2018年のこと(個人的で大雑把なまとめ)
2018年の個人的なまとめについて
個人的なまとめを、2018年の個人的なまとめを忘れてしまわないうちに書いておきたいと思う。
2016年にも一度同じような体裁で個人的なまとめを書いている。(→link)
本来ならば2017年も激動の年となったので何らかの記録を残して置くべきだったのかもしれないと思っていたが、残念ながら2017年末および2018年の初頭はあまりの忙しさに、不毛な忙しさに忙殺されて残念ながらその時間は取れなかった。
現在は少しだけゆったりとした時間が流れているので、このタイミングで何かを残したいと思う。
この文章は2019年に入ってから書かれている。とは言え2019年1月1日に書かれた文章となっているため、比較的新鮮な気持ちでかかれている。ただし昨日の夜、紅白歌合戦でサザンオールスターズと松任谷由実の競演を見たばかりなので、その余韻はあるかもしれない。
できるだけ2018年に気持ちのまま感想を連ねていきたい。
2017年1月1日オアシス
2018年の個人的なまとめを語る前に2017年のことも少しだけ書いておきたい。
書きたいのは2017年1月1日のこと。私にとってこの年のハイライトだった。
私は正月早々会社に出社した。事務所に出勤していたのは私だけだった。当たり前だ。1月1日に会社ですることなんてあまりない。することは一つしかなかった。メールを書くことだ。この時のメールには私の所信表明が書かれていた。
メールを送り終えると、私は映画館にでかけた。見た映画は「オアシス:スーパーソニック」。内容としてはOasis(オアシス)デビュー前後から1996年のネブワース公演(This is History!Right Here, Right Now!とノエル・ギャラガーが叫んだライブ)までのドキュメンタリー音楽映画。ほぼ年に1回しか映画を見ない私ではあるが、パーフェクトな内容だったと感じている。
2018年の個人的なまとめについて
実は2018年のことについて個人的なことを色々と書くのは難しい。
ざっくりとだけ言えばxx届け(NOT退職届け)という普通の人なら一生に1回もだすこともないような書類を2度ほど会社に提出した。
おかげで色々なポジションから会社(もしくは社会)と関わることになった。
ひとつだけ思ったこととしては私は意外に色々なスキルがあるとは感じた。けれどもできれば今後はこのスキルのほとんどを使わずにすめば良いのにな、とも思った。
本音で言ってしまえばここまでで私の言いたいことはほとんどすべて全部言いきった気がする。
けれども、それでは味気ないのでもう少し何かを書きたい。
名古屋めしブーム
2018年、私の中で突然、名古屋めしブームがやってきた。名古屋人としてのアイデンティに目覚めたということか。昼食にわざわざ名古屋めしと呼ばれるものをチョイスすることが多くなった。
その証拠というわけでもないけれど、名古屋人のソウルフードというテーマでこのブログでも一度記事を書いている。(→link)
けれどその中で気がついたことがある。全般的に高い。何を食べても高い。例えば画像の鉄板ナポリタンは1000円近くする。山本屋本店で味噌煮込みうどんを食べると2000円くらいする。スガキヤのラーメンだけが私の懐の味方だ。
サッカーワールドカップと西野監督
2018年はサッカーワールドカップロシア大会が開催された。
印象的な出来事として大会本戦直前にハリルホジッチ氏が代表監督を電撃解任され、「マイアミの奇跡」などで有名な西野朗技術委員長が新監督となった。
監督解任騒動により地の果てまで堕ちた日本代表の人気ではあったが、グループリーグ突破という結果をだし、ベスト8をかけた試合では逆転負けを食らうものの強豪ペルーを追いつめるところまではいった。
特にグループリーグのポーランド戦での引き分け狙いのギャンブルについては賛否両論が出たものの、西野朗は監督としての勝負強さを発揮することに成功した。
西野朗が監督に就任した直後、私は一冊の本を読んだ。
ブラジル代表を破ったアトランタオリンピックでの出来事について、後にインタビューを中心に構成された有名なノンフィクション小説が出ている。金子達仁により書かれた「28年目のハーフタイム」だ。
サッカーの強さは監督で決まる。いや組織の強さは監督で決まる。私はどこかでそんな風に思っている。けれど、強いということには質があり、必ずしも一軸では測ることができない。西野朗がアトランタオリンピックで作った代表チームの強さは、平均的な強さをもたない言ってみれば金星を回収する平幕力士のような強さだった。この理由について知りたいと思い、私は「28年目のハーフタイム」を手に取った。
けれど「28年目のハーフタイム」を読んで驚愕した。そこに書かれていたのはブラジル戦の次の試合、ナイジェリア戦のハーフタイムで起きたチーム崩壊だった。いや、正しくはナイジェリア戦のハーフタイムで崩壊が顕在化したという内容だった。
