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作家の口福 おかわり

最初に

 実はこの本を手に取った時、口福(こうふく)をおかわりと読むと勘違いしていた。
なぜ「おかわり」と副題がついているのかといえば、この本は「作家の口福」といシリーズの2冊目(おかわり)にあたるからだ。
「口福」という言葉は造語ではなく、もともと存在していて、その意味は「おいしい物を食べて感じる満足感」だそうだ。

 

 この本は20人の作家の食べ物をテーマにして短い文章をそれぞれ2-5篇ずつ集めたアンソロジーエッセイ集ということになる。

 登場する作家は、朝井リョウ上橋菜穂子冲方丁川上弘美北村薫桐野夏生辻村深月中村航葉室麟平野啓一郎平松洋子穂村弘堀江敏幸万城目学湊かなえ本谷有希子森見登美彦、柚木麻子、吉本ばなな、和田竜の20人。

 

 「食」をテーマに何かを語るということは、個性が出やすい。「食」は今まで住んできた地域、環境、家族、世代によって同じ食べ物であっても人によって、作家によって切り口が、こだわりが、考えた方が大きく変わってくる。

 つまり「食」について書かれたエッセイというものはどの語り手であっても、語り手をエッセイの名手へと変換させることが比較的容易なジャンルということになる。

 

 「作家の口福 おかわり」は冒頭の朝井リョウの文章を読む限り、朝日新聞に連載されていた内容の抜粋のようだ。せっかくなので少しだけ感想を書きたい。

 

朝井リョウとファミレスのモーニングメニュー

  この「作家の口福 おかわり」の表紙にはデカデカと朝井リョウの名前が記載されている。もちろん「ほか」の文字も記載されているため、朝井リョウの単著であることは明らかに誤解だけれど、もしかすると、朝井リョウの読者を狙ってのことかもしれない。

 一応、本書の名誉のために記載をしておくと、五十音順のトップバッターが朝井リョウなのでその名前が記載されているのだと思う。

 

 朝井リョウといえば「桐島、部活やめるってよ」や「何者」など映画化もされた作品を書いたベストセラー作家となる。

 本書の中で朝井リョウが取り上げている文章で印象的なものがファミリーレストランのモーニングメニューについてだ。

 週末の朝、早めに起きてファミリーレストランへ出かけモーニングメニューを食べることを「心の支え」とまで言い切っている。

 モーニングメニューを美味しく食べるため、金曜日または土曜日の夕飯を軽くし、飢えを捏造する、とまで書かれている。

 そんな朝井リョウの最大のお気に入りがロイヤルホストのモーニング・ビュッフェだそうだ。

  ロイヤルホストがモーニングビュッフェを提供している店舗は全国で数店舗のため、私は知識がなく残念ながらどういったものか分からないが、氏の記述からするにビジネスホテルなどの朝食バイキングに似たようなものに思える。

 確かにビジネスホテルの朝食バイキングは非日常感が醸造され、テンションがけたたましく上がる。旅行中のような錯覚に陥るというのもわかる。

 実は私は朝マックですら非日常を感じてしまう。朝飯を外で食べるという特別感は何者にも代えがたい。しかもわざわざ朝食にお金をかける贅沢感、背徳感も良い。

 なので機会があればロイヤルホストのモーニング・ビュッフェは私も是非行ってみたい。

冲方丁とシャケ

 冲方丁がもっとも好きな魚がシャケだそうで、それは私と同じだ。

 氏は子供の頃、父親の仕事の関係で東南アジアの国々で暮らしており、それらの国々では冷房設備が不十分で生魚とは遠い生活をしていたとのことだった。

 ところで冲方丁がシャケについて語るということは、なんだか不思議な感じがする。いや何について語れば不思議じゃないのかはわからないし、ある種の偏見であることは間違いない。けれど「マルドゥック・スクランブル」のようばサイバーパンク的なSFチックな作品を書いている作家が、そもそも食うことについて語ることが不思議な感覚がある。

川上弘美の苦手な献立

  川上弘美は鍋料理が苦手だそうだ。

 鍋を誰かと食べる際には色々と余計なことを考えねばならず、それがまどろっこしいということだそうだ。

 ゆで加減をずっと気遣ったり、この肉団子を私が食べて良いのかとか、あの人のすくった魚はまだ煮えていない気がするとか、火が強すぎるけど誰も緩めようとしないとか、そんなことが気になってしまうそうだ。

 実はこの気持ちはわかる。共感とは少し違う意味ではあるけれど、わかる。

 私は鍋の時の甲斐甲斐しく動いている人を見ると気になる。もっと気楽に食べればよいのにと。なんでそんなに気をつかうんだろうかと。

 私の場合、そんな事を考え出すと気になって食がすすまない。ある種、川上弘美とは真逆ではあるけれど、そんなことが気になってしまい、鍋は好きな献立とは言えない。

北村薫と文豪とカステラ

  大変ややこしいけれど、北村薫が「作家の口福 おかわり」の中で森鴎外の娘・森茉莉がエッセイで書いた文章を取り上げている。その内容はこうだ。

 

 夏目漱石氏の小説の中に、「卵糖」と書いて、カステイラとルビを振ってあったが、あまりにもおいしそうな当て字のため、カステラではなくて、何か別のお菓子のように、思われたことがあった。

