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かもめのジョナサン/リチャード・バック(五木寛之訳)

 

 「かもめのジョナサン」というタイトルは「かもめの水兵さん」を想起させどこかユーモラスで楽しげな印象を与える。少なくとも私にとってはそうだ。あなたにとってはどうだろうか。

 

 実のところこの物語は決してユーモラスで楽しげなものではない。ジョナサンが懸命に飛ぶところに健気さと感動を感じる物語でもない。「かもめのジョナサン」は「星の王子さま」のようなわかりやすい寓話などではない。

 

 「タッチ」というアニメ化された青春漫画をご存知だろうか。いやもちろん知っていることを前提に書いている。「南を甲子園に連れてって」という例のアレである。「かもめのジョナサン」はこの「タッチ」のアニメ版の中で自身を送っていく際にバイク転倒で怪我をして入院し暇を持て余した新田のために朝倉南が貸そうとした本でもある。推測するにおそらく朝倉南はこの本を読んでいない、もしくは自分にクールな好意を寄せる新田に対し遠回しにNOを突きつけた、のどちらかだ。難しい本でもないし、ページ数も少なく読みやすい言葉しか使われていない。しかし高校生である新田はこの物語を読んでも俗世的な欲を捨て野球に打ち込めというメッセージ以外の何かを受け取ることは難しいのではないだろうか。話は変わるが漫画版では石坂洋次郎を貸そうとしている。青い山脈などで有名な作家である。私は残念ながら石坂洋次郎石坂浩二の区別もつかないような無学なので、タッチの原作サイドで伝えたかったことはよくわからない。 

 

 「かもめのジョナサン」は日本では270万部ほど売れているという。その内容は3部構成となっている。

 

  あらすじを大雑把に書く。

 

 第1部では「食う」ことよりも「飛ぶ」こと、しかも食料を取るために飛ぶのではなく、いかに速く飛ぶのかをジョナサン・リヴィングストンは追求する。そのためジョナサンは群れの中で異端扱いとなり、「限界突破」の直後、彼の挑戦は「思慮を欠いた無責任な行為」をしたとされかもめの群れから追放される。

 追放されてもジョナサンは飛ぶという試みをやめることはなかった。年月が経ったある日の夕方、ジョナサンの元に2羽のかもめが現れた。彼らはジョナサンをより高いところへ、本当のふるさとへ連れて行くというのだ。

 

 彼らにいざなわれた先、つまり第2部の冒頭でジョナサンは「ふーむ、するとこれが天国というやつか」という感想をもらす。ここでジョナサンはサリヴァンという教育係のかもめと長老からさらに「飛ぶ」ということを学ぶ。「最も高く飛ぶカモメが最も遠くを見通せるのだ」という有名なセリフもこの章で登場する。ここでジョナサンは「飛ぶ」ということ「天国」とは何を意味するかを理解する。そして、その上でジョナサンはこの高みの世界を離れもう一度地上に戻りたいと思う。

 

 地上に戻ってからほどなくジョナサンは一羽の若いかもめと出会う。彼の名前はフレッチャー・リンド。最初の教え子だ。

 

 第3部。ジョナサンは若いかもめ達に飛び方を指導していた。彼らのグループは徐々に増え3ヶ月後にはジョナサンを含め8羽になっていた。

 その1か月後「帰るべき時がきた」とジョナサンは告げると群れの本拠地へ彼の生徒を引き連れ向かった。もちろん追放されたかもめである彼らが、受け入れられるはずもなく、群れの長老からは彼らを「無視せよ」、「追放かもめに言葉をかけるものは、ただちに追放する」という通達がなされた。

 それでも若いかもめの何羽かは群れを離れ、ジョナサン達に「飛ぶ」ということを学びたいと、飛行法を学びたいと、申し出てきた。

 ここで事故が起こる。フレッチャー・リンドが 新入生のために高速飛行を見せている最中、彼の飛行進路に子供のかもめがまともに入り込んできた。それを避けようとしてフレッチャー・リンドは時速320キロを少し越えるスピードで堅い花崗岩の崖に突っ込んだ。

 フレッチャー・リンドがその時に死んだのかどうかはよくわからない。とにかくジョナサンが声をかけると彼は生きていた。死んだと思われた彼は生きていた。その様子を見た四千羽のかもめが集まってきた。彼らは目の前で起きた出来事に驚き、「悪魔だ」と叫んだ。暴徒と化した。ジョナサンとフレッチャーを殺そうとつめよってきた。ジョナサンはフレッチャーを連れて移動した。朝が来るころになるとかもめの群れは自分たちのおこなった狂気じみた行為を忘れてしまった。

 ジョナサンはフレッチャー・リンドに伝えた。この群れには良き指導者としてフレッチャー・リンドがいる。自分はこの群れを離れて、ほかの群れを、この群れよりも教師を欲している群れを、別のフレッチャー・リンドを探したいと。

