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若い読者のための短編小説案内/村上春樹

村上春樹のはじまり

 
 初期の村上春樹は意図的に日本的な匂いがするものを遠ざけていたように感じる。
 
 一般的に村上春樹のイメージと言えばビートルズ、スパゲティ、アメリカ文学あたりだろうか。
  どこまでが初期なのかについては人それぞれ考えが異なってはくるだろうけれど、「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に「ノルウェイの森」「ダンス・ダンス・ダンス」を含めたくらいまでが初期になるのではないかと私は思っている。
 特に初期の三部作ではその文体の雰囲気がカート・ヴォネガット的でもあり、ビーチ・ボーイズビートルズがBGMとしてかかり、当時の日本文学とは少しばかり距離感があり日本的なものとは言いがたい部分が強かった。
 

村上春樹と西洋かぶれとウォーズマン理論

 そういった意味で初めて日本的なものが色濃く出た作品が、「ノルウェイの森」ということになる。
 「ノルウェイの森」は全共闘の時代に青春時代を過ごした主人公について書かれた作品で、それまでの村上春樹の作品とは異なりモデルとなる時代・場所が想像しやすくなっている。主人公の「僕」はノンポリであり、当時の学生運動がいかにくだらないものだったのかを時代背景として記している。ただし、この物語の作品名はビートルズの曲名から拝借されており、内容的にもべっとりと1960年代の東京の匂いがするわけではない。
 
 不思議な事に国内と海外では村上春樹の評価に対して温度差があるというか、まったく異なる評価のように思える。
 日本国内では、村上春樹的の書く作品は文体、登場する文化的下敷き、固有名詞なども含めて「西洋かぶれ」な借り物文学として扱われている。
 海外での評価はこれとは異なり、村上春樹は日本的な文学者として捉えられているように感じている。もちろん、私は村上春樹の海外での評価についてきちんと調べたわけでもなく、一般的な評論/論調などをもとにざっくりとした感想を書いているにすぎない。が、村上春樹の持つわけのわからなさ/どこにも所属していない感じが、日本独特のオリエンタリズムと捉えられているようにしか思えない。自分たちと若干異なる何かを捉えて、そこを日本的なものと考えられている部分が往々にしてあるように思う。
 
 話は変わるけれど、村上春樹の小説がどうしてここまで海外で広く翻訳され、受け入れられているのか、ということについて少しだけ考えたことがある。
 それは、村上春樹の小説に出てくるビートルズなりビーチボーイズなり、その他細部のアイテムたちが文化的垣根を飛び越えて伝わりやすい状況を作り出しているからではないか、というのが一つの仮説だ。
 また、読み手ももちろん重要ではあるけれど、翻訳者がたくさんいるということはより重要な話だ。
 たとえば、私たちがフィッツジェラルドなり、カート・ヴォネガットの翻訳小説を読む時、文化風俗の差によりまったく理解できない部分というのは必ず存在する。脚注で翻訳者がどんなに必死に説明しても読者には理解できないこと、というものはある。
 日本の小説にジョジョだのキン肉マンだのが登場した場合に、これを翻訳して伝えることはかなり難しい。両手にベアクローを装着し、いつもの2倍のジャンプと3倍の回転を加えて1200万パワーだといっても、それはどんなに頑張っても海外の読者にこの面白さは伝わらない。原体験が違うし、そもそもウォーズマンなんて知らない。いや、ウォーズマン理論だけなら何とかなるかもしれない。けれど、それが1000ページも続く小説ならば誰であっても翻訳したいという気持ちになれない。
 伝わりやすい素地を持ち、それを訳したいという状況が創りだされた結果が今の村上春樹の海外での評価の礎ではないだろうか。
 物語の主題も重要な要素ではあるけれど、自分たちの慣れ親しんだポップ・カルチャーが海外でどのように扱われているのか、ということだって伝道者となる翻訳者たちの気持ちを高ぶらせる要素となりうる。
 
 作品内のアイテムとしてビートルズビーチ・ボーイズなどのポップカルチャーを使い、文体としてはカート・ヴォネガットなどアメリカ文学を思わせるもの。そんな薄っぺらいものが村上春樹の正体なんだろうか。
 つまりは村上春樹は単なるマーケティング・モンスターなんだろうか。 
 
 私なりの答えを先に書いてしまえば、村上春樹は自身のもつ日本的なものを覆い隠すために、あの独特な文体/言い回し、ポップカルチャーが使われている。その奥底にあるものにたどり着くためには、そんな意匠を取り外す必要がある、という風に考えている。
 

村上春樹の小説はなぜ多重構造なのか

 村上春樹の初期の作品では不自然なくらいに、主人公の両親の話題が登場しない。子供が主人公の短編などもあるので完全に、というわけではないけれど、主人公の親について語られるとしても本当に必要最小限といった感じでしかない。
 その感じからすると村上春樹における主人公は、孤児ではないか、いや何なら木の根っ子から生えてきたのではないとすら思えるくらいだ。
 
