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真田丸 前半(第25回別離)までの感想

 

真田丸というタイトル

 久しぶりにNHK大河ドラマをここまで比較的きっちり見たのでその感想などを書きたいと思います。

 数年前、2016年の大河ドラマのタイトルが「真田丸」になると発表され、その主人公が真田幸村(信繁)で、脚本を三谷幸喜が受け持つと聞き少し驚きました。

 というのも、真田丸と聞くと普通は大阪冬の陣の際に真田幸村大坂城の急所である平野口に築いた砦(曲輪)のことを指すことが一般的で、つまり今回の大河ドラマでは関ヶ原の合戦以降の大阪城内のやり取りを中心とした司馬遼太郎の「城塞」のような作品となるのかと思いました。

 大阪の陣で1年はさすがに長いのではないか?というのが初期の私の正直な感想でした。確かに三谷幸喜の脚本であれば場内のドタバタを1年に渡って書き切ることが難しくはないと思いますが、それはかなりホームコメディに近いものになるのでは?と大河ドラマとしては少し懐疑的に考えていました。

 ただコメディ調の内容から最終的にシリアスな終わりに向かっていくさまは、いかにも三谷幸喜に似合う主題と考えられるので決して間違いではない、とも思えました。

 結果的には私の予想は大きく間違っており、「真田丸」とはもちろん大坂城のそれも意味合いとして含むでしょうが、戦国という大海原を渡る真田家を一艘の舟に見立てた物語という意味合いが強かったようです。

ここまでの真田丸とこれからの真田丸

 今日の放送で全50回のうち25回までが終わり丁度半分が終わったということになります。

 時代的には前回の第24回滅亡で小田原の北条氏が滅亡し天下統一がなされ、今回の第25回別離では千利休切腹と鶴松(秀吉と茶々の子)が亡くなるまでが描かれています。

 この後には歴史的なイベントとして朝鮮出兵、秀頼の誕生と秀次の失脚、秀吉の死、関ヶ原の合戦大阪冬の陣、夏の陣と控えているはずなので少し進捗としては遅いのでないかとも思えます。

 特に主人公の真田信繁(幸村)が歴史上大きく関わってくるのは大坂の陣とその前の関ヶ原の裏シリーズであるところの徳川秀忠を相手にした第二次上田合戦の2つくらいなので、現在までのところ主な活躍なしということになっています。

  前半が終わったところで主人公の主だった活躍なし、というのはかなり斬新な展開ではないでしょうか。 

真田昌幸の活躍と時代の変化

 大河ドラマ真田丸」は武田家の滅亡直前から物語が始まり、天下を握りかけていた織田信長本能寺の変で討たれ、ばらけてしまった天下に再び豊臣秀吉が手をかけようとするくらいまでの時期が第一部の青春編です。青春編では真田信繁(幸村)は生まれ故郷周辺で過ごすことになり、その父・真田昌幸がむしろ主人公ではないかと間違うような活躍を見せ、昌幸に与えられた「徳川家康にもっとも恐れられた男」の異名は観るものを納得させます。

 華々しい活躍をし、時代を見通す目を持つ頼もしい真田父こと真田昌幸と、まだまだひよっこの真田信之真田信繁の兄弟の物語が青春編です。

 

 けれど大阪編になるとこの物語の様相が一変します。

 

 話は急に変わってしまいますが私はかつて司馬遼太郎の小説「夏草の賦」の上巻・下巻について感想を書いたことがあります。

 夏草の賦・上巻 → link

 夏草の賦・下巻 → link

 「夏草の賦」は長宗我部元親の生涯を書いた小説ですが、丁度下巻の冒頭で本能寺の変が発生します。

 この物語では上巻の戦国時代を活き活きと生きぬいた長宗我部元親が、下巻になると積極性が失われ好々爺のようになってしまいます。

 これは上巻と下巻では時代背景が大きく変わってしまったことに起因しているのかもしれません。羽柴秀吉から豊臣秀吉と名前が変わったあたりから時代が大きく転換しルールが変わったことに長宗我部元親が対応できなかった物語とも受け止めることができます。

