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おすすめブログのカウンターとして始めたはずが、気がつけば薄っぺらなブログ

自分用メモ帳 2016年6月版

 

メモ帳について

 メモ帳は箸休め的存在です。

 特に考えもなしに思いついたことをダラダラ書くだけです。

ちょっと思ったこと

 ひとつ前の記事が小沢健二のライブの感想だったんですが、自分が想定していたよりもめちゃめちゃ長くて、何が言いたいのか分からんし何を言おうとしとるのかすら分からん、というひどい内容でしたね。

 でもまあぶっちゃけそれでいいかなって感じました。

 自分で書いておいて他人事みたいですが、そんなこともあると思います。

 

ame774.hatenablog.com

 

 何がそれでいいのかって話ですが、自分がその時に思ったことをある程度、そのまま勢いで文章に残せるなら、思い出としては良いことなんじゃないかなって話です。

ボナルー

 ボナルーの動画配信を見ました。とはいえ、日曜日は急用で出かけなければいけなくなったので、土曜日だけ、しかもLCDサウンドシステム、チャーチズ、M83、カマシ・ワシントン とお前ほとんどそれコーチェラで見ただろうというアーティストばかりでした。

 特に前回のコーチェラ配信メモでは言及しませんでしたがチャーチズのローレンはひたすらにキュートで可愛かったですよ。LCDサウンドシステムは何度見ても素晴らしいですね。この2アーティストは機会があったらぜひぜひ見たいものですね。

 

漫画

  最近漫画について特に何も感想とか書いていないですが、スピリット・サークル(水上悟志)が完結しましたね。ちょっと印象的でした。

 冒頭の画像で鬼頭莫宏のりりんを取り上げていますが特に意味はないです。

横浜ベイスターズ

  横浜ベイスターズがただいまセ・リーグの2位ですね。このまま交流戦を5割以上で乗り切れば今年は優勝するんじゃないでしょうか。

 私は特にベイスターズファンではないですが、今年は横浜投手陣が良い(ただいまセリーグ防御率1位)という理由からそう思っています。

 逆に言えば経験値不足の投手陣が崩れることがあれば難しいでしょうね。

サマソニフジロック

 今年のフジロックジェイムス・ブレイクからシガー・ロスの流れなんですね。すごく良いと思います。

 サマソニはやっぱりレディオヘッドが話題を独占でしょうか。新譜も良い塩梅だと思います。

 そのうち両フェスについてなんか書きます。

 それでは。

 

 

小沢健二はジョン・タイターなのか (ライブツアー『魔法的 ~』が終わってしまわないうちに)

 

 小沢健二はおそらくは未来人だ。

 しかもタイムリープしてる。

 

 2016年5月31日の小沢健二・ライブツアー「魔法的 Gターr ベasス Dラms キーeyズ」名古屋公演1日目を見てそう思った。

 小沢健二のライブ(名古屋公演1日目)の感想を少しだけ書きたい。

 

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最初に

  もちろんいつだって、何についてだって、そうではあるけれど、特に小沢健二のことを言語化することは私にとって荷が重い。

 今回のライブツアーは未発表・書きおろしの新曲が多めに披露され、しかも特徴的なことの一つとしてその歌詞が、演奏前または曲によっては演奏中に後ろのスクリーンに映しだされていた。

 新曲の歌詞は独特の世界を想起させ、父親となった小沢健二という存在を感じさせる内容でもあり、都市での生活でもあり、違う世界に迷い込んだ非日常のようでもあった。怪獣と魔法と親子の暮らしと魔神とサメと変身ヒーローと宇宙の力と導きと願いが一緒にある世界だった。それは混沌そのものだった。

 歌詞だけが強烈だったわけではない。 

 小沢健二と6人のバンドメンバーは時に独特の振付で踊り、音源化されている既存の曲もアルバムやシングルとは異なるアレンジで楽曲が味付けされ、シンガロングをいざない、さらには新曲でも独特の振り付けの踊りを観客にも要求し、本編最後の曲では「今から歌詞を覚えてください一緒に歌ってください」とまで言い放ち、音楽と歌うことと、踊ることとステージ上のメンバーとその後ろの歌詞と、とにかく情報の洪水を引き起こしていた。

 ステージ上と観客席を巻き込んだ総合芸術だったといって差し支えないと思う。

 一瞬足りとも、少しの情報であったとしても歌詞も音楽もリズムもグルーヴも絶対に見逃さないぞ、そして小沢健二の表情、声、手振りぜーんぶ持って帰るんだ、そんな不思議な緊張感がずっと続いていた。

 一般的にアーティストがデビューから時間が経つと、新曲の演奏は実のところネガティブな要素を多分に含んでしまうことがある。オーディエンスが新曲なんて求めていないからだ。往時のヒット曲だけを演奏してほしい、特にアルバム/シングル未発売の自分の知らぬ曲などアーティストの自己満足でしかなく、聴く側にとっては苦痛でしかない。

 けれど今回の『魔法的~』は私にとってはアッという間の2時間だった。新曲7曲すべてが印象的で、素晴らしいライブだったと思う。

 魔法的にという言葉に違わぬ仕上がりとグルーヴがあったと感じている。

 

このライブまでの小沢健二

 小沢健二の全盛期は短い。

 彼がその印象的な歌詞をたずさえシーンに登場したのは1993年のことだ。

 1stアルバムが93年。2ndアルバムが94年。95年は怒涛のシングル攻勢。96年に3rd。シングルはその後もしばらく出続けるが21世紀を前に消息が途絶える。

 2002年唐突に4thアルバム「Eclectic」が出る。けれどアルバムリリースだけで、特にこれといったライヴ活動などはなかった。

 翌年2003年、出る出ると噂だけが先行されていたベスト盤が出る。ただし、アルバム未収録のシングル曲は半数以上が収録されることはなく、期待されていたものとは異なっていた。アルバムとしての体裁を重要視したのかイメージと異なる曲はすべてカットされたようだ。

 2006年、5thアルバム「毎日の環境学: Ecology Of Everyday Life」が発表される。このアルバムにいたっては歌詞すらなかった。全編インストゥルメンタルの曲で構成されていた。

 2010年、小沢健二は唐突に帰ってきた。「ひふみよ」と呼ばれるコンサート・ツアーで全国を回った。

 2012年には、「東京の街が奏でる」というコンサートを東京オペラシティにておこなう。この2つのコンサートでは新曲が数曲、披露されることになる。 

 とはいえ、音源のリリースはライブ盤と限定的な配信のみで本格的に帰ってきたかどうか、ということは私には判別がつかない。

 そして2016年、また唐突に全国ツアーが行われることとなった。全国規模のツアーということで言えば6年ぶりとなる。

 

開演まで

 ライブの開演までの間、後ろの2人組の雑談が耳に入ってくる。2人組はともに女性で、半休をとってこの「魔法的 Gターr ベasス Dラms キーeyズ」にやってきたようだ。最初、その二人は職場の新人がいかに使えないか、そして最近の新人は少しキツくするとすぐにやめてしまう、といった話をしていた。

 私はあたりを見回した。意外に客層は若い。いや、ものすごく若いということはもちろんないけれど、けれど00年代にぽっかりと空白の期間があり、10年代に入ってからは新しい音源のリリースもなく、フェスにもいっさい登場しないアーティストのライブの客層としては驚くほどに若い。カップルのようなお客さんもいる。夫婦ではなく、カップルといった感じだ。

 もちろん全員が若いわけではない。若い人もそうでない人も。色々な世代の人がいる。けれど全盛期が20年前のアーティストの客層にしては全般的にひどく若い。

 私がそんなことを考えていると、後ろの二人組の話が家庭の話に切り替わっている。子供の話題のようだ。耳をすませて聞いていると、どうやら片方のお子さんは中学生のようだ。年齢が若いわけではなく、見た目が若い風な人が多いということか。

 

昨日と今日

 客電が落ちた。ライブが始まる。

 ステージ上には真っ白な幕がはられ、中の様子が見えない。

 そのまま一曲目が始まった。

 そういえば、かつてこんなライブを見たことがある。コーネリアスこと小山田圭吾のライブの時だ。おそらくはアルバム「SENSUOUS」の頃。1曲目の最後かどこかで、「H・E・L・L・O」というメッセージとともに真っ白な幕がストンと落ちた。あの時は。

 

 「魔法的 ギター・ベース・ドラムス・キーズ」のはじまりは、小沢健二のデビュー・アルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」の冒頭を飾る「昨日と今日」だった。

  

犬は吠えるがキャラバンは進む」と言えばそのライナーノーツに書かれた文章が印象的で、実はその文章を引用としてここに貼り付けようとしたけれど、あまりにも長すぎてその文字数ゆえにライブツアーの感想なのか、1stアルバムの感想なの意味がわからなくなってしまうのでやめた。機会があれば別のところで紹介したい。

 

 幕の向こうでなる「昨日と今日」は1stアルバムの収録そのままというわけではなく、かなりエッジのあるアレンジで演奏されていた。

 「昨日と今日がくっついてゆく世界で」と印象的な歌詞が数度繰り返され、この「魔法的~」ではこの楽曲の間ずっと白い幕で覆われたままのステージを見つめることになり、やや不安な気持ちを煽られることになる。

 曲の後半、「Ah ah ah ah ah」と歌う部分でライトがステージに向けられ、少しだけ中の様子がわかる。単純ではあるけれど、痺れる演出だ。小沢健二を囲むように後ろにぐるりと4-6人程度のメンバーがいることがわかる。

 

フクロウの声が聞こえる

 

 私の予想に反して、1曲目の途中なり最後なりで幕が落ちることはなかった。

 白い幕には文字が映し出された。

 「フクロウの声が聞こえる」

 続いて、詩のような、親子の会話のような、よくわからない文章が映しだされた。

 内容としては、夕食の後パパが散歩しようと言い出した。

 チョコレートのスープのある場所までと。僕らはすぐに賛成した。

 そんな雰囲気だったと思う。

 多分、「フクロウの声が聞こえる」という曲の歌詞なんだろうな、とは思った。

 けれど、正直に言ってしまえば今の状況が何のことやらさっぱりわからなかった。

 歌詞と思われるものは、かなり長い時間映しだされていたように思う。

 言葉は決して難解な言葉ではなかったし、一つ一つの言葉はどこかファンシーで童話的な言葉遣いではあったものの、全体的には哲学的にも感じた。

 

