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最近おもしろいと思った漫画 2014年9月版

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 最近私がおもしろいと思って読んだ漫画のまとめです。

 なぜこんなまとめを唐突に書きだしたかと言えば。

 6月くらいに「フリンジマン」というヤングマガジンで連載されていた不倫を題材とした漫画の1巻の感想をこのブログで書いているんですが、当時の決意としては漫画を買う頻度もかつてと比べて驚くくらい落ちているしせっかくだから、「これからは買った漫画は全部感想書いてやるかな」くらいの軽い気持ちでいたんです。これがとんでもない勘違いでした。

 実は私の漫画買う頻度は一切落ちていなかったみたいです。

  少なくともひとつの漫画を一記事にするには私のブログを書く速度では無理かなと思われる程度には漫画を買っています。なので今回ある程度まとめて最近おもしろいと思った漫画を感想とともに紹介したいと思った次第であります。

 ※一部最近読んだものじゃない漫画も含まれていますが今まで感想を書いたことがなく今のタイミングがちょうどよいのではと思ったのでご紹介します。

 ※このブログのタイトルは「vsおすすめ」ですが特におすすめとかそんなんじゃなく、どちらかと言えばブログを書いている人のただの感想メモです。

 

目玉焼きの黄身 いつつぶす? 1巻/おおひなたごう

 

 この漫画に描かれているのは魂と魂のぶつかり合いだ。あるいは生き様と生き様の対決とでも言えば良いのだろうか。

 「食」をテーマに描かれた漫画は今までたくさんあった。「目玉焼きの黄身 いつつぶす?」もまた「食」について描かれた漫画だ。一般的なグルメや料理を扱った漫画は、料理人と料理人がお互いの調理の腕を競いテーマ性を競いそして審査するものが出来た料理を食べリアクションをするといった少年漫画のような定番な流れか、はたまた主人公が自分の今までの生活を思い浮かべながら何かを食べる青年漫画か、それとも何かの料理や食材、酒についてウンチクを語るといったものが多かったが、この漫画はどこにでもあるようなメニュー、例えば目玉焼きであったり、とんかつ(のキャベツ)だったり、カレーであったり、洋食のライスだったり、みかんの皮だったり、朝食の納豆だったり、ちらし寿司であったりと本当にありふれた料理について扱っている。そしてその食べ方について主人公の二郎が暑苦しいくらいに熱く真剣に、もだえながら周囲に摩擦をもたらしながら模索していくそんな漫画だ。

 例えばあなたは朝食の時、ご飯と一緒に出てきた目玉焼きをどう食べるだろうか?私ならば、ちょうどこの漫画の登場人物であり二郎の恋人でもあるみふゆと同様に白身を順番に食べてから、黄身を潰さずに最後に一気に一口で食う。ただし私はこの漫画の登場人物たちとは異なり目玉焼きには醤油ではなく必ずソースをかける。私にとってそれ以外の選択肢などありえないからだ。これは長年かけてつちかってきたスタイルであり、これがもっとも美味しい食べ方だと信じて疑わない。もしもこれを否定されたならば二郎と同様に「おまえ…バカか?」と反射的に口走ってしまうかもしれない。

 そう、二郎は自分と異なる方法で目玉焼きを食べるみふゆに対して「バカか?」と言ってしまったのだ。気がつくと二郎の前にはみふゆはいなかった。

 二郎は職場の近藤と一緒に目玉焼きを食う。近藤の目玉焼きの食べ方は二郎やみふゆのそれとは異なる。近藤は目玉焼きの白身の部分だけを食べ、黄身だけになったらそれを丼に移動させる。そして醤油をたらしたらグチャグチャにかき混ぜて一気に口の中へかきこむ。思わず二郎の口から「何故?」の疑問が漏れ出る。近藤はそれに対し自分なりの回答を提示する。そのあまりにも斬新な目玉焼きの食べ方とその理由についに二郎は打ちのめされる。

 基本的にこの漫画では毎回、上記の目玉焼きのようなやりとりが繰り返される。これは決して食べ方の作法の問題などではない。魂と魂のやりとりなんだ。

 この漫画はそういった意味で大傑作である。ギャグ漫画の皮をかぶってはいるものの飯の食い方などという小さなテーマではなく生き方の漫画なんだ。

 日常の風景だって繰り返せばこだわりもになるし、生き様になる。村上春樹のエッセイでは、サマセット・モームの「どんな髭剃りにも哲学はある」という言葉が取り上げられているが、この漫画に描かれていることはそれと一緒だ。そして多くの人の哲学ともいうべき「食べ方」がぶつかりあっている。

