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サクラタブーの打ち切りとその後の猫田ゆかり

あらすじ

 この文章は2014年頃、週刊漫画雑誌「モーニング」に掲載されていた猫田ゆかり作「SAKURA TABOO(サクラータブー)」の連載とその不思議な読後感のある最終回をもとに、私が思う「打ち切り」についての感想と、その後の猫田ゆかりについて書かれた私の記憶の残骸である。もしかすると人によってはネタバレと呼ぶかもしれない。

 
 
 打ち切りには色々な形がある。
 それはつまり漫画本編のストーリーだけではなく、漫画家と編集者と出版者と、そして読者の思惑が絡みあってくる。
 

サクラタブーの打ち切り

 サクラタブーという漫画が面白いと1年くらい前に書いた。(→link)

この警察官僚を題材とした漫画はおそらくは、猫田ゆかりにとって初連載となる作品だ。

 主人公は「失脚屋」という異名をもつ男、若き警視正・桜真忍。この失脚屋は異動になるごとに上司を破滅させる。それは左遷や退官だけでなく行方不明者まで出している警察の疫病神。

 第一巻の冒頭、桜真忍は、今後ヒロインとなるであろう婦警にイギリスからの帰国を出迎えられ、同日、警察庁長官の射殺事件が発生し物語がはじまる。そしてもう一人。おそらくはこの物語のラスボスに設定されているであろう重要人物、警察庁首席監察官・綾目宗一郎が登場する。

 綾目宗一郎は第一話では、「失脚屋」桜真忍をよびつけ不敵にニッコリと笑うだけだが、読者にこの人物は只者ではない(=ヤバイ)という印象を強く与える。

 大きな事件で物語が幕を明け、同時にヒロインとラスボスをそれぞれ存在感ありげに登場させる。主人公のキャラクターも「失脚屋」という異名にふさわしく相当に印象的だ。

 

 今回の警察庁長官殺人事件は作中で19年前に起きた警察庁長官殺人事件とそっくり模倣どころか、まったく同じ銃が使われていることが判明。謎が謎を呼ぶストーリーとなっている。

 また、事件の捜査を扱う物語として王道のバディものとなっている。その相棒は現場あがりの熱血な刑事で、主人公の桜真忍が若きキャリアのエリートであることとまったく対照的に描かれている。

 

 新人漫画の連載スタートとしては、かなり上手い部類ではないだろうか。

 

 2巻では警視庁長官殺人事件の犯人が明らかにされ、今回の事件そのものはいったん解決するものの、19年前に起きた事件とその捜査に関わった第三の専従班と彼らの身辺で起きた事件、そしてその犯人については謎のまま物語は続くことになる。

 謎は謎として、桜真忍は事件解決後、ラスボスのように描かれている綾目宗一郎の部下となる。

 

 3巻でサクラタブーはいったん終了となる。

 サクラタブーは週刊モーニング上で連載されていた漫画で、連載においてはあまりの唐突な終了に私は驚いた。

 とりあえず直近で発生していた事件は解決したものの、あまり美しいクローズという形にはあまり思えなかった。

 

ジャンプシステムとヤングサンデー

 人気投票と打ち切りは週刊漫画雑誌の華だ。

 時に打ち切りにまつわるエピソードは、読者が本編そのもの以上に好む話題となる。

 10週で打ち切りとなった連載漫画の中にはそのわずかな掲載期間以上に存在感を示した作品もたくさんある。「ロケットでつきぬけろ」あたりが有名で、最近では少しだけ話題となっていた「レディ・ジャスティス」がこれに該当する。

 アンケート至上主義と揶揄されることも多い週刊少年ジャンプの、読者アンケートはがきの結果により掲載位置と時には連載終了が決まるこのシビアな仕組みはジャンプシステムとまで呼ばれ、週刊漫画雑誌における連載そのものを題材とした作品では避けて通れない話題でもある。

 「打ち切り漫画」という言葉で検索をするとザクザクと週刊少年ジャンプの漫画がヒットする。もちろんジャンプが一番の発行部数を誇り、小中学生男子が誰もが通過する漫画雑誌ということもあるけれど、やはり読者にとって打ち切りイコールジャンプということが脳みそに刷り込まれている部分がある。

