フリンジマン1巻/青木U平
ジャーン、ジャーン。げええっ!関羽
何が伝えたいのかサッパリわからないけれど私がこの漫画を最初に読んだ時の感想である。
木多康昭が2013年末『喧嘩商売』の続編である『喧嘩稼業』の連載再開にともなって私はヤンマガに帰ってきた。モーニング派の私からすると現在のヤンマガは喧嘩稼業が復活したにせよ戦力不足に感じられた。しかしそこには赤壁で敗走した曹操を蜀軍が待ち受けていたように伏兵がいた。伏兵の名は関羽ではなく『フリンジマン』。
それは2014年もっとも私の心を鷲掴みにした漫画でもある。
フリンジマンはその題名からも分かる通り不倫を題材とした漫画。ただし不倫といっても島耕作的なネッチョリとしたアレな漫画というわけではなく、愛人の作り方という大テーマを、多くのパロディをからめつつ、オッサン版『BOYS BE…』といった趣で真面目に不真面目に描いた漫画である。
少年漫画の王道は主人公の成長物語。この漫画は愛人素人である主人公田斉ら3人が愛人教授(ラマン・プロフェッサー)こと井伏に教えを請い「愛人同盟」を結成するところからはじまる。(ヤンマガで連載されているのに少年漫画という言い方はどうよと言うのはともかく)
愛人の作り方というテーマ性とはいえ主人公らのレベルがアップしていきどんどん愛人を作っていくといった方向に進むこともなく、次々に壁にぶちあたる。そう愛人作りの壁に。
『フリンジマン』は田斉らのゆっくりとした成長物語という側面よりもラマン・プロフェッサー井伏のその超人的な洞察力、知識力、経験からくる無双を楽しむ物語なのかもしれない。冒頭で「げええっ関羽」と書いたが、どちらかといえば井伏は諸葛孔明のような鬼才である。すべてにおいて行動は予知されている。ラマン・プロフェッサーは、女性というか愛人候補に対する経験値の低い主人公らをたくみに誘導し、次々に訪れる壁を乗り越えさせピンチをしのぎ修羅場を未然に防ぐ。この鬼神のような様に読者は打ち震えるべきなのである。
しかし残念なことに私の心を鷲掴みにしたこの漫画『フリンジマン』も世間ではあまり話題になっていないように思う。確かに愛人の作り方をテーマにした漫画をまともな人間が「おもしれー」「最高だひゃっはー」みたいなことを言うことがありえない。
ここで思い出したことがある。少し前に久保ミツロウの『モテキ』という漫画が流行った。私は非常に久保ミツロウという人の描く漫画が好きだ。だからこそ『モテキ』の不可思議な人気の出方に違和感を覚えた。それは単純に私が男(というかオッサン)だったからという理由なのか。『モテキ』の冒頭でフジ君がフジロックで泣きながら走るシーンは名シーンすぎて泣きそうになったが、それ以降の話は本当にあの名作『3.3.7ビョーシ!!』を書いたあの方の作品なのか、くらいに感じていた。
もう少しだけ話をきいてほしい。別に『モテキ』をdisりたかったわけではない。いや、そもそもdisっていない。『モテキ』には(意識的なのか無意識的なのかはともかく)仮想『モテキ』読者というものがあって、その方たちにはとても受け入れられた物語。ただそれだけのこと。
話を『フリンジマン』に戻す。この『フリンジマン』は私にとってピッタリ波長がある漫画なんだ。だから普段はフジロックやらサマソニに出演するようなアーティストについてどうのこうの言っているブログが唐突にこの漫画のレビューを書いたりするんだ。
じゃあ、どんな人間に波長が合う漫画なのか。
それは、つまりクズということだね。
冒頭でこの物語のある種主人公とも言うべきラマンプロフェッサーは言う。
いいですか今から とても 重要な事をお話ししますよ
愛人にするのは『好きな女』ではありません『都合の良い女』です
清々しいまでにクズだ。
そしてそれを見てゲラゲラ笑っている私も立派なクズだ。
そういえば、この漫画の冒頭1ページ目で主人公田斉が、妻に「君のダンナはとんでもないクズに成り下がっているよ」と独白。
ああ、なるほど私はクズだったんだな、と妙に納得できる。
下の引用はラマンプロフェッサー井伏のリアル愛人宮部ゆきの発言。愛人同盟の一員満島の質問に対する回答。
100%(ひゃくぱー)気づいています
例えば…優れたガンマンは相手のホルスターあたりを見るのではなく瞳を見るのだといいます逆に言えば瞳というものはそれほど過敏に反応してしまうものだと言えるわずか0.1ミリのズレでその異変を気づかれてしまう…瞳というものはそれほど敏感に相手に察知されてしまうものなのです
質問はこれだ。
女の人って
『胸の谷間を男に見られている』
ということに…
気づいているもんなんですか…?
ひどい。この知性の足りない感じがずっと続く素晴らしい漫画。
たぶん4巻(最終巻が4巻)までレビュー書くと思います。