  森茉莉といえば三島由紀夫にその文才を認められ、そして食べること作ることが大好きで、ある種毒舌で奔放な生き方の人という印象がある。

 夏目漱石の当て字は有名だそうで、「卵糖」をカステイラと読ませる言葉遣いに森茉莉の独特な感性が引っかかったんだろう。私は残念ながらピンとこないけれど、カステラをカステイラと呼ぶことは比較的好きだ。

辻村深月とカツカレー

  辻村深月教育学部だったこともあり、大学生の時に地元の小学校へ教育実習へと赴いたそうだ。その中でもお昼の給食が楽しみだったとのこと。

 ある日、献立表を見た生徒(児童)が「先生、明日はカレーだよ、しかも、カツカレーだって、すごいこんなの初めてだよ」と興奮して教えてくれたそうだ。

 ところが給食の時間になると不思議な事に、カレーはあるもののカツがない。

 子どもたちが再度確認してみると、「カツカレー」ではなく、「カツオカレー」だったそうだ。

 

 私は高校の学食も含め、給食的なものにはかなり長いあいだお世話になった。その中で不思議なメニューにはたくさん出くわしている。

 おそらく給食のおばさんの実験的なメニュー、挑戦的なメニューというものも多々あったように思う。あれはあれで、半分は苦い思い出ではあるけれど、半分は楽しい思い出と今となっては思える。

中村航とビーカーコーヒー

  ビーカーコーヒーとは言葉そのままに大学の研究室などで作られる手間を省くために実験用の機材のビーカーで作られたコーヒーのことだ。

 私が学生だった時代もやはり、教官はビーカーでコーヒーを作っていた。今思えば、ああ独身の先生にありがちな、どこの学校にでもある光景なんだなと思い返すことが出来る。

平野啓一郎熟成肉

 この「作家の口福 おかわり」に書かれている文章は少し前のものとなる。平野啓一郎熟成肉について語った文章は2012年に書かれている。

 ここでは当時アメリカのみで流行していた熟成肉について書かれている。

 内容としてはこうだ。

 

 日本の「モノ作り」に対する自信喪失の声が近年大きい、そして平野啓一郎が心配しているのが肉、についてだ。

 神戸牛のようなブランド牛は確かにうまい、日本の肉は高品質だ、けれど、最近アメリカ・ニューヨークで訪れたステーキハウスで平野啓一郎の認識は一変する。

 彼らの、欧米人のステーキに対するこだわりは一日の長がある。その際の理由が熟成肉、ということになる。

 この熟成肉は日本のブランド牛を時代遅れにさせるくらいのインパクトがある、と書かれている。

 

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※画像は熟成肉とはいっさい無関係なただの肉。

 

 なお、この熟成肉については時代が進んで日本でもメジャーな存在となったため、書籍化にあたり(掲載初出は朝日新聞平野啓一郎のコメントがドヤ顔気味で掲載もされている。

平野啓一郎とカプレーゼ

  平野啓一郎の昼食はほとんど毎食がカプレーゼだそうだ。

カプレーゼはイタリア料理を出す店ならどこでも(サイゼリヤでも)ほとんどある料理で、モッツァレラチーズと、トマトを塩とオリーブオイルで味付けた、単純なサラダだ。

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 実はこのカプレーゼは私も大好きだ。イタリア料理を出す店に行った場合まず確認するのはカプレーゼがあるかどうかだ。

 けれど平野啓一郎のカプレーゼ好きは私などとはまるでレベルが違い、本書の文章を書いている時点で5年くらいは毎食、昼食がカプレーゼだそうだ。

 

和田竜と北条氏康

  和田竜といえば「のぼうの城」や「村上海賊の娘」などで日本の戦国時代についての小説を書いている作家だ。

 この「作家の口福 おかわり」においてもやはり戦国時代の有名なエピソードを取り上げている。

 内容としてはこうだ。

 

子供の頃、和田竜氏が刺身を醤油皿に注ぐ際に、あまりにもその量が多すぎたために、父親にしばしば注意されたそうだ。

 

 「リョウ(氏の読み方はリュウではなく、リョウ)。昔の侍はな、食べ終えると同時に醤油もなくなるように考えて注いだもんだ。そんな予測もできないでどうすんだ、お前」

 

 この元ネタが判明したのはそれから何十年もあとのことだそうだ。

 この話は戦国時代について詳しい方ならご存知かもしれない。大河ドラマなどでも、登場した話でもある。

 そう、小田原北条氏の北条氏政が、父・北条氏康と食事をしていた時に、氏政がご飯に汁を2度かけたのを見て、北条氏は息子の代で滅びることを悟ったという。

 日に二度もする食事ならば、汁をどの程度かければよいかなど、会得していて当然であり、息子の氏政は不覚にも二度汁をかけた。愚昧である、と。

 食事の際にかける汁の量で、その器量を判断されるとは戦国時代とは厳しい時代ではあるけれど、氏康の予感はあたり(正式な当主は氏政の子氏直であるものの)氏政の代で北条家は滅んだ。

 

最後に

 気になった文章について、なんだかんだと書いていったらとんでもない文章量になってしまった。

 食うということは魅惑的な磁力をもっている。

 著名な作家の方々に、ほんの少しだけ題材を渡しただけで、こんなにも色とりどりの文章を彼らは書く。「作家の口福 おかわり」というアンソロジーエッセイ集はそんな試みとその成功に思える。

 

 

  

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