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「嘘喰い」最終回は打ち切りなのか問題

趣旨説明

このエントリは、当ブログ「vs.おすすめ」へ検索エンジンから多数流入してくる「嘘喰いの最終回は打ち切りエンドだったのでは」という疑問をお持ちの方々のために、私が作者迫稔雄または掲載誌ヤングジャンプに変わって勝手に個人的に妄想で回答をする文章である。

 

ご注意、ネタバレについて

 この文章では、嘘喰いの最終回付近の流れについてある程度書いてあるので、それをネタバレと捉える人がいると考える。

 もし、まだ嘘喰いがどのようなラストとなったのかご存知なく、なおかつ自分で嘘喰いの最終回について読みたいと考えている方は、どうかもっと別の楽しいブログなどを御覧あれ。

結論

 長く色々と書いてもアレなんで早々に結論を書く。

 打ち切りとかそんなワケあるか。

 物語初期に提示されたこのストーリーの最終到達地点である「屋形越え」を斑目貘は完遂し、なおかつそこまでに登場した相手勢力とはキチンとケリをつけているし、最終シリーズの「ハンカチ落とし」についてはコミックスに「Climax(クライマックス)」とまで明記されている。やりたいことはすべて余すところなく書ききった上で最終回を迎えたと考えるのが普通だ。

 もちろん作者の迫稔雄が、この物語の最終回以降のストーリーを改めて構築したくなる可能性はある。また実写化の話もあるという。ので、何らかの理由により再開をしたり、続編を書いたりするということはあると思う。が、いったんは綺麗に物語としてクローズさせた。終了をしている。理由は、書くべきことを全部書いたから、だ。

最終回までの嘘喰い

 書くべきことをすべて書いた、といったものの、 嘘喰いはハンカチ落としの勝敗が決した後、斑目貘が倶楽部「賭郎」の新しいお屋形様になったところで、即、最終回を迎えているわけではない。

 世界的をまたにかけるような「ヴァイスファンド ヴィゾーム」「国民解放戦線 アル・ヒーブル」「知性至上主義団体・メイソープ協会」、「ロシアンマフィア ヴィ・ザゴーネ」、「国際クラッカー組織 ノーフェイス」、「秘密結社 ダロウギアクラブ」、「マランドラジェン・カルテル」と怪しげな組織を多数登場させている。

 けれど、彼らは紹介程度に、蛇足的に登場しただけで、さらっとふれられただけで最終回となっている。

 嘘喰いは打ち切りでは?という話が盛り上がっている原因はここにあって、次に争うべき登場人物が用意されているのに、彼らとの闘いがないのはおかしい、という話なんだろう。

 

南を甲子園に連れて行って

 

 ところで皆さんはタッチの最終回をご存知か。

 タッチは非常に少年漫画としては素晴らしく「南を甲子園に連れて行って」のキャッチフレーズで物語の目的を明確にしている。

 この物語のタイトルが何故タッチなのか?ということに対して作者のあだち充は「バトンタッチ」のタッチだと説明しているそうだ。事実、「南を甲子園に連れて行って」が物語の主旋律と捉えるならば、この目的は双子の弟上杉和也から、双子の兄貴上杉達也にきちんと継承されている。つまりバトンタッチされている。

 タッチという漫画が上杉達也上杉和也からバトンを引き継ぎ、浅倉南を甲子園に連れて行く物語である以上、3年の夏の大会地区予選決勝の最終回、須見工の新田明男を三振に切って取ったところで、語られるべきことはほぼ無くなっている。あとはグランドフィナーレを迎えるだけだ。

 けれど、タッチはここですぐには終わらなかった。上杉達也の前に、甲子園出場することになる怪物だの好打者だのが登場をする。もし、ここであだち充が今風の漫画のように彼らとの対戦を熱心に書いたとしたらタッチは名作と呼ぶにふさわしい漫画ではなくなっていた可能性すらある。

 タッチがすぐに終わらなかった理由は上杉達也の甲子園での奮闘を書きたかったからではない。もう一つ残されていた、ストーリー上のやり残しを解決するためだ。

 「南を甲子園に連れて行って」をこの物語の目的と書いたが、それは漫画の成り行き上提示されている目的であって、真の物語の目的はそれではない。

 そのやり残しとは、タッチの中で「南を甲子園に連れて行って」が名言であるとするならば、それと同じくらい物語にとって重要なセリフ「上杉達也浅倉南を愛しています」を朝倉南に伝えるためだ。

 タッチの最終話では、前回の甲子園入場行進のシーンから、一気に季節が秋へ跳ぶ。上杉達也の部屋の本棚には甲子園優勝の盾がひっそりと置かれていた。甲子園での試合内容は一切書かれなていない。

