vs. おすすめ

おすすめブログのカウンターとして始めたはずが、気がつけば薄っぺらなブログ

2016年のこと(個人的で大雑把なまとめ)

f:id:ame774:20161231224536j:plain

2016年の個人的なまとめについて

 個人的なまとめを、2016年の個人的なまとめをざっくりと書きたい。

 2016年は後々で確認すると、おそらくは、私にとって転換となる年として思い出されるはずだ。

 なので先制攻撃として、出来る限りの記憶を絞り出してここに記録しておきたい。

 これはあくまでも私の個人的な理由によることが大きい。2017年以降のことはわからないけれど、こういった年は今まであまりなかった。

 なので、それはどちらかと言えば「まとめ」という気の利いたものではなく、ダラダラとした無駄に長い戯言に近いが少しだけ文章を書いておきたいと思う。

 

 実は、記事そのものは2016年の12月に途中まで書き、そこでいったん力尽き、2017年3月に入ってからなんとかやる気を取り戻し、大幅に追加されたものだ。その2-3ケ月間に、電気グルーヴの新しいアルバムの発売とツアーが発表され、小沢健二は2016年のライブにて演奏された「流動体について」をシングルとして発売し、グーグルは新しいアルゴリズムを導入し、トランプは正式にアメリカの大統領に就任した。

 けれど、言いたかったことは基本的に2016年の12月の感想とあまり変わっていない。というより頑張って変えずに書いている。出来るだけ新鮮な2016年の気持ちのままで。

 

2016年1月1日の電気グルーヴ

f:id:ame774:20161231224806j:plain

 

 私の2016年は電気グルーヴの映画から始まった。

 2015年末に公開が始まった「DENKI GROOVE THE MOVIE ? -石野卓球ピエール瀧-」は2週間という短い公開期間だったため、私がどんなに頑張ってスケジュール調整をしても1月1日以外にこの映画を見るチャンスがなかった。

 特に多忙をアピールしたいとかそんなことではないけれど、事実私には年末年始に映画を一本ゆっくり見る余裕は1月1日にしかなかった。

 正月早々、ZEPP名古屋に併設された109シネマズへと出かけた。1月1日の夜といった上映時間にもかかわらず。けっこうな数のお客さんがいて、私が見た上映回はほぼ満員状態だった。

 映画は、2014年フジロックのシーンから始まる。

 いくつかのライブ映像、石野卓球の所有と思われるかなり貴重で初めて見るような初期の映像、関係者やミュージシャンのインタビューなどもあり、また逆にロッキング・オン・ジャパンオールナイトニッポンなどのラジオで何度も語られているような話もあり、私のような電気グルーヴファンにとってはインパクトのある断片たちがまとめられた映画だった。

 映画の内容としては電気グルーヴそのものがインディーズ時代、人生時代より語られていて、彼らにとって重要なアルバム「フラッシュ・パパ・メンソール」は何故か無かったことになっていたけれど、それ以外は各アルバムごとにエピソードが充分に取り上げられていた。

 電気グルーヴと同時代に活躍したコーネリアス小山田圭吾や、スチャダラパーのそれぞれのメンバーの話も印象的ではあったが、やはり一番この映画の中で重要な部分を占めていたのはまりんこと砂原良徳の証言だ。

 それはまりん自身の電気グルーヴ脱退に関することで、個人的にはあまりにも想像外なまりんの言葉だった。これについてはまた別の機会にブログで取り上げたいけれど、大雑把に言えば当時の電気グルーヴの海外進出に対しての距離感の話だった。当時の方針は石野卓球のドイツ/テクノ人脈をフル活用したものであり、まりんはもっと王道であるイギリス/UK路線を主軸にしたかったとのこと。

 まりんが電気グルーヴの活動方針に違和感を感じていたこと、しかもそれは電気グルーヴ的な活動(お茶の間的な電気グルーヴ)に対する感情ではなく、海外進出の路線についてということも意外だったし、まりんがドイツ/ジャーマン・テクノ的なものよりもUK的な音楽フィールドに活動の軸足を持ちたがっていたという内容も、かなり意外なことだった。