 そしてジャンプの打ち切り漫画は決してクオリティが低いわけでもなく、強烈に読者の記憶に鉤爪を残している。

 例えば荒木飛呂彦の「バオー来訪者」は名作と言っても良いくらいの出来だったし、車田正美が描いた「男坂」最終回のラストの見開きにいたっては伝説と言っても過言ではない。

 うすた京介の「武士沢レシーブ」の最終回は年表だったという話は、連載が終了してから15年以上経つ今でも語られる話のひとつだ。

 また、島袋光年の「世紀末リーダー伝たけし!」は本人の意志とは無関係に新聞およびニュースの社会面を賑わす形で打ち切られた。 

  ジャンプシステムでなくても、打ち切りは漫画雑誌の数だけある。あからさまに本誌の方針転換により物語半ばで打ち切られた山田芳裕度胸星」、新井英樹ザ・ワールド・イズ・マイン」、山本英夫殺し屋1」あたりについては、今でもヤングサンデーがおこなった暴挙として語られている。新しい編集長の方針として、サブカル的な漫画を必要とせず、もっと広い層に受け入れられる新連載たとえばスポーツ漫画などを増やし紙面のメジャー化を図ろうとしたようだ。

 ところが残念ながら週刊ヤングサンデーはその後、雑誌の方針転換に失敗したのかはっきりとした理由は不明だが休刊となった。

 雑誌が休刊となれば、やはりこの場合も多くの漫画が打ち切りとなる。

 新井英樹ヤングサンデーでの連載が打ち切りとなった後、別の雑誌で新連載を始める。これがボクシングを扱った内容で「シュガー」という作品だ。主人公の石川凛は圧倒的な才能をもつ天才ボクサーとして描かれ、プロデビューをする。石川凛の師匠は現役時代、やはり圧倒的な才能を持つ天才ボクサーだったが、彼いわく「ボクサーと呼べるのはチャンピオンから」。ところがこの物語「シュガー」は石川凛がチャンピオンとなる前に連載誌のヤングマガジンアッパーズが休刊となってしまう。後に装いを新たにヤングマガジンにて「リン」というタイトルで続編を始めることとなるが、いったん盛り下がってしまった炎は、残念ながら復活することなくリンはその後打ち切りとなる。

 打ち切りと言えば、私の好きな木多康昭も有名な打ち切り漫画家だ。もはや打ち切り芸といっても良いと思う。「幕張」「泣くようぐいす」「平成義民伝説 代表人」の3作はどれもこれも味わい深い最終回となっている。前作「喧嘩商売」で初めて打ち切りとは異なる終わり方をした。物語は終わらず次の喧嘩稼業にそのまま受け継がれているだけだが。

 

散り際の美しさ

 アンケートの不調であれ、編集部の都合であれ、掲載雑誌の休刊であれ、打ち切りである以上、漫画家は何らかの形でストーリーに決着をつけなければいけない。

 打ち切り終了の際の終わり方にも色々とパターンがある。

 それでも無理矢理に整合性をつけて伏線を回収して間をすっとばして話を終わらせるか、物語冒頭で見せたラスボスやライバルに向かって駆け上がっていき「俺達の本当の戦いはこれからだ」とばかり主人公のこれからの可能性を予感させつつ終わるか、それともいっそ開き直ってギャグに走ってしまうか、作者そのものが唐突に登場し状況を説明しつつ打ち切りを詫びるか、あるいは主人公の見た長い夢だったことにしてしまうか。

 とにかく想定外の打ち切りはなかなか、綺麗に終わらせることは難しい。

 

 ところで長く連載が続いたからといって、大円団の最終回を迎えられるわけではない。

例えば週刊ヤングジャンプで長く連載されていた奥浩哉の「ガンツ」は一応物語の決着もついているし、破綻をさせつつ物語を終えたわけではない。恐らくは作者の予定通りの終了。けれどその最終回はあまりの投げやり感から打ち切りレベルという評価を受けている。

 また同じくヤングジャンプで連載されていた甲斐谷忍の「ライアーゲーム」は最後の勝負に突入すると、ずるずるとテンションを失っていき、最終回はもう本当に打ち切り漫画そのもののような話だった。権力者が圧力で動画を消したことをにおわせるようなことを主人公の秋山にしゃべらせ、そしてその最後は「闇は、俺達の想像より遥かに深いってことだ」「そっそんな」という秋山と神崎直のやり取りで終わる。

 打ち切りでなくても、きちんと物語を終わらせるということは非常に難しい。

 

