フジロック2016
今年(2015年)のフジロックに関してある噂が流れていた。
噂の内容は後ろ向きなものだった。
その噂の始まりは2014年のフジロック最終日3日目までさかのぼる。
この状況をゲートで目の当たりにした時、私の周辺は少しざわついていた。
2015年はいつもと何かが違う予感がした。
噂の内容は「フジロックそのもの」の終わりについてだった。
つまりフジロックは2015で最終回である、と。
もちろん「そんなこと」にはならなかった。
今年のフジロック2015 3日目退場ゲートでも例年と同様に、フジロック2016で会おうと開催予告と受け取れるメッセージが表示されていた。
フジロック・フェスティバルは2012年においては前夜祭も含め4日間で延べ14万人を動員しているイベントだが、以降の2年間は連続して入場者数を減らしている。特に2014年は10万2千人だったそうだ。
2013年以降は円安傾向が進み海外アーティストの招聘そのものにも例年以上に費用がかかる状態となり、また大物で集客力があり比較的に容易に呼べる出演者はサマソニと合わせるとあらかた呼び尽くした感もあり、さらに実力と人気を兼ね備えた新人はそうそう出てこない状況にあり、どこかしらマンネリ感が漂っている、というのが近年の洋楽フェスの現在位置だ。
特にミーハーな路線もこなすサマソニとは異なり、運営会社のスマッシュ特に日高代表のこだわりが強く出ている関係でフジロックのブッキングについての批判が集中する年は、参加者にとっては快適な状況になりやすい年が多かった。
2014年のフジロックはKanye West(カニエ・ウェスト)の出演キャンセルがあったもののロック・ファンにとっては待望のArcade Fire(アーケイド・ファイア)がヘッドライナーを務め、The Flaming Lips(ザ・フレーミング・リップス)やTravis(トラヴィス)、Basement Jaxx(ベースメント・ジャックス)が登場するなど個人的にはライブ・パフォーマンスとしても優れたアーティストが集まったと感じていたが、多くのフェス好きはそうは思わなかったようだ。
2015年となり公式のウェブページではフジロック2015に関するお知らせが少しずつ埋まってきた。その中にシャトルバス有料化のお知らせがしれっと紛れ込んでいた。これを発見した時のことを私はブログに記事に書いたけれど、なんだか不思議な気持ちがした。(→link)
確かにチケットの値下げと同時におこなわれているため、トータルの収支として参加者に損はない。けれど、本体価格を引き下げて追加料金がかかる今風のソフトウェアみたいな売り方だ。スマッシュというどちらかと言えば不器用に思える運営会社がそんな小賢しいテクニックを使うということに驚きがあった。
2014年までのフジロックにはフィールド・オブ・ヘブンという名前のステージをさらに進むとオレンジコートと呼ばれているステージがあった。
このオレンジコートは主にJAZZやワールド・ミュージックを中心とした出演者が多く登場し、フジロックの音楽についての多彩さを引き受けていた。
また、このオレンジコートは雨に対して大変脆弱で、天気が崩れるとあっという間にぬかるみ、まるで泥田のようになった。
金曜日の深夜にはオールナイトフジというイベントを行いここではダンス/クラブ色の強いアーティストを集め、初日の参加者の帰路を遅らせていた。
とにかくオレンジコートはある種フジロックを象徴するステージとも呼ばれていた。
そのオレンジコートが廃止されるらしいという噂が年明けからずっと流れていた。
Foo Fighters(フー・ファイターズ)、Muse(ミューズ)、Noel Gallagher(ノエル・ギャラガー)というヘッドライナーが発表された後もその憶測は消えることがなかった。
そして、ついに日高代表のインタビューなどによりそれが事実であることが語られた。理由としては水はけの問題とフィールド・オブ・ヘブンとの棲み分けがしにくい現状から思い切って廃止にしたとのことだ。
私にとっては、多くのフジロッカー達と異なり正直オレンジコートは思い入れの低いステージではあるけれど、やはり拡大し続けてきたフジロックのステージが減る、ということは少なからずインパクトのある事実だった。
ところで、廃止されたオレンジコートのあった場所の片隅にはなぜかサッカーゴールが設置され、そしてフジロックの開催期間中にはボードウォークの廃材を積み上げてキャンプファイヤーが催されたとのこと。
キャンプファイヤーの点火そのものは日高代表が直々におこなったらしい。
個人的にはオレンジコートの廃止の是非はともかく、オレンジコートがなくなったおかげでストーンドサークル、バスカーストップ、カフェ・ド・パリの位置が変わり、特にバスカーストップとカフェ・ド・パリの音かぶりがひどくなったこともあり、かなり不満である。落ち着いてカフェ・ド・パリを遠目から楽しむことは今年のフジロックでは出来なかった。
ステージが一つ削減されたフジロック2015のタイムテーブルは例年以上に邦楽アーティストが多かった。少なくとも私はそのように感じた。
星野源や椎名林檎、上原ひろみ、加藤登紀子といったそれっぽいアーティストはともかくとして、[Alexandros]、cero、10-FEET、RIZE、ゲスの極み乙女。、キュウソネコカミのようなどこかひたちなかで行われているロック・イン・ジャパンを想像させるようなアーティストもたくさん登場した。
さらにメインのグリーンステージの登場アーティストも7から6へと減っている。これらの影響で邦楽アーティストの登場数は変わっていないのかもしれないけれど、トータルの出演者が減少したことにより割合が変わっただけかもしれない。
ヘッドライナー級はビッグネームであることに変化はなかったけれど、全体として層が薄くなったように感じた。そんな2015年のフジロックだった。