 ただ、1年たった今となってはまりんの言葉がすこしだけ理解が出来る気がする。

 90年代半ばの石野卓球は尖っていた。先鋭的な音を奏で、しかもそれを一握りのマニアックな音楽人の趣味とすることをよしとしなかった。新しい音を作り、それを一般化しようとしていた。少なくとも周囲からはそのように振る舞っているように見えた。

 00年代に入ってからの電気グルーヴは急に減速をした。まりんの脱退でタガが外れたと言われた9thアルバム「VOXXX」、ライブ盤風リミックスアルバム「イルボン2000」のリリースまではよかったが、 以降、活動の明確な方向性を提示してこなかった。それは00年代にはいってからの音楽シーンともシンクロしていた。

 まりんは直感していたのかもしれない。ここから先、つまりまりんが脱退する以降の電気グルーヴの方向性に対する疑問。電気グルーヴとは石野卓球そのもののことだ。その卓球が言ってしまえばお友達路線の選択肢を選ぼうとすることへの違和感。静かな方向転換。

 

 ともかく私の2016年は電気グルーヴの映画より始まった。

 思えば2016年はわたしにとっては電気グルーヴが印象的な年だった。

 

大雑把な2016年、ポピュリズムとSAMPとノーベル文学賞PPAPポケモンGO

 2016年に起きたことと言えば、世間的に言えば年初に起きたSMAPの解散騒ぎとその謝罪騒動、そして年末の解散。イギリスの国民投票によるEU離脱表明。ドナルド・トランプ氏が大統領選挙に大勝利。スマホゲーム、ポケモンGOのリリース。Bob Dylanボブ・ディラン)がノーベル文学賞を受賞。PPAPの大ヒット。

 ネットの世界ではグーグルが検索エンジンとしてのその欠陥を露呈してDeNAおよびその関連会社に検索結果を攻略された。これは民主主義の最大の脅威がポピュリズムだということが露見したことにもなんだか似ている。

 

 ポケモンGOのローンチ直後は本当にすごかった。このリリースはフジロックの期間中におこなわれた。私は越後湯沢から苗場のフジロックの会場へ通うバスの中でポケモンGOの話をするカップルを何組も見た。

 そして何よりも驚いたのは、フジロックから帰還し、名古屋駅へついた直後のことだった。もう本当に冗談じゃなく、誰しもがポケモンGOをプレイしていた。社会現象とは本当にこんな感じだった。昔の昭和のなつかし映像で見る街中にあふれる「ダッコちゃん」だの「フラフープ」だのとそっくりな状況だった。

 

 ピコ太郎のPPAPの魅力は、もちろん80-90年代風の電子音のトラックもかなりよい出来だと感じていたが、それよりも何よりも促音(ッ)と半濁音(パ行)が入り混じった発語の快感にあると考えていた。

 ものすごく考えて作られていた音楽なのかと思っていたが、ある時、CMで「ペン」「パイナポー」「アポー」の部分を商品名やサービスに置き換えて歌っているのを見て以来、偶然の産物なのかもしれないと考え直した。

 耳に心地よかったPPAPの良さが一気に失われて、私の中でPPAPは失速した、いや墜落した。

 

 ボブ・ディランノーベル文学賞

 そりゃボブ・ディランノーベル文学賞が与えられるなら、ディランを引用している村上春樹は順番的に後になるだろう、というのが正直な感想だ。

 この受賞にはかなり驚いた。というのもボブ・ディランノーベル文学賞に関する噂は10年位前から出ていて、ほとんどの人がその噂を本気にしていなかったと思う。ボブ・ディランノーベル文学賞を与えるなんて、「噂の真相」だの「週刊実話」だの「東京スポーツ」だのに掲載されているレベルの冗談記事だと思われていた。いや少なくとも私はそう思っていた。

