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イシュトヴァーンと南無三

ルーラーシップ 母ドナウブルー 母の父ディープインパクト

 土曜日のJRA(競馬)のレース結果の欄を見ていると京都のメインレース、羅生門ステークスの勝ち馬の名前に目を奪われた。

 明け4歳馬でその名前を「イシュトヴァーン」。

 イシュトヴァーンは栗東石坂厩舎所属で父親はルーラーシップ、母親はドナウブルードナウブルーはマイルのG1で5着以内に数回入ったこともあり関屋記念の勝ち馬でもあり、そして何よりジェンティルドンナの姉だ。

 ジェンティルドンナ牝馬ながらジャパンカップ2勝、有馬記念1勝を含むG1・7勝馬で言ってしまえば史上最強の牝馬だ。

 イシュトヴァーンはかなりの良血馬ということになる。500kgを超える大型馬でここまではダートを中心に良績をあげている。その血統ほどには活躍はしていないが、ダートのオープンレースを1番人気で勝つなど今後に期待して良いはずだ。

 

グインサーガとイシュトヴァーン

  なぜ私が羅生門Sの勝ち馬に目を奪われたのかといえば、「イシュトヴァーン」の馬名についてだった。

 私が小学生のころより愛読しており、未完と終わった小説に「グイン・サーガ」という作品がある。文字通り、グインという名を持つ豹頭の戦士のサーガだ。けれどグインサーガはグインの一方的な活躍を描く物語ではなく、その他のリンダ、レムス、ナリス、スカール、アムネリアス、マリウスそしてイシュトヴァーンといった多くの登場人物を主人公として扱う大河的なファンタジーストーリーだ。

 特に主人公のグインは戦士としては一流だが多弁なタイプではなく、寡黙で多くを語らない。ドカベンで言えば山田太郎のような主人公だ。初期、その口数少ないグインの代わりに物語を大きく引っ張るドカベン岩鬼正美のような役割を引き受けているのが「紅の傭兵」イシュトヴァーンだ。

 

あとがき

  ところでグイン・サーガ、いや栗本薫の作品の中で常に注目が集まる部分がある。それは「あとがき」だ。

 栗本薫の作風としてはファンタジー的あり、SF的である作品をカッコつけつつ、硬派でシリアスな雰囲気で紡いでいく本編に対して、その「あとがき」は深夜放送黄金時代のようなノリで、まったく逆のインパクトで突き進んでいく。そのギャップに当初は驚いたもので、それはまるで中島みゆきのラジオを初めて聴いた時に湧いてくる疑問符にも似ている。

 けれど慣れてしまえば、むしろこれはこれでなくてはいけない、と思えてくるから不思議なものだ。グイン・サーガを購入した際に、「あとがき」から読み始めるようになれば、もはや栗本薫の読者としてはスタート地点にたったと言える。

 私が栗本薫の作品の「あとがき」の印象としては「毀誉褒貶」という言葉が特に好きで、何度も何度も登場したことが印象深い。

 また「魔界水滸伝」においても途中から「あとがき」が書かれるようになったのだが、この際には私は人生で初めて「腐女子」の原型となるものにわかりやすく接することになり、大変面食らったことも付け加えておく。

グイン・サーガの世界

 グインサーガの世界はキレノア大陸を中心とした国々の物語であり、それは我々の住む世界とはいっさいの関わりを持たない。

 この世界ではおもにヤヌス教が信仰されている。運命神ヤーン、太陽神ルアー、月の神イリス、海神ドライドンなどの神々の名前がよく登場する。

 ヤヌス教だけでなく、新興宗教のミロク教や、草原や沿海州ではモスやドライドンを主神と崇めている。

 ただ単純にエルフやドワーフなどが登場するファンタジーとも異なり、自らの世界を強固に構築を試みている。

 話の途中、星船だの、失われた古代の超文明だの、SF的な要素が多く登場し物語に大きく関わってくる。単純なファンタジー小説だけを栗本薫が書こうとしていたわけではない。

 この世界はキレノア大陸を中心とした物語であり、我々の住む世界とはいっさいの関わりを持たないと書いたが、本当のところは栗本薫にしかわからないことだ。

 

南無三宝

 ところでイシュトヴァーンといえば印象的な話がある。

物語の最中にイシュトヴァーンが危機に陥った際に「南無三」とつぶやくシーンが描かれていたのだ。これに対し、読者から講義の手紙が栗本薫の手元に届いた。

 ざっくりといえば「南無三とはもともと南無三宝を語源とする仏教用語で、仏教のないはずのグイン・サーガの世界でつぶやかれるのはおかしい」といったものだった。

 これにたいして栗本薫は「あとがき」で、イシュトヴァーンがそもそも日本語で会話をしておらず、日本語で「南無三」に該当する言葉を発したので、それを翻訳しただけだ、と返答していた。

 ずいぶん愉快な方だなと思ったことを覚えている。 

天野喜孝グイン・サーガ

 

  1979年に第一巻が刊行されたグイン・サーガは完結していない。

 過去に一度文章を書いたこともあるが、栗本薫はすでに亡くなっており、その遺志を継ぐ形で五代ゆう、宵野ゆめの両名によってグイン・サーガは引き続き語られている。(→link)

 私は実のところ、表紙が天野喜孝でなくなった頃くらいからほどなくして離脱している。

 

念の為記載しておくと各巻においてはそれぞれが表紙を描いている。

1巻~19巻 加藤直之

20巻~56巻 天野喜孝

57巻~87巻 末弥純

88巻~   丹野忍

 

 私がグインサーガを読み始めた頃の最新刊はすでに天野喜孝が表紙・挿絵・イラストなどを描いていたので、私にとってはグイン・サーガ天野喜孝のイメージが強い。

 逆にいえば天野喜孝といえばヤッターマンでもファイナルファンタジーでもなくグイン・サーガということになる。むしろヤッターマンの登場キャラクターが天野喜孝デザインなどということは言われるまで一切気がつかなかった。

  栗本薫マイクル・ムアコックエルリック・サーガの影響を事あるごとに口にしていたが、私が手にしたエルリック・サーガの表紙も天野喜孝が描いていた。エルリック・サーガは退廃的で、妖しい雰囲気のする作品だったが、グイン・サーガの持つヒーロー活劇ではない部分については、天野喜孝の絵によってイメージ作られたところは大きいのではないかと思っている。

 けれど、不思議なことに天野喜孝グイン・サーガの登場人物では、もっともらしい登場人物であるクリスタル公アルド・ナリスについてはイメージほどには得意ではなかったように私は感じている。

 

最後に

 羅生門Sの勝ち馬に「イシュトヴァーン」の名前を目にしたところから書き始めた経緯ではあるけれど、結局の所、考察とかオチとかそういったものは一切なく、まるで電車の中の女子高生の会話のような、深夜のファミレスにいる若者の無駄話のような中身のない文章だったことをお詫びしたい。

 

 

 

 

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