そこまでの西野朗の道のりもまったく平坦ではなかった。チームをまとめる以前の問題として協会が一枚岩ではない。むしろ西野朗の足を引っ張ろうとしているのではないか、という疑念すら浮かんだ。まだプロ化してから年数を経ていない組織という部分もあり、本来味方であるはずの強化委員長はJリーグの理事も兼任し、さらには企業の社員という側面もあった。強化委員長が3つの顔を使い分けることに西野朗は苛立った。
協会のとの関係に精力の何割かを搾り取られる、その上で結果を求められる。そして最大の問題は他にあった。マスコミだった。
一般的に言われているアトランタ五輪で起きた守備陣と攻撃陣の軋轢は、マスコミの過剰な報道によるものが引き金であると西野朗は考えていた。
つまり、西野朗にとってのワールドカップロシア大会本戦はいつか来た道でしかなかった。そして西野朗は監督としてギャンブルに勝った。ただし勝ちすぎなかった。それだけのことだった。
フジロックの動画配信
私は2018年のフジロックに行くことができなかった。苗場に行くことはなかった。けれど今年のフジロックは動画(Youtubeのライブ配信)をおこなっていたため一部のライブを家にいながら目にすることができた。
海外の夏フェスではすでに多く(たとえばコーチェラの生ライブ配信は全世界中継で)実現されていたライブ配信だったが日本の洋楽フェスでこれをおこなうフェスはフジロックが初めてだ。
残念ながらヘッドライナーであるBob Dylan(ボブ・ディラン)とKendrick Lamar(ケンドリック・ラマー)のライブ配信はなかったが、それでも金曜日のヘッドライナーN.E.R.Dやその他洋楽アーティストとしては人気どころのMGMT、Vampire Weekend(ヴァンパイア・ウィークエンド)、Skrillex(スクリレックス)、Chvrches(チャーチズ)と主だった面々を動画で見ることができた。
夏フェスのオーディエンスはすでにリピータービジネス化している中で、勇気ある試みであると思う。
私が今年フジロックにいかなかったのはあくまでも個人的な理由ではあるけれど、とても救われた思いがした。
特にチャーチズのローレンの可愛さにはPC越しではあったが、ドキドキとした。
ソニマニとサマソニ
さらに夏フェスについて。
Nine Inch Nails(ナイン・インチ・ネイルズ)とMy Bloody Valentine(マイ・ブラッディ・バレンタイン)、電気グルーヴの3アーティストを見ることができ、ある種満足だった。それ以上は求め過ぎというものだ。
この日のナイン・インチ・ネイルズは私が初めて雨とか無関係に見ることができた。室内で見たナイン・インチ・ネイルズはスクリーン映像に映し出された無駄にアーティスティックな映像とともに暴力的で美しくもあった。
マイブラのハイライトシーンはビリンダの登場の場面だった。あまりの美しさに会場がどよめいた。このライブ中に私が思っていたことは「ビリンダ様美しい」だけだった。ケヴィン・シールズがこのライブ会場にいたかどうかすら、私の記憶では怪しい。
3組目は電気グルーヴ。私はUKロックファンの皮をかぶった電気グルーヴファンだが、正直この日の午前4時スタートのライブは厳しかった。年末にカウントダウン・ジャパンにて「あいみょん地蔵」の現象を引き起こすことになるが、かつてサマソニでミスチル地蔵が発生し(→link)、それは当時のスマパンの立ち位置にも起因するものだったが、実はソニマニでの電気グルーヴのライブにはそれを打ち破るだけのパワーを感じなかったことは間違いない。なお電気グルーヴのフジロック2016でのパフォーマンスはキャリア最高のものだったことも付け加えておく。
とにかく電気グルーヴのライブが終わると朝の5時を過ぎていた。控えめに言って、朝だった。
翌日というか当日、私のサマソニ一日目はUKの新人ロックバンド・Pale Waves(ペール・ウェーヴス)から始まった。お昼ぐらいのタイムテーブルだったので早起きができたと思う。女性ボーカルのバンドでインパクトがあった。プロフィールを見るとマンチェスター出身とあり、まだまだロックの未来を私は感じた。この日見たアーティストはすべて個人的な感想では当たりだったと思う。次に見たアーティストはBillie Eilish(ビリー・アイリッシュ)という若い女性アーティストで当時16歳で勢いがあり、可憐で可愛らしかった。スクリーンに映し出されている映像はディズニー的なもので著作権的におそらく許可などを取っているように思えなかったので、その意味でドキドキした。Marmozets(マーモゼッツ)のキャンセルは残念で、ショックのあまり記憶がとんでいるが、ビーチステージで見たKamasi Washington(カマシ・ワシントン)、スタジアムで見たNoel Gallagher's High Flying Birds(ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ)、Queens Of The Stone Age(クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ)どのアーティストも鋭く、ノスタルジックで、印象的に幸せだった。
その夜、前日朝の6時くらいまで起きていたのに関わらず、深夜のミッドナイト・ソニックに突入した。