 曲が始まった。

 もしかするとゴリラズのライブのようにこのまま、この幕と隔てられたまま、ずっとライブが進行していくのかと思ったその時、幕は降りた。

 小沢健二を中心に、後ろに6名のバンドメンバーが囲むような形で、ステージ上に登場した。

 

 小沢健二は顔にペイントをしていて、バンドメンバーもどこかインディオを思わせるような羽飾りを頭や帽子につけ、言ってみれば森の住人のようだった。

 

 こうしてベーコンといちごジャムが一緒にある世界のライブがはじまった。

  

シナモン(都市と家庭)

 「フクロウの声が聞こえる」が終わると今度は後ろのスクリーンにシナモン(都市と家庭)の文字が映しだされた。

 ああ、一曲一曲、わざわざ曲名と歌詞が紹介されるのか、とえらく親切だなと思った。そしてその歌詞がすごい。

 「シナモンの香りで僕はスーパーヒーローに変身する」とかもう、何を言っているのかわからない歌詞を小沢健二は平然と歌う。

 曲の途中メンバー紹介が入り、名前を呼ばれるとメンバーはそれぞれ変身ポーズのようなものを決め、とにかく小沢健二本人も含めて楽しげでありバンドとしても完成度がたかいことを認識させつつライブが続く。

ホテルと嵐

 この曲「ホテルと嵐」の時、曲目と歌詞がスクリーンに映し出されることはなかった。

 よく考えて見れば、1曲目の「昨日と今日」の時もそうだった。曲名と歌詞は新曲の時のみ、スクリーンに映されるようだ。

 「ホテルと嵐」は小沢健二3枚目のアルバム「球体の奏でる音楽」に収録されている曲。このアルバムそのものはジャズのテイストが強く、世俗離れしたところのある小沢健二がさらに、世間との距離を引き離しにかかった作品のように私は感じていた。 

 

大人になれば

  「わかる人は一緒に歌ってください」の言葉から始まったのは「大人になれば」だった。

 新曲の時には歌詞がスクリーンに映し出されている関係で、見ているこちら側としては、少しの情報も見逃すか、聞き逃すか、小沢健二の動きそのものだって全部フォローしてやるんだ。でも、後ろで踊りながら演奏しているハルカ(HALCALI)もなんだかなまめかしくて目が離せないとか思っているわけで、すでに私の情報処理能力はパンクしていた。だから発表済みの曲はどこか気持ちが安らぐ部分がある。

 と思っていた矢先のことだった。

 小沢健二の発した言葉はその時点ですでに「要望」ではなく「指令」なのだ。

 私たちがすべきことは歌うことでしかない。歌詞を覚えているとか覚えていないとかそんなことはたいしたことじゃない。あの「犬」のライナーノーツでも最後はこんな言葉で締めくくられていたはずだ。

  僕がこのCDに望むのは、車の中や部屋の中やお店の中で、小さな音ででもいいから何回かかけられることだ。歌詞なんかうろ覚えのままで口ずさんでもらったりすることだ。キャラバンは進むし、時間だって進んでいく。いつか近くで僕がライブをやることがあったら、来て一緒に歌ったり、踊ったりして欲しいと思う。

-小沢健二/犬は吠えるがキャラバンは進む ライナーノーツより-

 けれど、まだそれでは足りないと思ったのか、この曲の最後で何度も何度も何度も、本当に何度もスキャットを要求する。

 

涙は透明な血なのか?(サメが来ないうちに)

 「涙は透明の血なのか?(サメが来ないうちに)」とは随分とよくわからない曲名だなと、思った。

 むしろ題名だけをみるに、さすが元イルカということもあってサメは怖いということかと妙に納得をした。

 そんなものは序章でしかなかった。

 もはやうろ覚えでしかないけれど、子供が生まれた時に、本当に生まれたのはパパとママ、と言った歌詞で、ああオザケン父親になったんだな、と思わせておいて、返す刀で「波、波、波、見る、サメ、サメ、来る、来る、泳ぐ、泳ぐ、泳ぐ」ともうよくわからない歌詞を歌い、その振付を延々と繰り返し、さらにお客さんに振り付けを丁寧に説明する時間をさき、会場を高いテンションで巻き込み、ああ、いつもの小沢健二なんだなと逆に、安心すらさせた。

 とにかく、一つのことをゆっくり考えさせないぞ、という熱い思いが伝わってくるようだった。

 

 これが本当と虚構が一緒にある世界ということなんだろうか。

 

1つの魔法(終わりのない愛しさを与え)

  00年代に発表された曲で今回唯一演奏されたのがアルバム「Eclectic」から「1つの魔法(終わりのない愛しさを与え)」。 

 

 ところでこのあたりで、ジョン・タイターについて説明をしておく。

 ジョン・タイターは2000年にインターネット上に現れた人物で自らを2036年という未来よりやってきたタイムトラベラーだと語っている。

 残念ながら私のジョン・タイターについての知識はウィキペディア上のものでしかなく、ゲームの「シュタインズ・ゲート」の中でその名前が登場したから知っているだけのことだ。

 小沢健二ジョン・タイターなのか?という疑念については、もちろん言葉通りの意味ではない。

 あまりの小沢健二の軽やかさと、その前時代とのつなぎ目の無さから、小沢健二にとって我々生活者が本来過ごしてきた時間など、あたかもなかったかのように振る舞うその様への驚愕でしかないのだ。彼は未来人であり、タイムトラベラーではないのかと。

  

それはちょっと

 私がジョン・タイター小沢健二の関係性について考えていた頃、次の曲となっていた。

 「いち、にっ、さーん、しっ」

 今回のライブでは発表済みの曲はほとんどが原曲とは異なるアレンジ、下手をすると歌詞まで変えられたり一部カットされたりしてセットリストの中におりこまれていたが、この曲「それはちょっとだけ」は比較的、原曲に忠実なまま演奏されていた。 

 

  ところで、バンドのメンバーは本当に楽しそうで、最初から最後までがっちりとしたチームワークがあり、その演奏はフジロックで言えばヘヴンが似合う出で立ちと編成と雰囲気を持っていた。出来ることなら今年のフジロック2016に出演してほしいと思う、そんな仕上がりだった。

ドアをノックするのは誰だ?

 「次の曲はドラムの白根くんと、僕のギターだけで始まります」

 小沢健二がそういいだすと曲が始まった。

 正直に言ってしまえば何の曲が始まったか私にはわからなかった。

 ただ小沢健二ギター上手いな、とぼーっと考えていると

 「ワン、リトル、キスッ」

 ドアノックだ。ここでやっと小沢健二の代表作「ライフ」からの楽曲となった。

  やっぱり、まわりのお客さんは全員ドアノックダンスするのかな、とか考えていたが、意外にそんなことはなく、えらく控えめなオーディエンスだった。

 その代わりといっては何だけれど、ステージ上のハルカ(HALCALI)はキュンキュンだった。彼女のドアノックダンスを見ているだけですべてが愛おしく感じた。もう何を言っているのかわからないけれど、おっさんHALCALIハルカをなんて抱きしめたくなっちゃうんだろうってな感じでキュンキュンだった。

 東京のライブの感想を読むとZEPP東京には40代のボーダーのおっさんとかつてのオリーブ少女ばかりが集まったと書かれていたが、ZEPP名古屋においては小沢健二のファンは代替わりしているように思えた。

 

 小沢健二ジョン・タイターではないのか?と書いたのは伊達や酔狂ではない。彼は父親になりはしたものの、90年代から地続きでいくつかの時代を経由した後、この2016年にやってきている。それくらいに普遍的で何も変わっていない。間の空白期間はいったいなんだったのか、本当にそんなものは存在するのかというくらいにつなぎ目がない。

 このライブ「魔法的」の冒頭で歌われた「昨日と今日」はあの「世紀末を一足先に終わらせてしまった作品」こと「犬は吠えるがキャラバンは進む」の中の作品だ。

 「昨日と今日」の曲では厭世的で冷笑的な評論家きどりの言説をするものを行先のない皮肉屋と挑発し、2ndアルバムのライフでは一人、時代の先を行くような躁状態の振りきれた歌詞と曲を連発した。

  もはや先の時代から逆算して、現代のほんちょっとだけ先を歩いて見せているようだった。

 そして多くのアーティストたちがつまずいた00年代に小沢健二はそもそも存在していなかったんだ。そんなことを想像している。

 

 つい余計なことをいろいろと考えてしまう。このライブ会場は直感と推論が一緒にある世界なんだ。

 

流動体について

  バックのスクリーンに「流動体について」の文字が映しだされた。

 今回のツアーは演出方法でもわかるとおり、新曲がメインのライブツアーだ。

 しかも歌詞にひどくこだわっている。

 けれど、アルバムの発売を受けてのツアーでもないし、夏フェスで来日した海外アーティストにありがちなパターンのようにツアー終了後にアルバムがリリースされる見通しも今のところない。

 確かにCD/アルバムというフォーマットは現代にそぐわない形式となりつつある。だったら、そんなアルバムなどリリースせずにライブだけやってしまえ。歌詞が大事なら会場でスクリーンで大写しにしてしまえ。というのはわからないでもない。けれど、それは今までの様式美にとらわれている私たちにとってはかなりつらい。

 その感覚はもやは未来人のものではないのか。とすら、思えてくる。

 今回のライブツアーが何らかの形で音源に残るかどうかはわからない。けれど、録音をしていることは間違いがないので、まったく世にでないということはないと思う。

 出てほしいとも思う。それはこの切迫感のあるギリギリの感覚を思い出すきっかけのアイテムとして形に残ってほしいと願っているからだ。

 

さよならなんて云えないよ

  小沢健二がソロになってからのもっとも特徴的な武器は何かと言えば、声にあると思う。もちろん小沢健二の書く歌詞は重要なものだし、小沢健二の表情、ギター、よくわからない踊り、掛け声どれも大事な要素だ。けれど、その中核をになっているのは、声だ。しかもあの切ないギリギリの高音をだそうというあの瞬間だ。

 そしてその声で歌われる、今という日々は後々考えれば取り戻せない美しいかけがえのない時なんだ、といった歌詞は本当に切ない気持ちにさせられる。

 ギリギリの声、今失われようとしているかけがえのない日々。もうこんなに曲を聴くだけで泣きそうになるアーティストは、他にはいない。唯一無比といっていい。

 ただし、残念なことに今回の新曲ではその部分はフィーチャーされていない。

 もしかしたら小沢健二父親になったことと関係があるのかもしれない。けれど、こうも考えられる。「さよならなんて云えないよ」という名曲がある以上、もう、この模倣を、この感覚の拡大再生産をする必要なんてないんじゃないかと。