 

夕空のクライフイズム 1巻/手原和憲

 

 少年漫画の成長物語と、萌えと、サッカーのウンチクが絶妙なバランスを保ちながら一つの漫画に同居している。

 「夕空のクライフイズム」の主人公・今中は高校二年生のサッカー部。レギュラーではない。ポジションはフォワード。三年生が引退した直後、それまでの監督・茂木が新興の私立高校に引き抜かれて、新任監督・雨宮が現れるところから物語が始まる。

 雨宮監督は主人公にとっては中学時代の監督であり恩師であるが何故か頭のネジが吹っ飛んでいた。

 作品のタイトルのクライフイズムとはオランダの生んだ偉大なサッカー選手ヨハン・クライフの思想のこと。「美しく敗れることは恥ではない。無様に勝つことを恥と思え」唐突に現れた新監督の方針はヨハン・クライフの作ったチームのようなサッカーをして最高の負け試合をすること。このチームの目標は「とにかくガンガン攻めるチームを作り、最終的に皆さんが全国で一番の、引退試合をすること」。チームのフォーメーションは3-4-3。

 クライフのチームは作中では中二病と表現されている。最も高い理想を掲げた、最も美しいチームと言われている。全盛期はたったの4年だったが「美しいサッカー」という言葉で語られている。

 作者はかなりの強度のサッカーオタクであり、海外サッカーや戦術論が好きなのは間違いない。そして自分のもっているサッカー知識を分かりやすく読者に伝えている。

 監督の娘がコーチとして登場し、これが表紙にもなっている雨宮雨。クライフを想起させるかのようにいつもチュッパチャプスをなめている。主人公・今中同様サッカーオタクで今中とのサッカー談義に花が咲く。太ももの魅力的な彼女がこの漫画では萌えの部分を受け持つ。

 今中は決して才能あふれる選手ではないがドリブルの練習だけはかかさない。彼の武器はドリブルだ。

 勝利至上主義の監督が去り、負けることよりも攻めないことを良しとしない新監督に部員達は戸惑う。けれど今中はそんな状況にワクワクする。戸惑いを見せたチームメイトたちは自分の弱点を少しづつ克服し、新たなるチーム作りがちょっとづつ前進していく。

 負けることを前提にチーム作りをしていくある種開き直りにも似た不思議なサッカー漫画。決して王道のスポーツ漫画ではないけれど、少年漫画のような成長の要素がふんだんにあり長く続けば名作の予感。あまり話題に取り上げられることも少ない気がするが、もっと評価されても良い漫画なんじゃないかと思っている。

 

高台家の人々 1巻/森本梢子

 

  これは恋愛漫画なんだろうか、それともファンタジー漫画なんだろうか、それともギャグ漫画なんだろうか、とカテゴリ分けに頭を悩ませてしまうような少女漫画。

 「高台家の人々」はテレパス能力があり人の考えていることがわかる。ただし「高台家の人々」はこの漫画の主人公ではない。主人公は平野木絵という29歳の地味なOL。取り立てて特徴がない、と本人は言っているけれどそれは表面的な話で驚くほどに妄想力が高い。

 「高台家の人々」は主人公ではないと書いたけれどそれが正しいのかどうかは私には分からない。この漫画でもっとも面白い部分は「高台家の人々」が平野木絵の妄想を覗き見る部分だ。いや、ほとんどそれのみによって成り立っていると言っても言い過ぎではない。

 例えば料理漫画などでは強情だったり、素直になれなかったりとするような対立を主人公の作る料理によって解決したりするが、この漫画では「高台家の人々」が木絵の妄想によって癒やされたり、救われたり、素直になれたりしていく。そういった意味では斬新な漫画。

 

夢から覚めたあの子とはきっと上手く喋れない/宮崎夏次系

 「夢から覚めたあの子とはきっと上手く喋れない」は宮崎夏次系の三番目の短篇集。
 
 ありきたりな言葉なので書きたくないけれど、この人は天才ではないだろうか。
 宮崎夏次系が具体的に何を伝えたいのかは私にはわからないけれど、おそらく頭の中から湧き出てくるものを吐き出したくて仕方がないんじゃないか。そんなことを考えてしまう作風。けれど決して抽象的ですべてを読者に放り投げる作風ではない。
 