 ノーベル文学賞にも当然候補というものが存在するが、少なくとも村上春樹ボブ・ディランの名前が取りあげられるような近年については、どの人物が候補者なのかは言及されることはない。三島由紀夫が半世紀ほど前にノーベル文学賞の候補者の6名のうちの一人だったことをノーベル財団が公表したのはつい数年前のことだった。

 世間に流通している噂が本当のことだった、ということが私のボブ・ディランノーベル文学賞の受賞に関する驚きだった。あれは根も葉もない噂ではなかったということなんだと改めて思った。

 

 そしてやはり2016年の最大の話題はSMAP

 SMAPの解散騒動は色々とひどいものだった。SAMP×SMAPでの公開謝罪映像のことだ。あまりのひどさに江戸時代の芸妓の置屋を彷彿させるというコメントが私のTwitterのタイムラインを駆け巡った。そんなツイートは当時読み手に納得感をもって受け入れられていた。

 その後SAMPは正式に解散をする。

 彼らもしくは事務所が解散の日と決めた12月31日はSAMPとしての活動は特に無かった。噂されていた紅白歌合戦にも出演しなかった。

 世間的にはSAMPではじまり、SAMPで終わった2016年ということになる。

 

小沢健二のライブ・ツアー

  2016年の5月から6月にかけて小沢健二が久しぶりのライブツアーをおこなった。

 その時の感想は少しだけこのブログにも書いた。(→link)

 このツアーでもっとも驚いたことは、すでに現役とは言い難い活動をしているアーティストのライブでありながら、新曲メインだったということ。そして、往年のアーティストの新曲メインのライブにありがちな残念な、がっかりな感じがいっさいなく、むしろ現役のアーティストとしてのパワフルさを見せつけるライブだったということ。

 私はこのライブが始まった当初に名古屋で、小沢健二を目撃し、そのあまりの情報量の多さにもう一度ライブへ行こうと決めたものの、チケットを手に入れることが出来ず、断念した。

 その後フジロック2016のグリーン・ステージのand more表記が、小沢健二だったらどんなによいだろうと夢想したものの、私の願いはSMASHに通じることはなかった。

 2016年の小沢健二は事件だったと私は今でも思っている。 

フジロック2016と電気グルーヴ

f:id:ame774:20170226234529j:plain

 

 2016年の初頭、私は2組のアーティストが世界の音楽の最先端を走っていると信じていた。

 アーティストの名前はSigur Rósシガー・ロス)とJames Blake(ジェイムス・ブレイク)。

 その2組がそろってフジロックへの出演が決まったと知った時、私は倒れそうになった。こんなことがあって良いのかと。

 けれど、少し不安もあった。もう単純にシガー・ロスジェイムス・ブレイクの演奏時間が重なって両方フルで見ることが出来ないんじゃないのかと。ところがその懸念は払拭され、なんと両アーティストは金曜日のグリーン・ステージ。トリ前とトリという奇跡的な並びとなった。

 

 ところが実はフジロック2016では私はこの2アーティストの印象が薄い。ともに決して悪いライブではなかったとは思うけれど、過去に見たライブからちょっと期待しすぎた部分があったのかもしれない。

 音が自分が思っていたよりも爆音ではなかったから、かもしれない。もっとビリビリとくるくらいの音圧を期待していたんだと思う。圧倒的な空間を期待していたんだと思う。けれど、残念なことにシガー・ロスジェイムス・ブレイクからはそれらを感じることが出来なかった。

 その翌日に見たKula Shakerクーラ・シェイカー)はひどく良かった。Travis(トラヴィス)のライブには多幸感があふれていた。3日目のRobert Glasper Experiment (ロバート・グラスパー・エクスペリメント)のRadioheadレディオヘッド)やNirvanaニルヴァーナ)のカバーが踊りだしたくなるくらいに印象的だった。ベビーメタルのライブに度肝を抜かれた。

 でも、私が一番最後に見た電気グルーヴがもっとも圧倒的だった。とんでもなかった。

 