 秀吉が大坂城を築城した頃、天下の趨勢は大きく変わり天下統一を待たずして新しい時代が始まり、戦国時代は終わったとも考えることが出来ます。

 

 大阪編「真田丸」での真田昌幸は、青春編で光り輝いていたあの時の真田昌幸ではありません。時代の変化を感じ取れず、いまだ戦国乱世の時代を夢見ている戦いしかできない戦国大名というよりは戦国武将として描かれています。

 

天下人・豊臣秀吉

 大阪編で初めて「真田丸」に登場した秀吉は、羽柴秀吉でも、木下藤吉郎でもなく天下人そのものでした。

 天下人らしい狂気を持つ権力者で、彼には石田三成であろうと、臣従した徳川家康上杉景勝であろうと誰ひとりとして逆らうことが出来ない状況が出来上がっていました。

 

 大阪に人質としてやってきた真田信繁は馬廻衆として秀吉のそばに仕えることになります。

 もともとは青春編でも利発な若者として登場していただけに、信繁はすぐに秀吉に気に入られます。また石田三成にも時間はかかりますが、信頼されるようになります。

 石田三成は優秀な実務家でありながら、合理的的でかつ感情面に不器用なところがあり、信繁ともうまく意思疎通が出来ていませんでした。後の展開として西軍につくはずの信繁が、どんな理屈でこの三成と歩調を合わせることになるのかずっと疑問だったのですが、信繁は秀吉に認められたことが大きかったようです。

 

 真田昌幸は一戦国武将としては有能でしたが、豊臣秀吉は天下人ともなった人です。なにもかもがスケールが違います。秀吉と昌幸のもっとも異なっている部分は、秀吉が新しい時代を創ることに渇望していることに対して、昌幸は戦国乱世の夢をまだ捨てられなかったところです。

  信繁は秀吉のそばにいることで、時代の変化を感じ取って新しい世の中を見つめる若者として物語上は扱われています。

 信繁の兄・信之は沼田城主となり、京や大阪に上っている間の父の不在を自分で考え行動し埋めるようになっていきます。

 

 大阪編は時代の変化により好む好まざるに関わらず時代の変化を真田兄弟が真正面から受けることになります。

 

 ただしこの展開には個人的には疑問があります。

 真田昌幸は偉大な戦術家であることは間違いなく、その長男真田信之は大局観があったのか、それとも単に徳川に対する血縁上の義理(信之の正室は徳川の重臣・本多忠勝の娘)がそうさせたのかはわかりませんが結果として関ヶ原で東軍についた事実から、先を見通せる男と描くのは有りだとは思います。が、真田信繁はどこまでいっても一武将に過ぎず、良く言っても優れた戦術家としかその生涯からは受け取ることが出来ません。いかに秀吉の影響を受けたというストーリー展開とはいえ、これが今後に重要な要素として持ち込めるような雰囲気が考えにくいと思っています。

 

徳川家康の先を見通す目

 

 一般的に徳川家康は苦労の人、またはタヌキおやじとして描かれることが多いように思います。

 本能寺の変、秀吉の天下取りを境に時代のルールが次々に塗り替えられていき、武田、今川、北条とかつての宿敵であり盟友が次々と滅んでいく中、なんとか生き抜き、立ち回り、結果として天下をとった徳川家康が時代を見通す力がなかった、ということは無いと思います。

 けれど不思議な事に徳川家康が時代を読む力に優れ、その時々に正しい態度を表明していたという解釈で描かれることは少ないように思います。

 本能寺の変を通過し、秀吉を時代の中間点として関ヶ原まで描かれる戦国時代の物語があった場合には、その折々で時代のルールが常に書き換わり、その時々において正しい選択をしなければ大勢力であれ滅亡という、わりとゲームとしてはハードモードな内容でありながら、その勝者である家康をうまく捉えるという行為は案外難しく思えています。

 まだ「真田丸」は物語としては折り返し地点ですが、今後どのように展開するのでしょうか。

 楽しみに思っております。

 

 

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