サクラタブーの最終回

 話がひたすらそれた。サクラタブーの話だ。

 サクラタブーは唐突に終わった。話の内容的に警察庁および公安警察を取り扱っており、特に現実に起きた警察庁長官狙撃事件を一部モチーフとしている。このため警察庁もしくは公安の圧力により、連載が続けられなくなった可能性もあるが、恐らくはそうではないだろう。

 サクラタブーの最終話は直前で起きていた誘拐事件が解決した所から始まる。けれど、この誘拐事件は実際には犯人がいるものの被害者の狂言として処理されることになる。

 作者はおそらくこの物語をたたむ気持ちがいっさいなかった。

 最終回も本当にひとつのエピソードの通過点というような内容で、そもそも言われなければ最終回とは気がつきようもない。もちろん伏線もストーリー上の謎もいっさい回収しない。

 最後のシーンは主人公の桜真忍が誘拐事件の犯人であった男に話しかけ「僕と友達になりませんか?」と問いかける。ここには、ひとつもここで物語を終わらせるという気持ちがない。そしてサクラタブーが打ち切りであることはほぼ間違いないようだ。

 謎はたくさん残った。

 19年前に起きた警察庁長官殺人事件の実行犯である巡査長とは誰なのか。第三の専従班はなぜ皆、怪死したのか。綾目宗一郎の作った調査監査室とは何なのか。そもそも綾目宗一郎の目的はいったい何か。

 先ほど、いくつもの打ち切りなりの終わり方を列記した。そこの中には例としては挙げなかったが、一つの方法としてかなり乱暴ではあるけれど、打ち切りであることを気にしないというやり方がある。

 とにかく猫田ゆかりは物語にいっさいの決着をつけなかった。

 理由としてはおそらく、いつか来るべき日のため、つまりは、サクラタブーの続編を書くその日のために物語に妥協した終わりにしなかったからだと思う。

 いや、もしかしたら技量の問題だけだったのかもしれない。突如として物語を終わらせ、カッコウをつけるということはそれなりに技量が必要とされる話だ。

 打ち切り漫画を綺麗に終わらせるという作業は初連載の新人漫画家には難しいことかもしれない。けれど、この記事の最初に猫田ゆかりは第一話でエンターティメントに必要な要素を一気にだせる能力の高い漫画家であることを説明したつもりだ。

 つまりは出来るけれど、それには挑戦しなかったということかもしれない。

 

 打ち切りの場合、やはり色々な立場の人間の思惑が絡んでくる。

 綺麗に終わらせたい。謎だけは解明してほしい。序盤の伏線はきっちり回収したい。最後にでっかい花火を打ち上げたい。最終回なんて嘘だ、雑誌はどれでもいいので続けてほしい。もう、とにかく次のことを考えたい。

 本当にひとそれぞれで様々だ。

 

 連載が終了した後に発売されたサクラタブーの3巻には、20ページにわたる追加エピソードが掲載されている。

 これは綾目宗一郎と桜真忍の父親に何らかの因縁があったことを匂わせる話であり、桜真忍の相棒、四方木賢介の今後を示唆する話でもある。

 猫田ゆかりは、必ずこの物語にどこかで改めて決着をつけたいと考えているように私は感じた。

 そのための週刊連載のあまりにも投げっぱなしとも思える最終話だったんだろうな、と私は考えた。

 

 

その後の猫田ゆかり

 

 ところでこの記事のタイトルは「サクラタブーとその後の猫田ゆかり」なので、その後の猫田ゆかりについて少しばかり。

 実は猫田ゆかりはTwitterをやっている。(→link)もともとはサクラタブー連載中からモーニング編集部により運営されていた作品専用のアカウントだったが、連載終了後、アカウントを猫田ゆかりが譲り受け、現在は漫画家の個人アカウントとなっているようだ。

 

 そして実はサクラタブー連載終了後、新たなる作品を完成させており、コミックスを上下巻という形で発表している。 

 

 

 
 

 

 タイトルは「天空の蜂」。東野圭吾が1995年に発表した小説を原作としている。また同小説は今秋(2015年9月)、映画版も公開されている。

 内容は原子力発電所とヘリコプターのハイジャックを取り扱っており、社会派的な部分やタブー的な部分を多分に含んでおり、ネット上の無責任な噂では、映画版より出来がよいとのこと。

 私もすでに読んでおり、こちらも個人的には読んで損がない作品。

 

 

 

 

 

 

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