 電気グルーヴはグリーンステージのヘッドライナー、Red Hot Chili Peppersレッド・ホット・チリ・ペッパーズ)のさらに後、深夜の時間帯に登場した

 

 彼らはびっくりするくらいにキレキレだった。誰が一番だったとか、誰が優勝とか順位付けをするつもりはないけれど、少なくとも電気グルーヴ電気グルーヴとしてキレキレだった。あまりの良さに私は電気グルーヴの全盛期は今なんだろうなと思った。

 実際私の心の中に桜木花道が現れて「電気グルーヴの全盛期は今なんだよっ!」と叫んでいた。いや妄想じゃなくて確実に。

 私はグリーンステージのPA裏のスクリーンのあるところで電気グルーヴを見ていた。正確には踊っていた。この場所はゴミ箱の前で、夜になるとフジロックでも比較的有名な場所となる。防蛾灯という言葉がニュアンスとしては、より正しい。ちょっとアレな人がたくさん集まって踊るスペースである。ここでガシガシ踊っているとピカチュウだのマリオだのいろんなコスプレの方々が集っている。もう、それだけでなんだかハイになる。

 フェスでの電気グルーヴはノンストップでMCなしで次々に曲をつなげる。今回のフジロックでも同様だ。この時のセットリストには普通はあまり演奏されないような「新幹線」や「バロン・ダンス」も入っていて、ダンス・ミュージックとしての電気グルーヴが研ぎ澄まされていた。

 比較的最近発表された「Baby's on Fire」はやはりライブでは最高だったし、定番の「Flashback Disco」はいつもどおりの破壊力があった。

  

 電気グルーヴの出番は昔で言えばクロージング・アクトと言われたところだ。ライブが終わり帰りのバスの中で私はぼんやりと考えた。

 こんな出来のライブをやるようじゃあ今後フジロック電気グルーヴの出演するステージはもうグリーン・ステージのヘッドライナーしかないんじゃないだろうか、と思った。けれど、そんな集客力があるアーティストでもないし、どうするんだろうか?と感じていた。

 不思議なことに状態は最高であるけれど、それゆえに今後どうなるんだろうと感じたフジロック電気グルーヴだった。

 

サマーソニック2016

f:id:ame774:20170226234555j:plain

 

 フジロック2016以降の私は呆けていた。

 このブログの更新がストップしたこともそのことと関係があると思う。

 通常なら書くはずのサマソニ見たいアーティストリストも書かなかった。2016年はレディオヘッドUnderworldアンダーワールド)の2組が登場したこともあって個人的にはたくさん書くことがあったにも関わらず。

 なぜ呆けていたのかといえばフジロック電気グルーヴを見たから、としか言いようがない。

 サマソニではもちろんアンダーワールドレディオヘッドを見た。ともによいライブだった。その他ではWeezerウィーザー)が印象的だった。

 あっさりしたコメントだけれど、サマソニ2016ではそれ以上の感想は特にない。

   

ワールド・ハピネス2016と大森靖子

f:id:ame774:20170226234609j:plain

 

 2016年は実はワールド・ハピネスにも行った。

 このライブには意外な伏兵が潜んでいた。

 大森靖子のことだ。

 

 もともとの予定にはなかったが、理由としては出演者の中に電気グルーヴの名前を見つけたからだ。チケットは直前の水曜日くらいに購入した。

 遅れて夢の島公園に到着すると、スチャダラパーが「今夜はブギー・バック」を歌っていた。水曜日のカンパネラコムアイが魂の十六連射!!と煽っていた。今まであまり口にだしたことはないが私は水曜日のカンパネラのことが大好きだ。コムアイの容姿も好きだし、音も好きだし、なんといっても歌詞がいい。誰が書いている歌詞なのかは知らないけれど。

