を超えたくらいの時のことだろうか。

 その際に非常に驚いたことがある。

 それは「ミーンミンミンミンミンミーン」「ミーンミンミンミンミンミーン」と鳴くあいつだ。

 そう一般的にはミンミンゼミと呼ばれているあのセミのことだ。

 

 私の住む地域、愛知県ではセミはあんな冗談みたいな鳴き方はしない。「ジーーーーーー」もしくは「ジーーージーーージーーー」とうなるように鳴く。愛知県ではセミの世界のメインストリームはアブラゼミによって形成されている。時折クマゼミが「シャーシャーシャーシャー」と鳴く。夏の終わり秋近くになってくるとツクツクボウシが「ツクツクボーシ、ツクツクボーシ」と鳴く。山の方へ行けば、本島に稀にヒグラシがいて「カナカナカナ」と鳴く。私はほぼヒグラシの鳴き声は聞いたことがない。

 そんな私が初めてミンミンゼミの鳴き声を生で、ライヴで聞いた時には本当に驚いた。世の中にはこんなふざけた鳴き方をするセミがいるものなのかと。

 

 ただ、よくよく考えてみると実はこのミンミンゼミの鳴き声は初めて聞くものではなかった。

 

 私は今でこそテレビ見ていない自慢をするなんの役にも立たないダメな大人ではあるけれど、子供の頃はもちろんテレビっ子だった。家に誰もいないことが多かったのでずっとテレビだけをひたすら見ていた。やはりその中心はアニメとドラマだった。

 その中で特にアニメにおいて夏を印象づけるシーンではミンミンゼミの鳴くアニメは多かったように思う。でも当時はあの「ミーンミンミンミンミンミーン」「ミーンミンミンミンミンミーン」といった鳴き声はアブラゼミの「ジージージー」を「ミーンミンミンミンミンミーン」と幻聴のように聞かせる精神的な置き換えだと思っていた。子供心に、あれは現実のセミの鳴き方とは異なるけれどある種のデフォルメ、アニメ的技法だと信じて疑わなかった。

 ピカソの描く絵がキュビスムを取り入れて制作されたように、己のことを個性的と信じて疑わない製作者の少し変わった自己主張により音響効果がアニメの中で異彩を放ったエゴ表現として作品の中で誇張されているものだと思っていた。

 夏の場面、ミンミンゼミが鳴くことはアニメではシーンが限られている。ホラーやサスペンスが題材だったりスポーツ、恋愛、感動を呼び起こすアニメなどではどこかユーモラスともいえるミンミンゼミの鳴き声を同居させることは難しい。ミンミンゼミの鳴き声そのものがどこか間が抜けた感覚があるためシリアスな場面にはそぐわないと感じる日本人は多いはずだ。どちらかと言えばコメディタッチもっと言えばギャグが多い作品などの一場面、またほのぼのとした日常を表すシーンを多く含むアニメに多かったように思う。

 ミンミンゼミが鳴いている場面で泣けるアニメを構築するのは言われてみれば難しい。せっかくの感動がミンミンゼミが入ることにより台無しだ。

 

 海外にはセミのいない地域があるとのこと。このため日本のアニメを欧州などで放映した際に、セミを知らない一部の欧州人がセミが鳴くシーンを見てそのアニメの主人公が精神的に病んでいるのを音で表現していると解釈した、という記事をネットで読んだことがある。ミンミンゼミというものを20歳くらいまで知らなかった私はこの記事を笑えなかった。ミンミンゼミをある種の精神感応兵器として捉えている。

 

 ミンミンゼミは私からすると不思議なくらいにゆったり鳴く。悠長なことだ。アブラゼミクマゼミツクツクボウシは夏の短い期間しか生きられない。そのためか生き急ぐように焦燥感に駆られた鳴き声を体全体からひねり出しているように見える。けれど、ミンミンゼミには、そのセミの焦燥感を感じられない。不思議な生き物だ。そのセミらしくないゆったりとした存在感が私にとって実在を認められなかった理由なのかもしれない。

 

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