 

 本当は分かってる 2度と戻らない美しい日にいると

 そして静かに心は離れてゆくと

 -作詞作曲・小沢健二/アルバム「刹那」収録「さよならなんて云えないよ(美しさ)」より-

  

 とにかく小沢健二の書く曲で印象的なこととして、まるでずっと遠い先から過去のことを思い出話を語るような俯瞰した歌詞を、今のこととして歌うさまだ。

 けれどそういった人達/アーティストにありがちな、客観性に裏打ちされたどこかクールで冷徹な目も、表情ももっておらず、今という時代を歌っているような妙なリアル感があることだ。

 

強い気持ち・強い愛

  実はどこから、どのようにして「強い気持ち・強い愛」に突入したか覚えていない。私がジョン・タイターの事を考えていたからか何なのか、前曲の「さよならなんて云えないよ」の盛り上がりを引き継ぎ、いつの間にかこの曲になっていた。

 ただし言い訳をさせてもらえるとするならば「Stand up, ダンスをしたいのは誰?」の部分はなかったし「彼も彼女もファンキーなビート食らって dancing in the street, baby」の部分もなかった。

 けれど、そんなことはどうでもよくて名曲2連発は最高だった。

  

超越者たち

  さらにつなぎ目なしで新曲の「超越者たち」になった。

「強い気持ち・強い愛」と「超越者たち」はシームレスでくっついていた。

 スクリーンに映しだされた歌詞の中に「そう(そう) そう(そう) 長く (長く)」みたいに合いの手を入れる部分記されていた。

 まるでカラオケか何かのようだったけれど、一緒に「そうっ!」とこぶしを振り上げてみると、なんだかロックやポップスのコンサート/ライブというよりも戦隊物の主題歌みたいで楽しかった。 

 

天使たちのシーン

  「超越者たち」の演奏が終わった後、少し間がありライティングが変わった。

 天井からのライトは光射す感じで、今にも天使たちが降り注いできそうだとすら錯覚した。曲が始まるまでもなく、今から演奏されるのは「天使たちのシーン」だと気付かされた。

 これがある意味今日のハイライトシーンになるんだろうな、と思っていると「天使たちのシーン」が始まった。

 が、これがかなりアレンジが独特で、歌詞も私の知っているものがすべてではなかった。

 時に調子っぱずれのようにも聴こえ、不思議な感覚だった。

 曲は早々に次の曲につながり、残念ながら「カモーン」の部分はなかった。

  

飛行する君と僕のために

  ここが「昨日と今日」がくっついている場所であるならば、当然のように新曲と旧曲はくっついている場所でもある。

 「天使たちのシーン」は「飛行する君と僕のために」とくっついていた。

  

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 実は新曲の度にコメントが少なめになっていくことには理由があって、ライブの最中にはかけがえのない楽しい瞬間だと思ったのにもかかわらず、時間がたてば、楽しい思い出は徐々に消えていくんだ、ということを実感している。

 実際ライブ直後の私のメモにはこんな言葉が残されている。

 通常、新曲が多めのライブは失敗しがちだが、小沢健二はその固定概念を打破している。

            -2016年5月31日私のメモ書きより-

 けれど、そんなインパクトの強い新曲たちとは裏腹に時間が経過するごとに私の脳裏から新曲たちの思い出が剥がれ落ちている。 

 悲しいことだ。

 

 「魔法的」ライブツアーは絶望と希望が一緒にある世界でもある。

 

ラブリー

  「ひふみよ」ツアーの時の「ラブリー」には練習タイムというものがあった。コンサートの前半に後半に歌う予定の「ラブリー」の歌詞を一部変更するので、小沢健二指導のもと、みんなに覚えてほしいという趣旨だった。

 その時に変更された歌詞はこの「ラブリー」の中でもっとも印象的な部分でもある「それで、ライフ・イズ・カミンバック」の部分が改変されていた。また、サビの部分の「LOVELY LOVELY WAY ~」のところも「ラブリーラブリーで完璧な絵に似た」に変更されていた。

 

 小沢健二は不思議な男だ。

 なんというかあまりにも自分勝手な時間軸で生きている。

 

 90年代に活躍した小沢健二は、アルバムを作り、音楽雑誌では強烈なアジテートをし、コマーシャルなシングルを連発して、歌番組にも登場し、ツアーをおこなって、ジャズに傾倒し、そして1998年に突如として消えてしまった。本人的にはそんなつもりがなかったかもしれないけれど、少なくとも私たちの認識としては消えてしまった。

 00年代には2枚のアルバムを出すものの、00年代2枚目のアルバムには歌詞もボーカルもなかった。小沢健二はその最大の武器である、歌詞と声を、トラックにのせることをしなかった。

 歌詞を書くことができなかったのか、しなかったのか、歌うことをやめてしまったのか、あえて必要ないと思ったのかは私にはわからない。

 ともかく98年以降の小沢健二はずっと沈黙していた。

 復帰の場となった「ひふみよ」ツアーではいくつかの印象的な新曲を発表している。「苺が染まる」や「シッカショ節」も印象的ではあったけれど、やはりもっとも重要な作品は「時間軸を曲げて」ではないだろうか。

 がっちりと歌詞が書かれていることもあるけれど、その「時間軸を曲げて」というタイトルそのものが、どこか1stアルバムからダイレクトに直接つながっているような硬派な趣きがある。

 小沢健二ははからずも告白しているわけだ。自分が時間軸を曲げることができることを。

 

 今にして思えば不思議なことだった。「ひふみよ」ツアーはアルバム「ライフ」の中の楽曲は「おやすみなさい、仔猫ちゃん!」以外のすべての曲がセットリストの中に入っていた。もはやライフ中心の10年前の忘れものを取り戻しにきたようなツアーに思えた。以前におこなわれた「THE LIFE SHOW」「Disco To Go」「VILLAGE」などのツアーと「ひふみよ」ツアーはくっついているんじゃないかと、10年前のあの時とつなぎ目なしのシームレスなんじゃないかと思わせるあのツアーにおいて「ライフ・イズ・カミンバック」の歌詞が丁寧に打ち消されていたのだから。

 

 ところが今回の「魔法的~」ツアーでは「ラブリー」の歌詞の変更は告げられかった。小沢健二からこう歌ってほしいという要望はなかった。

 それならばと私は高らかに歌った、もちろん。

 「そーれーでー、ライフ・イズ・カミンバック!」

 みんなそう歌っていたと思う。

 これは小沢健二帰還の凱旋歌なんだ、きっと。

 小沢健二は新曲をどんどん書きおろし、歌詞もどんどん書く、そしてそれをみんなで歌う。これを帰還と言わずしてなんなんだ。

 後半サビの部分で、小沢健二は「ラブリーラブリーで完璧な絵に似た」と歌っていた。若干とまどったけれど、私も一緒にそう歌った。いいじゃないか。私たちはすこしづつ進化している。

 

その時、愛

 小沢健二はこの曲で最後の曲となることを告げた。

 会場からは「笑っていいとも」のお客さんのように「ええっー」という声がもれた。

 今から歌詞がスクリーンに映しだされるので、覚えて一緒に歌ってほしい、と小沢健二は言った。その言葉通り、歌詞がスクリーンに映しだされたが、これがとても覚えきれない量だった。

 

 小沢健二は最後の曲の中で「ちょっと出かけたライブの会場で/おぼえた歌を口ずさんでみる」とも歌っている。まるで「犬は吠えるがキャラバンは進む」のライナーノーツの最後の部分みたいじゃないか。

  とにかくこの曲を、私たちは必死でその場で覚え、歌い、踊った。

 この曲には振付がついている。小沢健二らしいとも言えるラブリーなものだった。

 曲そのものはシンプルで覚えやすい、最初にスクリーンに映し出された歌詞の部分は何度となくリピートされ、幾度も口にするうちに、自然とメロディが身につくような気分だった。

 曲が終わると約束通り、小沢健二とバンドのメンバーたちは引っ込んでいった。

  

アンコール

 アンコールで登場した小沢健二は、今日のライブでは7曲の新曲書きおろしがあったことを伝えた。

 「それでは新曲の7曲を振り返ってみましょう」というと、1曲づつ音がダイジェストで流れ、曲紹介をした。今日のライブのものか、それとも事前に準備されていたものかはわからなかったけれど、それぞれに独特の振付があったりして、ちょっと前のことなのに懐かしく感じられた。 

 小沢健二はなんだかニュース・ステーションで野球解説をしていた栗山英樹のようだった。

 アンコールでは今日の新曲から1曲だけ演奏したいと小沢健二は言った。

 曲は「フクロウの声が聞こえる」だった。一番初めに歌詞が映しだされた曲だ。

 別世界へ誘う役割を果たしていた曲は、現実世界へ引き戻すための渡し船もかねている。

 

 小沢健二の最後の言葉は

「今日最後のカウントダウンです、5、4、3、2、1、日常へ帰ろう」

 だった。

 

 客電がつき私が日常に引き戻されiPhoneで時間を確認すると20時57分だった。19時に始まったライブは2時間弱で終わりを告げた。

 こうして小沢健二の2時間、混沌と秩序が一緒にある世界は終わった。

  

小沢健二ジョン・タイターなのか

  

 ラブリーのところでも書いたんだけれど、今の小沢健二の書く歌詞は圧倒的だなと感じた。

 それは98年からの2010年くらいまでの期間が本当にすっとんでいるんじゃないか、タイムリープなり、タイムトラベルなりしているんじゃないかと思わせるものだった。

 もちろん00年代に出た2枚のアルバムのことが好きな方々がいるとするならば、とんでもない感想かもしれないけれど、少なくとも私はそう感じた。

 歌詞を書かなかったのか、書けなかったの、書く必要性を感じていなかったのか、それともやはりタイムリープしており、時間軸を曲げた関係で違う時代に書かれたものかはわからないけれど、今2016年に発表された歌詞には力があった。