とは言え見たアーティストは2組。まずはWolf Alice(ウルフ・アリス)。私は未だにウルフ・アリスというアーティストの全容がうまく捉えられずにいる。インディー・ロックとかオルタナティヴ・ギターとかガレージバンドとかいう人がいるけれど、それは彼女らのジャンルや音楽性を何も説明していないのと同義だ。ひとつだけわかることはエリー・ロウゼルが美しく才能があるということ。ここでもうひとつわかったことがある。私は今までロックを語るふりをして女性アーティストの容姿のみしか取り上げていない。腑抜けてしまったということだ。
二組目に見たのは水曜日のカンパネラ。以前、幕張メッセで見たライブにおいてコムアイがステージの中央のせり出した部分にはしごをつかって登っていたのを思い出した。私はその事を思い出し、中央付近のその場所にポジションを取った。
「桃太郎」の曲が終わる頃、コムアイは私の目の前にやってきた。「ウランちゃん」を一曲その場で歌った。手を伸ばせばおそらく私はコムアイに触れる事ができたと思う。けれど、そうしなかった。コムアイはおそらく女性ファンの誰かの手を強く握って体を支えていた。
言い方は悪いが私は水曜日のカンパネルラから帰るタイミングを失い、最後まで彼女を見ることになった。
終演は4時くらいのことだっただろうか。
サマソニ2日目はまったくもってきつかった。七尾旅人をビーチステージで見たこと、Chance The Rapper(チャンス・ザ・ラッパー)とSt. Vincent(セイント・ヴィンセント)をそれぞれ見たことは覚えている。
ヘッドライナーのBeck(ベック)についてはもちろん、そのパフォーマンスも含めて素晴らしいという感想をもった。ベックが2017年に発売したアルバム「Colors」を私は懐疑的な目を向けていたが、ベックの過去の作品の中で一番だと言わざるえないとライブを見て思った。エンターティメントに振れたよいライブだったと思う。
ライブの終了後、MCより2019年のサマソニは3日開催であることが伝えられたことも付け加えておく。
TikTokとPerfumeと短編動画
2018年に私が興味をもったものがある。それは動画。
特にTasty Japan やkurashiru(クラシル)、DELISH KITCHEN のような料理やレシピを短い時間でおしゃれに制作されている動画に心を奪われた。短ければ、短いほどよい。60秒以内なら最高だ。
そんな風に考えていた時、ちょうどTikTokというスマホアプリに気がついた。これはある種の革命チックに思えた。iPhoneアプリをインストールすると会員登録などとは無縁でいきなり動画がスタートする。15秒程度の投稿動画が終わると、次の動画が始まる。その合間、合間に広告が挿入される。
Perfume(パフューム)がこのTikTokを利用して動画を投稿していた。少し感動したのでその時の気持ちをブログにも書いた。(→link)
M-1グランプリと天才はあきらめた
11月頃に私は一冊の本を呼んでいた。山里亮太の「天才はあきらめた」だ。かつて南海キャンディーズとしてM-1グランプリで準優勝したことのあるお笑い芸人が、デビューまでとM-1グランプリでの苦闘を書いた内容となっている。
実は今までM-1グランプリをきちんと見たことがなかった。
このため本書を読み終えたあと、M-1グランプリで活躍をしたお笑い芸人の漫才のようすをYoutubeでみた。
南海キャンディーズ、オードリー、笑い飯、ナイツ、キングコング、NON STYLE(ノン・スタイル)、千鳥、トレンディエンジェルと次々と見た。
特にナイツについては印象深かった。
そのころ、ちょうど今年のM-1グランプリの放送があった。私はもちろんこの様子をテレビで見た。
ご存知の方も多いと思うが2018年のM-1グランプリは審査員のコメントが例年より多く、重苦しい雰囲気の中で進んだ。立川志らくと上沼恵美子のコメントは少し辛辣だったかもしれない。結果は霜降り明星が優勝。和牛とジャンルジャンルは決勝に残ったものの敗れた。
個人的にはジャンルジャンルの「国分けっこ」というネタが大変印象的だった。漫才かどうかということはさておき、4分間の中で終盤ひとこと発するだけで笑わせる状態を作っており、ボケとツッコミをはるかに超えたスピードで笑いを取れる枠組みが構築されているように思えた。お笑いの未来を私はこのネタに感じた。
その後、出演者のSNS(インスタグラム)で少し騒動が起きるが、それはまた別の話としたい。
漫画を教科書にすれば良い
2018年は「漫画で読むxxx」のような本を比較的たくさん読んだ。具体的には、「孫子、韓非子、紫式部日記」などだ。特に若干読みにくいかと考えていた韓非子がすっと自分の中に入ってきたので、これは素晴らしいと感じた。
漫画を教科書にしたほうが良いと感じた。
身近に読みやすい、体に吸収しやすいものをおいておくということは、とても意味があることと思う。
2018年がどんな時代だったのかをざっくりということは難しいが、先の時代につながる礎となる何かの予兆の年だったように思う。
2019年も良い年でありますように。