 そしてお目当ての電気グルーヴ。チケットを遅めに購入したこともあり、かなり後ろから遠目に電気グルーヴを眺めることになる。夕方17:50くらいからの登場で天候も悪くなりかけている状態だった。曲数としては8曲程度で、あたりもまだ明るかったので気分的な盛り上がりは難しかったが、個人的には夏の電気グルーヴのクロージングとしては悪くなかった。

 この日は出番的にトリはMETAFIVE。煽り的には高橋幸宏 × 小山田圭吾 × 砂原良徳 × TOWA TEI × ゴンドウトモヒコ × LEO今井というメンバーで6人いるのになぜFIVEなのかはよくわからないけれど、一時代を築いたバンド/アーティストのメンバーによるスペシャル・ユニットだ。

 ワールドハピネスは夢の島公園陸上競技場で開催される夏フェスで、主催者はあの高橋幸宏だ。中央のセンターステージと左側のこじんまりとしたレフトステージの両ステージを交互に使いながら進行していく。入場するとレジャーシートが渡され、それを芝生にしけば、そこが私のエリアとなる。一番後ろで寝っ転がりながらアーティストのライブを見てもよい。それがこのフェスの特徴だ。

 

  電気グルーヴとMETAFIVEは両方共にセンターステージ。この2アーティストの間に挟まれ、この日登場したのが大森靖子だった。

 電気グルーヴのステージ後半くらいから天候が悪くなりはじめ、少し雨がぱらついていた。電気グルーヴがそのパフォーマンスを終え、大森靖子が登場する頃にははっきり雨天となっていた。状況としてほぼほぼ最悪な状態。電気グルーヴのステージが終わるとそれまで立っていたお客さん方はほとんど座ってしまった。いや、ステージを見ていれば良い方で飲食ブースで食事やドリンクを求めるオーディエンスもたくさんいた。

 もちろんお目当てのアーティスト、知名度のあるアーティストの演奏が終わってしまえばこんなもの、といえなくもないけれど、大森靖子にとってはびっくりするくらいアウェイだった。いや無関心との戦いがテーマのライブだった。

 「絶対彼女」の中では大森靖子はこの日訪れたワールドハピネスの中心的な客層たちを「テクノおっさん」と何度も煽り、一緒に歌おうと絶叫したが、残念なことに観客たちは無反応だった。

 そしてこのワールドハピネスのハイライトシーンはこの後やってくる。雨が降る中「音楽を捨てよ、そして音楽へ」がはじまった。

 「脱法ハーブ 握手会 風営法 放射能…」ではじまるこの楽曲は、後半「音楽は魔法ではない」 を繰り返す、ほとんど叫んでいるだけの曲なんだけれどインパクトがあった。もちろん、今さら大森靖子が、とかないだろうというあなたの感想はわからないでもない。けれど、私にとっては2016年夏の終わりの事件だった。

 電気グルーヴで夏を終えようとしたら、大森靖子という名の伏兵に討ち取られた感じがした出来事だった。

 

 

welq的な検索結果

 2016年比較的ショックだった出来事としてgoogle(グーグル)が攻略されたことだった。

 検索エンジンの巨人にして、エリート集団でもあるグーグルが作った検索アルゴリズムはキュレーションサイトの力押しにもろくも崩れ落ちた。

 グーグルは世界中の優秀な人材/技術者をリクルートしていることでも有名だ。そんな優秀である彼らの作った検索結果ページ(SERP)が次々と汚染されていった。

 その手法はかなりあっけないもので、キュレーションサイトの運営者達はクラウドソーシングで素人ライターからかき集め、下手をすると100文字何円といった安価な文章で組織的にローラーサイトを作っていった。目的は検索キーワードに対して関連性の高い言葉を網羅することと、深掘りをすること。いや言葉尻だけをとらえるならば、その行為はきっと正しい。マニュアルまで完備されていて、それは家内制手工業を想起させる内容だった。ある意味、現代の革命だったとも言える。

 先進的なIT企業は100文字何円の手仕事に屈することになった。

 