 私は小沢健二の帰還とも書いた。

 けれど帰還したからといって今後小沢健二が新曲を次々と発表し、アルバムを作り、そのアルバムをたずさえてライブツアーをおこない、みたいなことを繰り返すようには到底思えない。そう思う理由は、いろいろな音楽評論家/ライターがそう言っているからでもなく、メジャーなレコード会社との関係が希薄に見えるからでもなく、小沢健二の過去の発言や歌詞からそう読み取っているわけでもない。実に、もっと漫画チックな理由であって、いっさい論理的な思考は介在していない。

 これが、小沢健二がもしも誰かの創作上の人物とするならば、再開でも始まりでもなくて物語の一区切りに思えた、からだ。理性に基づく理由なんて何一つない。

 1stアルバム、2ndアルバム、その後のシングル連発およびそれに関わるツアーにやっと落とし前をつけて、90年代の中途半端に終わってしまったミッションを完全な形で遂行させた、という風に私は受け止めている。

 もしも次があるとするならば、それは新章突入の煽り文句として語られる何かだ。

 

  ところで「ベーコンといちごジャムが一緒にあるせかいっーへ」と調子っぱずれに歌う小沢健二が未来人なのか、ジョン・タイターなのかどうかは結局のところ最後までわからなかった。

 彼がジョン・タイターだとするならばそのミッションとはなんだったのか。

 本当のことは見つかったんだろうか。

 もちろんそんな疑問に対する回答も証拠も誰一人期待していなかっただろうけれど。

 

 

 

ロッキング・オン天国/増井修

 
 ロッキング・オンとは増井修そのものだ。
 
 もしかしたら、ロッキング・オンという言葉を聴くと、あなた方は茨城県ひたちなか市で毎年8月に開催されているあの夏フェスもしくはそこに登場するようなバンドのことを思い出すかもしれない。
 または、ロッキング・オンという響きは、あの音楽評論の世界ではすでに体制側で権力そのもの、ロック界のチャウシェスクと呼ばれた渋谷陽一のことをイメージするかもしれない。
 いや、ニルヴァーナカート・コバーンの死すら自分を語る材料にしてしまい、レディオヘッドのアルバム・レビューでは「助けて」とだけ書き綴ったタナソウこと田中宗一郎が書くような文体のことだ、とあなたは言うかもしれない。
 
 けれど、全部違うんだ。
 
 ロッキング・オンといえば増井修そのもののことだ。
 
 今回出版された「ロッキング・オン天国」は90年代、UKロックを中心に据えて音楽雑誌ロッキング・オンの発行部数を2倍に伸ばした名物編集長・増井修の激闘の思い出話である。

 

 そして、この本は増井修のすさまじい序文から始まる。

 

 「ロッキング・オン時代のことを書け」という残酷な依頼はこれまでにもずいぶんあった。どうしてそれが残酷かといえば、「今はろくでもない一般人以下の生き物なんだから、黄金の時代を書いたらさっさと死んでもらって構わない」とするニュアンスを言外に含んでいるからだ。これほど酷い話があるだろうか。家の整理整頓などをしつつ現在も立派に暮らしている者に対して、「お前ははっきり終わっているが、一時の輝きをそれがたとえ偶然と勘違いの産物であったとしても、真に受けた往時の読者のために追認だの是正だのしてから死んでくれ。それも発案の動機は自分達の商売のためだがな」。そう言っているのに等しいのだから。

 

-『ロッキング・オン天国』/増井修/イースト・プレス社  2P「自宅発18時」より-

 

  増井修は97年に本誌ロッキング・オンと新しく創刊されたばかりの雑誌BUZZ(バズ)の編集長を兼任したかと思えば電光石火の早業でその立場を降り、その後、唐突にロッキング・オン社を解雇される。解雇が不当解雇であるとして、会社相手に裁判を起こし、結果として名誉は回復されたものの、以降の増井修ソニー系の洋楽雑誌でスーパーバイザーを務めたり、幾つかの雑誌で編集に関わったり、漫画に関する本を出版したり、ブログを書いていた時期もがあったが、ロッキング・オン時代のような大きな成果、増井修の言葉を借りれば黄金の時代を築くことは出来ずに、ひっそりと出版の世界からも、ウェブの世界からも消え失せてしまった。

 2016年の初頭においては増井修はネット上に存在しないも同義だ。いや同義だった。

 そもそもの話として増井修ロッキング・オン時代の話を語ることは、その経緯から永遠のタブーとなるかと思われたが、意外なことに、こんな本があっさりと出版された。

 あっさりと、と言いはしたものの増井修が編集長を降りてから20年近い月日が経過している。

 ロッキング・オン天国の中では90年代の話だけではなく、79年に増井修が在学中にロッキング・オン社の新卒採用、しかもなんと第一回目の採用に応募し、新入社員の時代を経て編集長となり、ロッキング・オン誌とUKロックの黄金の時代を過ごし、そして編集長を退任するまでの期間を語っている。

 

 表紙の帯にずらずらとアーティスト名がある。これは90年代のUKロック/オルタナティヴ・ロック/グランジ/その他ロックなどを中心に、ストーン・ローゼズ、オアシス、ブラー、スウェード、ガンズ&ローゼズ、ビースティ・ボーイズ、マニック・ストリート・プリチャーズ、ポール・ウェラーレニー・クラヴィッツなど本文中に登場したアーティストたちの名前が記載されている。

 ただし、きちんと本人達とのエピソードからその評価まで語られているアーティストもいれば、ペット・ショップ・ボーイズのように音源の売れ行きから、雑誌の売上増を期待して表紙にしたが、ペット・ショップ・ボーイズのファンたちはディスコに行ってしまい文字情報を期待していなかったので本誌の売り上げには貢献しなかった、というようなものまで様々だ。

 

 増井修は自らを「ストーン・ローゼズ東スポークスマン」と自称していたが、ストーン・ローゼズについてかなりページを割いて語られている。

 特に私個人が印象的だった点は、解散に至る経緯で、言ってしまえばギターのジョン・スクワイアとドラマーのレニの対立だったと書かれている。これはまあ、ローゼズの2ndアルバムを聴けばある種分かる話ではあるけれど、再結成後、フジロックで「アイ・アム・レザレクション」を演奏した際に、あの曲の後半パートはボーカルのイアン・ブラウンとベースのマニの存在が希薄になり、ジョン・スクワイアとレニの2人舞台となった瞬間、とても感慨深い気持ちとなったことが思い出される。

 

 増井修が編集長を務める90年代途中までのロッキング・オンとは本当にひどい雑誌で、わりと平然と嘘が書かれていた。それはもちろん、読者もそんなことが当たり前だと思って節もあったし、嘘吐きというものが、メディアに平気で嘘をのせて喜んでいるということが、90年代の、そして時代の気分としてあったんだと思う。

 おそらくもっとも印象的だったのはボンベイ・ロール事件ではないかと思う。事件と言ってしまうと、ちょっと違うかもしれないけれど、今でも90年代のロッキング・オンと言えばボンベイ・ロールだよね、と懐かしんでいるロック・ファンは多いはずだ。

 ボンベイ・ロール事件とはなんなのか、という話だけれど、オアシスのリアム・ギャラガーが「(エラスティカの)ジャスティーンにいつかボンベイ・ロールぶちかましてやる」と発言したことを増井修が喜々として取り上げ、おなじくマンチェスター出身のシャーラタンズのメンバーに確認をとったところ、いやそれは「シャーク・サンドウィッチ」だ、とか、スウェードにも聞かねばフェアじゃないとかで、なぜフェアじゃないのかは私にはさっぱりわからないけれど、スウェード曰くは「パール・ネックレス」だそうで、基本的にはいつもそんな風に下世話に盛り上がっていた。

 

 ところで「ロッキング・オン天国」には、もっと驚きな内容として増井修が編集長の修行時代のロッキング・オンについての記述だ。なんと初期のロッキング・オンは内容と表紙が一致していなかったそうだ。これだけではなんのことかさっぱりとわからないと思うけれど、たとえば、表紙をデュラン・デュランにすると雑誌の売れ行きが良くなったらしい。しかしデュラン・デュランが表紙になっていても内容には1行たりともデュラン・デュランは登場しない。そんなことが当たり前にロッキング・オンは発刊されていた。

 ある時、ブルース・スプリングスティーンが来日した際に、彼を表紙にして「来日記念インタビュー」という文字を入れたら、この号はバカ売れしたとのこと。そう、それまでは表紙に文字なんて入っていなかったそうだ。

 「本は表紙に文字を入れるとすごく売れる」ということをこの時初めてロッキング・オン編集部は知ったらしい。

 そんな時代からすれば90年代ロッキング・オンは隔世の感すらある。その意味においてはきちんとして音楽雑誌だった。

 カート・コバーンが亡くなれば過去記事まで掻き集めてカート・コバーン追悼号をだすくらいにはパワーアップしていた。

 

 ロッキング・オンは元々渋谷陽一が中心として隔月発行されていたロック同人誌のだった。ロック喫茶「ソウルイート」の常連達の文章を集めて作ったものが創刊号になる。

 80年代途中までの表紙と内容が一致していない頃の編集長は、つまり初代編集長は渋谷陽一だった。渋谷陽一が大学在学中に立ち上げたロッキング・オンという雑誌を発行するための集まりは、もちろん素人集団で、雑誌づくりのプロは一人たりともいなかった。

 ロッキング・オン誌初期の人気コンテンツは読者投稿と、架空インタビュー、スタッフ対談などだった。特に架空インタビューは今の時代から考えるとひどいもので、ジミー・ペイジだのジョン・レノンだのが、インタビューを受けたら、こんな答えをしてくるんじゃないかというものを、平然と記事として載せていた、とのことだ。

 雑誌が軌道にのる見通しがたつと、渋谷陽一ロッキング・オンを会社組織にしたり、海外誌からの記事を積極的に載せたりするようになり、組織や紙面を改革していく。

 渋谷陽一に編集者としての才覚があったかどうかは、私には判断がつかないけれど、少なくとも雑誌と組織を的確に次のステージへと引き上げていった人物ということになる。経営者として有能であることに間違いはない。

 前述のとおり、渋谷陽一編集長時代のロッキング・オンはまだまだ未完成で荒削りの音楽雑誌だった。

  音楽雑誌「的」な作りだったロッキング・オンを以前よりずっときちんとした形で音楽雑誌としての体裁を整え、売り上げ、影響力を格段に引き上げる役割をになったのが増井修ということになる。

 増井修ロッキング・オン誌の編集長となることで、ロッキング・オン社はまたひとつステージを上げる事に成功した。

 