 タッチの最終話を読んだ読者が、甲子園での上杉達也の投球が書かれていない、という理由で、タッチが打ち切りだったという言い出すだろうか。それはないはずだ。

 

 ところで、タッチはそもそも野球漫画じゃなくて恋愛漫画だ、という言説がよく囁かれている。私はこの話のまとめ方は大嫌いだ。タッチは私の中では純然たる野球漫画だ。特に上杉達也が2年生の時に、甲子園地区予選において勢南高校戦で西村勇相手に投げ合いノーヒットに抑えながら試合に負ける展開などなかなか他の野球漫画でも出来ない見どころある内容だったと考えている。

世界平和と斑目

  何故タッチの話だったのかと言えば、物語として提示されていた目的が達成された後に新たに出てきた登場人物は、新章突入の証なのか?彼らは物語において消化するべきターゲットなのか?いや違うだろと言いたかっただけだ。

 本来はここで「SLAM DUNK(スラム・ダンク)」の話もしたかったけれど、それはやめた。だいたいにおいてスラム・ダンクは赤木キャプテン曰く「全国制覇」が目的であり、主人公の桜木花道の筋としても赤木晴子と交際することが目的だったようにも思えるので少年漫画としては未完成であるいったら言い過ぎか。けれど山王戦で、漫画としてはすべてを出し切って書くべきことが何も無くなってしまったことは事実にも思えるし、続けたとしても、ライバルの顔の造形的にも考えても限界だったようなので、良い終わりどころ、終わり方だったと私は思う。

 

 ここで「嘘喰い」に話を戻す。

嘘喰い」は得体の知れないギャンブラー斑目貘の物語である。その斑目貘には、何人かの協力者がいる。梶隆臣であり、マルコであり、賭郎の立会人である夜行妃古壱である。その専属立会人夜行妃古壱が斑目貘にひとつの質問をしている。それは倶楽部「賭郎」のお屋形様になって何をするのか?という問いだ。斑目貘はこう答えている。

 「世界平和」

 斑目貘は世界平和を目指している。これは物語の中では冗談なのか本気なのか私には判別がつかなかった。屋形越えを終えた後に、世界的な悪の組織が登場したのはこの流れだろう。倶楽部「賭郎」のお屋形様になるということは手段であって、目的ではないという考え方も出来るだろう。

 もし、この「世界平和」を本気と捉えるならば、確かにまだ物語は志半ばと考えることも出来る。ただし一つ問題がある。「世界平和」という言葉は抽象的すぎる概念だ。なのでこの言葉を噛み砕いてわかりやすく伝えるための存在が「ヴァイスファンド ヴィゾーム」である。これと斑目貘はギャンブル勝負をする。といったストーリー仕立てだ。

 けれど、やはり世界平和は冗談なんだ。もしくはまだ冗談とも本気とも判別のついていない場所にある言葉なんだ。だからここで物語は一度フィナーレを迎えます。が、正しい解釈ではないかと考えている。

迫稔雄の新連載「バトゥーキ」

 

 先々週のヤングジャンプより迫稔雄の新連載が始まっている。内容は「嘘喰い」の続編、ではない。

 新連載のタイトルは「バトゥーキ」。主人公の三條一里は物語が始まった現段階では女子中学生だそうだ。

 「バトゥーキ」というこの作品のタイトル名で検索すると、現在では途絶えているブラジルの格闘技の一種の情報が見つかる。この「バトゥーキ」はカポエイラ(もしくはカポエラ)の一種で共通する部分も多いがより攻撃的でアフリカ的な要素が強いとのこと。この「バトゥーキ」と本作の作品名「バトゥーキ」が同じ意味なのかは分からないが雰囲気として何らかのイメージを共有していることは間違いない。

 ちなみにブラジルの格闘技の「バトゥーキ」のつづりと今回の新連載の「バトゥーキ」の表紙にある英字表記は「batuque」で同じだ。

 この文章を書いている時点では、今作「バトゥーキ」は2話まで話が進んでいるが、物語がどんな目的を持ち、どのように展開するかは現在のところ想像がつかない。

 主人公のJCが成長して倶楽部「賭郎」の立会人となる葵新伍キャプテン翼)方式の展開も可能性としてはありえるが、まったくもって今後の展開は不明。

 ところで迫稔雄の新連載とはいっさい関係ないが、バトゥーキの連載が始まった号のヤンジャンの表紙を飾っている宇垣美里アナウンサーの顔が可愛いと思う。

 

 「宇垣美里アナウンサーの顔は可愛いと思う」この文章をもって嘘喰い最終回は打ち切りだったのか問題について締めの言葉にしたいと思う、以上。

 

 

 

 

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