 このブログに始めた当初にははっきりとした仮想敵があった。それは「なんとかまとめ」みたいなサイト。ブログ名がそれを表現している。興隆を極めた「おすすめサイト」たちと竹槍程度の私の知識で戦うんだ、みたいなところから「vs.おすすめ」は始まった。

 けれどあっさりと私は周回遅れになった。いや、最初から同じ土俵になんてもちろん立っていない。Jリーグと草サッカーくらいの差がはじめから最後まであった。

 

この世界の片隅に

 

 2016年の暮れ頃だったと思う。話題のアニメ映画「この世界の片隅に」をみた。

ちなみにこの映画のサントラ盤は私の中では2016年ベストアルバム。

 

 映画の感想を書く。

 もともと私は太平洋戦争を扱った映画に興味があった。

 しかもどちらかと言えば、一般人の非戦闘員の日常を扱った物語、しかも終戦の10年くらい前からはじまる物語がみたかった。可能ならば、年代が少しづつ進んで、今がいつなのか冒頭で表示される形が望ましい。

 「この世界の片隅に」をご覧になった方はわかると思うが、この映画では私の臨んだ形式で物語が進む。

 なぜこんな流れの戦争映画が好きかと言えば、戦況が悪化して国民生活が本当に苦しくなっていくのは終戦間際の1-2年ということになり、それ以前には非日常ではあるけれど、それぞれの暮らしがある。それがだんだんと苦しくなっていくさまに私は強く惹きつけられる。

 こういった物語を作る場合に、幸せだった「あの時代」と戦局が悪化している「今」との対比を強調するために、前の時代の幸せさを過剰に表現しがちで、本当に戦前または戦争初期が、良い時代だったかどうかはわからないけれど、けれど、この雰囲気は決して続かないという「予感」を感じ取ることができ、そこには麻薬的な刺激がある。

 

 本編がはじまる前、片渕須直監督の上演前メッセージが挿入されていて、その内容は、正確な言葉は忘れたけれど、「この物語では主人公のすずさんは戦時中の世界で、毎日の暮らしを営み続ける人です」と。私はこの映画は「間違いない」と確信した。

 

Chance The Rapper(チャンス・ザ・ラッパー)

 2016年の私を形容するのにぴったりな言葉がある。

 それは「情弱」だ。

 

 1年が終わりに近づくと各メディア、たとえばピッチフォークだのNMEだの、田中宗一郎のやっているサイト(The Sign Magazine)だのが、こぞって年間ベストアルバムを発表する。そんな中、2016年は一人の男が話題をさらった。

 男の名前はチャンス・ザ・ラッパー。

 この男がフリー(無料)で配信したアルバム「Coloring Book」が各メディアたちが高評価でとりあげている。なのに、私はこのチャンス・ザ・ラッパーと名乗る男の音源をきいたことがない。いや、たまたま、たどりつかなかったとか、そういうことではない。頑張って探したけれど、どこに音源があるかわからなかった。AmazonでもiTunes Storeでもたどり着くことが出来なかった。

 いや実は1曲だけ、iTunes Storeで購入することが出来た。

 ああ、いい曲じゃないか。でも聴いたことがあるぞ。と思ってよくよく曲名とアーティスト名を見るとジェイムス・ブレイクのリミックス版じゃねえか。

 とにかく私はいまだにチャンス・ザ・ラッパーの音源を求めて彷徨っている。

 

もう一回ポピュリズムと民主主義

 

 2016年とはあからさまな時代だったように思う。

 SMAP公開処刑だったり、DeNAのグーグル攻略だったり、トランプ氏の大統領選勝利だったり、Brexitブレグジット)だったり。

 そこに混ぜてしまってよいのかわからないけれど、ボブ・ディランノーベル文学賞受賞も同じように感じている。世間に流布していたディランはノーベル文学賞の候補者という話が真実だったこと、という意味で。

 ポピュリズムというものが、どうやら民主主義とは食合せが悪いということがわかっただけでも2016年という年は価値があったのでは、と私は思っている。

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...