 ロッキング・オンあるいは増井修に対する私の個人的な思い出話となるけれど、やはりマニック・ストリート・プリチャーズというウェールズ出身バンドについては鮮烈な印象がある。彼ら4人組のデビュー当初の言動とファンの熱さには独特のものがあった。

 マニックスはデビュー時に「アルバムを1枚だけとって世界中で1位を取って解散する。1位じゃなくてもとにかく解散だ」と言い放ったけれど、もちろん彼らはそこでアルバム1枚きりで解散することもなく、いまだにリッチーが抜けてもバンドとして活動を続けている。

 一部の熱狂的なファンはデビュー直後の解散宣言を信じており、宣言と異なり現役を続けるマニックスに対して戸惑いを隠せなかった。

 増井修マニックスを擁護しつづけたが、これが読者のカンに触ったらしく増井修名指しの批判投稿文を受け取ることとなる。

 名指しの批判といえば、増井修はオアシスの2ndアルバムのライナーノーツを書いた際に、冗談で途中までシングルの解説を書き、やはり大批判を受けている。それは読者からの投稿で本誌に送られてきた抗議文のようなものだったが、増井修は喜々として送り主に了解をとり紙面にのせていた。

 

  ところでひとつ不思議な事がある。

 当時、ロッキング・オンは編集長・増井修、副編集長・田中宗一郎という体制だったはずだが、その田中宗一郎に関連する記載がほぼない。欄外の会社発26時の中にタナソウとタナヒロに関する部分で若干登場しているがほぼそれくらいしか見当たらない。

  雑誌は編集長のものであり、その意味では90年代ロッキング・オン増井修そのものだった。そこに間違いは一切ない。けれど、あの時代のロッキング・オンには増井修の熱血主義とともに、タナソウの怨念みたいなものが同様にこびりついていた。

 増井修タナソウについて語るというのは変な話ではあるけれど、そのおかげかこの書ではレディオヘッドについては取り上げられていない。

 

 レディオヘッドについて取り上げられていないというよりは、この「ロッキング・オン天国」では、ローゼズのセカンドアルバム以降のことについては何も語られていないに等しい。

 もちろん渋谷陽一もしくはロッキング・オン社と起こした裁判のことについて何かが書かれているということは一切なく、音楽についても90年代ブリット・ポップ・ムーヴメント以降のことについても何も触れられていない。ただ先ごろなくなった、デヴィッド・ボウイの死とその最終作については若干ふれられていた。デヴィッド・ボウイの評価が意外と低いことにその追悼文を読んで思い知らされた、というような内容だった。

 とにかくローゼズのセカンドアルバム以降で語られているのは漫画と熱帯魚のことのみだ。

 

 1993年の7月号スウェードのブレット・アンダーソンが表紙のロッキング・オンのことを私は印象的に覚えている。

 

 ファッション雑誌のようにブレット・アンダーソンがポーズを決め、煽り文句は「スウェードは世界を堕落させてしまうのか?」だった。

 あまりのブレットのカッコよさに私はノックアウトされ、それまでは特集アーティストや表紙などにより買ったり買わなかったりしていたロッキング・オンをこの号より毎号ずっと買うようになった。

 以降90年代のロッキング・オンは一冊を除いてすべて買っていたと思う。

 一回だけ買わなかった際の表紙を飾ったアーティストはメンズウェア(96年2月号)。ブリット・ポップムーヴメントは第二世代となり、オアシス・ブラーの狂騒から少し時が経過しもう少し小粒なアーティストが多くデビューしていた。メンズウェアはその代表格だっただろうか。

 当時ブリット・ポップの新人よりもエレクトロニカ/ダンス、テクノを中心としたロック・アーティスト例えば、プロディジーであり、アンダーワールドであり、ケミカル・ブラザーズファットボーイ・スリムあたりに、勢いがつきつつある時期だったように思う。

 その時にいくらなんでもメンズウェアはないだろう、というのが私の正直な感想だった。

 ローゼズセカンド以降の増井修はリリース直後はともかく今思えばテンションがズルズルと下がっていたように思う。また新しいアーティストの発掘についても保守的になりつつあったように感じていた。

 

 ブリット・ポップ興隆期の裏で台頭しはじめていたエレクトロニカ/ダンス系アーティストは、本誌では後にBUZZの編集長となる鹿野淳により語られる事が多かった。94年から95年くらいのことだろうか。

 エレクトロニカ/ダンス系アーティストその他音楽に限らない振れ幅の大きなジャンルは97年に創刊されたBUZZの中で多めに語られることになる。

 このBUZZの創刊が増井修の最後のロッキング・オンでの大きな仕事となる。

 

 増井修がBUZZを立ち上げ、そしてロッキング・オン社を退社した97年は、第一回のフジロックが開催された年でもある。

 それから数年後、ロッキング・オン社はご存知の通りフェス事業に力をいれ、事業の大きな柱に育てることになる。

 増井修の採用(初めての新卒採用)、編集長への登用とそれぞれの段階で事業としてのステージを上げていき、増井修の退社をもってさらにもう一段階、ロッキング・オン社はステップを踏んだ形となっている。

 

 音楽雑誌としてのロッキング・オン増井修が編集長を降りる直前から陰りを見せはじめ、それは編集長のテンションダウンもしくは時代のトレンドを捕まえられなくなったことが原因というよりは、今思えば、業界の構造変化が顕在化しはじめたことが直接の影響だったと思う。

 理由はともかく名物編集長の降板によりロッキング・オンは黄金の時代に終止符を打つこととなる。

 

 「ロッキング・オン天国」は90年代のロック懐かし話でもあり、同時に成長していくベンチャー企業の興隆期の物語にありがちな、楽しさと、物悲しさをあわせた思い出話ということになる。

 もう一度繰り返すけれど、ロッキング・オンとは増井修のことだ。

 

 

 

 

 

 

 

小沢健二の「LIFE」という名のアルバム、もしくは1995年。

 少し前に1995年を境に、創作に対してお客さんが求めるものが変わってきた、というような記事があった。

 実は私はこの話にちょっと思うところがある。

 

 今回直接的にとりあげているのは下の記事になる。中川いさみの書く鴻上尚史との対談風マンガだ。

 

www.moae.jp

 

 中川いさみはスピリッツで「クマのプー太郎」などを掲載していた漫画家でいわゆる不条理漫画にカテゴライズされてはいたけれど、吉田戦車などとくらべればひどく分かりやすいナンセンスさだった。気取った感じや敷居の高さもなく当時、私は好きな漫画家だった。

 鴻上尚史と言えば劇団「第三舞台」の主催者であると同時に、コラムニストであり、テレビ・ラジオでも活躍しており、話上手で映画監督としては微妙ではあるけれど、非常に才気走った人という印象があった。

 今私が何を伝えようとしているのかといえば、この記事内で対談している2人、中川いさみ鴻上尚史に対して、私はそもそも悪い印象を抱いてはいないということ、だ。

 むしろこの2人の人物について、好意的にとらえている。

  

 2人の対談風漫画の内容をざっくりと要約する。

 まずは鴻上尚史のターン。95年を境にお客さんがガラッと変わった印象がある。95年の春くらいにわからない作品に対する拒絶反応がすごく出はじめた。で、その理由を考えてみると95年の1月に阪神大震災が、3月にオウム真理教地下鉄サリン事件があった。

 次に中川いさみの述懐。中川いさみも実は鴻上尚史と同様のことを思っていた。けれど、もっともそれを実感した時期は東日本大震災原発事故以降の話だということだ。不条理な漫画、ひねくれたストーリーはどんどん受け入れられにくくなっているように感じている。

 鴻上尚史はこんな風にも語っている。「でも、我々は観客相手の商売なので、観客がナンセンスや不条理に耐えられないのだったら少し歩み寄っていくしかないのかなって気持ちはすごいある」

 中川いさみはそれを受けて見た目をシンプルにし中身のいびつさを覆い隠していくしかないのだろうか、とまとめている。

 

 この記事に限らず90年代の中頃、そのものズバリで言えば95年の春から世の中は変わったみたいな言説はよくある。

 確かに印象的な出来事が2つ重なり大変わかりやすい。

 でも私は本当にそうなのか、と感じている。

 

 私は2つの理由からこの考えが好きではない。

 1つ目はたまに評論家風な人が口にする○○年から△△ははっきり変わった、という言い方そのものが違和感ということ。わかりやすいランドマーク的な出来事が発生し、その後から急激に人の意識が変わることはある。けれど、でも世の中そんなに単純ではないと思うんだ。

 大きな岩を皆で力いっぱい押せば、その岩はいつかゴロリと動くと思う。その最後のひと押しを誰がしたのか?ということを究明することに意味があるんだろうか。そしてそれは、本当にもっとも力をかけた人物を発見できているのだろうか。結局のところ岩が動いた後にアピールプレイをした人間をその人物と取り違えてやしないだろうか。原因と結果の取り違えをおこなってやしないだろうか。

 

 それから、もう一つ。

 小沢健二のことを思い出すからだ。

 

 94年の8月の終わり、小沢健二は「LIFE(ライフ)」という2ndアルバムをだす。

 このアルバムの発売に先立って小沢健二は「愛し愛されて生きるのさ」 というシングルをリリースしている。カップリングは「東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー」という曲で正直な感想を言ってしまえば、この2曲に私は非常に驚いた。腰を抜かしてしまうんじゃないかというくらいに。

 

 かつて小沢健二小山田圭吾とともにフリッパーズ・ギターとして活動していた。当時の日本語詞の楽曲は、シニカルで厭世的で内向きで閉じている歌詞が印象的で、ソロとなってからも1stアルバムでは、楽曲そのものはシンプルではあったけれど、その歌詞の醸し出す雰囲気は変わっていないように思えた。その1stアルバムは小山田圭吾尾崎豊のようだと揶揄されたものの、やや朴訥さとシンプルさが以前の作品と比べ過剰に出ているもののフリッパーズ・ギター時代の小沢健二の延長線上にあるように感じた。

 

 ところがこの2ndアルバムを直後に控えた「愛し愛されて生きるのさ」というシングルはどうだろう。躁状態過ぎやしないか。何もかもハッピーすぎる。

  そもそも「愛し愛されて生きるのさ」は言いすぎではないだろうか。前向き度合いが上がりすぎている。何だか別の人になってしまったんじゃないだろうか。とすら思えた。

 

