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「夏草の賦」の意味と長宗我部元親の生涯

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 司馬遼太郎歴史小説「夏草の賦」の感想を上巻下巻それぞれ書いた。この話の主人公は四国土佐の出身・長宗我部元親。彼が家督を継ぎ正室をもらうところから始まり、四国を統一するも羽柴秀吉に降伏、戸次川(へつぎがわ)の戦いで長男の信親を失い、そして元親自身が亡くなるまでの話。

 

 読み終わっても「夏草の賦」というタイトルが今ひとつしっくりこなかった。ここ数日、なぜこの四国の戦国武将を扱った歴史小説がこのタイトルなのか腑に落ちないままずっと過ごしていた。

 

 夏草という言葉でまず思い出されるのは、松尾芭蕉奥の細道でも有名なあの俳句。「夏草や兵どもが夢の跡(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)」

 杜甫が春望の冒頭で「国敗れて 山河あり、城春にして 草木深し」と詩を吟じたのと同じように、松尾芭蕉は草深い東北の地でかつての権勢を誇った奥州藤原氏のいたここも、今や夏草が青々と生い茂るばかりで諸行無常を感じるとばかりに「夏草や兵どもが夢の跡」と句を詠んだ。

 栄華を誇っていた奥州藤原氏のことに思いを馳せ詠まれたこの句の平泉の地と、「夏草の賦」の長宗我部元親が本拠地とする土佐の地とでは地理的にもはるか遠く、まったく関連がないのでは?と感じていた。本文中でもこの句についてふれる場面はいっさいなく、この2つの作品にはたまたま同じ言葉が使われているだけなのかとも感じた。

 しかしながら「夏草の賦」の夏草はやはり「夏草や兵どもが夢の跡」の夏草なんだと今さらのように思っている。

 この物語では長宗我部元親を英雄然として扱っていない。魅力的な主人公とは実のところ言い難い。上巻の感想の時には確かに、今すぐNHK大河ドラマにするべきだ、と書いたけれどそれは妻の菜々のキャラクター付けによるところが大きい。司馬遼太郎の書く長宗我部元親は英雄的ではない。むしろその長男・信親の方が少年漫画の主人公のようでもあり英雄的要素がある。ところがその少年漫画の主人公の魅力に欠ける長宗我部元親は土佐の3分の1の領主から四国全土を切り取るまでになる。ただ、元親は長男の信親を失ったあとは勢いを落とし、それが長宗我部家の命運までも決めてしまう。

 「夏草の賦」以降の話としては長宗我部家を継いだ元親の四男・盛親は関ヶ原の合戦で西軍につき動けないまま敗北、結果その領土すべてを没収される。盛親は大阪夏の陣で大阪方となり、やはり敗北。斬首される。これにより長宗我部家は滅んだ。四国一国を統治した長宗我部家は歴史から消えた。

 平泉の奥州藤原氏と四国の長宗我部氏。ともに歴史から消え失せてしまった。

 

 ところでアクセス解析Google Analytics)を見ていてあることに気がついた。この小説のタイトルを「夏草の賊(なつくさのぞく)」と勘違いされている方がたくさんいる。この小説のタイトルは「夏草の賦(なつくさのふ)」。

 賦(ふ)とはいくつかの意味があるがこの場合は詩とか歌、といった意味が一番適切のように思う。長宗我部元親の生涯を一遍の詩に喩えている物語ではないだろうか。

 

 「夏草の賦」には長宗我部元親の他に織田信長羽柴秀吉明智光秀も登場する。この戦国武将たちも一瞬天下を握ったもののその一族は長い春を得ることは出来なかった。司馬遼太郎がどこまでの意味で「夏草」という言葉を使ったかは私にはわからないが、多分に彼らも「夏草」に含まれていたのではないのだろうか。

 夏草のように青々と茂る季節があり、そしてその季節はあっさりと終わってしまう。

 

 

 

→ 上巻の感想

→ 下巻の感想

 

 

 

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