せっかくなのでフジロック2015のライブ以外の感想というか印象を少しだけ書く。
スタッフの数が例年に比べ少なかったように思う。特に各所に関所のように配置されていたリストバンドチェックは入場ゲートのみだった。たぶんそんな感じでひっそりと色々なところでコストを削減しているんだろうな、と私には感じられた。
集客は、邦楽アーティスト増強の効果によってか、もしくはチケット代金値下げのおかげか、はたまた新たな広告手法の成功によってか、それともヘッドライナーの知名度によってか、とにかく2014年よりもお客さんはいた。後で知った入場者数は11万5千人ということで確かに数字的には動員している。
客数そのものは増えてはいたが、オレンジコートが空き地に変わっていたり、スタッフの数が少なくなっていたり、スカスカのタイムテーブルを見たりと、毎年このフェスに聖地の巡礼のごとく訪れていた参加者にとってはどこか寂しさのあるフジロックだったとも言われている。
「フジロックの終わり」とはならなかったものの、フジロックは変わりつつある。
そんな印象を感じた。
ところで私は○○はxx年から□□の登場により突如として変わったみたいな言い方が好きではない。変化、というものはそんな唐突なものではない。各所に変化の芽みたいなものがたくさん息吹いていた状態で、何かが変革の旗頭を引き受けることはよくあるが、それは文章の書き手は少しばかり話を印象的なものにしたり、ダイナミックにしたり、もしくは単純化したいからそんな物言いをするだけで、実際には岩がゴロッと動く予兆みたいなものは少しづつアラートとして世に出ており、それを誰しもが受け取っているはずなのに見て見ぬふりをしているだけに過ぎない。本当に突如として変革が起きるとするならば、それはトップダウンの組織が突如として何らかの理由により、リーダーが変わる時だけだと思う。
フジロックの変化も2015年から突然起きたわけではない。
たとえばサカナクションが登場して大渋滞を引き起こしたのは2012年の出来事だし、BRAHMAN(ブラフマン)がNine Inch Nails(ナイン・インチ・ネイルズ)とMy Bloody Valentine(マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン)の間に割り込んで賛否両論を巻き起こしたのは2013年のこと、つまり毎年のことじゃないか。
けれどオレンジコートがなくなり、邦楽アーティストの比率があがり、2015年を起点としてフェスとしてのフジロックが衰退しているように感じた常連の参加者がいたとしても不思議ではないと思う。
フジロックは興行である以上、誰かを対象とした商業イベントだ。
もし仮にフジロックの主催者が対象者を切り直したとしたならば、それは大きな変革に繋がることなのかもしれない。
ただし、今年の変化については決して前向きな変化とは異なるものに私は感じた。前向きな挑戦というよりは後ろ向きな保守的な姿勢に思えて仕方がなかった。
とにかくだ、フジロック・フェスティバル2015の最終日。退場ゲートのところには
「SEE YOU IN 2016!!」
の文字があった。
おそらくはフジロック2016は開催されると思う。
2015年の例に習うならば、グリーンステージのトリは少し無理をしつつ、ホワイトステージ、レッドマーキーは力はあるけれどどちらかと言えば新人に近いアーティスト、お昼の時間帯は集客力のある邦楽を、という方向性だろうか。
フジロック2015がそうであったように開催されてしまえばおそらく楽しくもあり、なんら問題がない。けれど不思議な事にこれをフジロック2016の予想とか妄想という言葉にしてしまうとびっくりするくらいにワクワクしない。
フェスにとって、夏フェスにとって大切なものは、参加者が勝手に楽しそうという妄想を広げてしまうワクワク感だと思っている。このよくわからない浮力というか磁力こそが多くの人を引き付けるフェスの魅力そのものなんだと私は感じている。
もちろん登場するアーティストや出演者はその重要な要素だ。The Stone Roses(ザ・ストーン・ローゼズ)とRadiohead(レディオヘッド)がともに初めてヘッドライナーとして登場した2012年が過去最高となる集客だったことからも、その考えつまり出演者のセレクトそのものが魔法を生むということは間違っていないと思う。
とはいえ、この記事の最初の方にも書いたけれど、フジロックはいや洋楽フェスの出演アーティストはマンネリ化が進んでいる。
圧倒的なマジックを生むような出演者は存在しないわけではない。たとえばU2、たとえばPrince(プリンス)、たとえばMadonna (マドンナ)、たとえばPaul McCartney(ポール・マッカートニー)、たとえばThe Rolling Stones(ザ・ローリング・ストーンズ)。書いていて虚しくなった。フジロックは老人ホームか何かか。まだ飛行機嫌いのAdele(アデル)かOasis(オアシス)の再結成に期待したほうがマシか。と、散々名前を挙げてみたものの、真面目に考えればColdplay(コールドプレイ)かDaft Punk(ダフト・パンク)あたりがヘッドライナーを務めれば大勝利というのが現実的な勝敗ラインだ。
2016年のフジロックというものがいったいどうなるのか、ということは今の時点では予想もできないけれど、今までと同様にオアシスエリアでもち豚と五平餅を食い、ワールドレストランでフィッシュ・アンド・チップスとハイネケンをいただくことが出来れば、もうそれだけで良いと考えている飼いならされた私が同居していることも事実だ。
ところで最後にひとつだけ。今年の位置だとカフェ・ド・パリとバスカーストップは音がかぶりすぎているので、本気でどうにかしてほしい。
落ち着いてセクシーなお姉さんのポールダンスも見られやしない。
長々と書いたけれどそれだけが、私のフジロック2016に対する願いだ。