 もともと、小沢健二の書く歌詞は不条理なものでもないしナンセンスなものでもないけれど、けれどこの時期から数年の小沢健二は急激に、音楽に前向きなストレートなメッセージを乗せてきたという印象が私の中では強い。

 

 90年代の邦楽とJ-POP全般の話をする。この90年代の途中、どこかの時期に音楽の世界、いや日本の音楽だけのことではあるけれど、何かが代替わりしたような印象がある。歌詞そのものがストレートになり、シニカルさやパロディ的なもの、言葉遊びのような意匠が極度に失速していったと私は感じていた。その時の先頭グループを走っていたのが小沢健二の2ndアルバム「ライフ」というわけだ。

 

 実は小沢健二の1stアルバムには「世紀末を勝手に終わらせてしまった作品」というとんでもない評価が発売当時に与えられていた記憶がある。直接的には1stの中に「昨日と今日」という曲があり、その中で「薄ら笑いさえぎこちないだけの皮肉屋たちが行く先も無いまま 街で深く深く深く溺れ死んでゆく」と歌われ、シニカルさだけの皮肉屋の生きる道などこれからの21世紀にはない、といった拡大解釈からくるものではあったけれど、2ndを聴く限りは、その妄想もありなのかと当時は思ったものだ。

 当時はと書いたけれど、今振りかえってどう思うかと言えば、世紀末とはつまり、ノストラダムス的な終末論とか予言の類だったと思うけれど、そんなものはすでに97年を過ぎた頃には誰も信じていなくて、世界が終わるとかかなりバカバカしいものでジョークとしても無価値だったように思う。それは、本当に単純な話で近すぎてなおかつ現実味のない破滅なんて誰も信じやしないということだったんだと思う。

 そんな「時代の気分」という大雑把な言葉でくくってしまうんだけれど、そんなものを嗅ぎとったあとにはハッピーにするしかないよね、現実的なものと向き合うしかないよね、というのが小沢健二「ライフ」というアルバムだったんじゃないかな、と今さらに思う。つまり94年の段階で小沢健二は2馬身くらい世間の感覚を突き放していたように感じてしまうんだ。

 

 95年には阪神大震災が起こり、その後オウム真理教の事件が起こるわけで、これを一緒くたにしてしまうことには、もちろん無理があると思うし乱暴すぎるとは思うんだけれど、少なくともオウム真理教のアレは原因ではなくて、結果の部類なんじゃないかと感じている。

 急に変わったのは95年と言われているけれど、小沢健二のアルバムから考えるに94年にはすでにその予兆があった。ほかにも同様の感覚を嗅ぎつけていた創作者たちはたくさんいたのかもしれない。

 とにかく、95年はすでに終わらないことが分かってしまった後の世界だったんじゃないだろうか。

 そんなことを冒頭の記事を読んで思ったりした。

 

 

 

 

 

 

 

2つのロキノン

 
 

 ロキノンという言葉が語られる際、しばしば、話がかみあわない。

 

 若い世代と音楽について話をしたことがある。少しばかり驚きがあった。

 彼らが自分の好きな音楽のことを話す時「好きなジャンルはロキノン」とあっさりと口に出すことがある。その表情には屈託がなく、何者にも臆することがない。

 何が私を驚かせているのかと言えば、ロキノンとは人前で自分が好きなジャンルとして語る言葉ではない、という思いが私の中にあったからだ。

 彼らの世代と私たちの世代とではロキノンという言葉に対する感覚は、まるで違う。

 私の世代にとってロッキング・オンロキノン)を愛好していたことなど、ひた隠しにするべき、唾棄すべき過去なのだ。ロキノンなど隠れて読むべきものであって、立ち読みしている姿など他者に見られるなどもってのほか、というような禁書のごとき存在でしかない。ロキノンという言葉にはどこか嘲笑と照れ隠しと勘違いと懐かしさと嫌悪の入り混じった複雑な感情が含まれている。

 けれど、若い世代にとってはそういったものではない。ロキノンは恥ずべきモノではないのだ。いや、もちろん「若い世代」という乱暴で大雑把なくくりで語ることは間違っていると理解しているし、世代における共通認識なんてものを持ち出すのはズレている。そんなことないよ、という人はたくさんいる。感じ方は人それぞれ、と言い出すことが正解なんだろう。でも、そんな正解なんてものは退屈だけが支配する国にしか繋がっていない。ともかく今の若い世代の口にするロキノンという言葉には、私のようなおっさん世代が発するロキノンという言葉では持ち得ない不思議などこかキラキラとした響きがあるように思える。

 

 なぜ、こんなことが起きているのか。

 理由ははっきりしている。2つので世代ではロキノンという言葉の意味が違うからだ。

 ロキノンという言葉は、世代によって齟齬(そご)が生じている。

  おっさんの世代にとってのロキノンは、渋谷陽一が刊行し、増井修が編集長をつとめていたUKロックをメインに取り上げる「あの」洋楽ロック雑誌のことであり、そこに頻繁に登場する海外アーティスト/バンド、そしてその紹介をしている評論家/ライター周辺とその文章をひとまとめにしてロキノンと呼ぶ。

 一方で若い世代の言うロキノンは、毎年8月に茨城県ひたちなか市で開催される夏フェスロック・イン・ジャパンと、そのフェスに登場するようなロック系の邦楽アーティストのことをさしている。そもそもはロキノン(正しくは邦楽専門誌のジャパン)という雑誌がある、ということすら認識されているかどうかすら、あやしい。

 

 若い世代の発するロキノンという言葉がキラキラしているといったが、それはその年代なんてだいたいキラキラしてるもんだろ、という一般論はゴミ箱にでも捨ててしまえばいい。

 私たちの世代が若かった頃、ロキノンを読んでる人間なんてみんな掃き溜めの中にいたようなものだ。

 90年代、ピストルズが突如として再結成し、ジョニー・ロットンは「再結成の理由は金だ!」と叫んだ。もちろん日本中にいたロックファンはこれを歓喜して出迎えた。武道館での来日公演をおこなった際、ロキノン本誌には、ライヴ中このまま武道館ごと燃えてしまえば、日本中のクズどもが一掃されて社会に貢献できるだろう的なライヴ・レポートまで書かれていた。ロキノン信者はもちろん、これを手を叩いて大笑いしつつも同意した。彼らの何割かはそのライヴへと出向いたのにもかかわらず。

 それから10年も経たないうちにロキノンはフェスとウェブの会社へと変貌をとげ、日本中の若者を集客するようなフェスを開催する会社となった。もう間違っても、彼らはこのフェスに来ている連中が燃えちまえばいいなんて書くことはないだろう。

 

 とにかく、私にとってのロキノンはあのロック・イン・ジャパンだの「まんパク」を開催しているフェス屋のことではない。

 私にとってのロキノンとは90年代、執拗なほどローゼズとマニックスとオアシスとブラーを、とにかくUKのアーティスト達を載せ続けたあの雑誌のことだ。

 

 なぜ、こんなことを書いたのかと言えば、その90年代ロキノンの編集長をつとめた増井修が突如として沈黙を破って、一冊の本を出したからだ。

 増井修ロッキング・オン本誌の編集長を降りると突然、ロッキング・オン社から消えた。その後、いくつかの雑誌に関わるものの行方知れずとなってしまった。

 今回出版された本は「ロッキング・オン天国」。

 詳しい事情はわからないけれど、増井修ロッキング・オン社と雇用に関して裁判をおこなっている。そのためロッキング・オン時代のことを今さら増井修が語ることはないと思われていたため、これは意外なことだった。

 「ロッキング・オン天国」の感想についてはそのうち書きたいと思けれど、今回はここまで。 

 

 

 

コーチェラ2016 youtube動画配信の感想

  

 もうすでに先月4月の話題となってしまいましたが、皆様はコーチェラの動画配信をご覧になったでしょうか。

 そうです。海外アーティストが「コーチェーラー」と無駄に叫ぶ、ヤシの木と観覧車と夜景とビキニの享楽の夏フェス、アメリカのコーチェラ・ヴァレーで4月に開催されていたコーチェラ・ヴァレー・ミュージック・アンド・アーツ・フェスティヴァルのことです。

 今年のコーチェラ2016はCalvin Harris(カルヴィン・ハリス)、LCD SoundsystemLCDサウンドシステム)、Guns N' Roses(ガンズ&ローゼズ)と、かなりバラエティにとんだヘッドライナーを取り揃えつつ、例年のごとく話題のアーティストたちが夏フェスシーズンの開幕を告げるがごとく多数登場しました。

 私も時間の許す限りたくさんのアーティストをyoutubeの動画配信で見て回りました。そんなアーティストのライヴを見た感想を少しだけメモ代わりに残してたいと思って今さらではありますが、こうして記事にしています。

 

 本当は動画をペタペタと貼っていけばよいのでしょうが、残念ながら開催間もない今の時期はコーチェラの動画はかなりの頻度であっさり消えてしまうことが多いため、興味のある方はご自分で検索されることをおすすめいたします。

 

 それでは、始めたいと思います。 

 

Lcd Soundsystem

 

 1日目のヘッドライナーとして登場し、この3日間でもっともコーチェラを盛り上げたのは、そうです。LCDサウンドシステム。

 ニューヨーク出身のディスコ・パンクバンドです。一時期は活動休止して中心メンバーのジェームス・マーフィーはArcade Fire(アーケイド・ファイア)のアルバム・プロデュースなどをおこなっていましたが、2015年突如復活して、今回の再結成に至るわけです。

 私が00年代以降のバンド/アーティストとしてはSigur Rósシガー・ロス)、James Blake(ジェイムス・ブレイク)と並ぶくらいに重要なアーティストだと思っているのが、このLCDサウンドシステムです。

 今回のコーチェラのライヴもヘッドライナーにふさわしい出来で復帰直後間もないライヴとは思えないようなとても熱量のある素敵なライヴだったと思っています。

 まだ現在は新しいアルバムは完成していないこともあり、セットリスト的には過去のベストヒット的なものだったこともあり、バンドもオーディエンスもかなり良い状態だったと思います。

 

 

Grimes

 

 今回もっとも成長したライヴを魅せたのはGrimes(グライムス)でした。

グライムスはカナダ出身のクレア・バウチャーによるソロ・ユニットです。1stアルバムの時のライヴを私は名古屋と東京で見ているんですが、その時の印象では可愛らしい宅録・オタク女子がステージの片隅で(実際には真ん中ですが)ちょこちょことキーボードを触りながら歌っているといった雰囲気でした。渋谷陽一は高校生の文化祭のようだと、そのライヴについて表現していましたが、とても的を射た感想だったと思います。