 村上春樹はエッセイの名手で、村上春樹の書くエッセイはとても評判がよい。現役で文章を書いている人間では作家というカテゴリにとらわれずとも、エッセイというジャンルでは間違いなくナンバーワンではないかと私は考えている。
 その内容はヤクルトスワローズのことであったり、猫の話であったり、音楽や映画の話であったり、文学の評論家についてであったり、奥さんの話であったり、交流のある編集者やイラストレーターであったり、学生時代の話であったり、普段思っていることであったりとかなり多岐に渡る。
 その中で、本当にごくまれにではあるけれど、氏のご両親についての話題がある。
実は村上春樹が自分の両親がどんな人であったかについて語る場面は、その圧倒的な仕事量からするとかなり少ない。ただし、全くしないわけではない。聞かれたら答えるといった感じに近い。このためエッセイよりもむしろ対談風の記事において村上春樹は両親について語ることが多い。
 エッセイやインタビュー記事から出てくる内容からすると村上春樹の両親はともに、国語教師だそうだ。そして子供の頃から国語というものについてかなりきっちりと教えこまれたと語っている。
 また後のインタビューなどで村上春樹の父は研究者であり、国語教師であり、僧侶であったということを語っている。さらに言えば村上春樹の父親は学生時代に徴兵されて戦地である中国に赴いたそうだ。
 この話を総合すると村上春樹の作風、特に中盤以降の作品に父親の存在が大きく影響を与えているという気がしてくる。
 
 中期以降の村上春樹の作品には、初期作品とは異なる何かが入り込むようになった。たとえば一部の作品たとえば「ねじまき鳥クロニクル」ではノモンハン事件のようなかつての日本のおこした戦争のシーンがゴリゴリと挿入されてくる。「ノルウェイの森」の主人公はノンポリではあったが、氏のエッセイの内容から村上春樹という人がその態度をいっさい表立って表明しないものの政治にまったく無関心ではないことは分かってはいたけれど、「ねじまき鳥クロニクル」でのノモンハン事件の描写は私にとって何か唐突なものと感じさせた。
 また「1Q84」では不思議な宗教団体が入り込んでくる。もしかすると一般的な読者からすれば、そんなものは「羊をめぐる冒険」から何も変わっていないよ、というかもしれない。が、私にはそうは思えなかった。
 

村上春樹と社会

 村上春樹はデビューしてからしばらくの間、政治とも社会とも隔絶する若者寄りの立場で扱われていたように思う。そして村上春樹自身もそのように振る舞っていたと思う。
 けれどある時期を境に大きく村上春樹の作品と行動が変わった。それはおそらく「ねじまき鳥クロニクル」の少し前くらいからではないだろうか。
 その後、オウム真理教が大きな事件を起こした後、「アンダーグラウンド」という地下鉄サリン事件の被害者からインタビューを取ったものをまとめた作品を出している。そのあまりにも村上春樹的ではない行動に少なからず彼のファンは驚いた。
 なぜ、村上春樹が突然そのような以前のスタイルと大きく異なるような仕事をしたのか理解ができないとまで言われた。口の悪い部外者はノーベル賞が欲しくなったから社会的な仕事をしたなどと言い出した。けれどその想像は当たっていないと思う。
 これは私の勝手な想像ではあるけれど、大人になったということではないだろうか。父親は国語教師でありつつ僧侶でもあった。村上春樹の死生観、日本の文学からの影響、宗教観と父親の存在はかなり近しい位置にあるのではないのだろうか。そしてそれは、オウム真理教という宗教の名を語っている団体の起こした事件に対して、自分なりの決着をつけたいという思いからではなかったのかと感じとっている。
 何故それが大人になったということなのか、という話ではあるけれど、若い時代の村上春樹は、その出自からも日本の文学/古典にかなり精通していたはずだがあえて避けて来たようにも思える。また宗教的にも、キリスト教もしくは聖書からの影響をかなり指摘されていた。けれど、それは結局すべて父親的なもの(つまり日本の文学であり、仏教的なもの)に対する反発からのようにも思えたからだ。
 

若い読者のための短編

 このブログ記事は村上春樹の書いた著書「若い読者のための短編小説案内」についての感想文でもある。が、今のところ、この著書に関する説明/感想は一行も書いていないので少しだけ書く。
 この「若い読者のための短編小説案内」ではいわゆる第三の新人とよばれていた世代を中心に吉行淳之介小島信夫安岡章太郎庄野潤三丸谷才一長谷川四郎を取り上げている。
 この6名は村上春樹プリンストン大学に客員研究員として呼ばれた際にテキストとして利用した作家達である。海外で暮らすようになり日本的なものをより求められるようになったために、もう一度彼らの作品を読み込んだと村上春樹は語っている。
 村上春樹が日本の作家について、こまかに言及することはかなり珍しく、若い頃は意図的に避けていたのではないかと思える部分もあったが、この著書を読む限り、その両親の影響か、かなりがっちりと文章を構造として捉えていることがわかる。
 
 
 ところで村上春樹プリンストン大学の客員研究員だったのは1991年頃の話で、この後に「ねじまき鳥クロニクル」をかきあげ、その後、日本に戻り、アンダーグラウンドというノンフィクション作品を出すことになる。
 
 
 

 

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