 切なく、悲しく、もろく、はかなく、もどかしく、すれ違う。そして、泣ける。
 
 同じ宮崎夏次系の「僕は問題ありません」という短篇集を読んだ時には混沌としたカオスを順序立てずデタラメに吐き出しているだけかとも思ったけれど、この「夢から覚めたあの子とはきっと上手く喋れない」を読んだ限りはそんな単純なもんじゃない、と感じた。
  決してデタラメなんかじゃなく、何かを丁寧に吐き出そうとしている。そして最後の瞬間に「うまく言えない」んだと思う。
 
 決して観念的な何か、ではない。もっと身近なわだかまり。日常とは異なるけれどファンタジーではない。泣けるといったけれどそれは決して感動ではなく切なさの部類。サブカル好きな人に好まれる絵柄かもしれないけれど、ストーリーも絵もとても丁寧に描かれているし、読み手の理解を拒絶している作風でもない。ポップと言っても良い仕上がりだと思う。
 多くの人にこの人の作品が読まれたら良いんじゃないかなと感じている。
 

坂道のアポロン 1巻/小玉ユキ

 

 「高台家の人々」に続いてこちらもいわゆる少女漫画。物語は読み進めて行くとわかるけれど実は時代は昭和。1966年。CDではなくまだ音楽をレコードで聴いている時代の話。登場人物が何気なくビートルズのアルバム(おそらくヘルプ)を手に持っていたりする。舞台は九州の長崎。主人公の西見薫は高校生。物語が進むとジャズが大きくストーリーに関わってくる。

 この作品はすでに連載は完結していてアニメ化もされている。アニメ化された際の音楽担当は菅野よう子。アニメに使用された曲を収録したサントラと、作品中に登場するジャズの名曲を収録したイメージアルバムの2種類のCDが発売されている。

 漫画のそこかしこから漂ってくる昭和の匂いが、懐かしい雰囲気を醸し出している。

そしてこの物語の特質するべき点は主人公の吐きぐせ。プレッシャーなのかストレスなのかわかりませんが、私も高校生くらいの時はこの主人公と同様に弱い部分があったので妙に共感。

 

応天の門 1巻/灰原薬

 

 時代は平安時代。主人公は在原業平(ありわらのなりひら)。在原業平百人一首を題材に扱った漫画「ちはやふる」の主人公がもっとも得意とする札「ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」の句を詠んだ歌人としても有名。また「伊勢物語」の主人公とも言われている。

 この頃はちょうど藤原氏がその権力を絶対的なものにする直前の時期。在原業平は高貴な出の色男であり詩を詠むことには長けてはいてこの部分においては天才的ではあるが女好き。在原業平の女好きは筋金入りで基本的に女性の登場人物には粉をかけずにはいられない。そんな風だから人物的にはパッとしているとは言い難い。でも大人のかっいい部分があるんだ、この主人公には。

 パッとしない在原業平の相棒として若き日の菅原道真が登場する。ただしこの菅原道真は若き博覧強記の秀才で頭も切れるが現実をあまり知らぬ書生として描かれている。青年というよりは雰囲気として少年に近い。この二人がコンビを組み平安京で起きる事件を解決していくというのがこの物語の基本的なあらすじ。平安時代を舞台にミステリーというか謎を解く。菅原道真シャーロック・ホームズなら在原業平はワトソン君だ。

 1巻の時点で866年に起きる「応天門の変」の数年前だが、この事件に大きく関わることになる藤原氏藤原良房)の陰が物語の至る所にちらつく内容となっている。

 平安時代、特に貴族の時代を歴史的な流れや背景とともに描いた漫画は少ないが、そういった意味で在原業平菅原道真とを探偵的な役割で扱ってはいるものの、細部まで考証され大変興味深く表現されている。

 

サクラタブー 1巻/猫田ゆかり

 

 実は私はこの漫画を第一話と第二話のインパクトだけで読み続けている。決して三話以降が良くないとか、2巻以降がダメだとかそういった意味ではない。最初の2話のつかみが私にとって心地よかったからだ。

 サクラタブーの桜とはもちろん桜田門、つまり警視庁のことを指す。主人公・桜真忍が出向先のイギリスから帰国するところから物語が始まる。若き警視正の彼のアダ名は「失脚屋」。過去、桜真忍が移動になるごとに彼の上司は破滅する。左遷や退官だけでなく行方不明者まで出ているとのこと。

 もうこれだけで読みたい気分いっぱいじゃないか。「失脚屋」って。警察官僚の中で上司を破滅させてしまうこの桜真忍っていったい何者?