 そんなグライムスも昨年発売された2ndアルバムでNMEの年間ベストで1位に選出されるなど、それは少し過大評価ではないかとすら思っていたんですが、今回のコーチェラのライヴをみて驚きました。音楽の振れ幅が格段に広がり、ダンサー達を引き連れ、足を高くあげ、獣のように吠え、転がり、ギターを演奏し、まるでポップスターのように振舞っているではありませんか。

 そしてライヴを見て納得しました。確かにこの人の作ったアルバムがNME的には一番だったのかもしれんな、と。

 ただやっぱり、クレアはポップスターとはちょっと違うとも思いました。それでも、それでも、ポップスターであることを引き受けようとするグライムスにたいして私は訳の分からない感動をおぼえました。さらに言えばグライムスのライヴを来日の機会があれば是非見たいと強く思いました。

 

 

Last Shadow Puppets

 

 ご存知Arctic Monkeysアークティック・モンキーズ)のヴォーカル・ギター、アレックス・ターナーのサイド・プロジェクトです。

 アルバムは持っているし、聴いてもいたんですが、ライヴを見るとそのあまりの古い感じの音に驚きました。

 アレックス・ターナーはある種ロックオタク的なことを言われたりもして、アークティック・モンキーズでも近作では特にその傾向があるんですが、けれどアークティック・モンキーズはどちらかと言えば若いバンドがわざわざ古い音を最新の感性で鳴らしている、いわば10年代の音といった趣きが無いわけはないんですが、このLast Shadow Puppets(ラスト・シャドウ・パペッツ)はどうでしょう。あんた、何歳だよ。何十年選手なんだよといった感じでしあがっているではありませんか。

 

 

The Kills

 

イギリス人男性のホテルと米国女性のヴィヴィの2人からなるThe Kills(ザ・キルズ)。

 その昔サマソニでザ・キルズが来日した際に私は彼らの演奏を見に行きました。すると、どうでしょう。ヴィヴィ一人(と通訳)だけが出てきて演奏用のデータが消し飛んでしまったため「演奏ができなくなりました、ごめんなさい」と言われて、突如ステージがキャンセルとなってしましました。その時のヴィヴィはひどく儚い感じで、ひどくしらしい感じでした。この時、どちらかと言えば私は気難しい英国人男性であるホテルがサマソニでのライヴ演奏を面倒臭がったためにステージが突如キャンセルになったものだと勝手に解釈をしていました。

 気難してくて気分屋の英国人男性ホテル、それに振り回される健気な米国人女性のヴィヴィ、これが私のザ・キルズに抱いていたイメージです。

 ところがどうでしょう。動画で見るザ・キルズ特にヴィヴィはロックンロール・デュオとしてホテルと互角以上に渡り合っているではありませんか。儚げでか弱いパートナーなどではいっさいないではありませんか。

 ザ・キルズのライヴ中継は彼らが発表している音源よりも、はるかにロックンロールな感じでゴリゴリとしたステージで2人組とは思わせないパワーが有りました。

  

Disclosure

Settle/Disclosure  → link
 

 UK出身のエレクトロ系兄弟ユニット、Disclosure(ディスクロージャー)。

 コーチェラのライヴではかなりたくさんのゲストボーカルを用意しており、かなり華やかなステージでした。

 LatchやOmenなどで共演しているSam Smith(サム・スミス)、また2ndアルバムでフィーチャリングされたLorde(ロード)、White NoiseではAluna George(アルーナ・ジョージのアルーナ・フランシス)、さらにはKwabs(クワブス)、Lion Babe(ライオン・ベイブ)、Brendan Reilly(ブレンダン・ライリー)と次々とゲストシンガーが登場、とにかく豪華な内容でした。

 実は彼らは今年のフジロック2016にも登場します。

 ただ残念なことにやはりアメリカ/イギリスでのパフォーマンスでもなく、ヘッドライナーというわけでもないので流石にゲストヴォーカルは難しいでしょうか。

 個人的には同日にロードもしくはアルーナ・ジョージやロードあたりをブッキングしていただければ少しばかり夢が広がるのですが。

 

Rhye

 
 Sade(シャーデー)のような声質を持つ男性ヴォーカリストを要する独特な2人組Rhye(ライ)。
前回書いた記事では女性ヴォーカルだと思っていたけれど、実は男性ヴォーカルだった信じられない、という趣旨の内容と書きました。
 配信される動画を見るとびっくりするくらいに、かっちりと男性ではありませんか。
そして不思議な事にあれほど事前で聴いた時には女性ヴォーカルと感じた声質も中性的で判断が迷うものの、男性のそれに聴こえるわけです。
 もしかして録音技術の魔術なのか?と思いアルバムを再度聴き直したわけですが、すると、どうでしょう。以前はあれほど女性ヴォーカルそのものに聴こえていたはずなのに、今では男性ヴォーカルに聴こえないわけでもない、くらいに感覚が変わっていました。
 耳ですら普通に騙される。これが今の私の偽ざる心境です。
 
 

Underworld

 

 今年のサマーソニック2016にヘッドライナーとして登場するのはUKのエレクトロニカ/ダンスデュオにしてアンセムメーカー・Underworld(アンダーワールド)です。

 サマソニ2016の初期の発表ではRadioheadレディオヘッド)のみがヘッドライナーとして扱われアンダーワールドについては微妙な感じの扱いでしたが、結局ヘッドライナーに落ち着いたようです。

 後にクリエィティヴマンの清水代表がロッキング・オン誌で語ったとことによればギリギリまでColdplay(コールドプレイ)と交渉していたけれど、直前で振られた。アンダーワールドとはそういう(コールドプレイがダメだったらヘッドライナーにするよというような)契約をしていたとのことだったんですが、流石にそれはどうなんでしょうか。もしかしたら今年中止となってしまったソニックマニアのメイン格ということも考えられていたのかもしれませんね。

 話がそれました。ライヴの感想です。

 今年発表された新譜がセットリストの序盤に据えられた構成で、しかもこの新譜がそこまで過剰にダンサブルというわけでもなかったため、ボーカルのカール・ハイドの年齢もあって、あまりカール・ハイドが動かなくなっているなあと思ったのもつかの間、後半、私たちのアンダーワールドが帰って来たではありませんか。レズ/カウガール/ボーン・スリッピーの流れは美しすぎて、カール・ハイドのVXも炸裂するところは素晴らしい、見てよかったと思いました。

 ただし、ステージが小さかったのか、やはりカール・ハイドも寄る年波には勝てないのか全編パワフルというわけにはいかなかったようです。

 

Courtney Barnett

 

 話題の新人、Courtney Barnett(コートーニー・ヴァーネット)。オーストラリア出身の女性シンガーソングライター。サウスポーでギターを奏でており、カート・コバーンのようなギターリフをはじき出す。一人ニルヴァーナ状態です。

 そんな話題性充分だったんですが、実は私は本当のところを言ってしまうとちょっとピンとこなかったです。なんだか猫背っぽいというか姿勢が悪いというか、ギターがでかいというか、ちょっと近所のオバサンが買い物帰りのような佇まいというか、切れ目のない歌唱方法がソリッドじゃないというか。とにかくエッジが立っていない感じがして、そこまでの圧倒的なものは感じ取ることはできませんでした。

 ただし、ちょっと最初からハードルが上がってしまった部分があるので、色眼鏡なしで見れば新人としては破格なソングライティングだとは思います。

Chvrches

 

 イギリスはグラスゴー出身のエレクトロ・バンドChvrches(チャーチズ)。

 いつもどおりのチャーチズでした。ローレンが可憐でかわいかったです。

 以前サマソニで見た時には突如として傍らで楽器(多分シンセサイザー)をさわっていたマーティンがメインボーカルとなり歌い出した時には、どうしたものかと思いましたが、今回の動画配信ではそんな場面はなかったようです。

 

Guns N'roses

 

 Guns N' Roses(ガンズ&ローゼズ)のライヴはYoutubeの中継ではわずか15分くらいしかありませんでした。

 そして直前の情報ではヴォーカルのアクセル・ローズAC/DCに加入するだの、足を骨折しただのよくわからない情報だらけでした。

 そして実際のライヴ中継がはじまると、もうすでにオーディエンスもノリノリで景気よく「ガン、ゼン、ローゼズ」と叫んでいます。

 ほどなくライヴははじまりました。フジロック2015でのフー・ファイターズのライブの時のようにステージの真ん中に車いすにのった小太りの見知らぬ男とその脇にはギタリストのスラッシュがいるではありませんか。

 ウェルカム・トゥ・ジャングルのイントロをスラッシュが奏ではじめました、すると車いすに座った小太りの男が突如として歌いだすではありませんか。

 聞き間違うはずなどありません。アクセル・ローズの声です。

 見た目は随分変わってしまったけれど、相変わらずのアクセル・ローズです。

 続いてスウィート・チャイルド・オブ・マイン。

 スラッシュの方はシルクハット姿でギターを弾く様子はいっさい変わりがありません。そしてベースのダフ・マッケイガンはむしろ若返っているんじゃないかと思うくらいのカッコよさでした。

 配信としてのラストはノーベンバー・レイン。アクセルがピアノを弾く曲です。でもこの曲でピアノを弾くアクセルはむしろ可愛らしいおばあちゃんのようでした。またスラッシュは残念なことにピアノの上に上がってギターを弾くことはありませんでした。

 もしそうなったらある種の感銘はあったのですが。

 たった3曲でしたが良いライヴだったと思います。

 

 

Sia

 

 現地時間での金曜日、土曜日のライヴ中継はかなりがっつり見ることが出来たのですが、残念ながら日曜日分についてはほぼ見ることが出来ませんでした。

 その中で一人インパクトのあるアーティストがいたのでご紹介を。

 それはオーストラリアのシンガー・ソング・ライター、Sia(シーア)です。

 彼女はかなり変わったセットのようなステージをもちこみとんでもなく幻想的なステージング、パフォーマンス、そして歌を披露し私の度肝を抜きました。

 

 コーチェラの(すぐ消えそうもないという意味で)良い動画がなかったので時代が異なりますが一応動画を貼っておきます。

 実際のコーチェラでのパフォーマンスも下の動画のような雰囲気にかなり近かったです。私が唯一彼女の動画を貼りたくなった気持ちもわかってもらえるのではないでしょうか。

  

