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80年代のロッキング・オン

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 私が見つけた古いロッキング・オンについて書こう。

 

 2010年を超えてからのロッキング・オンはぺらぺらだ。私がロッキング・オンを読み始めた90年代とは雑誌の厚さが違う。その厚さとは文章の密度のことではない。物理的な、雑誌の厚さのことだ。とにかく最近のロッキング・オンは私の知っているかつての90年代のロッキング・オンとは本の厚さが違っている。

 

 

 

 名古屋市の北の方に古いバーがある。そのバーではジャズばかりがかかりジャズのレコードがたくさんおいてある。テーブルの上にはフードとお酒のメニューの印刷がペタリと貼り付けられた古いジャズ雑誌が置かれている。もちろん同じジャズ雑誌がたくさんあるわけではないのでテーブルごとのメニューの表紙は違うジャズマンだ。

 

 ある時、そのバーのとある机の脇にジャズの名盤カタログや著名な写真家の写真集、名古屋の喫茶店案内などとともに古いロッキング・オンが数冊置かれていることに気がついた。

 それは80年代中盤のロッキング・オンだった。少し前の話なので表紙がMadonna(マドンナ)なのかDavid Bowieデヴィッド・ボウイ)なのか、はたまたStingスティング)なのか、それともU2なのかは忘れてしまったけれど、少なくともMichael Jacksonマイケル・ジャクソン)ではなかった。おそらく編集長はまだ渋谷陽一増井修ではない時代のものだ。

 90年代のロッキング・オンは私の知る限りまがりなりとも上品でスタイリッシュな作りでそしてそれなりの厚みがあった。雑誌としては美しい部類だった。けれど、私が古いバーで手にした80年代中盤のロッキング・オンは薄く、チープなどこか垢抜けない洋楽雑誌だった。お世辞にもこの数年後に洋楽雑誌として売り上げNo.1になる雑誌には見えなかった。

 

 ネットの中にいるロッキング・オン親派な方々は、基本的に増井修的なもの、もしくは田中宗一郎(タナソー)的なものを愛好している人が多いように感じている。そんな中私はロックというジャンルの雑誌を作り、多くの編集者がロッキング・オンを去った中いまでも雑誌としてのロッキング・オンを継続させている手法も含め渋谷陽一はすごいとずっと思っていた。いや今でもすごいと思っている。

 確かに創業者としての、経営者としての渋谷陽一は有能だった、と今でも思う。けれど80年代中盤のロッキング・オンを改めて見ると、増井修の編集者として、編集長としての功績は大きかったんだろうな、と再認識をした。

 

 もちろん何もないところから雑誌を作りあげ、軌道にのせ、経営者として今もなお会社を存続させている渋谷陽一の能力と、一つの雑誌を大きくステップアップさせた編集者としての増井修の能力は、能力の方向性や質や役割が違うため比較するべきものでもないし、本来は共存できる力なので同列に語るべきではないけれど、それでも、編集長としての力量は大きく異なるとは感じた。

 

  もちろん80年代的なロックやファッションを今の時代に振り返って見ることそのものが垢抜けた思考ではないのかもしれない。

 ロックや洋楽はもちろんのこと、邦楽はたまたアイドル、歌謡曲だって時代とともに大きく進化している。

 

 

 2010年を超えてのロッキング・オンは薄くなっている。私が古いバーで見つけた80年代中盤のロッキング・オンに先祖返りしている。

 これはおそらくは時代のせいというやつだ。音楽雑誌というフォーマットが今の時代に追いつかなくなっている。

 そりゃそうだ。海外で有名なアーティスト、例えばNoel Gallagher(ノエル・ギャラガー)なり、Kanye Westカニエ・ウェスト)なりの発言はあっという間にネット上を駆け巡る。訳がなくても親切な人が誰か訳してくれる。いちいち活字になって半月後、紙に印刷されるまで待つ必要など何もない。

 

 今のロッキング・オンの編集長は山崎洋一郎という男で、かつてロッキング・オン・ジャパンを邦楽雑誌としてはメジャーな位置まで引き上げた功労者だ。

 そんな山崎洋一郎が苦闘しながら作った今月のロッキング・オンジョン・レノンポール・マッカートニーの二人が表紙だ。なんと80年代からさらに60年代まで遡っている。この雑誌の感想については近いうちに書きたいと思う。

 

 

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