 桜真忍は一見好青年で、スマートな立ち振舞いをするものの、組織の中の不正や保身が許せない性分で、第二話のラストで警視庁の幹部連中を前に「いっそのこと、全員失脚させてやりましょうか」と言い放つ狂犬行為。震えるくらいにカタルシス

 「失脚屋」という肩書が甘美すぎるんだ。そして主人公の桜真忍は自らに失脚屋というありがたくない死神のようなあだ名が付いていることを受け入れている。

  私はこの漫画を読んで再認識した。とんでもないアダ名で呼ばれる男をかっこいいと信じて疑わないことを。

 

デスペナ 1巻/漫画・江戸川エドガワ 原作・押川雲太朗

 

 ギャンブル漫画。おそらくはデス・ペナルティの略。実はこの漫画はすでにヤングマガジン上で最終回を迎えている。けれどそれは美しい完結というわけではない。打ち切りという奴だ。

 何かの理由で集められた登場人物たち(全員がギャンブラー)が賭け事を行う。賭けるものは己の命。そう最下位の人間には死の制裁を。わかりやすい。主要で魅力的であるはずの登場人物が次々に理不尽に死んでいく漫画にはある種の中毒性がある。たとえば「進撃の巨人」。たとえば「テラフォーマーズ」。

 一般的にこういった漫画では手早く登場人物の魅力を次々に紹介するのがセオリーだ。どれだけ効率的に早期にたくさん登場するキャラクターを魅力的に書ききるかが勝負の分かれ目となる。一気に多人数を登場させると、読者は混乱してキャラクターの違いを理解できない。ゆっくりさせすぎるとスピード感が薄れ物語の高揚感が低下する。

 けれど、この作者はそのセオリーを破る。1巻の半分くらいまでかけて主人公一人しか登場させない。いや対戦相手としてその他のプレイヤーはすでにいる。けれど彼らの顔は見えず、読者は主人公の色々な表情と神経衰弱の画面を見続けることになる。そう、ゲームの内容は神経衰弱だ。この顔の見えない対戦相手たちは高度な知性と記憶力を持ち運に頼った戦いをしない。コンピュータのような正確な打ち筋。それが彼らのやり方であり、方法なんだ。

 主人公は彼らと同等の知性と記憶力を持ちながら一か八かのギャンブルをする。セオリーなんて糞食らえとばかりに。それが彼のやり方なんだ。そして最終的に自分のスタイルを貫いたことによりギリギリこの戦いを勝ち上がる。

 

 もしこの作品に失敗した部分があるとするならば、最初の神経衰弱で全員の知性と記憶力が高いといった設定になってしまったため、あとの物語の幅が狭まってしまったことじゃないだろうか。

 自分のスタイルを貫いた奴が勝つんだというメッセージとともに始まった(私はそう受け取った)物語が途中で打ち切りにより最終回となってしまうのは、とても残念に思った。

 

純潔のマリア 1巻/石川雅之

 

 人気作「もやしもん」の作者・石川雅之が「もやしもん」と同時期に連載していた漫画。時代的には中世ヨーロッパ。イギリスとフランスの百年戦争の期間。

 話をまとめると主人公のマリアは魔女です。そして石川雅之の書く女性はとっても魅力的で可愛くてかっこいいと思います。終わり。

 

 ※すみません。今回はこれだけです。後ほどきちんと取り上げます。

 

就職難!! ゾンビ取りガール 1巻/福満しげゆき

 

 「僕の小規模な生活」でウジウジとしてコミュ障っぽい主人公のエッセイ風漫画を描いて共感を得たものの、想像以上に美人の奥さんとリア充っぽい容姿/ファッションでメディアに登場したためネットの住民たちに「なんだリア充じゃねえか」というため息をつかせてしまった福満しげゆきの比較的きちんとしたストーリー漫画。

 「就職難!!ゾンビ取りガール」については女の子がカワイイとか、就職難というリーマン・ショック直後の時代を社会風刺しているとかそんなことはさておき(後者は冗談でそんな風刺はありません)、この漫画の見どころはずばり「長いあとがき」と「ゾンビ」にある。

 福満しげゆきは「ゾンビ」についてかなり熱く、熱く語っている。その内容はゾンビ映画アイアムアヒーローという漫画について。彼のゾンビ映画に関する知識は深い。そしてどうしてもゾンビ漫画が書きたかったということを。

 ゾンビファンにはゾンビは「走る」べきかそれともノソノソと「歩く」べきかという長年の解決するべき問題がある。ゾンビとして正当なのはもちろん、のそのそと緩慢に「歩く」ゾンビだ。けれど、それでは恐怖が足りないということでついに「走る」ゾンビが登場した。ここに二派の対立が発生した。バトル勃発。