  かもめのジョナサンは去り、フレッチャー・リンドは若きかもめ達の教師となる。

 

 

  読む前のイメージと異なりユーモラスさの欠片もない硬質なストーリーとなっている。

 

 もしかしたら「ジョナサン」という名前の響きが悪いのかもしれない。この語感がどこか頑張り屋さんでユーモラスな人柄(鳥柄?)を想像させてしまうのかもしれない。(この人物像は決して間違っていないが。) 

 例えば「かもめのジョーナ」だったら、どうだろう。少しカート・ヴォネガット的で宗教的な皮肉のこもった物語と思って手にとる読者も増えたのではないだろうか。ただし全体として日本で270万部も売れることはなかっただろう。少なくとも朝倉南は須見工の新田にこの本は貸してしないはずだ。

 

 話がそれた。「かもめのジョナサン」のストーリーについてだ。 

 

 人によってはこれを宗教的と呼ぶかもしれない。話の途中、光り輝くかもめが現れ、彼らに導かれ師匠ともいうべき長老から瞬間移動を学ぶ。ジョナサン・リビングストンは「愛」というものを学び、一度離れた群れのかもめ達に「飛ぶ」ということ、自ら学んだことを伝えたいと願う。そしてジョナサンは「死」すら乗り越える。「よし、いいぞフレッチャー。おぼえているかね、われわれの肉体は思考そのものであって、それ以外のなにものでもないということを」

 もしかしたら、人によってはリーダーシップの物語と受け取るかもしれない。長老、そして後の友人となるサリヴァンから学んだことを若きフレッチャー・リンドに伝え導き、そのフレッチャー・リンドもまた指導者となる。これが人材マネジメントの、リーダーシップの、エンパワーメント(権限移譲)の物語でなくてなんなのか、と。

  この物語を社会運動について語った物語と読むことも出来る。その昔、民主党の鳩山(元)首相がTwitterで「裸踊りさせてくださり有り難う」とツイートしたことがある。これはこの動画(→link)でも説明されているように、リーダーシップとフォロワーシップは紙一重の概念である。なぜ社会運動は、変革は起きるのか。ジョナサンはリーダーとなれたのか。それは付き従うフォロワーの存在が鍵となる。フォロワーシップが発揮されなければリーダーはリーダーになることすらできない。例えば「かもめのジョナサン」で言えば、フレッチャー・リンドの存在が非常に大きい。つまり、そう(社会運動の物語と)考えるとこの物語はジョナサンの物語でもあると同時にフレッチャー・リンドの物語でもある。

 あるいは社会風刺として、シニカルなジョークとしてこの物語を考えることも出来る。 世間に対する乾いた笑いとして、かもめを主人公に据えて世界を風刺しているんだってね。だから宗教的だというのも冗談なんだから当然だろ、と。

 

 でも、どの考え方も一長一短だし、そもそも面白くない。

 もう一度考えてみると少年漫画的なストーリーのようにも思える。

 主人公は目的を持ちそれを達成したいと願うが、その直後コミュティから追放される。師匠となる人物と出会い必殺技を伝授される。師匠と別れもう一度もといた場所に戻る。そこで若き仲間たちと出会い、そこで奇跡を起こす。そして新たに自分を必要とする仲間を求めて彼らと別れる。

  ざっくり言ってしまうと少年ジャンプ的な成長物語のようだ。そう思えば純粋なエンターティメントとして昇華ができる。

 

 

 

 

 ところでつい先ごろこんなニュースがあった。

 

 かもめのジョナサン、40年経て完成版 五木寛之さん訳 (→link

 

 かもめのジョナサンには実は公開されていない第4章があった、というものだ。それが今回追加され出版される(日付的にはすでにされている)というものだ。

 

幻だった第4章は、ジョナサンが去った世界。カモメたちは彼を偶像化し、飛行の追究はそっちのけになる。組織の腐敗や宗教の形骸化などを示唆。

 

 少年ジャンプ的とか、宗教物語ではないとか散々いっておいてこの仕打かよ。

 

 ただしこの「かもめのジョナサン完成版」の第4章に書かれている内容はむしろ王道の少年漫画のあとに、作者が良心で押しとどめておいたおまけで書かれた作者の心の闇を具体化したような位置づけの作品なのかもしれない。例えば「オバケのQ太郎」の後に書かれた「劇画・オバQ」や、「幽遊白書」のあとに書かれた「レベルE」のような存在として。

 週刊少年漫画雑誌に掲載されるべき内容ではなく青年誌に掲載されるべき内容のような感じで、ある種、中二病的な心をくすぐる内容なのではないかと想像している。

 この完成版という言葉とは裏腹に大いなる蛇足という物語の可能性が高いと私は踏んでいる。

 

 まだ読んでもいないのに適当な事を書くなという批判があれば、それは大変素晴らしいし、あなたは大変正しい。これはそんなブログだ。 

 

 

 

 

 

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