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壇蜜日記/壇蜜

あらすじ

 本書「壇蜜日記」は女優、タレント、グラビアモデルの肩書を持つ壇蜜が2013年秋から2014年夏までの期間について天気と自らの生活の一部をソリッドな文章で書き記した記録である。

 

壇蜜の時代

 確かに壇蜜の時代というものがあった。

それは広末涼子の時代とも、新垣結衣の時代とも、宇多田ヒカルの時代とも、石原さとみの時代とも意味合いが異なる。

 時代の中央に壇蜜がドカンと現れて壇蜜の時代が出来たわけでは決してない。なぜなら壇蜜には独特の日陰者っぽさが漂うからだ。

 結婚するべき正妻というよりは、愛人という言葉が似合う存在だ。いや、愛人と言ってしまうと少し印象が異なる。昭和のお妾さんと言ってしまったほうが、よりイメージにぴったりくる。

 

 壇蜜をもちあげたのは福山雅治だのテリー伊藤だの、ということになる。彼らが壇蜜は素晴らしいと取り上げなければ、壇蜜の時代なんてものは出来なかったはずだ。

 壇蜜がどんなにグラビアで着エロまがいのポーズを決めようとも、ヌードグラビアを発表しようとも、下着姿で妖しげな表情を見せようとも、福山雅治やその他芸能人、文化人たちが、壇蜜素敵じゃないか、といえば壇蜜の株は上がり放題に上がった。あれは本当に不思議な現象だった。 

壇蜜の唇

  黒髪、ルージュの利いた唇、そしてよく見るとスタイルが決して良いと言えないが、壇蜜には不思議な吸引力みたいなものが存在した。それはもしかすると中国人を思わせる芸名から由来しているのかもしれない。

 壇蜜は自らの色気の魅せ方に長けていた。多くの有名人を虜にした。結果として壇蜜は人気を獲得することに成功した。

 なぜ壇蜜が人気があるのか、もしくはあったのかと問われるとするならば、壇蜜の人気の理由はその独特の猫のような表情にあるんだとしか私には言えない。

才女としての壇蜜

  壇蜜は才女だ。それはこの「壇蜜日記」を読めばわかる。とてもソリッドで無駄のない文章で自らの私生活を切り取っている。けれど残念なことに自らの生活を切り取っているはずなのに、あまりにも見事に切り取られているために、生活感がまるでなく、むしろミステリアスさが増している。

 壇蜜の女優としての演技力が高いか低いかは私には分からないが、この文章の書き方、読み手との距離感のとり方はひどく演技をしていると感じる。演ずる人が書く文章としてはとても上手(うわて)だ。

 実家に帰った話題が何度かでてくる。けれど、そこには実家での安心感はまるでない。決してすべてを見せていない文章だ。ともすればすべて虚構かもしれない。

 

 文章の長さもちょうどよい。一文しか書かれていない日もある。

 ゴーストライターの存在を疑われない弾幕としては、適切なのかもしれない。

 

なぜ壇蜜日記の感想なのか

  ところで何故唐突に「壇蜜日記」の感想なのか、という話だが、スマホで自分のブロ負を最近見る機会があった。その際に「長過ぎる」と感じたから、少し短めの文章を差し込みたくなった、ということと、壇蜜日記を最近読んだから、ということにほかならない。特にそれ以上の理由はない。以上。

 

 

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