 この作品では「走る」ソンビなのか「歩く」ゾンビどちらが登場するのか。

 実は両方採用されている。この漫画の中では、ゾンビに至る過程においてゾンビになった年代の身体能力がそのまま継承されているため、老人のゾンビは動きが緩慢でのそのそ歩く。若者がゾンビ化した場合は多少は緩慢になってはいるものの走る。

 福満しげゆきがいつものテイストを発揮しながら、それでいてゾンビを取り扱ったおどおどとしている主人公の漫画を描いている。でも今回の漫画の主人公はオタクだけど仕事の出来るけっこうかっこいい奴。それが「就職難!!ゾンビ取りガール」。

 

テラフォーマーズ 1巻/作・貴家悠 画・橘賢一

 

 もうすでに「テラフォーマーズ」は有名な漫画となっている。今さら語られるべき漫画ではないかもしれない。場合によっては過大評価と呼ばれることもあるが少なくともこの1巻については、そんな言葉はふさわしくない。2巻以降の評価はさておき今回は1巻について語りたい。だいたいネットの評価だとか世間の評価なんて犬に食わせてしまえ。

 物語は約600年後の地球もしくは火星、西暦2599年が舞台となっている。テラフォーミングされた火星での「テラフォーマー」達との戦いを描いている。ある種のSF系バトル漫画と言ってよいと思う。彼らがバグズ手術により得たお能力によりテラフォーマーたちと死闘を繰り広げる。

 「テラフォーマーズ」の1巻はそれだけである種1つのストーリーが完結している。2巻以降では主人公があらたに設定されており、扱われている年代も異なっている。

 1巻での展開の早さには目を見張る物がある。読んでいただければ分かるが、読者が主要人物かと認識した登場人物が本当にあっさり死ぬ。登場人物が次々理不尽に死ぬ漫画にはある種の麻薬的な魅力があると言われるがこの作品の1巻を読む限り本当にそう思う。

 ここまでの私の感想を読んでいただくと、もしかして2巻以降はアレなのか?と思われるかもしれないが、そんなことはない。が、1巻が秀逸すぎるんだ。この「テラフォーマーズ」の1巻はこれだけでも充分に読む価値がある。

 

 

 

最後に

 とりあえず本日はここまで。

 気が向けばさらに続きを書きたいと思います。

 すでに最終回を迎えて完結している作品、今も連載中で次巻の発売日が決まっている作品、残念ながら打ち切りとなってしまった作品、アニメ化されて話題になっている作品など様々ですが、最近読んだ漫画をまとめてご紹介させていただきました。

 決してレビューとか評論とかそんな偉そうなものではいっさいなく、あらすじを丁寧に紹介することもなく、ただただ思ったことを面白いだの、感動しただの、垂れ流すだけの感想です。

 「vs. おすすめ」はおすすめブログではないのでおすすめ紹介とかではありません。

 では何故そんなただの感想文を書いているのかといえば、もう本当に、単純に、私が自分の好きな作品の感想を書き、それがたまたま誰かの目に止まり、その作品が、どこかでどなたかの手に取るきっかけなどになれば少しはよいかなとは思っているからです。それにしてはメジャーな作品、メジャーな作者が多いじゃねえかと思われるかもしれませんが、別にメジャーであることやマイナーであることはさほど重要ではなく、例えば「テラフォーマーズ」あたりはこんなにも有名であったとしても、未だ読んでいない方はたくさんいると思います。そういった方の中でもこ「テラフォーマーズ」の作品にぴったりくる感性の方はまだまだたくさんいるのではないでしょうか。「テラフォーマーズ」は1巻しか褒めていないじゃないか、と言われてしまうとその通りなんですが、1巻を目にした人が内容を気にいったらな2巻を読めばよいと思います。

 ここからは私の考えですが、色々な作品を多くの人が自分勝手な感想を、まずい文章でかまわないので、自分の言葉で、どんどんネット上に好き勝手に垂れ流せばよいと私は思っています。そしてその文章達のひとつが誰かの、何かの、フックになれば結果としてよかったのと言えるのではないでしょうか。

 そういった意味ではまずい文章で単なる感想を垂れ流している私は「ああ、こんなことなら誰でも(俺でも)出来るんだ」という勇気を世界に与えているんじゃないかと思えてきました。素晴らしい。

 それでは。

 

 

 

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