 

 

まとめ

 そんなわけで、私はコーチェラ2016を2日間ほど楽しませていただきました。

3日目のあまり多くのアーティストを見ることは出来ませんでしたが、それでもシーアを目撃することができて本当に良かったと思っています。

 これからは夏フェスシーズンに突入するということもあり、いくつかのアーティストはフジロックサマソニにも登場するよていとなっていますので、私も機会があれば直に目撃したいと思っています。特にシーアが何かの間違いで来日することを願っています。

若い読者のための短編小説案内/村上春樹

 
 初期の村上春樹は意図的に日本的な匂いがするものを遠ざけていたように感じる。
 
 一般的に村上春樹のイメージと言えばビートルズ、スパゲティ、アメリカ文学あたりだろうか。
  どこまでが初期なのかについては人それぞれ考えが異なってはくるだろうけれど、「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に「ノルウェイの森」「ダンス・ダンス・ダンス」を含めたくらいまでが初期になるのではないかと私は思っている。
 特に初期の三部作ではその文体の雰囲気がカート・ヴォネガット的でもあり、ビーチ・ボーイズビートルズがBGMとしてかかり、当時の日本文学とは少しばかり距離感があり日本的なものとは言いがたい部分が強かった。
 
 そういった意味で初めて日本的なものが色濃く出た作品が、「ノルウェイの森」ということになる。
 「ノルウェイの森」は全共闘の時代に青春時代を過ごした主人公について書かれた作品で、それまでの村上春樹の作品とは異なりモデルとなる時代・場所が想像しやすくなっている。主人公の「僕」はノンポリであり、当時の学生運動がいかにくだらないものだったのかを時代背景として記している。ただし、この物語の作品名はビートルズの曲名から拝借されており、内容的にもべっとりと1960年代の東京の匂いがするわけではない。
 
 不思議な事に国内と海外では村上春樹の評価に対して温度差があるというか、まったく異なる評価のように思える。
 日本国内では、村上春樹的の書く作品は文体、登場する文化的下敷き、固有名詞なども含めて「西洋かぶれ」な借り物文学として扱われている。
 海外での評価はこれとは異なり、村上春樹は日本的な文学者として捉えられているように感じている。もちろん、私は村上春樹の海外での評価についてきちんと調べたわけでもなく、一般的な評論/論調などをもとにざっくりとした感想を書いているにすぎない。が、村上春樹の持つわけのわからなさ/どこにも所属していない感じが、日本独特のオリエンタリズムと捉えられているようにしか思えない。自分たちと若干異なる何かを捉えて、そこを日本的なものと考えられている部分が往々にしてあるように思う。
 
 話は変わるけれど、村上春樹の小説がどうしてここまで海外で広く翻訳され、受け入れられているのか、ということについて少しだけ考えたことがある。
 それは、村上春樹の小説に出てくるビートルズなりビーチボーイズなり、その他細部のアイテムたちが文化的垣根を飛び越えて伝わりやすい状況を作り出しているからではないか、というのが一つの仮説だ。
 また、読み手ももちろん重要ではあるけれど、翻訳者がたくさんいるということはより重要な話だ。
 たとえば、私たちがフィッツジェラルドなり、カート・ヴォネガットの翻訳小説を読む時、文化風俗の差によりまったく理解できない部分というのは必ず存在する。脚注で翻訳者がどんなに必死に説明しても読者には理解できないことというものはある。
 日本の小説にジョジョだのキン肉マンだのが登場した場合に、これを翻訳して伝えることはかなり難しい。両手にベアクローを装着し、いつもの2倍のジャンプと3倍の回転を加えて1200万パワーだといっても、それはどんなに頑張っても海外の読者にこの面白さは伝わらない。原体験が違うし、そもそもウォーズマンなんて知らない。いや、ウォーズマン理論だけなら何とかなるかもしれない。けれど、それが1000ページも続く小説ならば誰であっても翻訳したいという気持ちになれない。
 伝わりやすい素地を持ち、それを訳したいという状況が創りだされた結果が今の村上春樹の海外での評価の礎ではないだろうか。
 物語の主題も重要な要素ではあるけれど、自分たちの慣れ親しんだポップ・カルチャーが海外でどのように扱われているのか、ということだって伝道者となる翻訳者たちの気持ちを高ぶらせる要素となりうる。
 
 作品内のアイテムとしてビートルズビーチ・ボーイズなどのポップカルチャーを使い、文体としてはカート・ヴォネガットなどアメリカ文学を思わせるもの。そんな薄っぺらいものが村上春樹の正体なんだろうか。
 つまりは村上春樹は単なるマーケティング・モンスターなんだろうか。 
 
 私なりの答えを先に書いてしまえば、村上春樹は自身のもつ日本的なものを覆い隠すために、あの独特な文体/言い回し、ポップカルチャーが使われている。その奥底にあるものにたどり着くためには、そんな意匠を取り外す必要がある、という風に考えている。
 
 村上春樹の初期の作品では不自然なくらいに、主人公の両親の話題が登場しない。子供が主人公の短編などもあるので完全に、というわけではないけれど、主人公の親について語られるとしても本当に必要最小限といった感じでしかない。
 その感じからすると村上春樹における主人公は、孤児ではないか、いや何なら木の根っ子から生えてきたのではないとすら思えるくらいだ。
 
 村上春樹はエッセイの名手で、村上春樹の書くエッセイはとても評判がよい。現役で文章を書いている人間では作家というカテゴリにとらわれずとも、エッセイというジャンルでは間違いなくナンバーワンではないかと私は考えている。
 その内容はヤクルトスワローズのことであったり、猫の話であったり、音楽や映画の話であったり、文学の評論家についてであったり、奥さんの話であったり、交流のある編集者やイラストレーターであったり、学生時代の話であったり、普段思っていることであったりとかなり多岐に渡る。
 その中で、本当にごくまれにではあるけれど、氏のご両親についての話題がある。
実は村上春樹が自分の両親がどんな人であったかについて語る場面は、その圧倒的な仕事量からするとかなり少ない。ただし、全くしないわけではない。聞かれたら答えるといった感じに近い。このためエッセイよりもむしろ対談風の記事において村上春樹は両親について語ることが多い。
 エッセイやインタビュー記事から出てくる内容からすると村上春樹の両親はともに、国語教師だそうだ。そして子供の頃から国語というものについてかなりきっちりと教えこまれたと語っている。
 また後のインタビューなどで村上春樹の父は研究者であり、国語教師であり、僧侶であったということを語っている。さらに言えば村上春樹父親は学生時代に徴兵されて戦地である中国に赴いたそうだ。
 この話を総合すると村上春樹の作風、特に中盤以降の作品に父親の存在が大きく影響を与えているという気がしてくる。
 
 中期以降の村上春樹の作品には、初期作品とは異なる何かが入り込むようになった。たとえば一部の作品たとえば「ねじまき鳥クロニクル」ではノモンハン事件のようなかつての日本のおこした戦争のシーンがゴリゴリと挿入されてくる。「ノルウェイの森」の主人公はノンポリではあったが、氏のエッセイの内容から村上春樹という人がその態度をいっさい表立って表明しないものの政治にまったく無関心ではないことは分かってはいたけれど、「ねじまき鳥クロニクル」でのノモンハン事件の描写は私にとって何か唐突なものと感じさせた。
 また「1Q84」では不思議な宗教団体が入り込んでくる。もしかすると一般的な読者からすれば、そんなものは「羊をめぐる冒険」から何も変わっていないよ、というかもしれない。が、私にはそうは思えなかった。
 
 村上春樹はデビューしてからしばらくの間、政治とも社会とも隔絶する若者寄りの立場で扱われていたように思う。そして村上春樹自身もそのように振る舞っていたと思う。
 けれどある時期を境に大きく村上春樹の作品と行動が変わった。それはおそらく「ねじまき鳥クロニクル」の少し前くらいからではないだろうか。
 その後、オウム真理教が大きな事件を起こした後、「アンダーグラウンド」という地下鉄サリン事件の被害者からインタビューを取ったものをまとめた作品を出している。そのあまりにも村上春樹的ではない行動に少なからず彼のファンは驚いた。
 なぜ、村上春樹が突然そのような以前のスタイルと大きく異なるような仕事をしたのか理解ができないとまで言われた。口の悪い部外者はノーベル賞が欲しくなったから社会的な仕事をしたなどと言い出した。けれどその想像は当たっていないと思う。
 これは私の勝手な想像ではあるけれど、大人になったということではないだろうか。父親は国語教師でありつつ僧侶でもあった。村上春樹の死生観、日本の文学からの影響、宗教観と父親の存在はかなり近しい位置にあるのではないのだろうか。そしてそれは、オウム真理教という宗教の名を語っている団体の起こした事件に対して、自分なりの決着をつけたいという思いからではなかったのかと感じとっている。
 何故それが大人になったということなのか、という話ではあるけれど、若い時代の村上春樹は、その出自からも日本の文学/古典にかなり精通していたはずだがあえて避けて来たようにも思える。また宗教的にも、キリスト教もしくは聖書からの影響をかなり指摘されていた。けれど、それは結局すべて父親的なもの(つまり日本の文学であり、仏教的なもの)に対する反発からのようにも思えたからだ。
 
 このブログ記事は村上春樹の書いた著書「若い読者のための短編小説案内」についての感想文でもある。が、今のところ、この著書に関する説明/感想は一行も書いていないので少しだけ書く。
 この「若い読者のための短編小説案内」ではいわゆる第三の新人とよばれていた世代を中心に吉行淳之介小島信夫安岡章太郎庄野潤三丸谷才一長谷川四郎を取り上げている。
 この6名は村上春樹プリンストン大学に客員研究員として呼ばれた際にテキストとして利用した作家達である。海外で暮らすようになり日本的なものをより求められるようになったために、もう一度彼らの作品を読み込んだと村上春樹は語っている。
 村上春樹が日本の作家について、こまかに言及することはかなり珍しく、若い頃は意図的に避けていたのではないかと思える部分もあったが、この著書を読む限り、その両親の影響か、かなりがっちりと文章を構造として捉えていることがわかる。
 
 
 ところで村上春樹プリンストン大学の客員研究員だったのは1991年頃の話で、この後に「ねじまき鳥クロニクル」をかきあげ、その後、日本に戻り、アンダーグラウンドというノンフィクション作品を出すことになる。
 
 
 

 

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